ケイケイの映画日記
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2007年11月27日(火) 「VIVAH 〜結婚〜」

この前の日曜日、インド映画の自主上映に行ってきました。場所は梅田のインド料理店で、お店にスクリーンを張って、テーブルを片付けての鑑賞は、お世話して下さる方々のインド映画への愛が伝わってきて、いつも映画は劇場でばかりの私には、ちょっとわくわくするようなスタイルです。かつては隆盛を誇ったのは今は昔のインド映画。私が好きに映画館へ通えるようになった頃には公開数は激減していました。何を隠そうこの私、インド映画はテレビの深夜粋で、「女盗賊プーラン」をちょこっと観たのみで、知っている俳優は、ラジニとアイシュワリア・ラーイだけという、全くのインド映画ど素人。だってみんな三時間でしょ、長いやん?とってもビデオやDVDでは観る自信がございませんのよ(長い映画が嫌い)。この作品も輸入DVDだけで、日本未公開作品ですが、インドでは昨年から今年にかけて、大ヒットした作品だそうです。伝統的なインドのお見合いから結婚までが描かれており、なかなか興味深く観ることが出来ました。

インドの地方都市に住む気立ての良い娘プーナム。その美しさは近所の評判になるほどでした。実は彼女は幼い時両親に死に別れ、父方の叔父の元で育ちます。叔父はとても良い人で、実の娘のチョーティと分け隔てなくプーナムに愛情を注ぎます。チョーティも実の姉のようにプーナムを慕い、幸せな毎日ですが、叔母だけはプーナムの美しさを妬み、彼女につらくあたります。そんなある日、年頃のプーナムに、都会の大企業の社長の次男プレムとの縁談が持ち込まれます。お見合いは無事まとまり、二人は結婚までに愛を育むのですが・・・。今回ネタバレです。

インド映画は観たことはなくても、ミュージッククリップのような楽しい映像はもちろん何度も観ていて、この作品も華やかな、歌って踊ってランランラン♪的な作品だとばかり思っていましたが、あにはからんや、しっとりとインド伝統の結婚観を見せてくれる作品でした。

二人の愛を育む様子が、もう〜清らかで純情で。キスなんてもっての他、手を握るまですら相当かかるし、馬車に揺られて体がくっつくのすら、ドキドキもんの描写です。それが白々しいかというと全く反対で、とても初々しく好感が持てるのです。出てくる人は基本的に皆善人なのも心地よく、一人だけ敵役の叔母だって、心情は理解出来ます。前半一時間半かけてこれらをしっかりと描き、インド人の結婚は、まだまだ家と家との関係が重要なんだとも感じました。

数々の美しい民族衣装姿で楽しませてもらい、お約束の歌や踊りも堪能、大昔のような美男美女の美しい純愛と、このまま山場もなく、ずーとこのまま結婚式まで行っても、伝統的なインドの結婚までの様子がわかるし、それでもいいかと思っていた頃、何と結婚式場であるプーナムの家が、お式前日火事になります。その火事で、美しいプーナムは顔こそ無事でしたが、全身に重度のやけどをおいます。えぇぇぇぇ!こんな飛び道具というか、隠し玉を用意していたとは。ここから怒涛の展開で、チョーティを身を呈して救ったプーナムに、叔母は心から感謝し和解。プレムは病院に駆けつけ、手術の日は結婚式の日だと、このまま結婚宣言。新朗の父は叔父に「今日からプーナムはうちの嫁です。最高の医療者をつけましょう。うちに帰れるまで、あなたに預けますよ」と、優しくも力強く叔父を元気づけます。う〜ん、そうだったのかぁ。

火事以降、この作品が何を言いたかったのかが集約されていました。インドでの結婚の問題点を突いていたのではないでしょうか?まずは花嫁側の持参金の問題。この持参金の金額でトラブルも多いらしく、この作品でも容姿に恵まれないチョーティに、たくさん持参金をもたせたい叔母は、プーナムにお金を使うことを渋ります。それを気にするプーナムですが、新郎側の回答は「身一つで来て下さい」です。

チョーティは外国人の私から観れば、とてもキュートで愛らしく、何の問題もないように思えますが、色が黒いのです。インドでは色が白い方が美しいとされると聞いたことがあります。その辺もナンセンスと言いたいのかな?

プーナムの主治医は、「この病院に運ばれる女性は、みんな夫に虐待された女性ばかり。こんな素晴らしい新朗の家族を観たことがない」と称え、叔父も「あなたのような人ばかりだったら、娘ばかり生まれては、家は破産するとは誰も言わない」と、感謝します。この辺まだまだ現代のインドの、有無を言わさないような、夫の側優位の夫婦関係や家族関係を正したい気持ちがあるのでしょう。理想の夫及びその家族というのを、この作品で描いていたのだと思いました。

そして叔母との和解です。結婚は両家の人々全てに祝福されてというが大事なんだと、観る人に教えていたようにも感じました。プーナムの美しさを嫉む叔母からは、まだまだ地方では女性の出世は玉の輿だけとも感じ、欧米社会と遜色なく働くプレムの会社の女性たちとの対比にもなっており、解放された都会、因習深き地方との対比にもなっていました。

そして顔こそ無事でしたが、体にやけど跡が残ると宣言されるプーナム。彼女が自分の美しさだけに溺れ、それだけの女性だったなら、容姿に傷がついた今、プレムの心は揺れたのではないでしょうか?やっぱり人間は心なのよ!とも言いたいのでしょう。

この一連の新郎側の懐深き行動に私は感激し、不覚にも涙(いやほんまに)。大昔ドキュメントで、結婚直前の女性が事故に遭い、車いす生活を強いられながらも花嫁となり、新婚生活を送るまでを映すシリーズがありました。事故直後、悲嘆にくれ、別れてくれ、死にたいともらす彼女に恋人は、「リハビリを頑張ろう。それでだめなら一緒に死ねばいい」との言葉をかけます。故郷大阪は離れ、彼の住む東京の病院に転院して、懸命にリハビリに励む彼女。何気なく美談だと素直に思って観ていた私ですが、このドキュメントが脳裏をよぎりました。

長年大切に育てた息子が恋人と一緒に死ぬと言ったり、娘が恋人の傍の方がリハビリに励めると転院したりと、その時の二方の親御さんたちのいいようのない寂しさが、自分の子供が年頃になった今、私には理解出来るのです。子どもが人生の一大事の時に、支える相手として選んだのは、親ではなく愛する人でした。しかしその真っ当な思いは、本来親として喜ぶべきものでしょう。自分たちの寂しさを押し殺し、子どもを支えた親御さんたちは、本当に偉かったのだなと、この作品を観て思い出しました。当然結婚生活は同居でしたが、新朗のお母様は、「息子が選んだお嫁さんですもの。私も愛して大切にします」と、いっしょに介護にあたられていて、その姿がプレムの家族とだぶりました。この作品、息子三人の私には、とても意義のある鑑賞でした。


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