ケイケイの映画日記
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2007年03月03日(土) 「蟻の兵隊」

昨年8月から全国公開された作品で、大阪でも公開されましたが、遠い十三はナナゲイで上映のため、見逃した作品。我が布施ラインシネマで再上映ということで、やっと観ることが出来ました。が・・・。思っていた作品とはだいぶ違うのですね。ドキュメントにも演出ありは、今や知れ渡った常識ですが、自然に見せながら、いかに主張を織り込むかが作り手の腕の見せ所ですが、なんか強引に反戦に持っていった感じがしました。

終戦を中国の山西省で迎えた奥村和一(わいち)さん、80歳。奥村さんたちは、終戦後すぐにでも帰国したかったのに、上官の命令で中国国民党軍に編入され、中国共産党との内戦に駆り出されました。しかし日本に帰国してみると、奥村さん達は自分の意思で勝手に内戦に参加した脱走兵扱いになっており、軍籍は除籍されていました。そのため恩給などの戦後保証はなく、政府を相手に訴訟を起こしています。自分たちの意思ではない、その証明を求めて戦う老人たち。奥村さんは手がかりを求めて、山西省まで旅します。

この山西省残留問題は、私はこの作品のおかげで初めて知りました。観る前は戦争の被害者である奥村さんたちに、同情の気持ちが湧くであろうと思っていました。事実体に無数の砲弾の破片が残る奥村さんの体を映すシーンや、おじいちゃん達が口々にどれだけ日本軍や政府に怒りを感じているか、その年齢ゆえ言葉が不明瞭で聞き取りにくいところに、反って年月の長い重みを感じさせ、辛くなります。

しかし奥村さんが証明探しと、自分が少年兵であった時の足跡を辿るため中国に行ってからは、私は段々違和感を感じ始めます。いやな思い出の多い彼の地のはずが、何故か懐かしさも感じるという、複雑な思いを吐露する奥村さん。彼は軍の命令で、練習と称して農民を殺したと告白します。その当時のことを知る人を捜し当て、複数の人が如何にひどい仕打ちを日本軍から受けたか話しますが、みんな何故か笑顔交じり。まるで家畜でもこうはされないだろうと言う仕打ちに対し、日本軍に在籍していたという人を前に、このように冷静に話せるものでしょうか?涙一つ見せず、淡々と何があったか事実だけを話し、奥村さんを糾弾するでもない中国の人々。色々な感情があって当たり前でしょうが、皆同じなのが不思議です。

奥村さんは、当時の自分の行いを軍の命令だったから、「軍のせい」とはっきり明言するのですが、銃殺現場だった場所に線香を手向ける彼からは、自らの行いに対しては謝罪はありません。他の戦友などは、はっきりその人の記述した証拠があるのに、自分が中国人を殺したことを忘れています。忘れていたことにショックを受け、呆然としながら、「それが戦争なんだよ・・・」と語る戦友。確かに「軍のせい」「それが戦争」も真理だと思います。戦場とは人の心を狂気にしてしまうものでしょう。しかし平和な時を過ごす今、昔の自分の自責の念に耐えない行いを、全て戦争のせいにしていいのでしょうか?

奥様によると、奥村さんは一切戦争当時の話をされないとか。それは「父親たちの星条旗」で描かれた、ドクに通じるものでしょう。しかしドクが沈黙を破ったのは、自分の命が残り僅かだと悟ったから。妻や娘だけなら、彼は自分の思いを墓場まで持っていったと思います。何故息子なのか?戦場に行くのは男だからです。このドクの思いからみると、奥村さん達は、自分たちは被害者だと強調しているように感じるのです。一人一人がその過ちを認め、繰り返さないこと、これが絶対戦争を起こさないために大切だと考える私は、全てを戦争のせいにするこの人達に、少し嫌悪感を持ちます。

確かに奥村さんたちはお気の毒だと思います。しかし彼は中国に行き、当時は日本人として出兵してた人達も、終戦時解放という名で日本国籍から離れたため、恩給のもらえない人がいるのはご存知だと思います。何故その人達には会わないのでしょう?当時日本兵だった中国の人達も、国単位の戦後補償は終わっていると中国政府から切り捨てられた、いわば同じ立場の人達なのに。この辺問題提議の底が浅い気がします。

最初と最後に映る靖国神社。右翼らしき人の「次の戦争では負けない日本であるように!」との演説に、正直笑ってしまいました。”次の戦争”ですか?古今東西、小説でも映画でもテレビでも、戦争は勝者敗者に関係なく、両方が深い傷を負うものであると説かれ、ほとんどの人が認識していると思っていた私は、まだまだ自分も甘いなと感じます。

その靖国でにこやかに演説していたのは、あの小野田寛郎さんでした。かの右翼の人の演説の直後なので、彼も同じなのかと少々失望する私。この辺は演出ですね。その小野田さんに奥村さんは近寄り、「あなたはあの侵略戦争を美化するのですか?」と言い寄ります。すごい剣幕で言い返す小野田さん。なんかとても作偽的。だって心底悔恨しているように見えない人から、いきなりそういうことを言われてもなぁ。この辺は描き方が散漫になっている感じがします。

奥村さんも小野田さんも、同じように戦争では加害者でもあり、被害者でも合った人です。戦後60年、何故これほど袂を分かつ思考に至ったのか、中国人はみんなイイ人を描くより、この辺を掘り下げた方が、もっと戦争というものの本質に近づけるように、私には思えるのです。

ふとドクなら、奥村さんと同じ立場でも、やはり黙して語らず、一生を閉じたのではないかと感じました。しかし決して観て損をしたという作品ではなく、戦争を体験した人から学ぶことは、やはり多いのです。それが一番「次の戦争を絶対起こさない」ための近道だと思いますから。


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