ケイケイの映画日記
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2012年09月30日(日) 「わたしたちの宣戦布告」




日本公開が決まる前から心待ちにしていた作品。馳走感溢れるポップなこのポスター、素敵でしょ?しかし題材は難病の我が子を得た若いカップルのお話なんです。監督・脚本・主演の三役を務めるヴァレリー・ドンゼッリの実体験を元に作られた作品。相手役は当時のパートナーで、子供の父親でもあるジェレミー・エルカイム。脚本も共同なので、描き方が非常にリアルで感心しました。泣かせる作りではないのに、子育て経験のある者として、あちこちで泣きじゃくってしまいました。秀作です。

パリ。ロメオ(ジェレミー・エルカイム)とジュリエット(ヴェレリー・ドンゼッリ)は、一目で恋に落ちたカップルです。生い立ちも家庭環境も違う二人ですが、やがて同棲が始まり可愛い息子アダムを授かります。しかし発育の遅れるアダムを病院に連れていくと、脳腫瘍の疑いがあると言われます。

冒頭の二人の出会いからテンポ良く進む、既にポスターで感じた、カラフルで馳走感たっぷりのラブリーな様子が描かれます。そして出産。両方の実家かれ祝福され、援助も受けるなど順風満帆な中での子育ては、ずっと幸せが続くかのように、誰もが感じるはず。そんな中で始終泣き続ける息子に参ってしまい、若い両親が諍う様子もちゃんと挿入。私のように通り過ぎた者からしたら、とても微笑ましいです。

アダムの病気は手術は出来るものの、予断を許さない性質の病気です。私が感心したのは、その描き方。映画の中の難病もので、私は当事者以外できちんと親兄弟が描かれたのを観た記憶がないのです。この作品は、当然のように両方の実家に報告するカップルが描かれ、手伝いを乞い感謝もします。病気に立ち向かうには、とにかく人手が要るものです。孫・甥の病に対して一喜一憂する両家の人々の姿は、きっと観客にも、どこかで覚えがあるはず。これは監督自身、子供の病気を得て、家族の繋がりや親への感謝を身に沁みて実感したから、描いたのだと思いました。

そこそこ腕の良い医師を必ず紹介してもらえるマルセイユで手術するか、その道の「神の手」である医師に診てもらえる、僅かな可能性を求めて自宅のあるパリで手術するか?この場面の家族会議が秀逸。二人だけで煮詰まらないで、姑も交えて会議し、ジュリエットは自分の我を通しません。これは中々出来るものではないです。

ジュリエットが過敏になればロメオが諌め、ロメオが疲弊すればジュリエットが慰める。ベストな間柄です。時には子供を預けてパーティーへも出かける二人。しかしお互い見つめ合う目には涙が。息抜きはしても、片時もアダムを忘れられないのです。看病には体力だ!とばかり、二人で体力作りをする場面もいじらしく感じました。

ユーモアや若々しさ、時には幼さも含めて実生活を曝け出したように見えるふたり。しかしこのカップルは、映画でも実生活でも、のちに別れています。口論や激しい諍いは映していません。それは「何故僕たちにこのような事が起こったのだろう?」「それは私たちだったら、乗り越えられるからよ」。このセリフのために、この作品は作られたのじゃないかしら?二人はアダムの父と母として最善を尽くしたいため、意見の違いから人として絶交する前に、男女のパートナーは解消したのだと思いました。だから喧嘩の場面は描きたくなかったんじゃないかなぁ。

この作品は、子供の難病だけではなく、色んな苦境に苛まれた人々に対してのエールだと感じました。どんな壮絶な苦境にも、笑いと愛はあるものです。その瞬間を感謝して、前に進めばいいんですね。

余談ですが、ヴァレリーとジェレミーのカップルは、またくっついたんですと。もしかしたらこの作品が契機かも?映画を観た後だと、素直に良かったと思います。事実は映画より奇なり。


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