ケイケイの映画日記
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2007年02月08日(木) 「それでもボクはやってない」


「Shall We ダンス?」から11年、周防正行監督の作品は、社会派”ホラー”でした。痴漢犯罪の冤罪事件がテーマなので、男性だけが恐怖に晒されている感じがしますが、実は訴える側の女性に取っても、とても重要なことをはらんでいるのだと、実感させる作りです。「愛ルケ」の法廷シーンがいかに茶番か、あの「ゆれる」の法廷シーンだって、この作品に比べれば、やっぱり映画的フィクションが満載だったのだとしみじみ感じます(それ自体は全然問題なし)。掛け値なしの傑作ですが、作り手が汗や唾を飛ばしながら主張するのではなく、しかしわかりやすく観客に訴えているところがこの手の作品では珍しく、周防監督の並外れた力量を、改めて感じました。

金子徹平(加瀬亮)は26歳のフリーター。今朝は仕事の面接に行くため、久しぶりに満員電車に乗りました。目的地で降りた徹平に中学生の俊子(柳生みゆ)が、「あなた痴漢したでしょう・・・」と消え入りそうな声で、徹平のスーツの袖を引っ張ります。ぬれ衣なので話せばわかると駅事務室に入った徹平は、話を聞かれることも無く、すぐ警察に引き渡されます。無実だと主張する徹平ですが、当番弁護士(田中哲司)から、「痴漢の場合裁判で争っても、99.9%が有罪。罰金5万円払って示談にした方が良い」と勧められます。しかしこの勧めを蹴った徹平は、こののち、刑事や検事などから恫喝めいた取調べを受けますが、一貫して無罪を主張。話は裁判所まで持ち込まれるのですが・・・。

以前痴漢冤罪事件の被告人のドキュメントをテレビで見ていたのですが、無罪判決まで4年を要したと記憶しています。会社は解雇され、街頭に立ち目撃者を探したり演説したり、この作品の冤罪事件と戦う佐田(光石研)とそっくり。妻が夫の潔白を信じているのが支えというところもいっしょでした。その時も痴漢の冤罪は相当大変だとは認識していましたが、何故そんなに大変なのかが、そのドキュメントより、この映画の方が深く掘り下げてあります。

警察の取調べの横暴さはちょっと想像を超えていたくらいで、あんなもんかと思いましたが、言ったことを書いてくれない、調書は取り調べ云々ではなく、刑事の作文であるというのにはびっくり。映画やドラマでは検事は冷静に被疑者と対応しますが、そんなことは全くなく、主観一辺倒で取り調べます。「疑わしきは被告人の利益」なんて、どうも嘘っぱちなようです。

毎日毎日同じことを聞かれ、頭が変になりそうになりながら、必死で自分を持ちこたえる徹平。無実でも自白なら5万円で釈放、否認し続け在宅起訴なら、保釈金が200万!?名のある人ならともかく、徹平のように失う物がない若い子が、こんなに大金を積んでも戦う様子は、観客にはそれだけで充分潔白の証明のなると思うのですが、国家権力とは、そんなに甘いもんじゃない模様。日本は民主主義の法治国家だと思っていたのですが、この作品を観ると、とてもそうとは思えません。

私が一番びっくりしたのは、裁判官の描き方です。公判が終わっていないのに、途中で交替するのです。無罪にした被告が、控訴で有罪になった時は左遷もありなんだとか。警察・検察が犯人だと思い捕まえた人間を無罪にするのは、国家に反旗を翻すことなのだとか(高橋長英扮する訳ありの裁判オタクの談)。裁判官にも出世がある以上、寄らば大樹の陰になる人が多いのだそう。

裁判オタクの人の手記を読んだことがありますが、私たちには画一的に思える裁判官ですが、かなりその人の個性で裁判の判決が決まることも多いようで、誰が当たるか運が作用するなんてのもびっくり。人が人を裁く難しさも深く認識出来ます。台詞にも出てきますが、真実が明るみに出るのではなく、有罪が無罪かを決めるのが裁判なのです。

徹平はフリーターの若者ですが、一部上々企業に勤めるサラリーマンも冤罪を被害を訴えているところをみると、現在の社会的地位に関わらず、これは男だというだけでまずは犯人扱いです。我が家は53歳から14歳まで男ばっかり4人いますが、この作品を観ていると状況証拠がいっぱいです。夫はいい年をして通勤電車の中で携帯でゲームをするのですが、人様から見れば不審人物かもしれない。長男はガタイがでかく、オマケに坊主頭で眼光鋭いバタ臭い顔です。会社へは(CADの専門職)成人式に親が奮発して買ってやったカシミアのロングコートを着ていくのですが、中学の時の同級生に偶然会った時「お前、街金になったんか?」と言われたそう。次男は今はサラリーマンですが、声優志望なのでオタクグッズをいっぱい所持。中2の三男は「お母さん、おっぱいは男のロマンやで」とほざきながら、兄ちゃんたちの「ヤングジャンプ」のグラビアをニタニタしながら見る様子は、頭の中は「オッパイがイッパイ」の模様。もしもね、うちの家族の誰かが痴漢に間違われたら、全部証拠がために使われちゃう可能性大なんです。
つまり、男なら変態でもなんでもなくても、横一線で犯人扱いだということです。

私が興味を引いたのは、刑事や検事が何度も発する「こんな純真な中学生になんてことをするんだ!」と言う言葉。これは裁判官からも聞かれます。金髪のヤンキーの威勢のいいお姉ちゃんが、「てめぇ、アタシのケツ触っただろう!?話つけようじゃないか!」と凄んでいたら、周囲の反応はこの作品の俊子と同じだったのでしょうか?容姿や年齢によっても違うと思います。痴漢冤罪裁判の0.1%の勝訴の要因は、本当にやったかやっていなかったかではなく、被害者が若く清純そうに見えるか見えないかではないのかな?パーセントの問題ではなく、これは男女共に由々しきことだと思うのです。

大昔、東陽一監督の「ザ・レイプ」で、レイプ犯を告訴した田中裕子は、示談にしなかったため、勝訴はしたものの、自分の男性遍歴や知られたくない過去を暴露され、恋人を含め多いのものを失いました。このような前例はたくさんあり、レイプ犯の弁護人は、被害者のためだからと、示談を勧めるというのも聞きました。判決にも被害者が処女であったかどうかが争点になるとも聞きます。全く持って腹が煮えくり返る思いでしょう?>女性の皆さん。この作品で、イマドキ珍しいいたいけな女子中学生を被害者にしたのは、深読みかもしれませんが、男性をのみならず、性犯罪は例え勝訴でも、女性にも屈辱的な要素を多くはらんでいると、周防監督は言っているように感じるのです。示談という一見穏便な方法に隠された欺瞞は、人の尊厳を著しく貶めることでもあるわけです。

出演者は総じて皆好演。加瀬亮、いいですねー。どの作品でも存在感が抜群で、地味な容姿を逆手に取って、どんな役でもスイスイこなしています。もっとも印象深かったのは、最初の大森裁判官役の正名僕蔵。本当に素人の人を連れて来たのかと思うほど地味〜な外見から、人情味があり裁判官の正義である、「無実の人を有罪にしない」という信念を飄々と演じて◎。彼のおかげで、冷静沈着ステロ型裁判官な小日向文世も、より際立ったと思います。役所広司は悪くなかったけど、もっとキャラの薄い人でも良かったかも。瀬戸朝香は唯一作品から浮き気味でした。私は彼女自体は嫌いではありませんが、「デスノート」の全然らしくない元FBI捜査官や今回の役など無理感が目立ちます。ちょっと仇っぽい美貌を生かした役の方が彼女のためにはいいと思いますが。検事役尾美としのりの抑制された台詞回し、情緒は安定、でも冷たい様子も抜群に上手かったです。「愛ルケ」の陣内&ハセキョーペアは、必ず観て反省して欲しいです。

後味が悪いという感想が多いですが、私はそうは思いません。大森裁判官のような人は昔は皆無だったでしょうし、信念を貫く徹平に、最初人間扱いしなかった拘置所の職員は「よく頑張ったな」と、釈放の際には労いの言葉をかけます。そして彼を支える人達の強い絆。昔の方が良かったこともたくさんですが、人権や在日や障害者などの差別感情に対しては、今の方が格段に理解が深まっています。ラストの力強い徹平の即答に、怒るだけではなく0.1を上げるのは、国民の手にかかっているのだ、それを認識して欲しいと周防監督は言いたいのだと感じました。


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