ケイケイの映画日記
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2009年12月17日(木) 「ジュリー&ジュリア」

とってもとっても素敵な作品。大好きです。ポスターのメリル・ストリープの屈託のない弾ける笑顔と、今一番お気に入りのエイミー・アダムスが共演のお料理の映画、とだけ頭に入れて観ましたが、ブログを書く事で成長していくヒロイン・ジュリーに自分を重ねて、何度も涙ぐんでしまいました。監督はいつも温かいノーラ・エフロン。

1949年。40過ぎのアメリカ人ジュリア・チャイルド(メリル・ストリープ)は、外交官の夫ポール(スタンリー・トゥッチ)の赴任に伴い、パリで暮らす事に。食べる事、お料理することが大好きな彼女は、フランス料理の名門ル・コルドン・ブルーで修業することに。やがてフランス料理本の出版の夢を抱きます。現代のニューヨークで暮らす30歳のジュリー(エイミー・アダムス)は、夫エリック(クリス・メッシーナ)と共働きです。学生時代は作家を夢見ていた彼女ですが、今は政府機関で911で被害を被った人たちのカウンセリングに当たっています。学生時代の友人たちは軒並み出世していき、取り残されて焦るジュリー。そんな彼女に夫は、料理好きだから料理のブログを書いてみたら?と勧めます。ジュリーが選んだのは、今も愛されるジュリアの料理本。365日で500種類以上の料理を作るというもの。さてジュリーの計画は無事遂行出来るのでしょうか?

まずはメリルの成りきりぶりを得とご覧あれ。ジュリア・チャイルドはテレビ出演も豊富だった、今もアメリカ人に愛される実在の女性です。185cmの大柄な体と甲高い声。天真爛漫な大らかな明るさで、次々と出会う人の心を掴みます。メリルはこの役のため体重も増量。自身とは異なる高い声で話し、のそのそした緩慢な動作をみせるも、ホントにホントに可愛いのです!辣腕編集長、ベテランジャーナリスト、不倫妻、逞しいシングルマザーと、とにかく何を演じても完璧なメリル。ジュリア役も余裕綽々で実に楽しそうに演じて、こちらまで嬉しくなります。観客に喜びと感動を与える、本当に素晴らしい女優さんです。

対するアダムスも大健闘。愛らしい外見に目が行って忘れがちですが、彼女もオスカー候補になった、立派な演技派です。笑って泣いて怒って不貞腐れて、いつもポジティブなジュリアと対照的な、素直に自分の感情を表すジュリーを好演。平凡な等身大のアメリカ女性を絶妙に演じて、アダムスにも非常に共感出来ます。

ジュリアとジュリーの共通点は、共に結婚して安定した家庭を築いていても、自分らしい生き方を模索していた点です。特にジュリアなど、当時裕福な生活を約束された夫がいるのに、「私が何が出来るか探さなきゃ」と思う人は少なかったでしょう。ジュリアは185cmの自分の体にコンプレックスを感じて、それがため婚期が遅れたと思うのです。それが「モテモテだったポールが私に恋をした(ジュリア談)」のですから、その時の女心の嬉しさは、充分察せられます。新居に入れば「ベルサイユ宮殿のようね!」、夫が仕事で成功すれば「私も誇りに思うわ」などなど、劇中彼女の絶え間ない夫への愛と敬意が描かれます。コンプレックスから解放された後の、新しい自分を見つけたかったのだと思いました。

対するジュリーは、平凡ですが誠実な夫もいて、ジュリアほどお金はないけれど、それなりに安定した生活です。周囲の出世を目の当たりにし、夫の出世を望むのではなく、自分が変化しようとする心意気がとても頼もしいです。

そして忘れちゃならない夫たち。妻たちに「君の好きなことは?」(ポール)「ブログを書けば?」(エリック)と、現状を打破して自分探しをしたい妻に、助言をして支える素晴らしさ。思えば二人のテーマである料理は、食べてくれる人がいてこそ、作り甲斐があるものです。「おいしかった」の一言は、何より料理するものを喜ばす言葉です。夫婦喧嘩して意気消沈のジュリーが、「今日の夕食はヨーグルト・・・」とブログに綴るのは、やはり脚本(アン・ロス)も監督も女性だなぁと、その繊細な演出にしみじみと感じ入ります。

ブログに熱が入り過ぎ、ロムしてくれる人ばかりを気にかけ、エリックとの家庭生活がお留守になってしまうジュリーは、喧嘩して初めて夫が自分の支えだったと思い知ります。ジュリーの敬愛するジュリアは、どんな事があっても笑顔を忘れず、夫を大切にしていました。それに比べて自分は・・・と反省するジュリー。読者が増えた、今日の料理の出来は最高だと一喜一憂する中、ブログを綴る事を経て、人間的に大きく成長していくジュリーに、私は自分を重ねます。

映画が大好きで、映画が好きだと言う人と話をすると、段々相手が引いていくのがわかるのね。自分では普通の映画好きだと思っていましたが、どうもマニアック過ぎた様です。ネットに夢中になったのも、映画の掲示板に出会ってから。そこには私の好きな映画忘れられない映画を語る、評論家以上の人たちが、いっぱいいました。

やがて午前中を中心の仕事に変わり、子供たちの手が離れ出したのを機に、夢にまで見た「映画館で映画を見る」ということが、私の日常で復活します。映画を観る事が一番好き、その次が文章を書くことだったので、勢いでサイトまで作っちゃった。

映画をたくさん見るということは、たくさんの種類の人生の哀歓を見るということです。大まかでは幸せだと頭ではわかっているものの、心の隅では日常生活に、細々不満がいっぱいだった私は、たくさんの人生に触れるにつれ、頭だけでは無く心の底から、私は本当に幸せなのだと実感し始めます。何より主婦の身で趣味として、年間100本前後の映画が見られる生活は、夫がちゃんと働いてくれて、子供たちにも大きな問題がないということです。家族にも感謝の念が耐えなく湧くのです。そして映画から受けた感情を文章にするたび、自分の中からストレスが減っていくのがわかりました。一言でいうと、心が豊かになったのです。

今年の秋、「東京グラフィティ」という雑誌からお声がかかり、恋愛映画について書いてみませんか?というお誘いがあり、少し書かせてもらいました。ほんのちょっとの記事でしたが、私には一大事。実は秘かに自分の書いた文章が、投稿ではなく寄稿と言う形で活字になるのが夢でした。勇んで夫に報告したところ、「良かったなあ、お母さん!」と、夫は私の手をがっちり握り、満面の笑みで応えてくれるではないですか。予想以上の喜びぶりに、こちらがびっくり。夫は秘かな私の夢を知っており、「こんなに一生懸命書いてるんやから、いつか実現して欲しいと思っていた」とのこと。とても嬉しかったです。まるでポールやエリックみたい。でも夫は昔はこんな理解のある人ではありませんでした。私が変わると、夫も変わったと言う訳です。

一皮も二皮もむけながら、前進していくジュリー。そんな彼女に対する存命中のジュリアの反応は、意外なものでした。よくよく考えてみたのですが、出版された本は、ジュリアにとって、子供だったのでしょう。ジュリアは子供の出来ない自分に哀しみを覚えていました。それを365日で全部作ってブログに載せる行為は、ジュリーには人生を賭けた行為であっても、ジュリアに取っては、ゲームに思えたのでしょうね。ジュリーの成長に対して、少々天然ながら、ジュリアは一貫して愛深く心豊かでお茶目な、そして負けない人でした。そこには並はずれて大柄に生まれたこと、子供に恵まれなかった事を受け入れ乗り越えてきた、彼女の人生が反映していたのですね。

自分はパン、伴侶はバターの例えが、最初は夫のポールからジュリアへ、次には妻のジュリーから夫のエリックへ、感謝の言葉として述べられます。自分の人生を味わい深く豊かにしてくれたのは、伴侶だということです。臨機応変に攻守交代、支え合いお互いの人生を深く豊かにするのが、伴侶の務めだと、私は解釈しました。

出てくる料理は本当にみんなとってもおいしそう!でもあんなにバターを使っちゃ、すんごい太るわ。ジュリアの本って、和訳あるのかしら?私も作ってみたいです。さぁ皆さん、監督とジュリアとジュリーの愛情がいっぱい詰まったこの作品、どうぞ「ボナペティ!(召し上がれ)」。


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