ケイケイの映画日記
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2004年07月22日(木) 「MAY-メイ-」

春頃この作品の噂を聞いて、ずっと待ちに待って観た作品です。そういう事を書くと、少々人格が疑われそうですが、これは私が結構好きな猟奇的なホラー作品です。作品の質や全然噂にも上らないので、ひっそり天六のホクテン座かユウラク座かなぁと思っていましたが、何と大阪の中でもマニア受けするミニ・シアタアー、十三第七藝術で公開です。そういえば自傷マニアの女性を描く作品、「イン・マイ・スキン」もここで公開でした。見逃して残念。

小さい頃から弱視で、海賊のようなアイパッチをしていたため、廻りからからかいの対象となり、以来友人も出来ず大人になってしまった若い女性・メイが本作の主人公です。今は動物病院に勤めていて、手術の腕など獣医以上です。

幼い頃の彼女が描かれるシーンで、そんな娘を不憫に思った母親が、自分の手作りだと言う人形を、今日から親友だと思いなさいとメイに与えます。しかし、お母さん、あなた神経は大丈夫ですか?というくらい、この人形が不気味なことこの上ないのです。メイを愛してやまない両親の様子とこの不気味人形の対比で、メイは歪な溺愛の仕方で育ったことがわかります。そしてメイは、それ以降この人形にスージーと名づけ、生きているかのごとく接するのです。

そのせいか大人になったメイは愛らしい容姿なのですが、どこから見ても怪しいというか、あぶないというか、これでは友人も出来ないだろうと納得出来る雰囲気です。ただ演じるアンジェラ・ベティスの好演が、上っ面だけ見ないで、ちゃんとメイの内面(いや、これもあぶない)と言うか、純粋な面を誰か理解してくれないのだろうかと、彼女を案じさせてしまいます。

そんなメイにも好きな男性が現れ、やっとのことでデートにこぎ着けます。
手術で縫ったり切ったりする以上に、メイは洋裁が得意です。少しでも可愛く見えるようミシンを走らすメイ。数々のメイ自作の服が出てくるのですが、全てセンス抜群。彼女が洋裁が得意と言うほかに、人より優れた感受性の持ち主であることも感じさせます。

この男性・アダムは自動車修理工なのですが、部屋に行くとヘンテコな猟奇的な小道具やポスターがいっぱいのオタク青年。しかしオタク文化は日本の方が進んでいるそうで、アダムはあくまで明るいアメリカのニセ猟奇オタクです。アダムが趣味で撮っているカニバリズムの映画を一緒に観たメイは、彼に好かれたい一心で、映画と同じような行動を取り、当然アダムはドン引き。空想と現実は別物と言うのは、普通に他人と交わって生活してきた者の考え方ですが、他者と接する機会がほとんどなかったメイにはそれがわからず、何故嫌われたかもわからない。傷心のメイに、彼女の変わった風情に興味を持ったレズビアンの同僚が近づき関係を持つのですが、これが尻軽女で、メイの心の傷は深くなりばかりです。

自分だけを見て、自分だけを愛してくれる親友が欲しい、人形のスージーでない本当の親友。なら自分で親友をつくればいい。そう考えた彼女は、アダムや同僚など、次々殺害して彼らの素敵だった手や首や足を切断、それをつないで親友を作ります。

理想的な親友を作らんがため、あくまで今まで自分の生きてきた狭い狭い世界の中で、気に入ったパーツを持つ人たちから拝借するのであって、自分を捨てた、裏切ったという復讐心でないところが哀しいのです。殺すシーンや解体シーンはとても静かに演出され、さすがに血は大量に映りますが、絶叫や阿鼻叫喚は皆無。そのものズバリのシーンはありません。正直少し物足りないかな?くらいの演出なのですが、これくらい抑えた演出が、ラストではとても生きてきます。

ラストあっと驚くエンディングが用意され、猟奇的ホラーではなく、猟奇的ファンタジー映画へと、この作品の印象は一変されます。
観終わったあとグロい場面も数々あったのに、印象に残るのは、本当は純粋で感受性豊かなのに、不器用で愛し方・愛された方がわからなかったメイの、哀しく切ないみなしごのような孤独な心です。

この手の作品を輝かせるには、監督の主人公への思い入れが重要ではないかと思いますが、初監督作のラッキー・マッキーは、メイと言う女性への愛がとても感じられます。主演のアンジェラ・ベティスは、細部に渡るまで繊細にメイの心を表現し、きっと彼女の代表作となるでしょう。アダムを演じるジェレミー・シストがちょっとトラボルタに似ているので、母娘の歪な愛が同じようにモチーフだった「キャリー」を思い出しましたが、テレビ版でリメイクされた「キャリー」で、ベティスは主人公を演じたそうです。今後もホラーが続くそうですが、シシー・スペイセク同様、ホラー以外でも輝く演技を見せてくれる女優さんに、是非なって欲しいものです。


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