♀つきなみ♀日記
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2005年02月05日(土) 節分と正月の関係。暦と行事とはなんじゃい?

ってことで、3日遅れのネタでどーもすみませんby林家三平師匠(古)

今年は、コンビニの陰謀で「恵方巻」全国制覇元年となって、また日本にへんてこな行事が定着しちゃいましたねぇ。ぷんぷん。なんで、巻き寿司、恵方に向かって食わなきゃならないねん。TVでも、「花柳界のしきたり」とか適当なこと言ってるけど、典拠はなんにもないんだよね。そもそも、板海苔が一般化するのは、江戸中期以降(1700年台)であって、それ以前には、巻寿司自体が存在しない。ハッキリしているのは、大阪の海苔商組合が最初のポスターを作ったことだけで、それ以外に根拠は無い。て巻寿司自体は美味しいし、好きなんだけどね。

それはともかく、節分と正月の関係について、ネット上で書籍の安易な又引きがあまりに目立つので、一言だけ。

「日本の風習」系の書籍で、すべて納得できるものは殆ど無い。なぜそんなことになっちゃうのかと言えば、典拠を明らかにせず、フィールドワークや伝承採取から安易に書き起こされたものも多くて、しかもそれを信じ込んだ、あるいは無断引用したネット上の、風習について垂れ流すサイトも後を絶たない。

では、今回の新年の概念について言えば、はっきりと定説になっている事だけを挙げると、西洋では

1.各考古学的に初出する古代歴の新年は、メソポタミア暦(春分)ギリシャ暦(夏至)ローマ暦(春分)で、暦の基となるのは、天文観測となっている。
2.月の運行と、太陽の運行を併せた太陽太陰暦は、紀元前18世紀頃の古代バビロニア王国で作られ、月の満ち欠けと年始が19年ごとにほぼぴたりと合うように、19年間に7個の閏月を入れる。 新年はおなじく春分の日近くに新月の日とする。
3.有名なユリウス暦(紀元前46年)が制定され、4年に1日閏日をいれることにより1年は365.25日となり、年初は1月となったが、現在の暦に比定すると、春分の2ケ月前、1月22-3前後が新年となる。
4.ユリウス暦制定時のローマでの宗教は、太陽の神ミトラを祭るミトラ教で最大の祝祭は、冬至の日に入滅したミトラが復活する12月25日だった。その後、ローマもキリスト教化して行く中で、キリストの生誕日として転嫁し、325年のニケア公会議生誕日として公認され、その後ユダヤ教で定める8日目の割礼日を、1月1日に定め、新年とする(デュオニシオスの525年の著書)
5.ヨーロッパが現在の西暦(AD)でほぼ統一されたのは10世紀頃。

では、中国と日本ではどうかと言えば
1.西洋と同様19年7閏法が確立されたが、時期は紀元前5世紀頃だと思われる。
2.季節をあらわす指標として前漢の頃、月の満ち欠けに関係しない24節気が一般化し 太陽の黄経が315度になる日を立春とし、これを「年の初め」とした。つまり、暦上の「1月1日」と新年は一致しない。
3.晋代(西暦265〜)になると、暦法を標準化し、太陽太陰暦で全ての公式行事を行う事となり、新年は1月1日に固定される。
4..日本は推古天皇の604年、中国の元嘉暦を採用したのが、正式な暦の最初で、以降、679頃儀鳳暦、764年大汀暦、862年宣明暦、1685年貞享暦、1843年天保暦、そして1872年から現在のグレゴリオ暦を採用している。
5.では、日本での新年とはいつかと言えば、暦を使い出した時から、春分を含む月か、春分に一番近い新月が1月1日の年始となっている。

では、何故正月料理を「御節(おせち)」と呼んだりするのかと言えば、これは行事の集合離散であって、新年が立春だったわけでは無い。
二十四節季の中で太陽の復活を祝う、立春祭の前夜祭が節分であって、四節季は全て節分として祝われていて、その中で最大の祝祭が、立春の前の節分だった。

旧暦だと節分、立春の後に新年を向かえる年が殆どで、節分の豆まきを始めとする行事の由来は、諸説あるけど、中国の周王朝時代に編まれた「周礼」にのっとり平安時代に毎年大晦日(一説には28日)に行われた追儺(ついな)の儀式が元になっていると言われ、この行事は江戸期以降節分に移行されていく。

「儺」の字は「おにやらい」とも読み厄災をもたらす邪鬼を追い払う行事に他ならない。当時の「鬼やらい」は12ヶ月それぞれの疫病神を表す12匹の鬼に扮した鬼役と、松明をかざしてそれを打ち据える役が立ち回りを演じる物で、豆を撒く習慣は無かった。また原形はやはり五行を元にした形であった。

豆を撒く習慣は「豆占」という古来からの農耕行事があり、これは節分の夜に12ヶ月になぞらえた12個の大豆を灰の上に並べてその焼け具合によって、月々の天候と作物の豊凶を占っていた。この行事は現在でも一部地方には独立した形で残っていたりもする。

この二つの行事が融合して一説には鎌倉中期一説には室町初期に民間へ広まり、江戸期になって全国的に現在の形に近くなったと言われる。

おおざっぱに言えば、厄払い系の行事は節分に集約され、祝祭行事は正月へ集合した訳で、現在の太陽暦での2月に立春を迎える暦って言うかカレンダーでは、感覚として判り難いので、思い込みの記述が溢れ返るんだよね。枯茎に塩鰯を刺した物と柊の小枝を家の玄関へ挿すのも厄除けだし。

節分には「年取り物」(年包・福包)を主人から家内全員に配って、用意した里芋、大根、牛蒡、焼豆腐、黒豆、高野豆腐、蓮根の煮物、田作りの重と数の子を肴に酒を酌み交わすのが吉例とされていた。って、お気づきの方達も多いと思うけど、この内容は現在のお節料理の一部となっていて、お節料理という言葉自体が元々は「御節供料理」で節句、節分、春・秋分、夏至、冬至に神仏へ御供えした料理の総称だったのが、現在はお正月の料理を指す言葉になっていたりするんだよね。

そして「除夜」て言葉は、易暦では節分に冬の陰気を払って、春の陽気を取り込む日で、大晦日の夜のことじゃないんだよね。

じゃ、除夜の鐘ってなんだんねんってことなんだけど、ご存知のように、一般的にはこの鐘は108回撞かれる訳で、この数の元となる説には様々なものがあるんだよね。

陰陽法系の説としては、一年の月の満ち退きの回数が12,立春・春分・立夏・夏至など一年を24等分した二十四気(二十四節気),それを更に細分した七十二候(しちじゅうにこう)の合計が108となりそれぞれの日々を過ごす中で生まれた煩悩や邪心を払うとされる。また神仏混淆の時代が長かった為に、除夜は神道行事の「大祓い」と融合しているのが一般的だ。

仏教系は大きくは二説ある。一説は、人が暮らす中で知覚する好、悪、平の三つの煩悩が、目、鼻、口、耳、皮膚感覚そして心(六根)に生まれて18種類となり,それぞれに染、浄の2種類が,さらに過去、現在、未来の3種類があるのでそれを掛け合わせると、百八煩悩となるとする。

他の一説は、人々は98種類の煩悩によって輪廻の世界に結びつけられており、これに修業を妨げるものとしての10種の煩悩を合わせて百八煩悩としている。それぞれ「九十八結(くじゅうはっけつ)」「十纏(じってん)」と称される。

中国では宋代に始まったと言われるけど、日本では室町以前は一部宗派の行事であって、庶民が年参りに行けるようになった江戸期に一般化したとの説が有力なんだよね。つうか、鐘の打つ数108つについてさえ、定説は無い。

「穢れを祓う」という感覚自体は元々は神道系のもので、正月に家々を訪れ祝福を与えて下さる「歳神さま」を迎える為に、前年の罪穢れを祓い去り、神社では「大祓い」を行い人々は「煤払い」をして清浄な新年を迎える一途として、定着したとの説もあるんだよね。

で、この「歳神さま」ってのが恵方神なんだけど、方角に神様がいるってのは、神道特有のものではなくて、現在大流行の風水、つまり陰陽五行はもちろん、仏教の考え方まで混在している。

はっきり言えば、「日本の風習」系の書籍に誤りが多いのは、日本の宗教観の根底を見誤っているんだよね。

皇室を発端として拡大した祭礼は、元々の祖霊崇拝に中国を模倣した儒教・道教系の祭祀が混じり、そこに国家宗教として位置付けられた、渡来宗教である仏教的思想が混在し、しかも、最高位祭祀者としての天皇が治国することに正当性を持たせるために、慶応4年の明治政府が出した「神仏判然令」までは神仏混淆が常態だったんだよね。

これは元々、神を信仰していた人達に仏教を広める為、僧侶や為政者達が「神様も仏様も同じもの」と教化活動を行ったわけで、聖徳太子の十七条憲法(604年)の第二条にある仏教を国教とするという詔勅が起源とされ、その後大化年代(646−649年)の仏教興隆の詔勅を経て天武天皇の詔勅により鎮護国家の仏教として不動のものとなった。これにより、寺院(僧侶)−神社(神官)−修験者(山伏)という順位も確立して、日本独特の宗教観が形成されていたわけで、そこが押さえられていないと、意味不明な解説が展開されてしまう。

話を戻すと、年末年始の行事の順番としては、「一年よく働いたなぁ」ってことで、「事収め&すす払い」を1年で一番厳しい大寒の季節に行って物理的な穢れを取り、節分で厄払いをしてから、立春を迎えて、それから新しい年を祝うってのが流れだったんだよね。

節分と正月の関係は、日本の土着信仰と神道、そして仏教との混交した信仰風土、暦の変遷と民間民族行事の変遷を考える上で、一つの大きな示唆を得ることのできるものなに、いーかげんな風習本やインチキ暦サイトのせいで、誤解が拡大している。困ったもんだよ、まったく。時代変遷を抜かした「日本の風習本」は殆ど害毒みたいなもんだと思うよ、まったく。

一言のつもりだったのに、なんか長くなったのでこの辺で。

じゃ、またね。


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