♀つきなみ♀日記
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2005年03月25日(金) 辞書を疑う@語源から見る言葉の変化もう一回だけ(^^;;

年度末を向かえって言うか、年度替りも近くて、ちょっと疲れ気味のつきなみ♀です。

ってことで、前回の日記が言葉足らずだったのでちょっと整理。

1.語源がはっきりしていて常用されており、単に語呂だけで使われる言葉
は、現時点では「誤用」。但しそれが大勢となれば「変化」
2.語源自体が曖昧で、時代によって意味が変化してきた言葉は、
 10年前と大多数の理解する意味が違ってくれば「変化」
3.漢字の読みに対する変化は、発音の変化と連動するべき。
4.地方により発音の異なる「方言」に漢字があてらる際には
一概に誤用と決めつけず、研究の対象とすべき。
5.国語審議会から、又引き辞書と、思い込みの薀蓄本ばっかり書いている
 ****大先生を外せ(私的暴論)

って感じかな。
ずいぶん前に、私の別日記で書いたことがあるんだけど、私は基本的に「国語辞書」を信じていない。

さすがに、広辞苑と大辞林と大言海については、曖昧なことの殆どは両論って言うか、各論が併記されているので役に立つこともあるけど、ちっちゃい辞書は、正直、語源や故事成語、ことわざ系、そして風俗変遷の記述は嘘ばっかで、又引きって言うか、思い込みで昔の辞書や旧版を張り合わせたものが余りにも多い。でかい辞典でも、大辞泉はえーかげんな記述多いし。

これは現在の新聞の問題とも同根で、誤った思い込みを、「辞書」「新聞」という物が持つ、「事実」あるいは「正しい」と言った先入観って言うか「権威」で飾って、最近の各種学力調査やTV番組で、えーかげんな言葉の「正当性」を押し付けるってのがすげ〜〜〜〜〜〜嫌なんだよね。言葉は生き物だ。

例を挙げると切りが無いんだけど、この前の調査で例示された

「綸言汗(あせ)の如(ごと)し」なんだけど

(引用 大辞泉・小学館)
「漢書」劉向伝から》天子の言葉は、出た汗が体内に戻らないように、一度口から出れば取り消すことができない。

(引用 大辞林・三省堂)
りんげん 0 【▼綸言】

天子・天皇のことば。みことのり。〔「礼記(緇衣)」による。「綸」は組糸。天子の言は発せられた時は糸のように細いが、これが下に達した時は組糸のように太くなる意〕

――汗(あせ)の如(ごと)し

〔漢書(劉向伝)〕出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いこと。

って書いてあるんだよね。
これなんかは、典型的な又引きで、ある意味出典を書くことで、「あぁ、なるほど、漢書・劉向伝って書物に、綸言汗(あせ)の如(ごと)し」ってのがあって、それがこの言葉の出自なんだなぁ」と思わせる。大辞林の方がちょっとましではあるんだけど、やっぱこの成句はこれが出典だと読み取れるよね。

恐らく、この編者はどちらも原文を読んでいない。過去の権威ある辞書にこう載っていて、原典に関係していることぐらいは確かめたかも知れないけど、そこ止まりだと推測できる。

何故なら、「礼記(緇衣)」の記述は(読み下し文は私です。

「王の言は、糸の如く、その出るや、綸の如し。
 王の言は、綸の如く、その出るや、綍の如し。」

と成っていて、これをざっぱに現代語にすれば
「王(偉くて権威があって、影響力のある人」の言うことは、(本人が何気ないつもりでも)最初は糸のつもりでも、(口から)でれば綸(組紐)くらい太くなっちゃって、組紐ぐらいのつもりだと、綍(太っい、なわれた縄/組紐の巨大な奴っていうか、綱引きの縄の糸版を想像してください)みたいに受け取られちゃうよ」

ってのが書いてあるだけで、ここから転化してして「綸言=王の言葉」になったんだよね。

じゃ、「漢書・劉向伝」ってのはなんじゃいってことんんだけど

こっちに書いてあるのは

「号令は、汗の如く出でて(イデテ)返らざるものの如くなり」

ってことだけで、読んで字の如く、号令(その当時の語彙としては、上位者が下位者に対して下す指図・命令)で、一回指示しちゃったら、出た、あるいは流れた汗みたいに、絶対元には戻らない。(から、良く考えてから、指示しなくちゃ)

って事だけなんだよね。

それぞれの言葉の根拠って言うか、語源の解説でしかないのに、これが「綸言如汗」って、見てくれのいい文字面で、いかにも昔からある成語みたいなんで、原典あたらずに書いてるのがミエミエで、大辞林の説明だと、「綸言」の語源が「礼記(緇衣)」にあって、「綸言如汗」が「漢書・劉向伝」にて成立したようにも読み取れる。

なんで、こんな事が起こっているかと言うと、セックスについて「接して漏らさず」つまり、入れても出すなの(^^;;言葉で一部で有名な、養生訓の貝原益軒の養子の好古(1664〜1700)が残した書物に「諺草」があり、17世紀末期の語源研究はこれに頼り切っていたせいなんだよね。

実は、この書物には、前述した、「礼記(緇衣)」「漢書・劉向伝」はキチンと併記してあって、いかに、その後又引きする時に原書から離れていってしまったかが、良くわかる。この本には、「綸言如汗」の語源は載ってないんだよね。

好古には「和爾雅」という8巻9冊にのぼる、中国の「爾雅」に準じて作った、八卷を(一)天文から(二十四)言語まで二十四分類して單語を挙げてその名義・性質を注釈・解説してある書物もあるんだけど、これも使いやすいんで、パクリ元になってるんだよね、それも肝心な部分は捨てちゃって。

そして、キヨスクで売ってるようなパクリばっかの薀蓄本では、堂々と故事成語として「綸言如汗」が載っていたり、ことわざ辞典の殆ども、故事成語として中国から来た言葉として載っている。

日本では13世紀の管蠡抄(撰者・菅原為永1158〜1246)
「天子は戯言なし。綸言汗の如くなれば、天子は仮初にも戯言せず」
という表記が確認されているので、間違いなくこの時代には使われてはいた。

ところが、義経記(1300年代後半成立 1400年代の異説あり)に至ると
「弓矢取る者の言葉は綸言に同じ」の言葉が確認でき、「綸言」が天子から「武士」に格下げになったことが窺がわれ、江戸期のいろはがるたに至っては、「元にもどらない」という台詞の、嘘をつく事に対する戒めのニュアンスの含まれた時代掛かった大げさな言い回しとして、現れていて、それ以外の江戸期の文献にも、どちらかと言えば、冷やかしに近い語感になっている。

それがまた、今の重々しい語感に復権したのは、まさに「語源主義」によってであって、しかもその語源の考察はいーかげんと来てるんで、なんじゃこりゃって思うんだよね。

ふぅー。

ってこんな硬い長文誰が読むんだろ?<=こらこら!


ってことでまたね!

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PS:付記しておくと、この記述に文句や批判がある方は、典拠及び論文名を明記した場合のみ、論争に応じる用意があります。市販の一般書籍を根拠にして思い込みで書かれても、不毛なんで。

僭越で申し訳ありませんがよろしくお願い致します。


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