ケイケイの映画日記
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2007年03月24日(土) 「善き人のためのソナタ」

二月の末から公開でしたが、上映の梅田シネリーブルは駅から遠く寒いのと、上映時間が中途半端なせいで、ずっと延び延びになっていました。公開後日が経っていますが、観る気は満々だったため、新聞や雑誌の紹介も、お友達のレビューもすっ飛ばして頑張った甲斐あって、私の予想していたストーリーとは違っていたのが嬉しい誤算でした。本年度アカデミー賞最優秀外国映画受賞作品。

1984年の東ドイツ。国家保安省(シュタージ)の局員ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、国家に忠誠を誓う有能な局員でした。ある日大臣の命で、反体制の疑いがもたれる劇作家のドライマン(セバスチャン・コッホ)を、24時間体制で監視することになります。ドライマンの家に盗聴器や隠しカメラが据え付けられ、薄暗い屋根裏で毎日監視するヴィースラー。しかし国の秩序を守ることしか念頭になかった、孤独で冷酷なヴィースラが、ドライマンを監視することで思わぬ変化が訪れます。

上記の粗筋だけは知っていました。私はドライマンはガチガチの反政府運動家だとばかり想像していたのですが、これが全く違うのです。大臣が監視を命じたのは、ドライマンの恋人である女優のクリスタ(マルティナ・ゲデッグ)に横恋慕したから。冒頭大学生達に、取調べの講義をするヴィースラーが描写されます。暴力こそ映しませんが、非人道的で尊厳を無視したやり方で、クロの目星のつけ方など、ほとんど勘が頼りという根拠のなさで、これでは密告や捏造も簡単だと感じていたら、大臣自らこれとは。日本の時代劇の悪代官のようですが、雑誌や手紙の検閲検問など、ほんの少し前までどこの国でもあった話だと思うと、空恐ろしいです。

ドライマンは国家のあり方に疑問は持っていますが、表向きだけ自分を繕っているわけではなく、許される範囲の中、精一杯観客の人生に希望をもたらす作品を書いていたと思います。しかし反政府的だとシュタージに目をつけられている友人や、やはり国から仕事を禁じられた敬愛する演出家イェルスカとも、堂々と信念を持って付き合う姿は、ただの穏やかなインテリではなく、心にぶれのない芯の強い人だと感じさせます。

どういう風にヴィースラーがドライマンに感化されるかの描き方に、とても興味がありました。最初人々から暖かい賞賛を浴びるドライマンに嫉妬していたヴィースラーですが、いつしかドライマンの生きる世界に心が同化していき、彼にとってドライマンは、憧れ・夢・希望となっていくのです。

親しい友人との楽しい交流、尊敬する盟友、溢れる才能が人々に与える感動、文学や音楽を楽しむ。そして信頼で結ばれた恋人と愛し合うこと。全てが美しく彩られたドライマンの生活は、どれもこれも国家に忠誠を誓うかどうか白か黒かだけの、ヴィースラーの生きる世界にはなかったことです。ドライマンの生き方は、一言で言えば、豊かで充実した人生です。それを目の当たりにして、初めて国のためではなく、自分の、個人の、人生を活きるという事にヴィースラーは目覚めます。タイトルの「善き人のためのソナタ」とは「この曲を聴いた人は、悪人にはなれない」という意味だそうです。ある悲しみを抱いてこの曲を弾くドライマンに涙した私は、次のシーンでヴィースラーも涙を流しているのを観てびっくり。

私の生きる世界はドライマンほど豊かではありませんが、ヴィースラーほど殺伐ともしていません。それでも私はヴィースラーに感情移入して観ていたのでしょう。これはこのような国家体制の中では、いかにドライマンのように生きるのかが、難しいということなのだと感じました。

それをわかりやすく体現してたのが、強い印象を残すクリスタだったような気がします。女優としての名声に自信がなく、いつもこの生活に暗雲が立ちこめたらと不安で、禁止されている薬物が手放せない繊細な神経を持つ彼女。権力者の大臣の誘いを拒めず、女性として深く傷つきながら、恋人であるドライマンには、その辛さを打ち明けられません。打ち明けたところでこの国では、恋人は怒り哀しみ、そして深く悩むだけ。彼女なりの思いやりなのです。人一倍か弱い彼女が理解出来るだけに、とても痛々しい。血や暴力を見せつけずとも、国家権力に抑圧された怒りは、こんな男女の愛で情感豊かに描けるのですね。

ヴィースラーがドライマンだけではなく、クリスタにも心を寄せたのは、哀しい彼女の心をドライマンが受け止めた時からではないでしょうか?自分の夢であるドライマンの愛するクリスタは、ヴィースラーにとっても守りたい愛したい女性なのですね。自分の身分を隠し彼女へ助言するヴィースラー。二人が愛情を確認する様子に、初めて笑みを浮かべるウィースラーが愛しくなります。

後半は国家に反抗するドライマンを、必死で守ろうとするヴィースラーが描かれます。とてもハラハラするのですが、あくまでサスペンス的味わいではなく、ヒューマニズム的に描かれます。多分このことで、シュタージでの自分のキャリアがなくなってしまうだろうことは、彼にはわかっていたでしょう。ヴィースラーが守り通したドライマンは、そんな彼にある素敵なプレゼントを贈るのです。「私のための本だ」と微笑むヴィースラーは、以前の切ない笑みではなく、活力のある笑みでした。この贈りものは、きっと彼に文学や音楽に親しみ、愛する人を求める世界を与えてくれるでしょう。ヴィースラーが孤独な生活から抜け出して豊かな人生を送って欲しいと願う、ドライマンの気持ちが込められていると、私は感じるのです。

主演のウルリッヒ・ミューエは、自らもシュタージに監視され、長年妻や友人が密告していたという、哀しい過去があるそうです。この役を引き受けたのは、心の痛手を乗り越えたからでしょうか?ほとんど感情を露にしない役ですが、ヴィースラーの心のひだまで観る者に伝わる名演で、私は素晴らしかったと思います。監督・脚本はこれが初作のフロリアン・ヘンケル・フォン・ド・ナースマルク。監督は幼い頃西ドイツへ家族と移住したそうで、東ドイツの親類宅に行くと、いつもピリピリした親戚を見て疑問に思っていたそうです。国家権力が国民の自由を奪う恐ろしさ、そのことに戦う人々の勇気を、過剰な煽りを一切排し抑制の効いた演出で、情感豊かに品格のある造りで見せてもらい、まだ33歳と聞き本当にびっくりです。長い名前ですが、必死で覚える値打ちのある監督さんだと思います。


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