ケイケイの映画日記
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2008年09月14日(日) 「コレラの時代の愛」




いや〜、満足満足!あらすじを読んだ時、こういう語り口で描いて欲しいなぁと思っていたところへ、そのまんまの、それも上質のものを見せられたんですから、嬉しいっちゃ、ありゃしない。監督はマイク・ニューエル、原作はノーベル賞作家のガルシア=マルケス。しかし何と言っても作品の成功の最大の功労者は、主役のハビちゃん(ハビエル・バルデム)でしょ!

19世紀の南米コロンビア。貧しい郵便配達人のフロレンティーノ(ハビエル・バルデム)は、裕福な商人の娘フェルミーナ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)に一目惚れします。何度も何度もラブレターを出し、遂に彼女の心を射止めたのも束の間、娘は名家に嫁がせたい父親ダーサ(ジョン・レグイザモ)の手によって、引き裂かれます。一年後家に戻ったフェルミーナは、ツキものが落ちたようにフロレンティーノへの愛も冷めていました。そんなとき、コレラ撲滅に力を注ぐ青年医師ウルビーノ(ベンジャミン・ブラッド)から見染められ、結婚を承諾します。失意のフロレンティーノ。しかし彼はその時から51年9か月と4日、ウルビーノが死去するまで、フェルミーナを待ち続けるのです。その間、660人以上の女性と閨を共にしながら・・・。

ねっ、変な話でしょ?普通に主人公の男の純愛を生真面目に描けば、気持ち悪くてしかたなかったはずです。しかし監督ニューエルの母国であるイギリス風の、ちょっとシニカルに洗練されたユーモアと、哀歓に彩られた語り口は、私にはとても楽しめるものでした。加えてラテンの陽気で生き生きとした、そして土着のたくましさを感じさせる暮らしぶりや音楽は、物語に鮮やかな色どりを添えます。

恋愛とは、自分の作り出した「幻想」、或いは自己愛の変形ではないでしょうか?事実若き日の二人は、デートするわけでもなく手を握る訳でもなく、会話と言ったらたった一度のプロポーズだけで、あとは手紙のやり取りだけ。しかし燃え上がる若き二人の「恋に恋する様子」は、誰しも身に覚えのあることで、フェルミーナの父の取った娘への「頭を冷やせ」の行いは、大人の知恵でもあるわけです。

実態のなかった自分の作り出した「幻想」であるフロレンティーノに、再び出会った時のフェルミーナの言葉は、「幻想」から脱皮し「現実」を見出したのでしょう。彼女は大人になったのです。このときにフロレンティーノ役は、紅顔のそれなりに爽やかな少年であったウナクス・ウガルデから、ギトギトに濃くて悪党面のハビちゃんに変わります。フェルミーナの「あなたが私の思っていた人だと違うと、たった今わかったわ」と言うセリフに、ものすごく納得してしまう私。悪党面から不気味な純情さをまき散らすハビちゃんからは、キモいオーラが全開です。現実性に長ける女と、いつまでも夢から覚めない男の違いを一瞬に表現し、監督の技ありの演出に唸ってしまいました。

フロレンティーノは自分の恋愛について全て母に相談し、母は失恋のため傷心の息子を見かねて、果ては女をあてがうなど、超ド級のマザコンです。ここでもキモさパワーアップ。しかしその要因が、女たらしのフロレンティーノの父親から結婚以前に捨てられて、母一人子一人の環境だというのが明らかになると、マザコン息子と母の滑稽さの中に、納得と哀れを見出してしまい、痛く二人に同情します。

フェルミーナのため、男の操を守ろうと思っていたフロレンティーノは、偶発的なアフェアで、言わば「強チン」のような形で童貞を失います。失ってからの挙動不審な様子がコミカルで、この辺から終始クスクスと笑える描写が続出。しかしいやらしさはなく、この辺からフロレンティーノに段々情が移ってしまった私には、脂濃い顔とは正反対の、彼の精神的な純情さを愛しく感じ始めます。

とにかくハビちゃんが上手過ぎです。何度も出てくるげ「幻想」という言葉は、この作品のキーワードで、フロレンティーノは「何度顔を観ても思い出せない」「影のようだ」と称されるくらい、印象の薄い人です。それがどの作品でも存在感マックスのバルデムが演じて、出色の好演なのです。気持ち悪い勘違い男から、永遠の恋の囚われ人であるロマン溢れる男性へと観方が変化するのは、監督の手腕とハビちゃんの演技であるのは、間違いありません。

一番謎だった、51年以上愛し続ける人がいるのに、何故600人以上の女性と関係を持ったのか?という理由も、しごく納得出来るものでした。たくさんの女性と関係を持った彼が、ラスト近くのとあるキス場面で見せる、瑞々しさと恥じらいの籠った至福の笑顔は、精神的な愛は、肉欲を勝るものだと表現しています。

フェルミーナの結婚生活は、あらゆる角度から結婚というものの本質を浮き彫りにします。ウルビーノは彼女を愛していたのではなく、妻として見染めたのでしょう。自分の社会的地位に見合う美しさとそこそこの教養、そして成り金と言えども親には財力もあります。そこにはフロレンティーノのような恋心はありません。しかしながら、長きの間の結婚生活で、「妻への愛」は充分に感じさせるのですから、男と女の仲は、本当にややこしくて難しい。

姑のいびり、夫の浮気。その時々に、夫は妻の願う言葉はかけてくれません。「結婚に幸せは必要ではない。大事なのは安定だ」と本心を妻に語る夫は、浮気を妻に問い詰められると、あっさり白状します。だから別れたのに、何故妻が許してくれないのかがわからない。正直とは誠実とイコール感のある言葉ですが、結婚生活を維持する上で、正直だから誠実だとは言い切れないのだと、強く感じます。それが恋愛とは違うところなのでしょう。

良い夫だったと言いながら、問題の多い夫婦生活だったとも語る老境のフェルミーナ。夫に尽くし良き妻で合った彼女は、夫を本当に愛していたのかどうかわからないと、吐露します。彼女が「夫」を愛しているであろう場面は出てきます。それは長く暮らした夫婦の情の深さを表した場面でした。「夫」ではなく、一人の男性として愛していたのか?彼女は自分に問うたのではないでしょうか?私も誰よりも夫を愛していますが、それは妻としてです。女として夫を愛しているのか?と言う時、まだ男と女として現役の今なら、その迷いも払拭できますが、もしかしてそれは、「夫婦の情」と混濁しているからなのかも知れません。夫と言う名の男性は、この手の葛藤はないと思われ、恋愛だけではなく、結婚生活においての男女差も上手く描けています。恋愛とは違い、結婚すると男はリアリストになり、女は愛と言う名の潤いを求めるのですね。

なのでフェルミーナの51年目のプロポーズの返事は、今の私にはあり得ないことですが、妻という仕事をやり遂げた後の彼女なので、とても納得の出来るものでした。ジョバンナ・メッツォジョルノは大変美しく、51年ひとりの男性から愛し続けられるのも納得でした。一人で十代から七十代までを演じ分け、演技的にも健闘していたと思います。

どういう風に着地するか、皆目わからなかったのですが、ゴールは普遍的でもあり目新しくもあり、とても幸福感に包まれたものです。少し変わったテイストの作品ですが、登場人物の全て、隅々の描写まで味わうことが出来て、私は大好きな作品です。










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