ケイケイの映画日記
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2013年09月28日(土) 「そして父になる」




今年のカンヌ映画祭審査員賞受賞作。私はカンヌで受賞した作品は、あまり合わないので、そう聞いても期待値上げないで観たのが良かったです。監督の是枝裕和は、子供を描くのがとても上手い人ですが、今回それ以上に二人の母親の溢れる母性を、とても丹念に、そして的を射て描いており、感嘆しました(脚本も監督)。お蔭でテーマである「そして父になる」福山パパの成長に、あまり感動しなくて困りました。おいおい泣き通しでした。

順風満帆の人生を歩んでいる野々宮良多(福山雅治)。妻のみどり(尾野真千子)と一人息子慶多(二宮慶多)と、東京の一等地のタワーマンションに住んでいます。ある日みどりが出産した病院から連絡があり、慶多が取り違えられた子供だと言うのです。相手は群馬に住む電気店を営む斎木雄大(リリー・フランキー)ゆかり(真木よう子)夫婦の長男琉晴(横升火玄)。両家は話し合いの元、まずは週末だけ子供たちを、本当に親と一緒に過ごさす事にします。

冒頭小学校お受験の風景が。夏休みは父とキャンプに行って凧揚げをしたと答える慶多。面接が終わって、「キャンプは行ってないのに、どうして言った?」と聞く良多に、慶多は「塾で教えてもらった」と邪気なく答えます。もうこの時点から、監督は野々宮家に少しの嫌悪感を滲ませています。

毎日帰宅は遅く休日も仕事で、家庭の事は全て妻に任せて、子供と接する事の少ない良多。みどりは不満がいっぱいですが、古風な考えの人なのでしょう、良多の言いつけ通りの子に育てたいと、一心に愛情を注ぎ子育てしています。しかしマンションはモデルルームかホテルの一室のようで、まるで生活感がありません。一生懸命みどりが巣作りしても、「母と息子」二人では、広すぎるのでしょう。

対する雄大は、お金にはみみっちく甲斐性なしですが、子供3人を実によく世話をし遊びます。私が好感を持ったのは、家族サービスではなく、自分も楽しんで子供と遊んでいる事。彼自身が子供だとも言えますが、こういう光景を見て、嬉しくない妻はいないでしょう。そして認知症の妻の父親とも快く同居しており、一人家に置いてきた父親のため、忘れずに「カツカレー一つ」と注文したのは、ゆかりではなく、雄大でした。家はあばら家で、ゆかりも容赦なく子供を怒鳴る、がさつな肝っ玉母さんですが、温かくたくましい生活感が溢れています。

私が上手いなぁと思ったのは、慶多は大人しくお行儀よく、琉晴はやんちゃで元気いっぱい。その家庭に似つかわしい子に育っていた事です。子供とは環境だなと思います。

こんな対照的な家なのに、母二人はまるで姉妹のように、同じ感情を共有します。6年間手塩にかけて育てた「他人の我が子」が、愛おしてく堪らないのです。子育てした人ならわかると思いますが、子供が一番可愛い時期だと同時に、自分を母親にしてくれた6年のはず。一心に自分を愛し求める子供に応えようと、夢中で日々を過ごしたはずです。この記憶は、例え子供が他人だったとしても、決して消せないものです。子供の交換に躊躇するゆかりに、良多は「血が繋がっていなくても育てられるのか?」と問いますが、「子供と繋がっている自信があれば、育てられる。そう思えないのはそうじゃない父親だけだ」と、きっぱり言い返します。全くその通り。ゆかりは答えながら、自分の夫は育てられる人であると、誇らしかったかも知れません。

劇中何度も泣くみどりですが、私が一番泣かされたのは、帰宅の電車の中で慶多を抱きしめ「二人でどこかへ行ってしまおうか?」と言うシーン。家庭を顧みない夫に不満を持っていたでしょう。しかしそれを忘れるかのように、懸命に子供を愛した育てた日々は、同時に夫と繋がっていると確信出来る日々でもあったはず。慶多は他人の子である、みどりはそれを否定されたのです。しかし慶多を愛した日々は本物。夫の子でないなら、自分ひとりの子として、誰も知らないどこかに行って暮らしたい思うのは、当然です。書いててまた涙が出ちゃうわ。

そしてみどりは、母親なのに何故わからなかったかのと、自分を責める。この様子にも泣かされました。あなたはちっとも悪くないのよ。母親だって、それも新米じゃないの、絶対わかりません。しかし良多は事実を知った時「やっぱりそうだったのか」と言い放ちます。最悪のセリフ。それも妻の前で。子育てを一手に妻に任せておいて、このセリフ。勝気な自分に似つかわしくない、優しい慶多に不満を持っていたのですね。のちに妻にこの言葉の事で逆襲された時、覚えていないと言う。本当に無自覚に失言する夫ほど、始末に悪いもんはないです(私もゴマンとしてきた怒り)。

良多は所謂勝ち組で、負けを知らない男だと描かれていましたが、そうではないと、後半から描かれます。「子供は二人共育てたい。金は渡すから」の良太の発言に激怒する斎木夫婦。当たり前です。しかし「金が誠意だと言ってたじゃないか」とポツリ。それは病院に対して言ったんです。第一妻には一言も相談なし。人の気持ちがわからなさ過ぎです。

良多は何不自由なく妻子を養っているのだから、責めるのは可哀想だと言う方もいるでしょう。しかし彼は妻子を幸せにする為に、仕事を頑張っているのではありません。自分のためなのです。彼の人生で学業や仕事が一番で、妻子はサイドストーリー。だから家庭を心配する上司(國村隼)が部署を変えをした事が、不満なのです。一見斎木家の方が幸せだと見えるのは、貧乏でも温かい家庭だよと言っているだけではなく、大黒柱である夫の、家庭へ温度差を浮き彫りにしていたと思います。

しかしこれこそ、彼の父親(夏八木勲)からのDNAみたいです。義母(風吹ジュン)と如才なく会話する兄(高橋和也)と比べ、未だにお母さんと言えない良多。育ててもらったのにです。その事はわかっているはずの義母ですが、優しく兄弟を包んでいます。大人になった今でも敬語で父と会話する兄弟、「お母さんは、ハズレくじを引いちゃいましたね」と冗談を言う兄から良多の育った家庭はそれなりに裕福で、良家だったように感じました。それが今は安アパートの暮らしです。暗に血に固執する良太の父の言葉を、否定していたのかも知れません。確かに「血は水よりも濃し」の父親の発言は正論です。しかしそればかりに捕われていては、一番大切なものを見逃すのじゃないでしょうか?

当時の看護師(中村ゆり)の登場と発言は、少し強引。彼女の義理の息子を登場させたかったからかと思いました。あぁ良多は、昔の自分に復讐されているんだなと感じます。彼の生い立ちを探っていく後半で、やっと良多の歪さがどこから来るのか、理解出来ました。

子供が生まれて、すぐに親になれるものではありません。自分のお腹で育てた母親より、父親の方が遅くに親になるのは、仕方ないのかも。うちの三男は予定外の子で、結婚10年目に生まれました。上二人とは8歳と7歳離れています。長男が「あいつ(三男)が生まれてなかったら、お母さん、お父さんに我慢出来ずに離婚していたと思う」と言われた時は、びっくりしました。図星だからです。うちの夫は子供が三人となって、やっと家庭を顧みるようになりました。長い10年でした。

良多は琉晴から父親としてダメ出しを喰らい、敗北感一杯だったでしょうね。何故あんな甲斐性なしの雄大に負けるのか、屈辱だったでしょう。それを経て、懸命に父親となろうとする良多。「そして父になった」彼が出した答えは、世間からはずれているけど、私はエールを送りたいと思います。ゆかりの言った「このままじゃ、ダメなのかしら?」のセリフを聞いた時、私は同調したので。

二宮慶多が激カワ。つぶらな瞳が、観客の心を掴むこと必死です。琉晴役の横升火玄も自然体で良かったのですが、群馬に住むと言う設定なのに、何故滋賀の子を起用?この年代で言葉の修正は難しいです。彼の関西弁が飛び出す度に、違和感が。これは火玄君に罪はなく、キャスティングの問題だと思います。頑張って演じている彼が可哀想になりました。

福山雅治は、うーん、可もなく不可もなく。あの生活感の無さが、良多に合うと言えば合うし、別の人でも可と言う気も。リリーさんは今回も好感触。でも雄大には良多と自分を比べて、甲斐性の面で卑下する部分もあって、良かったかなぁ。あのまんま「これでいい!」と自信満々に思われても、と言う気はします。尾野真千子と真木よう子は文句無し!

是枝監督を愛したくなりました。監督の人柄も感じる作品です。あの場面この場面、じっくり語り尽くしたい作品です。年甲斐もなく、また子供が育てたくなりました。


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