ケイケイの映画日記
目次過去未来


2013年11月10日(日) 「眠れる美女」




ガーデンシネマで観たのは、7月の「嘆きのピエタ」以来。最近はシネコンばかりで、すっかりミニシアターやアート系作品とはご無沙汰です。前日の愛しの君の映画を観て、ワーキャーと脳みそがミーハー状態のまま観たのが、悪かったのか?前半退屈で何度も舟を漕ぎ、寝落ちしそうになりました。後半から段々目が覚めてきて、終わってから、あぁ〜、そういう映画だったのかとおぼろげに理解した次第。要するに面白くはなかったのだな。監督はマルコ・ベロッキオ。

2009年イタリア。17年間植物状態の女性エルアーナ・エングラーロの両親が、延命措置停止の訴えを起こし、長い争議の末、認められる事に。しかしカトリック信者を中心に、この決議に猛反対する多数の民衆たち。一方で議会では、この判決を無効にする緊急議会が始まり、国は騒然となります。議員ウリアーノは賛成派ですが、かつて妻の延命措置を停止した過去があり、悩んでいます。娘マリアは反対派で、父とは険悪に。娘が植物状態となったため、全てのキャリを捨て看病に勤しむ大女優(イザベル・ユペール)。我を忘れ一心不乱に看病する彼女に、夫と息子は不満を募らせます。若い医師は、病院で薬物中毒の自殺願望のある女性と出会います。目の前で手首を切られ、救命する彼。捨てて置けず、行きずりに女性にも関わらず、彼女を看病します。

三つのお話が絡まることなく、エルアーナの事だけを軸に、お話は展開していきます。テーマは尊厳死。と言うことだけを頭に入れて、勝手に「海を飛ぶ夢」と、アルモドバルの「トーク・トゥ・ハー」(だって眠れる美女だよ)をミックスした作品かと予想していましたが、予想×。

一つ一つのお話は興味深いし、全部に印象的な演出もあり、上滑り感もありません。が、面白くない(笑)。三つのお話には、全て三様の「眠れる美女」が登場し、どれも印象的なのですが、如何せん辛気臭くて、とても暗いのです。様々なケースを通して、生への権利や自由を考えてもらおうと言う趣旨なんでしょうが、ユーモアや一息つく場面もなく、ただただ重厚なもんで、生への希望や活力を想起する元気が、こちらに起こらないわけですよー。

全てを捨てて娘の介護にあたる女優のプロットなんて、本当はしみじみ私にはこの母の気持ちが届くはずなんですが、全ての中には、夫や息子も入っているわけね。まぁそれもわかるんですよ。でも演じるユペールが、今回もファナティックなのに無表情な、カンに障る女を好演するもんだから、「あんた、間違ってます」と言いたくなるわけ。全然感情移入出来ず。監督は母親の無償の愛と、家庭の崩壊が比例していく様を見せて、観客に尊厳死の是非を問うているのかと解釈しましたが、痛ましいだけで、私の心の琴糸には触れず。しかし本当は同情出来るはずの人を、観ているもんにカッとさせるような役をやらせると、ユペールは絶品すな。

精神的に病んでいるであろう登場人物も多いです。女優もそうだし、自殺願望の女性もそう。マリアの恋しい男性の弟も、何か含みを感じます。希望を表そうとした自殺願望の女性は描き込み不足で、エキセントリックさだけが残ります。尊厳死がテーマのはずが、手を広げ過ぎて、散漫になった気がします。「死」への安らぎは感じるのに、「生」への希望は感じません。監督は是非は観客に問うているはずで、生と死は表裏一体であるはずが、私には片手落ち感がありました。

「トーク・トゥ・ハー」の、全裸の、それも超美しいレオノール・ワトリングのように、眠れるだけで抜群の存在感と惹きつけるものを持った登場人物もおらず、とにかく三つとも暗くて重たくては、三重苦でした。どれか一つを掘り下げて描いても、充分尊厳死の是非は問えたと思います。めっきりアート系への感受性が鈍麻している私には、キツい作品でした。


ケイケイ |MAILHomePage