ケイケイの映画日記
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2010年11月07日(日) 「クロッシング」




名の通った役者が揃い、丁寧に作られて見応え十分なクライムサスペンス。でも問題はあんまりおもしろくない事です。監督はアントワン・フークワ。

NY市警に勤める警官のエディ(リチャード・ギア)は定年を一週間後に控える窓際警官。無難にやり過ごしたい彼は、新人教育を担当させられうんざりしています。信心深く子だくさんのサル(イーサン・ホーク)は、身重の妻(リリ・テイラー)が、自宅のカビが原因で病に伏しています。引越ししたいのですが、安月給でままなりません。黒人マフィアの元に長年潜入捜査しているタンゴ(ドン・チードル)ですが、二重生活で私生活と自分の精神は破たん寸前です。

この三人の警官が、ラストに向かって少しずつ交錯して行きます。各々状況からみて、その心情は物凄く理解出来るし、共感も出来ます。しかし全員の行動には、私から見て疑問符がつくのです。

予告編を観てサルが警官の正義と私情の狭間で葛藤すると思っていた私は、冒頭であっさり麻薬ディーラーらしい男を殺害して、お金をむしり取るのにびっくり。最初は賄賂の提示から悩み始め、段々と深入りしていくサルの苦悩が描かれると思っていたからです。ちょっとこれには引きました。

心情的にはとても理解出来るのです。日本では考えられない安月給の警官たち。一人が「これで命を張れっていうのか?」と自嘲気味に語りますが、そう言いたくもなるでしょう。一年目の年収は2万ドルです。

サルが子だくさんなのは、敬虔なキリスト教信者だからでしょう。だから避妊しないのかな?子供たちや妻のために大きな家を手に入れねばという彼の家長としての重圧は、痛いほどわかる。だけど冒頭でいきなり殺人を犯されては、後だしじゃんけんのようにエピソードを羅列されても、身勝手にも程があると感じてしまいます。

タンゴの心情は、「インファナル・アフェア」で描かれていたものと同一です。正義と言う名の下の背信に、心がボロボロになっていくタンゴ。自分の命を救ってくれたボス(ウェズリー・スナイプス)は、警察の上司より人間的には大きな人物です。その彼を陥れよと言う上司。タンゴはその狭間で壮絶な葛藤を見せます。この辺もすごく理解出来るし、丁寧に描いています。

しかしタンゴの取った最終的な行動が、どうも私にはいただけません。「インファナル・アフェア」で、私が秀逸だと思ったのは、トニー・レオンではなくアンディ・ラウの方でした。任務を帯び善人が悪に身を置くことに、平常心を保つのが容易でないのは想像がつきます。これがトニー・レオン。しかしその逆の悪党が正義に身を置くと、善なる心が芽生え、もう日蔭には戻りたくないという「正しい心」が生まれる事でした。これがアンディ・ラウ。そして仮の正義を真実にするため、二重の悪を犯すラウ。しかしこれがため、正義のなんたるかを知る様になった彼は、一生煉獄に身を置くような苦しみから逃れられないわけです。ラウの苦しみを理解しながらも、重い罰を背負わせる内容に、観る者は強い痛みと共に安堵し、本当にラウが取るべき行動は何だったのか?どうすれば彼の魂は救われたのか?がきちんと提示されていたことに、カタルシスも覚えたのだと思います。

「インファナル・アフェア」を観てしまっているので、タンゴの行動は如何にも短絡的に感じました。上司の演出の仕方に、警察批判が込められているのは明白ですが、それでもやはりこの復讐は、子供じみて感じます。この方法じゃ、誰も何も何も変わらないから。

エディの心情もこれまたわかる。若かりし頃の熱意はどこにやら、それは腐った警察内部が、彼を変えてしまったのでしょう。警官バッチを返上してからの行動は、バッチが無くなったからこそで、この熱さが本来の彼の姿であったと暗示しています。娼婦との逢瀬の安らぎや侘びしさの描き方も良く、3人の中で唯一疑問が残らなかった人です。

低賃金に重労働、傲慢なキャリア組の上司など、警察批判は的を射ているのでしょう。しかし批判だけして、どうすればいいのかという提示がない。そのために見応えはあるのに、閉塞感だけが充満して終わるのです。言いっ放しではなく、だからどうしたらいいのか?が、私は観たかったなぁ。

出演者は主役3人とも良かったです。うらぶれた感じ荒んだ感じが滲み出る演技でした。大好きなリリ・テイラーが、良き普通の妻役で出ていたのも嬉しかったです。相変わらず何でもやれる人です。私的に久しぶりに観たスナイプスの存在感も、セリフ以上に役柄を大きく見せていました。

もうちょっと足し算引き算して描いてくれていたらと、残念です。


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