ケイケイの映画日記
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2006年04月23日(日) 「ブロークバック・マウンテン」


今春最大の話題作(多分)。手術前に観たかったのですが、体調優れず後回しに。21日まで家から近い難波の敷島シネポップで上映と知り、大急ぎで観てきました(やはりリーブルは術後まもない体では辛いと、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」で思い知る)。オスカーでアン・リーが監督賞のみに留まったのは、ゲイの愛を扱う題材のためだと巷の評判でしたが、「クラッシュ」と両方観た私の個人的な感想は、題材のせいではなく、作品の出来も「クラッシュ」が上のように感じ、前評判の割には肩透かしでした。時々あるんです、こういうこと。今回は少数派の感想でネタバレ含みます。

1963年のアメリカ・ワイオミング。羊飼いの季節労働者として雇われた若者イニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク・ギレンホール)。厳しいブロークバック・マウンテンでの二人ぼっちの労働は、やがて友情から愛情に変わります。下山して二人は別れ、イニスは山に登る前からの婚約者アルマ(ミッシェル・ウィリアムズ)と結婚し、二人の娘にも恵まれますが、生活は厳しいものでした。そんな時4年ぶりにジャックから会いたいとの手紙が来ます。ジャックにも妻ラリーン(アン・ハサウェイ)と息子がいましたが、再会で二人の激情は募ります。以来人目を忍び、年に数日二人だけの時間を持つことだけが、彼らの生きがいとなるのですが・・・。

前半は山での労働場面の厳しさを丹念に描いています。山の風景は雄大なはずなのに、孤独と閉塞感を感じさせ、彼ら二人だけの世界であると自然と納得させられます。しかしそれでも尚、私には二人が結ばれるきっかけが唐突に感じました。しかしのちの描写で、誘いをかけたジャックは元々ゲイであったようだし、イニスの方は、幼い時父親からゲイは恥ずべきことだという強烈な刷り込みのため、自らの性癖を心の底に封印していたのかと思い、ここはまず問題解決。

しかし再会後がなぁ。イニス家の金銭的な厳しさ、そして子供は可愛さよりも煩わしさの方に焦点を合わせた演出でしたので、ジャックをひとめ見るなり激しいキスをするイニスに、ジャックと結ばれた時にはなかった嫌悪感が私を包みます。これってジャックへの長年秘めた愛ではなく、苦しく夢のない生活からの逃避ではないんでしょうか?年若く遊んだこともあまりなく結婚した彼には、大黒柱でいることには息苦しさもあったでしょう。しかし人の親となるにの年齢は関係ありません。生活の苦しさからパートに出る妻には、急に仕事になったからとみる予定だった子供達を、パート先まで押しかけて渡すのに、ジャックとの逢瀬のためには平気で仕事を休むなど、妻アルマは夫の秘密を知った時どんなに辛かったろうと、とても同情しました。

ジャックの方も妻ラリーンが資産家の娘だから近づき、「生活のため」の結婚であるとイニスに告白します。これは俗にいうカモフラージュ?「そうするしか仕方なかったんだ」って、彼はロデオ好きと描かれていましたが、自分に才能がないと認めて、どんな仕事でもする気なら、自分の口くらい養えるだろうが?それで自分の性癖まで曲げるなんて、とっても女々しく私には思えました。ふと同じリーが母国台湾で監督したゲイテイストの作品、「ウエディング・バンケット」で、女性を妊娠させたパートナーに、「寝たことが悪いと言っているんではない。僕が怒っているのは、妊娠させたことだ!」と激怒した潔さが思い出されました。舅がいやな親父に描かれていまいしたが、結婚の動機が動機なので、親に嫌われても当然の気が。それがイニスへの想いに拍車をかけたのは理解出来ますが、やっぱり反省すべきは自分じゃないでしょうか?これも観客のジャックへの同情ポイントに描かれている感じですが、その手に落ちない私は、ここでも置いてけ堀です。

人知れずの忍ぶ恋の演出なのですが、年に数回、それも泊りがけで釣りだろうが狩りだろうが一緒に連れ立ってなんて、普通の男女の間柄で通用するとは思えません。ゲイは辛いのはずが、男女の秘めた関係より大っぴらな行動に感じ、私はもっとストイックなゲイの純愛を想像していたので、結婚するわ年に何回も逢瀬は出来るわ、なんだ好き勝手やっているではないかと、とても肩透かしでした。その他イニスは離婚後ジャックとの関係を続けながらまた女性と関係するし、ジャックもメキシコで男を買ってイニスと会えない渇きを癒したり、牧場主の妻と浮気するなど、節操のないバイセクシャルに感じます。

どんな理由であろうと、同性愛であろうと、家庭を持てばまずはその幸せ優先なのではないでしょうか?あんな不実な男達には、例えどんな悲恋であっても、とても同情出来ません。同性愛を普遍的な愛の物語に昇華しているという評判は、私には当時理解されず差別されたゲイを隠れ蓑にして、切ない悲恋に感じるよう作られたように思いました。ゲイなのに違和感がなかったのではなく、ゲイだから可哀相に感じた人が多かったんじゃないの?これが異性同士で描いたのであれば、こんなに賞賛された作品でしょうか?

私の感受性が無粋であろうがなんであろうが、こうなりゃイニスが離婚後、これで彼と暮らせると思ったジャックが、イニスにダメだと言われての涙も、全然胸に響いてきません。また女々しい感じ。だいたいイニスも妻の変化は自分の秘め事を知られたからと、全然頭にもない鈍感さに腹が立ちます。「こうなったのは、全部お前のせいだ!」とジャックに涙ながら訴えるのも、ここも切なさポイント高しなんでしょうが、私にはまた女々しい。なんで相手のせいにする言い方をするかなぁ。

軸には腹が立つことが多かったのですが、出演者は全て好演でした。特に良かったのは二人の妻。ミッシェル・ウィリアムスは童顔の幼な妻容姿から、貧しい家庭を切り盛りする所帯やつれや、夫の同性愛を目にした時のショックなど、私が一番感情移入したキャラでした(当たり前か)。アン・ハサウェイも、キュートで可愛い彼女のイメージから脱皮した、仕事にやり手の妻を好演していました。主役二人も好演だったと思いますが、如何せん私はちっともこの二人が好きになれなかったので、あまり書くことはありません。

ラスト、亡くなったジャックの両親を訪ねるイニスへの、彼の両親の接し方が印象的です。息子の性癖を知る両親は、イニスにも冷たい態度ですが、イニスが心から息子を愛していたと感じると、母親は態度を軟化、息子の遺品を快くイニスに渡し、「また来て頂戴ね」とねぎらいます。相手が同性であろうとも、息子の愛した人だったと受け入れています。対する父は、最初はジャックは我が家の墓に入れんと言いますが、それは同性愛の息子のことを、決して許さないという世間体を慮った言葉だと思いますが、イニスの気持ちを知るとやはり態度は軟化。しかしジャックの遺言で、遺灰はブロークバックに撒きたいというイニスの申し出は拒否。我が家の墓に入れると本音を言います。どんな不道徳な息子でも、自分の子供である可愛さには変わりはないが、ゲイとしは認められないと見えました。男親の感情としては、わかりやすかったように思います。この辺は時代が21世紀に近づく「ウェディング・バンケット」で、息子のパートナーを「息子の愛した人は、私の息子だよ。」という父親のセリフに感激した私には、この作品の時代の、厳しい偏見を垣間見た気になりました。

前半は問題もあまりなかったですが、後半でかなり玉砕しました。しかし丁寧な演出に、私が女々しいと感じた部分で心打たれた人も多かろうとは理解出来ます。私にはあんまり縁がなかった作品ですが、これだけ話題になった作品ですので、やはり自分の目で確かめられて良かったです。


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