ケイケイの映画日記
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2004年06月11日(金) 「ハッピーエンド」

「あなたのからだが今も好き」この刺激的なコピーと、主演のチョン・ドヨンとチュ・ジンモの激しいセックスシーンばかり話題になっていますが、母性や妻、そして女としての主人公の心模様が丹念に描かれているので、際物的でない秀作として観る事が出来ます。

冒頭から二人の全裸のファックシーンがいきなり出てきてさすがにびっくりするのですが、こちらにまで汗が伝わって来そうな生々しさで、特にチョン・ドヨンには、相手を貪り尽くす勢いを感じてしまいます。韓国ではトップ女優が脱ぐのは御法度で、「情事」のイ・ミスクのヌードは吹替え、「ディナーの後で」のカン・スヨンは、ヌードなしで濡れ場を演じていたので、ドヨンのこの思い切りの良さには感心します。事実このシーンの強烈な印象が、後々までドヨン演じるボラの気持ちを理解するに役立つのですから、ただの客寄せシーンではなかったと思います。

ボラは幼児向けの英語学院の院長で、仕事、生後5ヶ月の娘、失業中の夫を抱え、そんな多忙で心身ともに疲れ果てている中、再会した昔の恋人との刹那の逢瀬を楽しむ事で、心と体のバランスをとっています。失業中の夫は、昨年「パイラン」でも情けない中年男を演じ、絶妙の演技で何故か共感も同意もさせられてしまったチェ・ミンシクが演じています。古本屋でいつまでも立ち読み(座り読み)する様子、仕事を断られた時の表情、妻にいつまでも無職でいることをなじられる時の受け答え、夫婦の性生活での鈍感さに、情けさや卑屈さと同時に、男としての悲哀も感じさせます。

こんな情けない亭主なら、浮気の一つもしたかろうと、多少ボラに同情的な私でしたが、話が進むにつれ、元恋人との復活は、「ヨニ(娘)は自分の子」と主張する愛人の言葉に、娘を妊娠する前にさかのぼるとわかります。
これはどうした訳か?

愛人はかつて、ボラとの結婚を望んでいたのに、彼女がふったと冒頭でわかるのですが、それは自分の夫として彼はふさわしくないと思ったからでしょう。しかしふさわしいと思っていた今の夫は、見る影もない情けなさ。彼女くらいの甲斐性があるなら、夫と娘を養うことも出来ます。しかし夫として父として、彼女には無職の男は許せない。

ずっと観ていて感じていたのですが、ボラは愛人の「あなたの体が好き」ではなく、「あなたの体も好き」なのではないでしょうか?ならばどうしてボラは、夫と離婚して愛人の元へ走らないのか?愛人に対しては、「あなたに何もしてあげられない。だからあなたの前を通り過ぎるだけの女でいたい。」と、充分な愛情を感じる彼女ですが、夫へは罪悪感は感じても愛情は感じられないので、よけいそう思ってしまいます。

思うに、やはり娘は夫との間の子なのでしょう。この娘の役の子が、あまりにふてぶてしく赤ちゃんらしい愛嬌のない子で、寝顔などけんかを売っているようにも見える子なのですが、子供が乳児の頃にする表情は、母親が
妊娠中に抱えていた感情が表に出ると聞いたことがあります。笑顔一つないこの子の表情に、妊娠中のボラの心模様が表現されていたのでしょうか?

ボラは仕事をしているため、母乳を与えていませんでした。母親にだけが出来る仕事は、赤ちゃんに母乳をあげること。もしボラが娘におっぱいをあげていたら、睡眠薬やら、蟻の入ったミルクを与えることはなかったでしょう。それ以上に、愛人とのセックスよりも大切な物が見えたはずです。

社会で成功し、「私が稼いでいるのだからあなたが家事をして当然」と夫に言い放ち、母性より女を優先させる彼女も、やはり平凡な家庭の幸せを踏みにじることは出来なかったのですね。ラストの提灯を追いかけるボラの姿は、平凡な主婦としての幸せをつかめなかった彼女が表されていたと感じます。

あっと驚く夫の復讐劇で幕を閉じるこのお話ですが、失業中でも夫は夫、何でガツンと男の意地を見せなかったのか?ボラはボラで、罵るより前に夫に自分の素直な気持ちを言い出せなかったのか?一見夫婦のセックスの不一致と、女性の性欲を浮き彫りにする事がテーマに感じる作品ですが、実は素直に自分の気持ちを相手に伝えられない、夫婦にはとてもよくある話を刺激的に描いた作品でした。


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