ケイケイの映画日記
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2012年03月20日(火) 「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」




本年度アカデミー賞主演女優賞(メリル・ストリープ)、メイクアップ賞受賞作品。作品・監督賞など、その他の主要部門には絡んでおらず、出来の方はそれほど期待していませんでしたが、予想通り。一番の見所は、メリルの演技でした。現在認知症を患う元首相を描きながら、彼女の功績や苦難を回想形式にして映しています。狙いは良いのですが、両方にバランスを取る事に気を取られたためか、どちらも踏み込みが甘く、イマイチ物足りない作品に感じてしまいました。監督はフィリダ・ロイド。

政界を引退して数年になるマーガレット・サッチャー。今では認知症を患い、娘とメイドの介護を受けています。亡くなった夫デニス(ジム・ブロードベント)の幻覚が時折見え、彼女と会話します。マーガレットはデニスと出会った時からの事を回想します。

デニスとマーガレットの若かりし頃は、未来への希望や活力を感じさせ、素直な描き方に好感が持てます。マーガレットの生い立ちや議員に当選するまでの暖かい家族風景も、短い時間に上手くまとめています。

議員初当選後、男性議員から女性差別という洗礼を受けた場面から、何故かほとんど一足飛びに党代表選へ。多忙な議員生活で、家族をないがしろにしてきた彼女へ、これ以上まだやるのか?と、夫や娘の風当たりの強さを挿入しています。この辺は理解出来ます。しかし、これ以降マーガレットの家庭人としての風景は一切挿入されず。もちろん、家族の支えもなし。しかしですね、彼女が首相就任時、イギリスは大変な経済危機で、初の女性首相としての彼女への視線は、内外ともに厳しく辛辣であったはず。家族の支えも全くなく、執務だけをがむしゃらにこなしていたのでしょうか?もしなかったのなら、諍いでも良いので、家庭の風景も挿入すべきでは?家庭は政治のため切り捨てた女性でも、葛藤はあったはずではないかと思います。これでは冷淡過ぎです。

時折出てくるデニスの幻覚は、マーガレットに優しかったり辛辣であったり。それは彼女の心の内が出ているのでしょう。私が秀逸だと思ったのは、夫の声さえ聞こえなければ、自分は認知症ではないと考えた彼女が、家の中のありとあらゆる音を出し、幻聴を聞こえなくしようとするシーンです。認知症にしろ、統合失調症にしろ、患っている人は常人には不可解は行動を取りますが、その人なりに統合性は取れているのですね。

そして結構長い時間を割いて、マーガレット在任中の政治の局面を描きます。色々出てきますが、やっぱりハイライトはフォークランド紛争でしょう。この時のことは記憶にありますが、世論は「サッチャーだから戦争になった」風だったような。なので「私はイギリスの母です」と彼女が言うのには、ちょっと違和感がありました。母親は戦争を止める存在だと思うから。

そして議員生活から引退してまで、一環していたのは、女性蔑視と戦う彼女。彼女を首相候補に立てるとき、盟友の男性議員が参謀となり、あれよあれよと言う間に、私たちの記憶する「マーガレット・サッチャー」が出来上がり、目を楽しませてくれたのも束の間、彼はテロで殺害されます。彼女のテロに屈しない信念は、ここからくるのでしょう。

しかし以降は一切誰も彼女の味方はいません。そんな事ってあるのかな?11年間も大英帝国の首相として国の舵を取ってきた人に、一人も参謀がいないとは、とても疑問が残ります。しょうもない男性の陰口や蔑視に孤軍奮闘する彼女からは、気の強いおばさん的なものを感じるのです。一番痛恨に感じたのは、政治家として、人として、マーガレットの優秀さが感じられなかったことです。欠点があるのなら、それを愛すべきという描き方でもなし。好き嫌いは別にして、マーガレット・サッチャーは、歴史に残る女性であるのは確か。男性社会でこんなに頑張ってきました、と言う点のみ強調されている気がします。

退任の彼女を祝福するのも、全て女性。在任中に彼女を励ます同性が出てこなかったのが不思議でしたが、これなら任期中でもいたはずだけどなぁ。例えば国民の普通のおばさんからの励ましの手紙でも可。パイオニア女性を描く女性監督に陥り易い「罠」だと思います。

結局最後まで観られたのは、メリルの芸術とも言える名演技の御陰かな?でも本当言うと、彼女はいつでも上手なので、これが一世一代の演技とは思いませんけどね。メイクは、私はサッチャーのあの小動物的なリスのような可愛い口元がそっくりだったので、それにびっくりしました。どうやって似せたのだろう?

サッチャー家の人が、映画の出来に怒っているという記事を読みましたが、さもありなん。劇中見る娘さんは、母思いの優しい人です。「アイアン・レディ」は首相としてだけだった、と言いたいのかも。


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