ケイケイの映画日記
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2010年01月31日(日) 「おとうと」

昨日の初日観てきました。大阪はこの週末から公開ラッシュで、優先順位は下位ながら、前売りが安く手に入ったこの作品からの鑑賞でした。でも全くダメで、ちょっとでも期待した私がバカでした。もう60代半ばだと言うのに、奇跡のように清らかで美しい吉永小百合が、全然生かせていない作品です。かなり怒っているので、今回罵詈雑言のネタバレです。この作品がお好きな方は、スルーして下さい。

東京に下町で薬局を営む吟子(吉永小百合)。大阪出身の彼女は東京の大学で夫と知り合い結婚します。一人娘の小春(蒼井優)が小学生の時に優しく温厚だった夫は亡くなり、以来女手一つで娘を育て、今は姑(加藤治子)と三人暮らしです。大学病院勤務のエリート医師と小春の結婚式に、突然音信不通だった素行の悪い弟・鉄郎(笑福亭鶴瓶)が現れ、大酒を飲んで披露宴を台無しにしてしまいます。

小春の結婚式に行くまでの過程は、一家の背景、下町の人情の厚い付き合い方を描いて、少々古風でしたが気持ちよく観られます。それが小春の結婚式以降、私の疑問や不信感が炸裂します。

私は吟子と鉄郎の二人姉弟かと思っていたら、兄(小林稔侍)がいました。大阪に在住のままのようですが、それにしては大阪弁が下手過ぎ。こんなベテランが赤っ恥です。何故なら吉永小百合が、絶妙に標準語の中に大阪出身を滲ます方言を使っていたからです。私の年上の義妹は神奈川に嫁いで31年、里帰りの時は本当に吟子のような言葉使いです。妻役のベテラン茅島成美も一切標準語で通すし、なんなんだこの手抜きは。

まず問題の鉄郎なのですが、酒で失敗を繰り返している設定なのですから、いくら隙をみて飲んだとしても、円卓で囲んで誰も知らないなんて不思議過ぎ。それと延々酔った鉄郎の醜態を映しますが、何度も酒で失敗しているんですから、こう言う人は一口飲んだら終わりなのは、身内ならわかっているはず。早々に外に引っ張り出す機会はいくらでもあったのに、いつまでも放し飼い状態で、身内も学習能力が足らな過ぎで、ここも大矛盾。

新婚早々に出戻ってくる小春。「何かあったの?あなたはもう嫁ぎ先の人なので、いくら実家でも理由なく泊める事は出来ないのよ」と、古風な価値観を持ちだす吟子。その理由と言うのは夫の吝嗇ぶりを示す事柄で、姑が「金持ちっていうのは、ケチなもんだよ!」と怒りますが、その姑には「大事な話ですから、お姑さんはあっち行ってて下さい」にまず絶句。

この婆さんも口が減らない人で、吟子は相当苦労したでしょうが、このタイミングでそれはないでしょう。第一夫を亡くし大黒柱で子育てして仕事をするのに、今まで同居の姑に何の世話にもならなかったとは、まずは考えにくいです。それ以降母娘で、何度もこの婆さんを邪魔者扱いする様子が、私にはとても腹立たしいです。ろくでなしの弟にはあんなに執着するのに、姑にこの態度では、吟子はただの姉バカです。もっと器の大きい人に描きたいんでしょう?

娘を心配して婿に話をしに行く吟子。昨今大学病院の医師の多忙さは、一般人だって知っているはず。ましてや彼女は処方箋も扱い勉強会も欠かさない薬剤師です。多忙を理由に話し合いを拒否し、何故小春が出て行ったかわからないと語る婿。この様子は離婚する気はないんでしょう。作品ではエリートの婿や嫁ぎ先を悪者扱いしたいんでしょうが、「釣り合わぬは不縁の元」なんて、私だって知ってるぞ。ならこれくらいの軋轢は覚悟の上の結婚じゃないの?娘に諭す場面もなく母もこれで納得。出戻ってすぐに新たな恋にときめくバカ娘に違和感いっぱいの私を、離婚して半年くらいの、まだ20代半ばの娘に「そろそろ再婚してほしい」という、吟子のバカ母発言が追い打ちをかけます。

鉄郎に貸した金を返してほしいと、吟子の前に元同棲相手のキムラ緑子が現れます。金額130万。ちょっとしたやり取りの後、証拠の品を見せてはいますが、あっと言う間に用立てる吟子に絶句。130万ですよ?払う義務はないでしょう?相手だって筋ちがいは重々承知だと、お手柔らかでした。経営は右肩下がりで苦しいというセリフも出ている中、お人好しとしか言いようがないです。しかしこの後、私の怒りが爆発します。

しばらくして、のこのこ出てきた鉄郎が、緑子のことを「頭の弱い女」と詰りますが、その時吟子は「何て事言うの!あの可哀想な女の人に!」と怒ります。可哀想?可哀想だから、あんた130万なんて、身の程知らずの大金を立て替えたの?緑子はケバい化粧に安物のセンスの悪い服装で、表面は明らかに教養の足りない下品な女性でした。しかし吟子に対しての言葉の使い方や心映えは、社会的にきちんとした、常識的な価値観を持つ人でした。だから130万貯められたんですよ。ちっとも可哀想な人じゃありません。それを可哀想とは、何たる上から目線!緑子の教養の無さを強調するショットの羅列は、このためですか?これは「大金持ち」の感覚ですよ。本当の130万の値打ちがわかっている人なら、こんな脚本書けません。

鉄郎が癌で余命いくばくもなく、大阪で身よりの無い人を預かる民間の慈善団体のホスピスで看護されている事を知り、駆けつける吟子。社長(小日向文世)は好人物で、赤字で利益の出ないこのホスピスを一生懸命運営しています。確かに立派ですが、先の130万の件がちらついて、運営に生活保護を充てる話など出てくると、監督の意図に偽善を感じてしまう私。

姉弟だけの兄弟じゃないでしょう?兄はどうした?確かに兄は小春の結婚式で鉄郎に縁切り宣言していますが、家族の絆を描きたいのなら、兄に連絡しない吟子も不可思議。母が病弱で、吟子が母代わりに育てたという背景は語られますが、それだけではこの弟に対しての執着ぶりには説得不足。鉄郎の亡き夫の話は納得出来ますが、それで吟子が出来の悪い弟に負い目を感じる必要はありません。これは親が負い目を感じる類の話です。ずっと感じていたのですが、どうして鉄郎を妾腹の子を引き取ったとか、そういう設定にしなかったのでしょうか?「サマー・ウォーズ」に感動したのは、妾腹の侘助を分け隔てなく慈しむ、栄の姿があったからです。

臨終の際のシーンにも怒りが爆発。それまで甲斐甲斐しく世話をしていて、好感を持っていた小日向の妻の石田ゆり子ですが、虫の息で苦しんでいる鉄郎に「もうすぐ楽になるわよ」ですよ?この意味は「もうすぐあの世へ行くから楽になるわよ」です。何たる無神経な発言!そこには「可哀想なあなたを、心豊かな私たちが診取ってあげるわよ」的心を、私は感じてしまうのです。未見ですが「サヨナライツカ」の予告編でも、とっても怖そうな印象の石田ゆり子ですが、邦画の世界で「石田ゆり子・モンスター女優計画」でもあるんですか?

私が危篤の母のベッドの横で、仲の良かった看護師さんに今までの礼を述べた時、「患者さんの耳は、亡くなる間際まで聞こえています。今そういう事は控えて下さいね」と優しく教えて下さいました。病院とこの施設は違うでしょう。しかし人の最後を診取る場所であることは変わりないはず。こういう施設では当たり前の発言なら、私は野垂れ死にの方がいいです。

同室の他人である横山あきおはいつまでも居るし、姉バカの吟子は娘に電話しても兄には連絡しない。滅多に会わなかった姪より、一緒に育った兄弟の方が血は濃いんですよ。80歳の監督が、今まで身内の臨終を迎えた事がないはずはなく、このデリカシーの無さと矛盾には、怒りと疑問がいっぱいです。

怒りでへろへろになっている私に、最後の最後まで山田洋次は追い打ちをかけます。鉄郎を毛嫌いしていた姑は、今はまだらボケ。鉄郎の死はわかりません。めでたく再婚することになった小春の挙式の話で、今まで邪魔者にされていた鉄郎が可哀想になって来た。呼んであげなさいと言います。それは今まで散々この嫁と孫に邪魔者扱いされていた彼女だからこそ、わかったんですよね?しかし映画は弟を忍び咽び泣く吟子の姿で終わり。えぇぇぇぇ!どうしてここで「お姑さん、今までごめんね」が言えないの?このセリフは、死と引き換えに鉄郎が残してくれた教訓でしょう?もう頭と心が沸騰したまま終わってしまいまいた。

救いは鶴瓶がとてもチャーミングに鉄郎を演じてくれていたことと、加藤治子とキムラ緑子の絶妙のバイプレーヤーぶりです。私は山田洋次は好きな作品もあり、嫌いな作品もあり、それほどたくさん観込んでいる監督ではありません。でもこの作品は、名匠と言われる人が脚本も監督も担当している作品だとは思えないほど、個人的には愛嬌の欠片もないトンデモでした。次回はもっと素敵な吉永小百合が観たいです。


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