ケイケイの映画日記
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2006年11月09日(木) 「手紙」

東野圭吾原作の作品。刑事事件の加害者や被害者の心模様は、描かれることも多いですが、この作品は加害者の弟が、世間の偏見や差別とどう折り合いをつけていくか、兄への感情は?という、珍しい、そして重い題材です。ところどころチグハグな演出もあり完成度は高いとは言えませんが、胸を打たれる場面も多い実のある作品だったと思います。今回ネタバレです。

弟・直貴(山田孝之)の大学進学の入学金のため盗みに入り、誤って殺人を犯してしまった剛志(玉山鉄二)。無期懲役が下った剛志には、弟との文通が唯一の慰めでした。しかし直貴の方は「殺人者の弟」として、世間の差別の目に晒され、職も住まいも転々とする生活を余儀なくされていました。
中学の時からの親友寺尾(尾上寛之)とお笑いで世に出ることが夢の直貴を、同じ職場の同僚由美子(沢尻エリカ)は、好意を持って見ていました。

直貴が勤めるリサイクル工場が立派なのでまずびっくり。親に早くに死に別れ、兄も服役中という設定なので、勝手に下町の零細企業の町工場だと決めてかかっていました。私の深層心理の先入観です。この会社には直貴に冷たく当たる先輩の同僚(田中要次)がいるのですが、後で自分もムショ帰りだと直貴に告白します。直貴の兄が服役中だと知った時、「どうせチンケな盗みでもしたんだろう」と吐き捨てるように言ったのは、彼自身のことだったのでしょう。今は務めながら大検を受けようとする同僚に、短いシーンですが、自分の前科を悔いている様子が伺えました。

リサイクル工場を辞め、バーテンのアルバイトをしながら、寺尾とお笑い芸人の道を歩み始める直貴。努力の甲斐あってブレイクしますが、マスコミに顔が売れるようになって、彼の背景がネットに流失し、芸人の道を断念せざるを得ませんでした。原作ではミュージシャンを目指す設定だったようですが、この変更は良かったと思います。事件を知り、お笑いを取る直貴に、不快感を持つ人は多いでしょう。直貴に罪はないとはいえ、彼を見て事件を思い出す人は多いはず。兄の起こした事件だけではなく、世に被害者・被害者の家族は多いはず。その人達も一様に自分の事件を思い起こすのではと思います。良い悪いで片付けられる問題ではなく、人の感情とはそういうものではないでしょうか?

並行して描かれる重役令嬢朝美(吹石一恵)の父(風間杜夫)の言葉は、父親自身理不尽とわかりつつ語る様子が、それが世間の現実なのだとの重みがありました。いわゆる身分違いの恋ですが、真っ直ぐに物を観る清楚で素直な朝美との恋愛の様子は、清々しさと苦悩の様子が上手くコントラストを作って、恋の終焉も上手にまとめられていたと思います。

私がチグハグだと感じたのは、肝心の事件です。少し事件を美化していると感じました。仕事で腰を痛めた兄は当時無職だったかも知れませんが、何故短絡的に犯行に及んだのでしょう?本当に直貴に向学心があれば、昼間働いて二部に進んでも良いし、親のいない状況、保護者代わりの兄の体調なども考慮すれば、金利のつかない・または返済不要の奨学金が受けられる道があるでしょう。私は生活保護を受けていた家庭で、公立大学に進学した人を知っています。アルバイトに明け暮れてはいましたが、ちゃんと大学も卒業しています。県下トップの進学校であれば、担任の教師が相談に乗ったり助言してくれるはずです。昨今色々言われる学校ですが、私が知る限りこれらを拒む教師はまずいないはずです。

それにいくら腰が悪いとは言え、強盗が出来るくらいの足腰なのに、老女が抵抗して挟みを振りかざしたのを、二十代前半の男が、それを取り上げられないのは、腑に落ちません。揉みあって誤って刺したように描かれていますが、騒がれて我を忘れて逆上して殺してしまったと描いた方が自然に思います。兄を演じる玉山鉄二がまたピュアでストイックに上手く演じているので、どうしても彼ら兄弟に同情的になってしまうのが、被害者への目配せが足らないと思いました。

リサイクル工場時代から直貴に好意を寄せ、影になり日向になり直貴を支える由美子。親の借金から家族バラバラになり、逃げ隠れした日々を糧にして、前向きで芯の強い明るさがとても好感が持てます。演じる沢尻エリカも良かったのですが、あの変な関西弁は何故?彼女は「パッチギ!」では、非常に上手く関西弁を喋っていました。関西出身を匂わす必要も無く、難しいのなら標準語を喋っても良いと思いました。地味な賄い婦から一転、いきなり流行最先端のギャルになるのも謎。いくら美容学校に通うようになったと言っても、あれでは極端過ぎです。

兄のことで直貴を左遷した会社の会長(杉浦直樹)の言葉が印象的です。理不尽な会社の行いに怒った由美子が陳情したため直貴に会いに来たのですが、一平社員のことでわざわざ足を運ぶ姿に好感が持てます。逃げ隠れせず、自分の姿を見てもらって、理解を得、この会社からイチから始めるんだと語る会長。その言葉には、功なり名を遂げた年長者の、生きてきた観て来た重みがあります。そしてその意味が、私にはものすごく理解出来ます。

私も在日韓国人という、差別される側の人間です。差別も少なくなった現在でも、私が在日であることだけで毛嫌いする人はいるでしょう。それが私の背負う宿題だとしたら、私を見て判断してもらうしかないないのです。何度も兄から逃げ嘘をついてきた直貴ですが、逃げても逃げても、そのことは追ってきます。ならば真正面から受け止めるしかないと思うのです。直貴は露見する度逃げてきました。逃げるなと言われたのは初めてだったのではないでしょうか?

由美子が剛志のことで娘が虐められると、「あなたと私の子よ。絶対跳ね返せるわ。」と語りますが、これは取りも直さず「血」という意味でしょう。ならば直貴は「人殺しの血」も流れているのです。反語のようですが、差別感情を肯定していることにもなるのです。人とは、知らず知らずのうちにその人に流れる血を見るのでしょう。差別など悪に決まっていますが、良い悪いではなく、世間とはそういうものなのだと思います。人は弱いということです。ならば直貴は(私は)受け入れ受け止め、生きていくしかないのだと感じました。但し学校のいじめなどの件でこういう意識を求めるのは、場合によっては危険だと個人的には思います。

意を決して被害者宅にお焼香に向かう直貴。息子(吹越満)の憔悴ぶりが強く印象に残ります。「あなたの兄さんのしたことで、あなたには関係ないので、焼香は断りたい」と語る一見冷たい息子は、実は一番直貴の辛さを知っていたのではないかと感じました。加害者・被害者、どちらも残された家族は生活が一変し、想像以上の辛さを味わうのだとわかります。剛志からの最後の手紙を機に、事件を終わりにしたいと語る息子。許せるとは死んでも言えないでしょう。「僕にもあなたにも、長い六年でしたね」と語る息子の姿は、直貴への最大の労いだったと思います。

私は縁は切っても血は切れないものだと思っています。どんなに不束な親兄弟でも、自分は他人と思っていても、世間はそう思ってくれません。自分が罪を犯すと、親兄弟が悲しみ大変な苦労する。そう思考が回らないような犯罪が多くなった昨今、この作品を観て改めて軽はずみな行動は慎もうと思った人は、私だけではないでしょう。そして隣人に直貴のような人がいれば、私だけはその人を見て判断しよう、この作品を観てそう誓った人も多いと思います。世間の冷たく厳しい場面ばかりを映し、直貴に試練を与えながら、実はそれが一番言いたい作品だったように思います。


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