ケイケイの映画日記
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2008年06月10日(火) 「休暇」

何とも気の重くなる作品でした。その重さは、この作品で描かれている、命の重さと同等なのだと感じました。地味ですが、とても力強い作品です。監督は門井肇。

死刑囚ばかり集められている刑務所の刑務官平井(小林薫)。子持ちの美香(大塚寧々)と結婚を控えています。淡々と単調に過ぎる毎日でしたが、三年ぶりに死刑が執行されると、部長(利重剛)から全職員に伝えられます。
刑を執行されるのは金田真一(西島秀俊)。執行にはたくさんの職員の手が必要ですが、中でも落ちてきた死刑囚を支える役目を努めれば、一週間休暇が与えられます。美香の連れ子達哉と意志の疎通がまだ取れない平井は、休暇中に達哉との仲を深めようと、支え役を自ら希望します。

新婚旅行に出かけた平井夫婦と、金田が死刑執行されるまでが、交錯して描かれます。新人刑務官大塚(柏原収史)は、まだ死刑囚を集めるこの刑務所を覆う暗さに気付かず、とても明るいです。彼を異端の人とは扱わず、しつけをしながら「今にわかる」と口々に語る先輩刑務官たち。もうじき停年の坂本(菅田俊)の呆けたような様子に、「ここにずっといれば、皆ああなるよ」と、大塚を脅かす三島(大杉漣)。それはあまりに単調な毎日がそうさせるのではなく、心を鈍化させないと、勤まらない仕事なのだと、のちのちわかるのです。


刑務官の日常の描き方が秀逸。死刑囚であるということは、凶悪犯ばかりのはず。出ているのは金田だけですが、従順で素直に刑に服している金田からは、凶悪犯の片鱗は伺えません。なので刑務官は囚人を取り締まるのではなく、刑の執行までの毎日の暮らしを、世話をしているように感じます。作品はフィクションですが、描いている刑務官の日常は、限りなく本当なのではないかと感じるのです。

金田に刑の執行が降りてからは、見違えるような緊張感が、刑務官たちに走ります。口には出しませんが、刑務官たちが金田=死刑囚たちに情を感じているのがわかります。過去に凶悪な犯罪を犯した罪人であれ、それはしごく当たり前に感じます。それ故、数日後死刑が執行されるかも知れない囚人=死を待つ人々を世話するのは、どれだけ刑務官たちの心の負担になるのかも、静かに訴えてくるのです。

その心の負担こそが、命と言うものの重さなのだと感じました。私が痛感したのは、どんな人間であれ、命の重さは同じなのだということです。支え役を志願する平井に、結婚式前に何を考えているのかと喰ってかかる三島。普段寡黙な刑務官の中では、かなり明るい彼ですら、死刑執行前には緊張から、禁煙を破って煙草を吸ってしまいます。人の命を奪う仕事に就いているのだから、幸せを求めてはいけないと、心の底でここの刑務官たち皆が、心に澱を抱えているのがわかるのです。

平井の設定は40代でしょう。彼が婚期を失した原因も、仕事からの呪縛のように感じます。見合いなのに、美しいけれど子連れの美香が相手であることから、この仕事がネックになったようにも感じます。やっと結婚したいと平井が思ったのは、心の澱から解放されることはなくても、少しでも澄ますことは出来るのではないか?そう思ったからではないでしょうか?私は寡黙な彼から、精一杯の美香親子への誠意を感じるのです。幸薄かった親子を幸せにしてやりたい、その思いが、誰もがいやがる支え役の志願となったのでしょう。「生きる事にした」というコピーは、生きがいを見つけたことと同義語かと思うのです。

出演者は地味ですが演技派ばかり集めて、皆が素晴らしい演技です。変に熱演してしまうと、作品の世界観がぶち壊しになるのを理解し、肩に力みのない自然な演技でした。特に金田を演じた西島秀俊が秀逸。死刑囚とは信じられない凡庸な日常から、一度だけ感情を爆発させる様子、刑務官に「金田は立派だった」と云わしめた執行前の様子など、これで年末各映画賞にノミネートされなければ、どこを観ているんだというくらいの演技でした。

この作品は死刑の是非を問う作品ではないと思いますが、それでも模範囚のような金田の様子から、本当に死刑は必要なのか?と、思わずにはいられません。罪人であれ、人の生を強制的に止めてしまうことは、こんなにも罪もない刑務官の心をも深く傷つけるのです。しかしその死刑囚もまた、多くの人の生を強引で残忍に奪った人のはず。死刑廃止を訴えているのではなく、死刑判決のなくなる社会を願う、というのが、「生きることにした、人の死と引きかえに」というコピーに込められているのかと感じました。ラストの達哉の絵に、救われる思いがします。


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