ケイケイの映画日記
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2013年04月15日(月) 「舟を編む」




とても愛すべきチャーミングな作品。「大渡海」と言う名前の辞書を作る編集部が舞台で、「大きな言葉の海を渡る」と言う意味で、「大渡海」です。なので、渡るのには舟が必要→舟で渡る→舟を編む(編集する)と言う意味です(で、良かったかな?)。善良な市井の人々が、辞書を作ると言う地味な作業の、情熱的で誠実な十数年を、微笑ましくユーモアたっぷりに、そして熱く描いた作品。ずっと微笑んで観ていた気がします。監督は石井裕也。

1995年の東京。玄武書房辞書編集部では、新しい辞書を作る事になりました。折しも編集部の中心である荒木(小林薫)が、定年でもうじき退職。監修の国語学者松本(加藤剛)の落胆ぶりを見た荒木は、営業部では浮いた存在ながら、生真面目で言葉のセンスを持つ馬締光也(松田龍平)に白羽の矢を立てます。ほどなく異動となった馬締は、お調子者の同僚西岡(オダギリジョー)やベテラン編集員の佐々木(伊佐山ひろ子)と共に、黙々と仕事に勤しむ日々が始まり、自分の一生を辞書作りに捧げようと決心します。そんな時、下宿先の大家タケ(渡辺美佐子)の孫娘・香具矢(宮あおい)に出会った馬締は、彼女に一目惚れします。

松田龍平が絶品。クールなイメージのある彼が、こんなに愛すべき変人を好演するなんて、大感激です。四の五の書くより是非観ていただきたいです。「真面目」「誠実」「努力家」と言うのは、人としての絶対的美徳なんだな。こうまで極めると、他の数々の欠点を吹っ飛ばす破壊力がある。コミュニュケーション不全気味で、なかなか人とは打ち解けられない彼が、気がつけば辞書編集部の人たちと絆を結ぶのは、編集部の人たちも、そういう美徳を持っているからでしょう。

特にお調子者で今風の西岡は、全然そんな風に見えません。しかし辞書を作る情熱は、彼も人一倍なのです。身を捨てて辞書作りを続行させた彼にも、大感激です。人って見かけによらないを、ひしひし感じました。ある意味馬締を化けさせた、最大の功労者です。

用例採取(言葉集め)のため、街へ繰り出し合コンにも出て、今の流行りの使い方や言葉を拾っていく様子は、耳に入る全ての言葉が対象です。更には他の辞書と首っ引きでのそれらの取捨選択。そしてその言葉の説明書き。それを十数年かけるのです。小学校の頃からお世話になっている辞書が、こんな途方もない努力の積み重ねで作られているなんて、全然知りませんでした。これを知っただけでも値打ちがあります。

十数年の間には、人の生死、恋や結婚、部署の異動など、様々な事が起こります。最初は異動に渋々だったファッション雑誌から来た岸部(黒木華)が、気取ってシャンパンしか飲めませんと言っていたのが、いつの間にか下町の居酒屋で、楽しそうにビールをぐいぐい飲む様子で、彼女の心の成長がわかるのです。そして一番成長をしたのは、やはり馬締です。

映画の初めの頃は、背中一面に「自信がありません」と張り紙がしてあるような馬締が、かつてと同じように謙虚に、だけど今では人前で立派に挨拶も出来る人になっています。でも何が素晴らしいって、どんな立場になろうと、出世しようと、香具矢の言うように「みっちゃんって、面白い」と、愛すべき変人ぶりは同じな事です。馬締を馬締のまま成長させたのは、きっと香具矢の内助の功ですね。

私が高校生の時、お兄ちゃんが東大生だと言う子がおりまして、国語辞典はお兄ちゃんから譲り受けたと言うのね。普通の辞書とは、きっと違うのだろうと、クラスみんなでワイワイ言いながら引いたワケです。その言葉は「女」。そしたら、ツラツラ書いてあった最後に、「妊娠出来る人」と書いてあり、みんな騒然となりました。で、もちろん次に引いたのが「男」。当然の如く、「妊娠させられる人」と書いてある。もう30年以上前の事ですが、「これはあかんのんちゃう?」と、当時の女子高生たちも思いました。
この無神経な記述は、今は当然改訂してあると思います。「明日から改訂だ」と言いながら、お互い用例採取の束を見せ合う馬締と荒木に、遠い昔の辞書にまつわるお話を、思い出した次第です。

あのシーン、このシーン、想い出深いシーンばかりです。家でもスーツの上着を脱いだだけで、ワイシャツとズボン姿の馬締が、恋の告白の後、正座して玄関で香具矢の帰りを待つ時(相当変です)、上着ではなくベストを来ていたのが、大変面白かったです。彼的には「家での正装」だったのでしょうね。二時間半弱、このようにチャーミングなシーンが満載、でもシーンが浮き上がることなく、きちんとみんな繋がっていて、お見事です。

世の中は新しい物が出来ると、それに飛びつきがちです。でも自分の本当に好きなものを見つけたら、それがどんなに地味でも時代遅れでも、一生歩むべきなんですね。その幸せや充実感を、どうぞ画面から感じて下さい。


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