ケイケイの映画日記
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2006年03月18日(土) 「エミリー・ローズ」


木曜日に飛ばして観てきました。予告編では「エクソシスト」のノリの、CG多用のオカルトもんかと思いきや、全然違いました。予告編は客寄せだった模様。アメリカでは広く深く浸透する、神に対する信仰心を真摯に問う作品で、実際にドイツで起こった事件を元にしての法廷劇でもあり、まさか感動するなんて思ってもいませんでした。画像はCMで使われたワンシーンで、「悪魔のイナバウワー」と呼ばれ、人気なんだそうです。

アメリカのとある片田舎。女子大生のエミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)が悪魔憑きにあったとして、教区のムーア神父(トム・ウィルキンソン)が呼ばれ悪魔祓いをしますが失敗。エミリーは亡くなります。検察はエミリーは精神病だったとし、薬の服用を止めたムーア神父を過失致死として起訴。スキャンダルを恐れた教会から弁護を依頼されたのは、野心家の女性弁護士エリン(ローラ・リニー)。彼女は自分を不可知論者だと言いますが、ムーア神父の弁護を法廷でするうち、彼女自身が不可思議な体験をするようになります。

法廷ではエミリーは精神病なのか、本当に悪魔が取り憑いたのかが焦点となります。検事は高名な医師を証人に呼び、科学的に彼女の病を解き明かそうとします。ここは非常に丹念に解説し、彼女の凄まじい様子もきちんと科学的に証明出来るのだと納得出来ます。対するエリンは、神の存在も悪魔の存在も信じていません。不可知論者というと、否定まではしないということでしょうか?しかし弁護をするうち、彼女の身の上にもエミリーと同じ不思議なことが起こり、次第に神父の考えに傾斜していく過程も、充分に時間をさいて描き、納得出来ます。

特にエリンが自分の功名心のために弁護し、釈放させた凶悪犯が、再び犯罪を犯し、自分の仕事に疑問を持つシーンは効いていました。悪魔、神、信仰の真っ只中にいることで、エリンの良心が目覚め始めるのですね。対するキャンベル・スコット演じる検事はクリスチャンでありながら、若い命を散らしたエミリーの無残な死に様に、職業上の正義感を燃やす様が好感を呼びます。次第に悪魔を否定するクリスチャン、肯定する不可知論者の構図となり、この対比も面白かったです。そして観客も陪審員の目線で、この裁判の行方を見守るよう作ってあります。

真摯にムーアの罪を問う法廷劇が続く中、どうしても重たくなりがちな作品を救うのが、ジェニファーの悪魔憑きの演技です。「エクソシスト」のように特殊メイクやCGは極力排し生身一本勝負。まだ20代半ばの新進女優ですが、これからの女優生命は大丈夫かと心配するほどの形相での大熱演です。これだけだとあんまりなので、チャーミングな彼女もご覧下さい。

私が感動したのは、何故悪魔が彼女に取り憑いたか、ちゃんと説明が出来ていたからです。

以下ネタバレ***************














ムーア神父は法廷で証言することに固執しましたが、その理由はエミリーが彼宛に残した手紙にあります。彼女は苦しんでいる中、マリアに出会い、自分が悪魔に憑かれたのは、悪魔の存在を他者に知らしめるからだと教えてもらいます。そして苦しいのなら、私の元にいらっしゃいというマリアに、エミリーは再び自分の肉体に戻ること希望します。エミリーの取った崇高な行動に私は深く感動。私はキリスト教はわかりませんが、彼女は罰を受けたから、また悪事を働いたからではなく、神に愛され選ばれたから悪魔が取り憑いたのだと解釈しました。エミリーならば、この苦痛に耐えられると。悪魔の存在を他者に示すのは、大変な戒めになるはずです。肉体は精神の器という言葉を噛み締め、生死は神の御心のままなのですね。

判決は有罪。しかし陪審員の提案の量刑は判決日の今日限りというのを、裁判官も支持します。このあたりはものすごく納得。法廷では科学的裏づけでエミリーの症状が解明されている限り、悪魔の存在は否定されるのは妥当です。しかし自分がたとえ刑務所に入れられようとも、強靭な信仰心を持った神の子エミリーの存在を知らせたかったムーア神父の愛が、人々の心を動かしたということで、見事なお裁きだったと思います。良心に忠実な弁護士として生まれ変わったようなエリンの様子も挿入し、鑑賞後、私もエミリーの愛に包まれたような気になりました。


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