ケイケイの映画日記
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2006年09月14日(木) 「トランスアメリカ」


昨日のレディースデーに観て来ました。上映中のガーデンのHPを観ると、すぐ終わっちゃいそうなので空いているのかと思いきや、またも通路に座り観・・・。なんかガーデン&リーブルのレディースデーは、座り観が定着しつつあるようで。トランスジェンダーという重いテーマながら、クスクス笑って軽く観られるタッチの作品で、そこが良いとも物足りないとも、両方感じさせる作品でした。

若い頃から自分の自覚する性と一致しないことが悩みだったブリー(フェリシティ・ハフマン)。医者やカウンセラーの同意がやっと取れ、女性になる性転換手術が目前です。そんなある日、ニューヨークの拘置所から、トビー(ケヴィン・セガーズ)と言う少年が麻薬の不法所持をして拘留中との連絡が来ます。トビーは昔ブリーが一度だけ女性と関係を持った時に出来た、彼の息子でした。カウンセラーのマーガレット(エリザベス・ペーニャ)に諭され、渋々彼の身元引き受けとなるブリーですが、これがとんでもない不良少年。見捨てて置けなくなったブリーは、男性ということも父親ということも隠し、彼といっしょにLAまで旅することにします。

どこでも書いていますが、性転換前の男性を女性であるハフマンが演じて、違和感ないことにびっくりします。日本でいうと所謂ニューハーフの人なので、華やかショーパブで働く人達の表の様子を想像しがちですが、ブリーは安食堂のウェイトレスや電話でのセールスで慎ましやかに生計を立てる、地味で堅実な人です。決して美しくはありませんが、エレガントで素敵な人だとわかります。毒々しく飾ってオカマちゃんに見せるより、ブリーのような造形は、実はとっても難しいはず。模型をつけての立ちションなど、びっくりのシーンも、今後の彼女のキャリアには傷どころか女優根性を見せたとして箔がついたのではないかと思うほど。

ロードムービーの様子を呈して、ドラッグ、養い親の性的虐待、男娼、ブリーのような身内を持つ家族の葛藤など、シャレの利いたエピソードを交え、皮肉ではないユーモアを交えて描かれており、好感が持てます。途中出合ったインディアンの血を引くカルヴィン(グレアム・グリーン)が印象的で、原住民の血、前科者など、幾つものしがらみにがんじがらめになることなく、今を大切に生きるため、過去は忘れず隠さずする姿が、とても心に残りました。

トビー役のセガーズは、リバー・フェニックスの再来とキャッチ・コピーにありますが、それも納得。ハンサムで繊細、思春期特有の反抗的な様子も母性本能をくすぐり、有望株と観ました。前出のペーニャの厳しさと暖かさ、や両親役のバート・ヤング、フィオヌラ・フラナガンの俗物ぶりも愉快で楽しかったです。

しかし、観ていて好感は持てるのですが、ハフマンを初め、キャストの名演技に助けられ過ぎた感じが少しします。今の時代は多用な価値観が認められつつあり、差別や誤解も少しずつ減ってきている時代です。しかしある意味価値観は統一されていた方が楽な場合もあると思います。その今だからこそ、隠して苦しむとは別の、全て自分の責任において、という辛さもあるかと思うのです。ハフマンの名演技でそういう深い部分は想像することは出来るのですが、もう少し突っ込んだ心の葛藤の描写があったら、傑作になったのになと思います。

とは言え、これほど重たいテーマを違和感も嫌悪感もなく見せた、ダンカン・タッカー監督の手腕は上々です。突込みが少々甘かったから、好感が持てたのかも知れないし、ここは難しいところです。これが初監督作品なんて、これもびっくり。次がもの凄く楽しみです。

ブリーのお母さんの泣いたり笑ったり手の平返したりの様子は、とっても笑えるのですが、あれは私も同じ立場だったらそうだろうなぁと、もの凄く納得。他人様は素直に応援できても、これが我が子なら私も動揺しまくりのはず。上に書いたように、今は価値観が多様化した時代で、ゲイでなくても、学校卒業→就職→年頃に結婚→孫が生まれて・・・という平凡なコースから外れる場合も多くなってきました。その時は息子たちを信じて、ガミガミ言わない母親でいようと、この作品を観て思いました。映画をたくさん観ることは、心をニュートラルにする力のあることだと思います。


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