ケイケイの映画日記
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2013年01月13日(日) 「マリー・アントワネットに別れをつげて」




遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願い致します。

え〜、年末に頑張ります、などどと書きましたが、のんびりしていたら、すっかり出遅れました。今年初映画がこの作品です。すっごく良かった!と書きたいのですが、これがどうも。あの予告編、なんかミスリードの気がするなぁ。締まりの悪い作品でした。監督はブノワ・ジャコー。

1789年、パリのベルサイユ宮殿では、王妃マリー・アントワネット(ダイアン・クリーガー)の「読書係」を、少女シドニー(レア・セドゥ)が務めるていました。王妃に憧れ、身も心も虜のシドニーでしたが、王妃の心は側近のポリニャック夫人(ヴィルジニー・ルドワイヨン)のものでした。折しもバスチーユが陥落。世に言うフランス革命の嵐が吹き荒れ、ギロチンリストが出回ります。その中にはポリニャック夫人の名前も。王妃はシドニーに、夫人の身代りになって欲しいと「命令」します。

と、予告編通りのあらすじなんですが、決定的に違うのが身代りの意味。私はてっきり、シドニーがギロチン台に上ると思っていたのですが、これがさにあらず。まっ、身代わりっちゃ身代わりなんですが、これが肩透かしなのよね。呆然や唖然なら、怒りとか驚愕とかの感情が沸くのでしょうが、肩透かしなので、この気持ちと言うか期待?どこへ持っていけばいいのでしょうか?となる。

そして、この場面は当然最後に用意してあるわけですが、ここまで来るのに演出が平板。ただ出来事を羅列しました的描き方です。恥ずかしながら、途中10分ほど寝落ちしてしまいました。

フランス革命やアントワネットは、深くは知らなくても、「ベルばら」なんかでちょっとは知識はあるわけですよ。王妃がポリニャック夫人に焦がれる様子、二人のキスシーンなど、官能的なんですけど、側近として寵愛するのと、想い人として恋するのは違うと思うんですよ。私としては、フェルゼン!どこに隠れている!の気分なわけ(実在の人物なのよ)。これを知らなきゃ、王妃は夫であるルイ16世は面白味のない人だけれど良人なので、性愛は女性への恋心に変身させて、貞操を守っていると取るのですが。夫人ももちろん夫がいるしね。この辺「寵愛」の表現の仕方も、想像と違いました。この辺は先に先入観を持っていた私が悪いかも?シドニーの背景は、ラストにチラッと語られるだけですが、少女がやんごとなき身分の麗人に心酔するのはよくある事で、レアの好演も相まって、違和感なかったです。

そしてもう一つ違和感がクルーガー。私はこの人は好きな女優さんですが、アントワネットはミスキャストの気がします。アントワネットは「パンが食べられなければ、ケーキを食べればいいわ」の言葉が有名ですが、こういう稚気な言葉を発する人には見えません。傲慢さやわがままさ、それと相反する優しさや、生まれ持っての優美さとの落差も感じられず、魅力に乏しいです。

ロケは実際にベルサイユ宮殿を使っており、空間の使い方、部屋の間取り、衣装・調度品に至るまで、それらは興味深く拝見出来ました。豪華絢爛ではなかったのが、意外でしたが。

もうちょっとしたら盛り上がる、と期待しつつ、そのまま終わってしまったのが、締りが悪い気分になった理由です。ちょっと残念な新春一本目でした。


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