ケイケイの映画日記
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2012年02月25日(土) 「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」

とてもとても美しい作品。時々映画を観ていると、登場人物全ての心が自分に入ってきて、堪らなくなる時があります。この作品がそう。途中から泣きっぱなしで、鑑賞後はカエルのように目が腫れ上がっていました。監督はスティーブン・ダルトリー。

ニューヨークに住むオスカー(トーマス・ホーン)は、9・11のテロで父(トム・ハンクス)を亡くし、今は母(サンドラ・ブロック)と二人暮らし。一年後、悲しみの癒えないオスカーは、ある日父の遺品の中から、ある鍵を見つけます。その鍵はきっと父からのメッセージだと確信した彼は、手ががりとなる「ブラック」の文字は、きっと苗字だろうと推測。ニューヨークに住むブラック氏の家を、全て訪ねようと決心します。そんなオスカーを知った祖母の家に住む言葉を話さない間借り人さん(マックス・フォン・シドー)は、一緒に協力を申し出、二人は共に行動することになります。

途中で「僕は利口だけど少し変わっているんだ。アスベルガー症候群の検査をしたけど、不確定」と、オスカー自ら言わせています。私は精神科クリニックで受付をしているのですが、発達障害・知的障害をわからぬまま大人になり、社会に適応できずに悩み、心因反応を起こして精神科に受診、と言うパターンがすごく多いのです。これは精神科に勤めて始めて知りました。

親の適切な対応が大事なのですが、残念ながら気づくケースは少なく、発症当時の様子を記するカルテを読むと、今はこんなに大人しく善良な子が・・・と、びっくりするほど過剰な反応や行動を見せています。今の彼らが本当の姿なのでしょう、どれだけ辛かったかと胸が痛むこともしばしばです。

オスカーも人付き合いが苦手、自分の感情の表現が不器用で、大人に対しても無礼だったり不可解な態度を取るものの、感受性は繊細でとても利口な子です。扱いが難しい我が子を、父は否定することなく、自分も楽しみながら接します。興味のあることは、一見無駄に見えても真剣に付き合う。それを優しく見守る母。うちの患者さんたちの幼い頃から比べたら、とても恵まれているなと思いました。

大好きだった父を亡くした後、哀しみから大好きだった母も遠い存在に感じる彼。彼の母への愛情表現の不器用さを観ると、今の時代は「不器用」は肯定される表現ですが、本人にとっては、とても辛いことなのだと感じるのです。

彼の特性から考えたら、それこそ清水の舞台から飛び降りる気の鍵穴探し。最初訪ねたアビー・ブラック(ヴィオラ・デイビス)のシーンから、涙が止まりません。オスカーだけではなく、アビーの苦しみも私の心に入ってくる。もちろんデービスの好演あっての事ですが、これは以降、袖すり合うくらいの一会でも、オスカーが今まで知らなかった世界、または感じたことのない様々な感情を抱くのだと言う意味だと思いました。

その様子の描き方は、私の予想通りなのですが、間借り人さんと共に行動するようになってから、オスカー独りの時より俄然ユーモラスで楽しくなります。人に合わせる煩わしさも描きながら、でも協力しながらの道行は、独りより二人の方が断然豊かな時を重ねるのです。間借り人さんは、初登場シーンからその背景は予想できました。そして賢いオスカーも、観客と同じく確信するのです。

オスカーの探し当てた鍵穴は、彼の期待するものではありませんでした。落胆が激しく興奮するオスカー。しかしこれまで見守っていただけと思われた母は、彼に秘密を明かすのです。そう言えば、どこに行ってもオスカーは歓迎されていて、門前払いもあるはずなのにと、私は不思議だったのです。見守るとは、「ありえないほど近く」その人に寄り添っても、そのことを悟られず信じる事なのだと、痛感しました。

トーマス・ホーンは、アメリカのクイズ番組で抜群の正解率を誇っていたのを、製作陣が目をつけたのだとか。難しい役で、長いセリフ、感情の起伏が激しいアスペルガーの特性を、演技が初めての子が、よくここまで表現出来たなと感嘆します。この設定で、純粋さや賢さを浮き上がらせるのは、本当に難しいと思いますが、演技派のキャストを向こうに回して、一歩も引けを取らず堂々の主演でした。

ハンクス、サンドラもすごく良かったですが、やはり出色はシドー。私はこの人を初めて観たのが、劇場初公開時の「エクソシスト」のメリン神父だったので、すっかりお爺さんの今でも、全く違和感がないのです。老いて益々、枯れたのではなく年齢に合う豊かさと知性を感じさせる彼は、オスカーと同じく繊細で不器用、そしてお茶目な愛すべき間借り人さんを、余裕を持って演じています。27日発表のアカデミー賞の助演男優賞は、クリストファー・プラマーが下馬評では優位ですが、私はシドーに取って欲しいなぁ。間借り人さんは、オスカーに近づきすぎて、彼と一緒に傷ついてしまったんですね。

「ものすごくうるさい」世界での体験を通じて、人と接触するのが苦手だった彼は成長し、心身ともに接する事ができるようになります。特に自ら母の膝枕を求めた時は、本当に良かったなと、思い出して書いている今も、涙が出ます。父の残した鍵は、結果的には息子託したメッセージとなったのですね。その他、数々挿入されるエピソード全てが滋味深く心に残りました。

9・11だけではなく日本でも3・11があり、世界中の様々なところで災害以外でも、オスカーの哀しみを抱える人々がいます。それは私であり、あなたのはず。イギリス人のダルトリー監督が、敬意を持ってアメリカの9・11のその後を描いた意味は、そこにあるのではないかと思います。この作品から勇気を貰って、乗り越えていければいいな、と思います。


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