ケイケイの映画日記
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2009年03月12日(木) 「ダウト 〜あるカトリック学校で〜」




いや〜、すごかった。見応え充分。正直前半はつまらなくはないけど、俳優の演技を楽しむのが主体の作品かと思いきや、オスカー助演女優賞候補に挙がったヴィオラ・デイビスが出てきてから、俄然展開に深みと面白さが倍増しました。ヴィオラが候補になるのも、むべなるかな。主要キャストが全てオスカー候補になった作品でもあります。原作・脚本・監督ははジョン・パトリック・シャンリーで、トニー賞&ピュリッツァー賞W受賞の舞台劇です。

1964年のアメリカ。前年にケネディが暗殺され、時代に変革の波が押し寄せていた頃。ニューヨークはブロンクスにあるカトリック学校でも、厳格で保守的なアロイシアス校長(メリル・ストリープ)に対し、進歩的で開放的な校風を目指すフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)とは軋轢がありました。若い教師シスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)は、校内でただ一人の黒人生徒ドナルドをフリン神父が呼び出したのに疑問を抱き、校長に相談しに行きます。フリン神父の性癖に疑惑を抱く校長。詰問する校長に対しての、フリン神父の弁明に安堵するジェイソンでしたが、校長はますます疑惑を深めていきます。

前半は主な登場人物の性格描写に時間をさいていて、これが後半にぐんと生きてきます。校長はとにかく厳格で高圧的。有無を言わさぬ指導で生徒を束ねています。しかし老いた目の見えなくなったシスターを、その事が理事長にわかると学校を追い出されるので、ジェイムスに介護を頼むなど、一概に怖いだけの人ではないと描写してあります。

フリン神父は進歩的なだけではなく包容力があり、現代的な解放感に満ちています。気軽に生徒の恋愛話の相談に乗ってやる様子などからも、子供達からの信望も厚いとわかります。校長との違いは、食事の風景に端的に表れていて、印象に残ります。

ジェイムズは希望と熱意に満ちて教職についていますが、生徒からは、ややなめられているきらいがあります。とても優しく、純粋で人を疑う事を嫌います。

カトリックの世界もやはり縦社会で、校長と言えど神父の下に置かれているのが、要所要所の描写でわかります。力の無いジェイムズにはあんなに優しい神父が、校長に対しては高圧的な態度を取るのは、思想の相違以上に、彼女を抑え込む必要があるよう感じているように見えます。逆もまたしかりで、どんどん神父への疑惑を深めていく校長は、やや狂信的にも感じますが、疑惑以上に神父は彼女にとって、撃つ必要のある人なのだと感じます。
この辺二人とも、自分の思想に矛盾しているのは、気づいていない気がします。

厳格な指導の元なれど、ローティーンの子供達の楽しげな学園生活の描写が良い風通しになっており、心理描写の演技合戦も軽いジャブの応酬のように感じた前半から一転、ドナルドの母(ヴィオラ・デイビス)登場から、お話はぐっと佳境に。ここからは「疑惑」という言葉だけではなく、「寛容・不寛容」、優しさは弱さか?例え罪でも、生きる支えとなれば良いのか?などなど難しい問題が、各々登場人物の心に、矢のように降り注ぎます。

校長の正義は、ドナルドの母の強さの前には、とても卑小なものに感じます。息子の性質を知り、父親である夫も頼れない母。世界中の皆が敵であっても、我が子を守りたい彼女にとって、事実がどうあれフリン神父は神様のような人なのでしょう。彼女の言葉はとても現実的で、真実の解明など、どうでもよいのです。

校長にはその優しさと純粋さを、目の前の出来事から逃げているだけの弱さだと詰られるジェイムズ。反対にフリン神父は、彼女の良き特性であり、ずっと失わないで欲しいと言います。揺れる彼女。二人ともジェイムズに自分自身を観ているのではないでしょうか?校長はかつてジェイムズの様であった頃、その優しさを何度も裏切られたりしたのでしょう。フリン神父は、優しさ=寛容だと認識することで、自分の性癖に目をつむっていたのでは?その性癖以外、彼には欠点は見当たりません。同じ神の使いとして、ジェイムズのような人の存在は、彼には「いいわけ」として大きいのでしょう。

息詰まるような校長とフリン神父の対決場面の後、校長の告白と涙が胸に迫ります。決して懺悔ではなく。そして、限りなくクロを感じさせる事の真相は、結局グレーのままです。事実やうやむやで終わります。神に対し大罪を犯しても守りたかった正義は、歪曲して守られましたが、司祭や理事長の方針は、フリン神父へは「寛容」でした。フリン神父の爪と同じです。長く伸ばしていても、清潔ならば良いのでしょう。これはフリン神父の性癖自体、カトリックでは見て見ぬふりの事柄なのかと感じさせます。それだけ数が多いからかも知れません。


校長の正義事態、彼女の私怨が混じっているように感じ、素直に受け入れ難いものがあるものの、長年シスター=女性であることで、虐げられていた背景に思いを馳せると、納得もできます。そしてあの涙。鉄の意志を持つように見える彼女こそ、か弱い心の持ち主なのでしょう。自分のしたことに対して、神を恐れ、本当にドナルドのためになったのか?自己満足の正義ではなかったか?何より欺瞞に満ちた自分を許せなかった。私は涙の意味をそう取りました。

ストリープとホフマンの対決場面は、確かに素晴らしいですが、二人の演技力を持っては、このレベルは軽くクリアかとも思いました。私は一瞬にして場をさらったデイビスと、どんな役柄を演じても、常に「可憐さ」を漂わせるアダムスの方が印象に残りました。


時代背景を考えると、当時の混沌としたアメリカの縮図が、四人の登場人物に凝縮されて、映し出されているのかも知れません。しかし今の時代でも充分に通用する心理描写です。さしずめ揺れ動く心を体現していたシスター・ジェイムズが、一番一般大衆に近いのでしょう。私は真実の追求よりも現実を優先し、何が一番大切で必要か、揺るぎない強さと意思を持つ、ドナルドの母に一番共感しました。




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