ケイケイの映画日記
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2007年01月21日(日) 「サラバンド」

この作品は前回の「ある結婚の風景」は、この作品の続編ということで観ました。私は早くに結婚したせいか、同年代の方々が若い頃観たであろうベルイマンの数々の作品にも縁がなく、現在に至ります。テレビで「秋のソナタ」「沈黙」(多分カットだらけ)、スクリーンで数年前に「叫びとささやき」の三本のみ。「叫びとささやき」は念願のスクリーン鑑賞だったのですが、あまりのすごさに打ちのめされ、帰ってから夕食を作るのがいやになり、本当に大変な思いをしました。そんな経験から2本も観る今回は仕事休みを選び、朝から夕食の支度までやって、いざ朝10時に出陣。

しかし「ある結婚の風景」は大変手応えのある作品ながら疲れも充実したもので、お腹がすくすく。しっかりお昼御飯を食べた後2時半からの鑑賞で、「サラバンド」の方も思ったほど重苦しくなく、ベルイマンの女性への素直な敬意は意外なほどで、これは成熟なのか老いなのか?ベルイマンを知らない私にはわかりませんが、難解な作品ではないと思いました。

弁護士のマリアン(リブ・ウルマン)はある望みがありました。30年前離婚したヨハン(エルランド・ヨセフソン)に会うこと。今は親の遺産が入り隠居生活をしている彼を訪ねることにします。ヨハンにはマリアンとの結婚以前に出来た息子ヘンリック(ボリエ・アールステット)とその娘カーリン(ユーリア・ダスヴェニウス)が近くに住んでいます。ヨハンとヘンリックはお互い憎しみあい、ヘンリックはカーリンを音楽学校へ入れようと、厳しい練習を科していますが、カーリンは母を亡くしたあと、自分を盲愛する父に辟易しています。。滞在するうち、そんな家族の愛憎の渦に、マリアンも巻き込まれてしまいます。

続編と聞いていましたが、完全な続編ではありませんでした。ヨセフソンとウルマンが夫婦役なのはいっしょですが、前回は年齢差が7歳でしたが、今回ヨハンは80代半ば、マリアンヌはマリアンとなり63歳です。そして二人の結婚の前に既に結婚歴があるのはマリアンの方でしたが、今回はヨハンにマリアンと年の変わらぬ息子がいるということは、マリアンヌ以前の結婚相手との子でしょう。そして離婚時の年齢も違い、完全な続編と思い込んでいたので、てっきり「不倫旅行」からどうなったのか?と思っていた私は、少々戸惑いました。キャストとモチーフだけがいっしょというわけです。

日帰りで帰るはずだったマリアンは思いの外長く滞在し、老いた元夫婦は、男は厭味を含めた軽口を叩き、女は少々うんざりしながらもそれを受け止め聞き流し、まるで長年ずっと夫婦だったようです。まるで戦場だったこの夫婦のケンカを観た後だったので、この穏やかな時の流れは、歳月は全てを洗い流すとは本当だなと感じました。

しかしその代わり、父と息子、父と娘の愛憎がもの凄いです。特にヨハンとヘンリックの諍いは50年に渡り、立つこと歩くことも辛そうな老人の息子への憎しみが、思春期に自分に反抗する息子の言葉だというのが、またすごい。後述で自分に似ている息子がいやだという、根底には近親憎悪があるのですが、それにしても、経済的困窮を訴える息子に投げ返す言葉の、あまりの冷たさに愕然とします。

ヨハンのあまりの偏屈さと器量の狭さに、これが離婚の原因かなと思う私。マリアンはそれをいさめる風でもなく、穏やかに受け止めます。それは自分が直接関与したことではないからとも思えますが、ヘンリックやカーリンに自ら関わろうとする姿を観ていると、そこにはヨハンを憂いての気持ちがあったのでは?と感じます。昔のマリアンには、こういう芸当は出来なかったはず。男が一向に成長せず更に粘着質になっているのに対し、女の方は離婚を糧に成長している様子を描いていたと感じました。

一方息苦しい父親の愛に苦悩するカーリン。母が亡くなったことで、父ヘンリックが彼女へ一心に愛を注ぐ感情は、普通は理解し易いはずですが、しかし常軌を逸した二人の間柄の描写が、観ていて辛くなります。しかし私が疲労困憊になった「叫びとささやき」の辛さに比べれば、まだ軽かったかな?ヘンリックを間に挟み、ヨハンとヘンリックが憎しみだけなのに対し、ヘンリックとカーリンには激しいぶつかりあいもありますが、お互いを思う愛もあります。憎だけではない、愛憎です。

生前のカーリンの母は素晴らしい女性だったらしく、三人ともがその愛の深さを褒め懐かしみます。自分の愛する孫や、良い嫁だと好意を持っていた女性の愛をヘンリックが受けたことが、ヨハンの息子への憎しみを増大させたかと感じました。嫉妬です。しかしヨハンはここで重大な見落としをしています。「何故あんな素晴らしい女性が、息子についていったんだ」と語るヨハンですが、それが回答でしょう。ヘンリックだから、妻も娘も愛を与えようと思ったのでしょう。これがヨハンでも同じだとは限りません。

父親がいなければ何も出来ないと怯えていたカーリンの選択は、親から自立する娘として、立派なものでした。四面楚歌の状態から、周囲にも自分にも最良の選択を選んだ彼女の賢さが嬉しいです。その娘の選択を喜べぬ父の選択は、予想通りで惨憺たるもの。「叫びとささやき」では、あんなに女に厳しかったのに、この作品ではいやに男のダメさ加減が目立ちます。

しかし夫婦の憎しみ合いが年月が忘れさせてくれるのに対し、親子の確執が一向に消えないのは、ヨハンの性格だけではないはず。その辺が「血は水より濃し」を感じさせ、他人の夫婦より、より根深いものを感じました。

私が印象的だったのは、夜怯えて眠れぬヨハンがマリアンの寝室を訪ね、お互い服を脱いでいっしょのベッドで眠りたいと言う場面です。あれだけ偏屈で強固な自我を見せ付けていた老人が、まるで幼い子供のようです。素直にその求めに応じるマリアンは、聖母のように観えました。この年の老人がセックス出来るとは考えにくいので、老いた男女において、裸でお互いの存在を確かめ合うのは、セックスの代わりなのでしょう。

「ある結婚の風景」の愛も憎しみもぶつけ合う嵐のようなセックスから、「サラバンド」では、スクリーンから穏やかで心地よい感覚が漂います。男はいつまでも女の肌の温もりを求めるものなのですねぇ。そういえば「蕨の行」の中でも、そんなシーンがあったっけ。本来セックスは体の快楽だけはなく、心も癒すものなのでしょう。「欲望」の中で、「二人で裸になって眠りましょう」という類子の言葉を支持した私には、嬉しい演出でした。

「ある結婚の風景」の最後で、「私は誰も愛さず愛されなかったような気がする」と怯えたマリアンヌですが、今回のマリアンの慈悲深さには、充分愛が見えました。そしてラスト、精神を病んだ娘が、母マリアンに見せる久しぶりの笑顔は、愛とは自分が人に与えてこそ与えられるもの、そんな気がしました。これはキリストの教えだったでしょうか?

「ある結婚の風景」から比べると、ちょっと物足りないですが、やはり二つ続けて観て良かったと思います。私にはちょうど良い年齢でのベルイマン体験なのでしょう、少しハマリ気味です。特集上映はまだありますので、何とかもう少し観たいと思います。


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