ケイケイの映画日記
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2006年01月19日(木) 「スタンドアップ」


本年度ゴールデングローブ賞主演女優賞(シャーリーズ・セロン)、助演女優賞(フランシス・マクドーマンド)ノミネート作品。この調子でオスカーもノミネートか?ということころですが、もうこの二人にあげちゃって下さい、お願いしますよ!というくらい胸を熱くさせられました。女性なら誰でも共感や賛同出来る作品ですが、男性にも受け入れやすく作ってあるところが、単なるフェミニズム映画とは一線を画していると思います。20年足らず前のアメリカの実話が元になった作品です。

夫の暴力から二人の子供を抱え、故郷の北ミネソタに帰って来たジョージー(シャーリーズ・セロン)。子供の父親が違うことで、ふしだらな女と烙印を押された彼女は、隣近所は元より父親からも疎まれます。自立して実家から出たいジョージーは、幼馴染のグローリー(フランシス・マクドーマンド)から、鉱山で働かないかと誘われます。父もグローリーも働く鉱山は、男ばかりのきつい環境ですが、今の収入の6倍稼げることもあり、ジョージーは鉱山で働き始めます。しかしそこは信じられないほどの男性本位の世界で、壮絶なセクハラを女性たちは受けていました。

日本でもこの頃、ジョージーのような女性はたくさんいたと思います。アメリカの田舎町は日本以上に保守的だと聞いていましたが、これほど世間の風当たりは厳しくなかったように思います。母の不行跡が大っぴらに子供にまでそれが及ぶなども、あまりなかったように思います。子供を連れ顔に大きな痣を作って実家に戻ってきたジョージーは、夫の暴力の耐えかねては一目瞭然なのに、父親は「浮気がばれて旦那に殴られたのか?」の一言に、私は唖然。それまでの父娘の確執が一気にわかります。

しかしジョージーのような美貌の女性が、男に媚を売る仕事を選ばず、お金のために過酷な肉体労働を選んだことに彼女の心が表れているのに、何故こんなに理解者が少ないのか、そのことにまず憤りを感じました。彼女は父の違う子を産み、これからは男性に依存せず母親としてだけで生きていこう、そう思ったに違いありません。それは同じ鉱山に働く女性たちも同じ。それぞれお金が必要な事情を抱えていなければ、普通の男性でも辛い仕事は選びません。同性の私にはとても立派な心栄えだと感じるのに、鉱山で働くことは「男女」と言われるのです。字幕はこれですが、セリフは「レズビアン」のようでした。アメリカではひどい差別語だと聞いたことがあります。

鉱山内での数々の信じられない嫌がらせはもう虐待に近く、観ながら私の顔は鬼のような形相になっていたかもわかりません。それほどひどい。「女が男の仕事を奪おうとしている」「仕事が減り給料が減ったので、鉱夫たちにははけ口が必要だ(それがセクハラ)」など言う信じられない上司を初め、この無教養な鉱夫たちですが、これは過酷なブルーカラーで学がないからでしょうか?それだけではない群集心理、自分の辛さから逃げるためその下の者を作り、いたぶることで安心する差別の気持ち(「ミシシッピィ・バーニング」で学ぶ)、何より男性全般に大なり小なり潜む心を、ある意味遮断された閉鎖的な鉱山の中なので、彼らは表しやすかったのだと、女性監督ニキ・カーロの演出からは感じられました。

しかしこの聡明な監督は、男性の演出にも目配せが効いています。女性鉱婦たちのまとめ役グローリーの夫カイル(ショーン・ビーン)は穏やかな優しい人で、妻の友人であるジョージーの人格を尊重して接します。実は私が一番大泣きしたのは、ジョージーの息子サミーが母を憎むのを、カイルが大人としてではなく、「友人として」サミーの心を尊重しながら諭すシーンです。優しい夫ぶりとともに、彼の人柄が表れていました。そして訴訟を起こすジョージーの弁護士を務めるビル(ウッディ・ハレルソン)しかり。最初流れに身を任せるようジョージーに語る彼ですが、彼女に触発されたように、昔の正義感の強かった清廉な自分を取り戻し彼女を支える姿に、とても嬉しくなりました。他も女性たちを助けたいのに、仲間はずれが怖くて実行出来ない男性を描くなど、決して男性全てを紛糾しているわけではありませんでした。同じく女性監督コリーヌ・セローの「女はみんな生きている」では、出てくる男がアホかバカか悪党ばかりで、そのため共感出来きれずに終わりましたが、ここがカーロの語る「女性を描いたのではない。人間を描いたのだ」という部分でしょう。

しかしちょこっとツッコミもあり。
***************以下ネタばれ(後にも文章あり)












法廷でサミーは高校時代の教師との間で出来た子だと暴露されます。これはレイプなのですが、会社側はジョージーが昔から早熟でふしだらだと印象付けたいのですが、たとえレイプの目撃証言がないにしろ、普通生徒に誘惑されようが、手を出す教師が悪いのではないでしょうか?コイツは「元教師」と紹介されていたので、他にも叩けば埃が出るだろうし、辞めちゃったのはそのせいでは?当時の教え子に聞いて回ってもしかりです。これを会社側の隠し玉にするには無理があります。普通あれくらいの大規模の会社の専任弁護士であれば、それくらいわかるはず。

これは鉱山の同僚ボビーの「寝返り」証言で勝利に持って行きかったから?この寝返りにしても、説得力が薄く感じました。そしてジョージーの父の娘への急変にも戸惑います。妻(シシー・スペイセク)の置手紙に鍵がある演出ですが、それ以前に彼だって口とは裏腹、内心は娘可愛さと封建的な考え方との間で葛藤があったはず。その辺の演出が薄いので、娘をかばう組合でのあの演説も、父親ならもっと早くかばえ、おい!と思い、イマイチ盛り上がりませんでした。










***************ネタバレ終わり***************

と、かように訴訟が始まってからの展開に多少疑問があるのですが、これは大変心に響く作品であるがための欲であると、ご理解いただきたいです。この作品には私は惚れました。会社側の弁護士が女性なのは、ありゃー皮肉でした。原題は「NORTH COUNTRY」。しかし邦題の「スタンドアップ」の方が意味が深く、この作品に合っているように思います。

シャーリーズ・セロンは、息子との関係に悩む姿、鉱山での気の張った様子、心から信頼し合うグローリーとカイルを見て寂しさを滲ます表情など、本当に上手かったです。ハリウッドでは美人のブロンドは別の意味で偏見の対象ですが、「モンスター」に続き、ただの美人女優で終わるもんかの心意気が伝わり、ジョージーとかぶります。キャストもスペイセク、マクドーマンドのオスカー女優、ビーン、ハレルソン(二人とも大好き。誠実な男性役なんかめったにない人達なので、すごく嬉しかった)など、深みはあるけど重くない演技巧者を集めたアンサンブルも良かったです。

グローリーの会社側や男性への態度は、男の世界へ飛び込んだパイオニアとしてのお手本のような感じでした。男の下卑た誘惑には毅然として接し、他は慎み深く相手を立てる。これは男女両方へ信頼される接し方でしょう。しかしその信頼は、彼女が「夫持ち」の女性であったことも一因していたはずです。独身女性、シングルマザーへの偏見が少しでもこの作品で減ることを祈りたいです。そしてどちらが勝るというのではなく、男性女性全てがお互い尊重できる世の中でありますように。



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