ケイケイの映画日記
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2011年06月11日(土) 「軽蔑」




出来が良いとは言い難いです。でも世間を甘く見ている若い子たちを、一刀両断に切り捨てる事が出来ないのです。甘いなぁ私も。破滅の道を突き進むの男女の姿は、若さの特権のように感じるのです。観て時間が経つに連れ、良かったところが膨らんできました。監督は廣木隆一。

歌舞伎町のチンピラのカズ(高良健吾)は、借金をチャラにする約束でポールダンスバーを襲撃。そこで働くダンサーの真知子(鈴木杏)はカズの恋人。もう歌舞伎町に戻れないカズは、真知子を連れて駆け落ちのように故郷に戻ります。しかし以外にもカズは資産家の息子でした。放蕩三昧であった息子に愛想を尽かし気味の両親(小林薫・根岸季衣)でしたが、マンションの一室をカズと真知子に与えます。故郷の不良仲間たちとの再会を喜びながらも、真面目に叔父(田口トモロヲ)の酒屋で仕事を始めるカズでしたが・・・。

う〜ん、二人が強く惹かれ合っているのはわかるけど、そもそもの馴れ初めや、それまでの付き合い方が一切省かれているので、観ている方は気持ちがついていきません。それを補う意味での、二人のセックスシーンの多用なんでしょうか?情熱は伝わってくるけど、愛がなくてもセックスは出来るからね。その辺はもう少し深く描いて欲しかったです。

「五分と五分だからね」と言うのが真知子の願いです。しかし天涯孤独の真知子と、両親のいる資産家の息子で、悪たれの友人に囲まれたカズでは、それは無理。自分なりに懸命に真知子を守ろうとするカズですが、甘ったれの世間知らずなので、すぐ暴力に訴え逆効果。この辺のヘタレ感は良く出ていましたが、真知子の疎外感や孤独感はちょっと希薄。真知子は花形ポールダンサーとして自活していたわけで、決してあばずれではありません。孤独を描かないのであれば、孤高の強さみたいなのを感じさせて欲しかったです。

真知子が東京へ戻った理由は、原作もそうなんでしょうか?ちょっと時代がかり過ぎて、これでは納得出来ません。「世界は二人を愛さなかった」がコピーですが、二人だって世界に愛されようとはしていません。この二人の哀しさは、若気の至りと年齢(20代半ば)以下の幼稚さです。ここは今の時代にもアピール出来るはずなんですが、プロットの古臭さが邪魔をして、中途半端に感じてしまいます。

カズと相対する山畑(大森南朋)の、「なんでお前ばっかりが愛される?」と言う、嫉妬を超えた憎しみのこもった言葉が印象的でした。しかし残念ながらその問いかけには、全く答えてくれません。もったいない。描かないなら、どうしてこのセリフ書いたの?二時間半の長丁場の作品で、私は原作は未読ですが、切るところ膨らますところ、別に脚色するところ、その辺がどうもチグハグな気がしました。

とまぁ、つらつら不満はいっぱいあるんですが、例え刹那であっても、若い男女がお互いを求め合って激しく愛し合っている、その感情は全編に渡って充満していました。これは主役二人の功績でしょう。後で別れちゃってもいいんですよ。愛するのに理由はいりません。計算高く相手を値踏みするより、私はこういう恋愛の方が好きだわ。なんでも有りの今の時代、障害のある激情の恋、と言う作品の核心は、十分に感じられました。


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