ケイケイの映画日記
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2006年12月08日(金) 「武士の一分」


ラインシネマ会員日(会員全作品千円)の金曜日に観て来ました。ヒットとは聞いていましたが、場内平日というのに、かなり埋っていました。良い意味で薄味の作品で、話題のキムタク主演というのでなければ、若い層はまず足を運ばない地味な筋です。もう少し醤油をたらしてくれても、というシーンもなきにしもあらずですが、要所要所を締めていたので、充分に楽しましてもらいました。

東北の小藩に仕える三村新之丞(木村拓哉)は、30石の下級武士ながら、美しい妻加世(壇れい)、父親の代からの下男徳平(笹野高史)と共に、平穏に暮らしていました。今のお毒見役の仕事がつまらない新之丞は、早くに退官して、子供達に剣術を教えるのが夢です。しかしお毒見の貝があたり、新之丞は一命を取り留めるものの、失明してしまいます。暮らし向きを気にする親戚に勧められ、上司の島田(坂東三津五郎)のところへ相談に行った加世は、石高の安泰と引き換えに島田に手篭めにされてしまいます。やがてそれは、新之丞の知るところとなり・・・。

最初の食事のシーンで、壇や笹野が江戸の人に成りきっているのに対し、キムタクがあまりにドラマのままなので、大丈夫かいな?と危惧してしまいましたが、彼なりに健闘。特に失明してから以降の演技は、大きく綺麗ですが鋭くはない彼の目が功を奏し、見えない目に哀しみを感じさせました。剣道をやっていたそうで、殺陣もまずまず。立ち回りの時間が短い気もしましたが、長くダラダラやるより、コンパクトにまとめた方が粗も見えず、文句はありません。何より初々しい若夫婦の風情はとてもよく出ており、このお話にはこれもポイントだと私は感じたので、良いキャスティングだと思いました。

妻役の壇れいは宝塚の娘役トップを務めた人だそうで、大変な美人で、楚々としたまろやかな美貌で時代劇にはぴったり。こういう役柄には清潔感が不可欠ですが、美しさに威圧感や華美なムードがないので、女性客も素直に彼女に同情出来ます。家事をする際など、何度も丸く安定感のあるお尻が映されましたが、それが生娘ではなく新妻なのだと感じさせ、爽やかなしっとりしたエロスがあり、効果的でした。

「武士の一分」とは、譲れないもの、という解釈で良いと思います。同じ武士でも新之丞と島田では違う「一分」のような気がします。新之丞が一分を果たそうと決意したのは、加世の出来事の真相を知ったから。それは武士としてのプライドより、妻を守ってやれなかった夫としての不甲斐無さにけじめをつけたい思いが強かったと感じました。対する島田の一分は、「恥」ではなかったかと思います。剣術の腕前に対して、部下の妻女にしでかしたことについて、武士として決して恥を露見させてはいけない、その思いが島田の一分を決意させたように思いました。

この作品には二度切腹が出てきます。私は個人的には、這いつくばっても生き抜く選択を描く作品が好きですが、この切腹がとても潔く感じ、決して無駄死にに感じません。死というものに美学を感じさせるのは、武士の切腹だけなのだなぁと、強く感じました。これも一分でしょうか?

皆さん書いておられますが、父の代から仕える徳平がとても良いです。主従関係はきちんと守りながら、幼くして父を亡くした新之丞には、優しい祖父のように接します。もしかして武士のプライドより人としてのプライドを重んじた新之丞に影響を与えたのは、武士でなかった徳平かも知れません。

質素ですが加世の作る心のこもった食卓は、藩主の豪華な食事より数段おいしそうでした。徳平の作るまずい食事も、加世の存在の大きさを感じさせます。うだる暑さ、大雨、美しい蛍の光り、吹きすさぶ風、つがいの小鳥。自然に逆らわず沿うような暮らしぶりは、失明した新之丞も自分の運命を呪わず、きっと受け入れて暮らすようになってくれる、そう感じさせました。ラストの夫婦の抱擁は、とても心が温かくなり、素直にたくさん泣けました。立派な夫の一分だと思いました。

以下ネタバレ










新之丞は、徳平に加世を探らせたことが悪かったのかと自問自答しますが、私があれで良かったと思います。露見しなければ、あのままずるずる関係が続いていたでしょうし、人の口にあれこれ上れば、島田は加世を石高のために身を投げ出した売女と言うでしょうし、加世は自害したでしょう。加世の復讐のため、自分の命も投げ打つ覚悟だった新之丞の気迫が、島田に武士の一分を思い出させ、事は露見せずに済んだと思います。そして加世が無事家に戻れたのも、事が露見しなかったというのが、大事なポイントだったと思います。人生はタイミングが大事ということで。


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