ケイケイの映画日記
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2007年12月14日(金) 「モーテル」




怖かった!面白かった!終映近くの13日に観てきました。この手のホラーは好きなのですが、電車に乗って出かける劇場でしか上映せず忘れていたら、いつもお世話になっているFさんから、協力プッシュが。それではと「椿三十郎」から変更しました。仲たがいした夫婦の再生ものとしても秀逸で、90分足らずをきちんと作り込んだ秀作でした。

離婚寸前のデビット(ルーク・ウィルソン)とエイミ(ケイト・ベッキンセイル)ー夫婦は、エイミーの両親の結婚記念日の祝いからの帰途、夜半に道に迷い、あげく車はエンコ。仕方なく一軒のモーテルで一泊するはめになります。薄汚い部屋に閉口した二人は、気晴らしにビデオでも観ることにしますが、そのビデオは、彼らが泊まった一室で起こった殺人ビデオでした。

と、とってもシンプルな題材です。オープングから派手さはないですが、タイトなサスペンス調全開で、なるほどこれは面白いかも?と期待いっぱいに。

道中の夫婦の不穏な会話と、エイミーの終始不機嫌な様子から、かなり険悪なのがわかります。大げんかするわけではありませんが、お互いのうんざりする様子が手に取るように伝わり、会話の描写が上手です。パラっと一枚、夫婦と坊やが写った写真が落ちてきて、涙するエイミー。子供が亡くなっているのですね。ほんの数十秒の描写が、この夫婦の険悪さの原因を雄弁に語り、秀逸な描写です。そして子どもが亡くなったという事実が、この作品にとても深みを与えるのです。

さぁこのモーテルから夫婦は脱出出来るか?というお決まりの展開ですが、それがとってもスピーディでドキドキさせ、見応えがあります。犯人は小見出に二人を怖がらせ精神的にいたぶりますが、それはその様子をビデオテープに撮るためなのです。その小見出に、何度背筋が冷っとなったことか。決して大げさな恐怖ではなく、怖っ!がいっぱいあるのです。猟奇的な場面は、画面からは小さく見えるビデオテープの中に収めているだけです。実際の二人に体験させるのは、ねずみやごきぶり、真っ茶色の水道水など、生理的な不潔感を煽りますが、流血は最後の最後までありません。モーテルの支配人の、胡散臭く生理的にいや〜な人を感じさせるところも良かったです。下手に血を大量投下すると、凡百のスプラッタムービーとなるところを、救っています。

でも一番怖いのは殺人の動機です。「13日の金曜日」のような都市伝説的なものでもなく、「悪魔のいけにえ」のような精神異常者でもありません。ある出来事から何故犯人が殺人を犯すのかがわかりますが、それこそ世界各国、ひなびた町に泊まった日にゃ、どこでも起こり得る理由なのです。不条理なホラーを絵空事と思って楽しむのと違い、病んだ刺激を求め続ける、決して画面には出てこない人の心は、本当に恐ろしい。

後は離婚届けに判を押すだけだったはずの二人ですが、ずっと仏頂面であったエイミーは一心に夫にすがり、妻にうんざりしていたデビッドは懸命に妻を守ろうとします。隙を見て助けを呼ぼうとしてデビットですが、末遂に終わり命からがら、部屋に戻ります。その時泣きながら夫の無事を確かめ抱きつきキスするエイミー。このシーンで思わずホロっと涙が出ました。

私は車のシーンで、夜を徹して運転する夫を気遣い、「運転を代わるわ」と何度も言うエイミーを観て、本心はまだ夫に未練があるのだと感じました。ただの社交辞令など言っても意味がないほどの溝が、二人にはあったはずです。それなのに夫の体調を気遣うのは、彼女の本心なのです。デビッドにも欝病の妻を気遣う言葉が数々ありました。微妙な空気から、私はずっと修復可能な夫婦だと思っていました。

「僕は息子のことを忘れたくない。もっと話がしたいんだ」というデビッド。母親のエイミーはまだまだそんな境地にはなれなかったでしょう。名前を聞く度顔が浮かぶ度、涙が出るのは当たり前です。そんな自分の心もわからない夫に、いやけが差すのはよくわかります。誠実で温厚だと思っていた夫は、鈍感で頼りない人に妻には変化したのでしょう。

しかしデビッドとて悲しみの表現が違うだけで、父親として充分に悲しんでいるはず。デビッドの表現は、言わば親兄弟が亡くなったときの哀悼の情と同じ質なのでしょう。それが母親である妻には、納得できるはずがありません。お互い「何故わからない?」の気持ちの擦れ違いが積み重なったのは、容易に想像出来ます。

しかし土壇場の窮地で、息子が亡くなってから、きっと「死にたい」と思い続け抗鬱剤や安定剤を飲み続けていたエイミーは、初めて「生きたい」と思ったのではないでしょうか?それが彼女の心の奥底の、夫を求める本心を露にしたのだと思いました。だって子供を失った悲しみの半分を背負ってくれるのは、父親しかいないのですから。

デビッドもそうでしょう。自分の手に負えなくなった妻を、本当は立ち直らせたいと思いつつ、面倒臭くなって状況に流されていたのでしょう。男の人って、そういうとこあるよねぇ。生きるか死ぬかの瀬戸際で、彼の本当の心も奮い立ったと思います。

ラストの展開は、「戻ったらやり直そう。愛しているよ」というデビッドの言葉が、エイミーを勇気づけたのだと思います。このお話の始末の付け方は、如何にも今日的ですが、果敢に妻を守ろうとしたデビッドの姿は、私には好感度大でした。やっぱり夫には守ってもらいたいですから。

ウィルソンの平凡な容姿は、デビッドの造形に打ってつけだったし、ベッキンセイルは、こんなに細やかに複雑な妻の心を表わす演技ができるたのかとびっくり。二人とも泥まみれ汗まみれになっての大健闘でした。


最後にネタバレ


















このモーテルに二人を呼び寄せたのは、亡くなった坊やかもしれないなぁと思いました。ここで仲直りしなかったら、自分といっしょにあの世に連れて行きたいと思ったのかもですね。自分の心に素直になってくれたから、力を与えたのかも。亡くなろうとも「子はかすがい」かもですねぇ。


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