心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2017年05月17日(水) 12ステップで求められる正直さとは

 「無くて七癖」という言葉があるように、人間は誰でもたくさんのクセを持っているものです。文章を書くことにも、その人のクセがあらわれます。僕の文章にもきっと多くのクセがあることでしょう。そして、ビッグブックを書いたビル・Wの文章にもクセがあります。

 その一つは、同じ言葉を繰り返して使わず、別の言葉で言い換えることです。例えば12のステップのステップ5には「過ち」という言葉があり、ステップ6には「欠点」、ステップ7には「短所」という言葉があります。これはすべて同じことを指して使われています。以前、某所で欠点と短所の違いについての議論が盛り上がったことがありましたが、今から思えば虚しい議論だったことが分かります。

 さて、回復するには「正直さ」が必要なのだと言います。ビッグブックにも「正直さ」が必要だと書かれています。だから「ミーティングで自分のことを正直に話しなさい」とアドバイスするスポンサーもいるでしょう。「あいつは正直でない」という非難めいた言葉も聞きます。

 ですが、ここで言われている正直さは、他者に対する正直さです。ビッグブックで正直という言葉が出てくるときは、たいていが「自分自身に対する正直さ」を指しています。

 この「自分に正直」という言葉は、日本語として判じ物のように意味不明です。「自分に正直になったら、飲みたい私は酒を飲んじゃいますよ」という笑えないジョークを言われても、どう反応したら良いか困ってしまいます。

 ビルはもちろん「自分に正直」という言葉も他の言葉に言い換えています。「自分の問題に正直に直面することができれば・・回復できる」としています。たしかに、12ステップは一つひとつが自分の何らかの問題に直面するように求めています。

 「自分に正直」とはどう言う意味かと尋ねられ、ビルのこの文章をしめすと、たいてい「ああ、なるほど」と納得してもらえます。ですが、自分が問題を抱えていると認めるのは、難しいことであるし、嫌なことでもあります。

 『米国アディクション列伝』を書いたホワイトは、その著書の中で「AAプログラムは、人間がいかに不完全な存在か教えてくれる」と述べています。アルコホーリクばかりでなく、あらゆる人間は不完全な存在なのです。神の完全さに比べれば、人間の優劣なんてドングリの背比べ、五十歩百歩にすぎません。(そのことを理解するために、神という完全なる存在の概念が必要なのかもしれません)。そのように考えれば、自分の問題(不完全さ)を認めることは、より容易になるのではないかと思います。


2017年02月26日(日) 多くの回復を作り出すことの意味

 最近は日々雑記の更新も間遠くなり、「ブログをやっているひいらぎさん」ではなく「ブログをやっていたひいらぎさん」と呼ばれるようになりました。

 僕が東京の依存症回復施設で働くようになったのをご存じの方も多いと思います。「二つの帽子をかぶり分ける」(※)ために、施設のことを取り上げるのは避けますが、支援の仕事は生産性が悪いということをつくづく感じています。平たく言うと、忙しいわりに利益が少ない業種だということですね。雑記の更新頻度が極端に落ちたのは、仕事とAAで時間とエネルギーを使い果たしているからです。それでもこうして雑記を書こうと思ったのはなぜか。

(※ プロとしてアルコホリズムに関わっていたとしても、AAメンバーとしての活動はあくまで非職業的なものであることを明確にすること)

 それは、長野でサラリーマンとして働きながらAAメンバーをやっていた頃と、現在では、地理的な位置、社会的な立場、職業的な違いがあるので、新しい視点から依存症を見ることになった。それについてネットでも発信してみようと考えました。

 とはいえ、変わらないこともあります。僕は相変わらず週に一回AAの会場を開け、10人あまりの参加者と一緒にミーティングをやり、その他に週に二晩ぐらいスポンシーとビッグブックの読み合わせをしたり、棚卸しを聞いたりしています。そして時々日曜日にはイベントにでかけている。そんな日々のなかで考えたことです。本題に入りましょう。

 元コメディアンの田代まさし、元プロ野球選手の清原和博、この二人が薬物問題を抱えていることは多くの人が知っているでしょう。田代氏は薬物依存であることを公けにして施設のスタッフとして活動されている。清原氏は自らを薬物依存とは公けにはしていないようですが、伝えられている情報を総合すれば依存症である可能性は高い。僕は同じ依存症者として、お二人の回復が順調に続くように願っています。

 田代氏の講演を何度か聴かせていただきましたが、人を笑わせて和やかにする才能には感心します。それは彼が前半生で努力して身につけたものなのでしょう。さて、例えば将来、彼がテレビのバラエティ番組にタレントとして出演する可能性はあるでしょうか(氏自身がそれを望むかどうか別として)。あるいは、清原氏は野球選手としてあれだけの実績を残した人ですから、将来どこかのプロ野球球団でコーチや監督を務めることはあり得るでしょうか。今の日本社会ではどちらの可能性もゼロに等しい。せっかくの才能が無駄になるのは残念なことです。

 「心の家路」のサイトを始めた頃、「依存症」をキーワードとしてニュースを検索し、一覧表示するページを作りました。するとアメリカの有名人が自らの依存症を公けにして治療に励むという記事がたくさん表示されました。AAの英語版月刊誌にはAA以外のことを取り上げた記事も毎月載りますが、数年前の記事に政府機関が行った一般の人へのアンケート結果が掲載されていました。そのなかに「アルコールや薬物の依存から回復中の人と友だちになれるか?」という項目があり、実に7割以上の人が「友だちになっても良い」と答えていました。

 アメリカにおいては依存症であることを隠すより、むしろ明らかにして治療に取り組む姿勢を示した方がメリットがある。さらに、病気が克服できれば仕事を続けていける。そういったことを許容する社会になっていることがうかがわれます。日米のこの違いはなんとしたことか。それは依存症という病気に対する認識の違い、偏見の有無でしょう。

 アメリカは、(依存症に限らず)人生に降りかかった何らかの困難を克服したストーリーが美談として賞賛される傾向はあると思います。ベストセラーのランキングにはそんな自伝がよく混じっています。対するに日本は、輝く者が地に落ちれば、それを皆で叩く、という世の中になっている気がします(しかもその傾向が強まっているんじゃないかと)。そんな国柄の違いを踏まえても、社会の病気に対する理解度の違いが大きいことは明瞭です。

 先日ある新聞社の記者さんから取材を受けたときにも、こ話をし、その上で「例えば清原が将来ジャイアンツの監督にという記事が書けるか」という少々意地の悪い質問をぶつけてみました。その方は率直に「例えそう書いたとしても、どこかから横やりが入って決して記事にはならないだろう」と答えてくれました。報道機関には「ニュースという商品」を売る商売の側面があります。客の望まない商品を売りつけることはできないのですから、その新聞社が悪いわけではありません。日本の社会が変わらなければ、そうは書けないのです。

 おそらく「マーシーも清原も犯罪を犯したんだから、拒絶されて当然だ」と言う人もいるに違いありません。お二人とも違法薬物の所持や使用の罪科で有罪判決を受け、一方は服役もしています。それについては、覚醒剤の使用の罪は「被害者のいない犯罪」と呼ばれていることも考慮していただきたい。法律が何かを禁止するのは、誰か(の権利)を守るためです。どの法律が誰を守っているか、考えてみれば分かるはずです。覚醒剤や麻薬の取締法は少なくとも薬物依存症者本人を守ってはくれない。禁止したからって再使用は防げないし、懲罰を与えることはしばしば治療の妨げにしかなりません。

 覚醒剤や麻薬の取締法は、依存症にならない大多数の人々の福利を守っているが、依存症者の役には立ってはいないのが現実です(まあ取り締まるための法律ですからね)。人は軽い気持ちでクスリに手を出しますが、依存症になろうと望んでなるわけではないのです。

 話を元に戻して、依存症という病気に対する無理解や偏見は、当事者にとってありがたくないことです。羞恥の気持ちが、治療や回復資源に繋がるのを年単位で送らせ、予後を悪くします。社会復帰にも妨げになります。では、そんな世の中を変えていくにはどうしたら良いのでしょうか。

 一つのアイデアは、無理解や偏見を取り除くために「啓発活動をする」というものです。実際に啓発活動に取り組んでいる人たちがいて、その熱意と努力には頭の下がる思いです。僕もそうした活動にはできる限りの協力はしようと思います。ですが、僕自身は啓発活動の先頭に立とうという気持ちは薄い。それはなぜか。

 アメリカのAAや依存症の歴史を見ると、アメリカも以前は依存症への偏見が強い社会だったことがわかります。それが変化したきっかけは、AAやその他の機関が依存症からの回復者を大量に作り出したことです。もちろん、啓発活動が大きな役割を果たしたことは間違いないでしょうが、啓発活動だけで社会を変えることはできないはずです。なぜなら、人は身近に存在を覚知することにしか関心を寄せないものです。回復した人がたくさん存在しなければ、理解が進みようがありません。

 だったら僕は回復ということに焦点を当ててやっていきたい、と思うようになりました。社会を変えることが僕の目的ではなく、回復というものが増えていった結果として社会が変わってくれれば、それはそれで有り難いし、自分もより安全になれる。だから、たくさんの回復が作り出せることが大切ではないか。それが当事者が当事者として活動する指向性だ、というのが最近の考えです。


2016年03月28日(月) どうやって「ゆだねる」のか

10日ほど前に、メールで質問をいただきました。返事を出さないまま、日が経ってしまいました。せっかくなので、メールに返信する代わりに、日々雑記のエントリでお答えしたいと思います。

ご質問の部分だけ抜き出します。

> ステップで、行動を神に任せる、という祈りがありますよね。
> これはどういう風に、自分の生き方を定めるという事なのでしょうか?

12ステップでは、ステップ3で自分の「意志と生き方を自分なりに理解した神にゆだねる」決心をします。

ステップ3は「決心をする」ステップですが、決心をした後、具体的にはどのように神にゆだねていったら良いか、という主旨の質問だと理解しました。

決断や決意は心の中で行うことです。だから、ステップ3の決心も心の中で行われるものでしょう。しかし、12ステップは「行動のプログラム」ですから、ステップ3も何か具体的な行動をするのがふさわしいでしょう。ビッグブックでは、p.91に「第三ステップの祈り」が書かれています。「神よ、私をあなたにささげます」で始まる5行の短い祈りです。

p.92では、理解ある人と一緒にこの祈りを口に出して唱える、という行動が提示されています。決心を行動として現わすわけです。

これでステップ3は終わりです。しかし、決心しただけでは「ゆだねる」ことは実現しません。

もし、東大に合格する、と決心しただけで東大に合格できるのなら、はたまた、大金持ちになると決心しただけで金持ちになれるのなら、僕はいくらでも決心するでしょう。しかし残念なことに、決心しただけでは物事は実現しません。決心に続いて、その内容を実現するための努力が必要です。東大に入るためには、決心に続いて受験勉強が必要ですし、金持ちになりたければ努力して事業を成功させなければなりません。結婚だって就職だって、決心だけでは実現しません。

「神にゆだねる」ことも同じです。ステップ3の決心に続いて、ゆだねることを実現するための行動が必要です。それがステップ4から12にあたります。

さて、話を進めやすくするために、この図を見てください。

人生の三つの次元

これは、ジョー・マキューとチャーリー・Pのビッグブックスタディで使われた図を日本語に訳したもので、12ステップの説明に使われます。私たちの人生(life=生命、生活)を三つの同心円で表現しています。

私たちが「自分」と捉えているのは、この図ではグレイのアニュラス(円環)で表現しています。私たちが「心」とか「精神」と呼んでいるものです。

私たちは物質的なもの(金銭や財産)や社会的なもの(人間関係や社会的地位)に囲まれて暮らしています。だからそれらを一番外側の円環として表現しています。

さらに、ビッグブックでは神(あるいは神の意志)は、私たちの一番深いところに見つかる、と書いています(p.80)。だから、神が一番内側に描かれています。

この三つの円を「人生の三つの次元」と呼んでいます。

さて、真ん中にある神は意志を持っています。もちろんグレイの円環である私たちも意志を持っています。つまり「神の意志」と「自己の意志」の二つがあるわけです。ステップ3では、この「自己の意志」を「神の意志」に従わせていく、という決心をするわけです。

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自分の意志を神の意向にだんだんと合わせられるようにするのがAAの十二のステップの目的である。(12&12, p.56)
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内なる神は善なる存在です。しかし、グレイの自己は利己的な存在なので、良い動機を持っていたとしても、「人との間に、あるいは何かのことで、ごたごたが絶えない(AA, p.87)」という生活を送ることになります。だから、自分の意志を神にコントロールしてもらえらえば、うまく生きていけるだろう、というのが12ステップのコンセプトです。

神あるいは神の意志は、僕ら人間に生まれながらにして備わっています。誰もがそれを備えています。だから、そう望むのなら、誰でも、自分の意志と人生を、内なる神にゆだねて生きていくことができます。

でも、僕らは日常生活の中で、内なる神や神の意志を感じ取ることはなかなかできません。どうしてできないのでしょうか。

ビッグブックでは、神(一番内側の円)と自己(グレイの円環)の間に「障害物」が生じている、と言っています。また、12&12では、神と自分をつなぐチャネル(※)が詰まっていると言っています。どっちにしても、神と自分との関係を阻んでいる「障害物」があるわけです。

※チャネルをパイプと訳している(12&12, p.135)。

その障害物とは何か・・それは、恨み、恐れ、欲求不満、罪悪感などです。そして、そうした障害物が発生する原因が私たちの「性格上の欠点」と呼ばれるものです。

だから、ステップ4・5では、恨みや恐れを手がかりに棚卸しをして、自分の「性格上の欠点」を見つける作業をします。ステップ6・7では、見つけた欠点を取り除きます。ステップ8・9では過去に自分が傷つけた人に埋め合わせをします。ステップ10では、ステップ4〜9の作業を日々繰り返していきます。

こうして障害物が取り除かれていくと――あるいは神と自分をつなぐチャネルが掃除されると――、僕らは神の意志を受け取る準備が整います。そこで、祈りと黙想という手段を使って、神の意志を知り、それに従っていく努力をします(ステップ11)。

このようにして「ゆだねる」ということが実現するわけです。ふう、ちょっと大変かもしれませんが、東大に合格することや、大金持ちになるよりはずっと容易だと思います。

僕らは、自己(グレイの円環)と物質的・社会的なものとの関係にばかり関心を持ってきました。お金のこととか人間関係のことです。だからミーティングでもその話ばかりしているでしょう。でも、大切なことは自己と内なる神との関係です。その関係が良くなれば、外側とのことで思い悩むことはずっと少なくなり、楽に生きていけるようになります。それが、ゆだねて生きていくということであり、それを実現するために、棚卸しと埋め合わせ、祈りと黙想に取り組むことが必要です。これが、あなたの質問に対する答えになります。

アメリカのあるNAメンバーが、僕らの心の中には god-shaped-hole が空いている、と言っていました。神の形をした穴です。生きるのに虚しさや辛さを感じるのは、心の中に大穴が空いているからです。それは「神の形をした穴」なので、神以外の何かで埋めようとしても、ぴったりはまりません。僕らはその穴を酒や薬で埋めようとして、かえってひどいことになりました。

障害物を取り除いてみれば、その穴の中には神がちゃんと存在していたことを知るでしょう。生まれたときからずっと一緒にいてくれたことも。その時私たちは奥底から「満たされた」という感じを抱きます。そうして得られる「自分より偉大な力への気づき」、「神がここにいるという実感」がステップ12に書かれている「霊的な目覚め」です。

 最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
 結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
 あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです

 (ANYWAY〜マザー・テレサ作とされている詩


2016年03月18日(金) 分け隔て無く vs. アルコホーリク限定

2年ほど前に、僕が引っ越しと転職をしたことをご存じの方も多いでしょう。

環境が大きく変わったことが、この「日々雑記」の更新が滞った原因の一つですが、それ以外にもAAのゼネラル・サービスに時間を費やされたことが主な理由でした。そのサービスの頸木(くびき)からもようやく解放される見通しがつき、これからはもう少し「家路」に時間を割くこともできる、と自分で期待しています。

新しい仕事の関係で、社会福祉の勉強をすることになりました。先日も5日間のスクーリングに行かせてもらいました。エリザベス救貧法とか、救血規則・・じゃなかった恤救規則とかから始まって、現在の自民党の政策までの社会福祉の歴史の話だとか、援助技術論とか公的扶助論とか。講師は大学で福祉を教えている先生でした。

社会福祉とは何なのか? 僕の単純な理解では、それは「困っている人を手助けすること」です。社会生活をしていく上での基本的な欲求を満たせない状態の人に、何らかの制度を使って助けてあげることです。

福祉制度の無かった時代は、裕福な人が行う「慈善」活動が福祉の役割を果たしていました。だが、慈善は与える側の善意が元になっていて、受け取る側のニーズは反映されにくいものです。他にも血縁・地縁による「相互扶助」の仕組みもありました。でもこの互助というのは、「頂いた分へのお返し」が必要なので、お返しできない立場の人は辛くなってしまう。そこで、税金などを使った公的な制度を作ったわけです。それが、公的扶助(生活保護)や年金や保険制度などの仕組みです。

社会福祉とは、困っている人のニーズと公的な仕組みを結びつける役割であって、必要な仕組みがなければそれを作る活動をしたり、自ら仕組みの一部となってサービスを提供するマンパワーになったりする・・・。

社会福祉は人権思想に基づいているので、対象を選別することを嫌います。例えば、生活保護には無差別平等の原則があって、困窮に至った原因は問われないのです。酒を飲んで身を持ち崩したのは自業自得だから生活保護は支給しない・・という扱いはしてはいけない。要件を満たす人は、分け隔てなく、可能な限り多く助けるというのが基本です。

先日、障害福祉の現場で働きながら、アルコールのことにも関心を持ってくださる、ある方と話す機会がありました。そしてすぐに、あることに気がつきました。その方は、手助けする対象がアルコホーリかどうかを気にしていないのです。アルコール多飲の原因が、依存症であっても、依存症以外の知的な障害や統合失調であっても、同じに扱っているのです。

福祉としては、それが正しい態度なのだと思います。アルコールで問題を起こしていれば、その人にとっては分け隔て無く助けるべき存在なのでしょう。

AAはそうではなく、アルコホーリクに対象を限っています。伝統5は「靴屋よ、なんじの本分をはみ出すな」(12&12, p.203)と、AAがアルコホリズムに専念するように言っています。アルコール多飲には、依存症以外の原因も考えられます。それを区別するのはAAメンバーの仕事ではありませんが、アルコホーリクではないことが明らかな人は、AAの対象でないことも明らかです。

もちろん、アルコホーリクでない人をAAミーティングから追い出せ、と言っているわけではありません。排除の理屈ではない。ただ「下手に多くのことに手を出すよりも、一つのことを最大限うまく行う方がよい」(12&12)という、選択と集中の原理が、AAを世界的に広める力になったことを忘れてはいけません。近年のAAの国際会議でも、"Singleness of Purpose"(AAの目的の単一性)というテーマが繰り返し扱われています。

同じことは、アルコール依存症の回復施設にも言えるのだと思います。アメリカの回復施設のスタッフやAAメンバーと話していて、強く印象に残ったのは、彼らは「(真正の)アルコホーリクだけを対象とする」ことに誇りを持っていることです。同じアルコホリズムという共通の問題を抱えていることが、助ける側と助けられる側に深い理解を生み、その共通の問題に対して12ステップという共通の解決策が提供される・・・。解決策を受け渡す手段が、ミーティングやスポンサーシップである、というわけです。

日本のAAメンバーや施設スタッフが、アメリカの施設のスタッフに会うと、よくこんな質問を投げかけます。

「ほかに障害があるみたいで、回復のプログラムに馴染まない人は、どう手助けしたらいいんだ?」

僕も同じような質問をしました。それに対して彼らは一様に困った顔をし、そして親切に、こう言ってくれるのです。

「アルコホリズム以外の問題は、その専門家にまかせたらどうだろう」

この答えに対して、質問した側が、はぐらかされたような気持ちになってしまうは、AAプログラムが誰を対象にしているかの認識にギャップがあるからです。目的の単一性を良く認識している人たちと、アルコールで問題を起こしている人なら誰でも助けたい人たちと。

アルコホリズムとそれ以外の問題を同時に抱える人はいます。僕の福祉の勉強は、そのような重複障害の人を手助けするのに役立ってくれるでしょう。だから、AAメンバーが福祉の勉強をすることに反対しようとは思いません。でも、福祉の思想をAAに持ち込むとおかしなことになっていきます。

日本のAAは40年間、「関係者」と呼ばれる人たちの応援によって発展してきました。最初はその方たちを、英語の professional を訳して「専門家」と呼んでいたのですが、職業的専門性に自信のない人たちから「俺たち援助職を<専門家>と呼ぶのは止めてくれ!」と言われたので、仕方なく20年ほど前から援助者のことをAAの「関係者」と呼ぶようにしたのです。

この「関係者」には、医療、行政、矯正などいろいろな分野の人が居るのですが、数が一番多いのは福祉の分野の人(ワーカーと呼ばれる人たち)でしょう。その人たちの善意があってこそ、日本のAAがここまで成長してきたのです。だから、その人たちが気を悪くされたら申し訳ないと思いながらも、やはり言っておくべきことは言わねばならぬ、という気持ちがあるのです。

ケースワーカー、ソーシャルワーカーの人たちは、福祉の仕事をしているだけあって、「分け隔て無く、なるべくたくさん」を手助けするという理念があります。個人的にそういう指向性を持っていない人だって、職場の倫理観がそうなんですからね。だから彼らには、AAを福祉の社会資源と捉えて、

「AAは、アルコールで問題を起こしている人なら誰でも引き受けるところ」

であって欲しい、という願いがあり、それがときには「であるはずだ」という思い込みにもなる。それは福祉の理念をAAに押しつけることになる。それに対してAA側は「アルコールで問題を起こしている人には、アルコホーリクもいれば、そうでない人もいる。AAはアルコホーリクのみを対象にしている」ときちんと伝えなくてはいけないのでしょう。

AAのことを正しく伝える努力が弱まると、AAは「別の専門家に任せるべき人」を引き受けるようになってしまいます。それは、その人にとっても、AAメンバーにとっても不幸なことですし、苦しんでいるアルコホーリクが助かるチャンスを減らしてしまいます。

AAメンバーは、AA以外にもやらねばならないことがたくさんあります。仕事もあるだろうし、家庭のこともある。ストレスにつぶれないように、人生を楽しむレジャーの時間も必要でしょう。24時間の中から「AAのメッセージを運ぶ」ために割ける時間は多くないはずです。限られた時間を有効に使うために、対象を真正のアルコホリズムに限定するということも必要でしょう。

だがそれは、どこかで誰かに冷たい態度を取らねばならないことを意味します。12の伝統の中で、伝統5の実践が一番厳しい気もします。

(最近アメリカのGSOから出てくる文章は、AAプログラム(12ステップ)がアルコホリズム以外にも効果があると受け取って欲しくない、というニュアンスが強くなってきています)。

さらに、AAの(真正の)アルコホーリクと、医師が医学的にアルコール依存症と診断を下した人は同一ではない、といことも述べておかねばなりませんが、それについては稿を改めましょう。

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年末年始にこの雑記が書けなかったので・・・

昨年一年の統計データ(Webalizer出力データ)
 送出バイト数 209.9Gbytes
 訪問者数 62万7千
 リクエストページ数 1,703万
 リクエストファイル数 1,804万
 リクエスト数 1,830万
 一日あたりの訪問者数 1,717人/日
 (FC2ブログはカウンターを設置していないので不明)。


2015年09月20日(日) 当事者性の限界

「当事者」という言葉はいろいろなジャンルで使われています。法律の分野では、事件や紛争に直接関わる人を当事者と呼びます(加害者とか被害者とか)。

福祉の分野では、障害を持っている人を当事者と呼びます。浦河べてるの家の「当事者研究」は、統合失調の人が病気の症状に上手に対処する方法を(支援者の手助けを得ながらですが)自分で見つけていく点を特徴にしています。障害のほかにも、暴力被害などの問題を抱える人も当事者と呼ばれます。

依存症を障害と捉えれば、アルコホーリックは依存症の「当事者」です。ですからAAは当事者の集まりということになります。

(さて、家族の立場の人は当事者なのでしょうか? それには曖昧さがあるようなので、その議論は別の機会に譲り、今回は本人について話を進めていきます)

当事者という概念が存在するのは、問題の解決に当事者でない人が関わってくるからでしょう。法律の分野では、弁護士や検察や裁判所が関わってきます。病気や障害の場合には、医師やソーシャルワーカーが関わってきます。問題解決を援助する人(援助者)と援助される人(被援助者)という関係が成り立ちます。そしてたいていの場合、援助する側はプロフェッショナル(職業人)であり、援助を仕事にしています。

プロの援助者は、たいていは当事者ではありません。自己破産の手続きを手伝ってくれる弁護士が自己破産した人だ・・とか、統合失調の治療をする医師が統合失調を患っている・・ということはまずありません。あったとしてもレアケースです。プロでありながら当事者でもあるとすれば、それはむしろ不都合なことだと見なされます。

セルフヘルプ(自助)グループは、プロによる援助を排し、当事者が自分たちの手で問題を解決していくことを特徴としています。AAも同様です。

当事者と似た概念にピアがあります。peer という言葉を英語の辞書で引くと、a person who is of the same age or position in society as you とあります。年齢や社会的地位が同じ人。年上でも年下でもない同年齢とか、上司でも部下でもない同僚です。対等の立場ということが強調される言葉です。ピアサポートとか、ピアサポート・グループという言葉は、参加者が対等の立場であることを強調しています。

では、AAはピアサポートなのかというと、それはちょっと微妙です。対等というのをどれほど厳密に考えるかにもよりますが、スポンサーとスポンシーの関係は、プロによる援助とは違って同等の立場によるものです。けれど、そこには明確に「援助する人」と「援助される人」の関係があるので、ピアとは呼びにくいです。

話が脇に逸れますが、例えスポンシーが飲んでしまっても、スポンサーは酒をやめ続けることができる・・人を手助けしているつもりで、実は自分が一番助けられている。そこには、援助する側・される側の逆転があり、相互に援助しているとも言えます(対称ではないけれど)。

話を元に戻して、AAに関してピアという言葉を使うのはふさわしくなさそうなので、当事者という言葉を選ぶことにしましょう。

数ある精神疾患のなかでも、依存症ほど当事者活動が盛んな分野も他にないように思います。他の病気にも患者会はありますが、AAや断酒会ほど高い頻度で会合を開いているという話はあまり聞きません。

なぜアルコール依存症の当事者活動は盛んなのか。いままでその理由を深く考えたことはありませんでした。完治させる治療法がないため、再発(スリップ)の防止に重点を置かなくてはならない。入院や通院よりも、日常生活の中に支えがあったほうが都合が良い。それを踏まえると、日常生活全般を生涯にわたってプロが援助することなど無理ですから、当事者どうしで支え合うのが現実解だ、ぐらいに思っていました。

しかし、最近はそれだけでもないだろう、と思うようになりました。

「○○は、それを経験した者でなければ分らない」という考え方があります。○○には、例えば「子育ての大変さ」とか「介護」とか「新聞配達」などが入ります。これが、傍から見ているだけじゃ、その苦労(や喜び)は分りませんぜ!と、まあ経験至上主義とでも呼びましょうか。

クローン病という難病指定されている病気があります。小腸大腸に炎症が起きる病気ですが、根治できないため寛解状態を維持するのが目標になります。治療には腸を休めるために、点滴しながらの絶食が必要になります。この絶食が、何週間あるいは何ヶ月、人によっては何年も続きます。寛解しても、再発すればまた絶食です。僕にはクローン病の経験はありませんが、何も食べられない辛さは想像を絶します。まさに「経験した者でなければ分らない」ことなのでしょう。

さて、ここからが本題。

どうやら、アルコホーリックは、この「経験したものでなければ分らない」はずである、という考えに凝り固まっているようです。それは「あなたに分るはずがない」という考えにつながります。

アルコホーリックは「酒をやめろ」とか「もう飲むな」と言われます。もちろん僕も言われたことがあります。素直に受け取ることはできず、反発したくなります。相手に対して「簡単に言ってくれるなよ。あんた、俺が酒を飲むことをどんなに必要としているか、何にも分っちゃいないな」と言いたくなります。さらには、

「じゃあ、あんたは酒をやめたことがあるのかよ!」

と毒づきたくなります。飲もうと思えば、いつでもトラブルなく酒を飲めるあんたに、俺たちが酒をやめる苦労が分ってたまるか! というわけです。

「酒をやめるために、AAのミーティングに通って下さいね」、とか言われても同じ反応です。なんでそんな面倒なことをしなくちゃいけないんだ。

「だいたい、そう言っているお前は、AAに通ったことがあんのかよ!」

そんなケンカを、医師や看護師やケースワーカーや自分の家族相手にふっかけても、何の意味もない・・・意味がないことはわかっちゃいるんだけど、反発したくなる。その反発の背景には「あなたに分るはずがない」という考えがあります。まあ、実際わかんないだろうしね。

それに対して、断酒会の先輩やAAの「先行く仲間」は当事者としての経験を持っていますから、酒をやめた経験もあるし、例会やミーティングに通った経験もあります。「俺がやったんだから、お前もやれ」と言うこともできます。それによって、反発をすっかり取り除くことはできないにしても、だいぶん減じることはできます。そこが、当事者どうしの良いところです。

12のステップは、やった方が良いことは分かっていても、なかなかやる気になれないものです。特に、自分の欠点を探す「棚卸し」や、傷つけた人への「埋め合わせ」はイヤだし、避けて通りたいと思う方が普通です。いざ12ステップに取り組むときに、ガイド役になってくれるスポンサーは12ステップの経験者であって欲しいと思うでしょう。それは、未経験な人より、経験者のほうがスキルが優れているというだけじゃなく、やったことがない人から「やれ」と言われることに、無闇な反発を感じちゃうのがアルコホーリックだからです。

依存症の社会資源としては、AAみたいな当事者グループの他にも、マックやダルクのような回復施設があります。施設のスタッフはたいてい当事者です。日本だけでなく、アディクションの本場アメリカにおいても、回復施設のスタッフは当事者が多数です。

なぜ当事者がスタッフの多数を占めているのか・・その理由は、ここまで書いてきたのと同じでしょう。立場を共有し、同じ経験を持っていることが重視されるのです。

ところで、施設のスタッフは当事者であると同時に、その立場で金を稼いでいるプロ(職業人)でもあります。先に書いたように、他の分野ではプロであると同時に当事者であるのは、むしろ不都合であったりするのに、依存症という分野ではプロとして当事者であることはしばしば強みになります。

ここまで、アマチュアである相互援助(自助)グループにおいても、プロとして施設スタッフにとっても「当事者である」ことにはメリットがあることを述べてきました(述べてきたつもり^^;)。

当事者であることは、立場や経験を共有しており、共感によって「あなたに分るはずがない」という反発を取り除くメリットがあります。

「経験した者でなければ分らない」、これは真実です。けれど、「だから当事者でなければ手助け(支援)ができない」というのは真実ではありません。経験者にしか分るはずがない、というのはアルコホーリック特有の狂った考えであり、役に立たない信念の一つです。だって、別に分る必要なんかないんだし。動機付けだったら、当事者である以外の手段もあります。

当事者であることを頼りに手助けをしていくと、どこかでその限界にぶち当たります。

例えば、ステップ5で棚卸しを聞いてくれる相手は当事者でなければならいのか? 実は、当事者でなくてもまったくオッケーの「はず」なのです。もちろん、棚卸しの目的は性格上の欠点を見つけることなので、その目的が達成されるように、棚卸しを聞く人は、そのための最低限のスキルを持っている必要があります。

そのスキルの本質は、「世間並みの常識」とか「バランスの取れた考え方」とか、「物事をいろんな立場から公平に見る能力」とか、あと「ちょっと批判的な視線」とかでしょう。そして、常識やバランスや公平性なんてものは、依存症の本人に最も足りないものです。だから、当事者じゃないほうが、棚卸しの聞き手としてふさわしかったりするのです。

棚卸しを聞くときに、性格上の欠点を見つけるという点では、非当事者のほうが優れた能力を発揮するでしょう。見たくなかった自分の欠点を映し出す、より正確な鏡を提供できるわけです。

しかし、人間というのは自分の欠点を指摘されると嫌な気分になるし、反論したくなるし、本当のことを言われると無性に腹が立つようにできているのです。だから、つい「当事者でないあなたには分らない」という言葉で拒絶したくなってしまうのです。それは、「あんたは酒をやめたことがあるのかよ!」というのと同じレベルの話で、実にみっともないのですけど。

だから、欠点を見つけるという点ではイマイチだったとしても、当事者同士でやったほうが、指摘される側がまだ受け入れやすいし、非当事者に迷惑かけなくて良いかな、という理由で、当事者同士でやってる、ということなのでしょう。つまり次善の策ということ。

本人同士でやることによって、「俺たち当事者にしか分らない」という閉じた世界ができあがってしまうことがあります。棚卸しであれ何であれ、「経験したものでなければ分らない(はず)」という経験至上主義がはびこり、それ以外のものは、一段低く見られるようになる。そうなると、よりバランスの取れた、より公平な、より常識的な考えが「外」から(=非当事者から)入ってくるのを拒むようになってしまいます。

それでは質の向上は見込めず、劣化するばかり。これが当事者性の一番の限界だと思います。じゃあ、どうすればその限界をぶち破れるのか。それは、閉じた世界ではなく、開かれたものにすること。当事者でない人、つまり家族とか、非当事者の援助者とかの話に耳を傾け、新しいものを手に入れていくしかないのでしょう。

当事者であるということは強みであるものの、同時に限界を作るものでもある。その限界を突破して成長したければ、当事者であることの強みを捨てることも必要になる、ということ。


2015年06月18日(木) 『誘拐の掟』を観て

アルコール依存症とAAが登場する映画がいくつかあります。お勧めどころを挙げると、ビル・Wの伝記的な映画「ドランカー(My Name is Bill W.)」、サンドラ・ブロック主演で施設での4週間の治療を描いた「28DAYS」、AAが制作に協力した「酒とバラの日々」、イギリス映画の「マイ・ネーム・イズ・ジョー」、メグ・ライアン主演の「男が女を愛する時」、他に「チェンジング・レーン」、「フライト」もお勧めしておきましょう。

つい先日、マット・スカダーシリーズの小説「墓場への切符」を映画化した「誘拐の掟」を見に行ってきました。その感想を含めて最近感じていることを書きます。

誘拐の掟
http://yukai-movie.com/

マット・スカダーシリーズは、アメリカの推理小説作家ローレンス・ブロックが30年近くにわたって書き継いでいるハードボイルド小説です。長編17冊が日本語に訳されて出版されています。

マットはニューヨーク市警の警官でしたが、非番の夜に警官にタダで飲ませてくれるバーで飲んでいたところ、その店が強盗に襲われます。彼は強盗を追いかけるのですが、その途中で撃った拳銃の弾が跳ねて7才の少女の目に当たり、その子を死なせてしまいます。マットは犯人逮捕の功績を表彰され、少女の死の責任を問われることはありませんでした。しかし、彼は警察を辞め、酒に溺れるようになり、やがて妻子と別れてしまいます。

一冊目に登場するマットは、飲んだくれの私立探偵になっています。(その後、数作に渡って彼は飲み続けます)。私立探偵とはいっても、ライセンスは持たず「知り合った友だちの頼みを引き受け、経費と僅かの報酬をもらうだけ」なのだと言います。

ローレンス・ブロックが書き、訳者田口俊樹が日本語にした文章からは、マットが背負った人生の切なさが匂い立ってくるかのようです。優れたハードボイルド小説なので、お暇があったら、ぜひ読んでいただきたい。1970〜80年代のニューヨークのAAの様子が描き出されているので、その点でも面白いし。

実はマット・スカダーシリーズは、以前に一回映画になっています。シリーズ中一番の名作とされる「八百万の死にざま」を原作に、1986年に映画が作られました。Amazonで探しところ、DVD化されておらず、商品はVHSしかありません。これはひょっとして映画は人気がなかったのか・・・観て理由がわかりました。舞台は陽光溢れるロサンゼルスに変えられているし、マットの人物描写も原作の人生の哀しみを背負った男から、なんだかチャラい軽薄男になっているし、なによりストーリーが少女の死以来、拳銃を握れなくなっていたマットが、トラウマを克服して拳銃をバンバン撃ちまくれるようになっちゃったりして・・。全然違った話になっていますから、マット・スカダーのファンからは黙殺されたとしても無理のない映画でした。

おまけに、その映画のエンドロールに、大きく「Alcoholics Anonymous」とクレジットが出てきたのを見たときには、思わずorzでしたよ。もう。こんな映画に、こんな映画、こんな映画にAAの名前が大きく出ているなんて!

そんなわけですから、「八百万の死にざま」の映画は見ない方が良いです。小説のほうは、とってもお勧めです。

で、今回の「誘拐の掟」は(結論から言うと)観てとても楽しめました。ただし、万人向けとは言い難い。誘拐犯はサイコパスのシリアルキラーで、おぞましいシーンもビジュアルに描写されますから。

それで、映画のストーリーがネタバレにならない程度に感想を書いてみたいと思います。推理小説ファンという立場からでなく、12ステップ的な観点から。

マット・スカダーの小説を読んでいる人で、なおかつ12ステップやAAに親しんだことのある人は、主人公マットの行動に違和感を憶えることもあるんじゃないかと想像します。なぜなら、マットはさらりと嘘をつくこともあるし、人を見捨てたり、敵対的な相手をためらいなく陥れたりするからです。そうした行動は、正直とか謙虚とか、正しさを求める12ステップの生き方と矛盾しているのじゃないだろうか、と。

最初の酒を飲んでいた頃ならともかく、アクティブなAAメンバーになった後も、そうした行動がやまないのはどうしたことか。それをこんなふうに合理化して考えることも出来ます。きっと、マットは12ステップに従って「正しく」生きたくても、私立探偵という職業は人の欲望が相克し、時に暴力的ですらあるわけですから、「正しく」生きてばかりはいられないのだ、と。ましてや彼のようにアウトローに囲まれて暮らしていればなおさらだし。ローレンス・ブロックは、主人公の性格付けにアルコホーリクやAAを使ったけれど、結局これはハードボイルド小説で、12ステップは話を盛り上げる材料にすぎないのだ・・と。

対極的な話として「北の大地」というコミックを紹介しましょう。これは青年マンガ誌に掲載が続いている作品ですが、主人公のプロゴルファーは温厚な性格ではあるものの、自分の信じるところを曲げず、そのことで自らがどんなに大きな不利益を被っても、ひたすら努力して一途に信念を貫いていくところが人間的魅力として描かれています。こちらのほうが、よほど「12ステップっぽい」と考える人もいるのでしょう。

僕もそのように考えていた時期もありました。だが次第に、マットの生き方こそ12ステップの生き方なのかも知れない、と思うようになってきたのです。

この頃、いろんな人の棚卸しを聞くことが多く、人の内面を知るようになるにつれて、一つの考えを持つようになりました。それは、

アルコホーリクになる人は、奇妙な正義感を抱えている。というものです。

「奇妙な」という形容詞がふさわしいのかイマイチ自信がありませんが、他に良い形容詞が思い浮かびません。

ひとつ例を挙げるとすると、映画「酒とバラの日々」でジャック・レモン演じる主人公ジョーです。この映画はAAが協力して作った映画で、AAが考えるところのアルコホリズムという病気の概念や、アルコホーリクの性格が映画の描写に反映されている、と考えることができます。

ジョーは広告会社に勤め、広告マンとして高い理想を持っているのですが、実際の彼の仕事は大口顧客が開くパーティーにコールガールを手配するというポン引きみたいなことだったり、顧客の好みに合わせてまったく的外れの宣伝をやられたりしています。理想とのギャップに悩んだ彼は、上司に相談するのですが、上司は「平気でそういう仕事が出来るヤツもいるのだ」と言って、あっさりジョーを担当替えしてしまいます。傷ついたジョーはますます酒に溺れるようになる。

理想と現実のギャップに悩み、目の前の現実が動かし難いがゆえに、希望を失い、いろいろなことがイヤになってしまう。アルコホーリクの内面にはそんな話が多いように思います。

マット・スカダーも、優秀な警官としての自分に誇りを持っていたわけですが、少女を殺してしまったことの責任は問われず、むしろ犯人射殺を表彰する警察組織に幻滅してしまいます。幻滅するのは警察に対してだけでなく、自分の人生や世の中に対しても希望を失ってしまいます。

奇妙なほどの正義感と、「正しさ」を貫けない現実への苛立ちと幻滅。男性のアルコホーリクの中にはそんな傾向があるのじゃないかと考えています。

12ステップは、私たちが(アルコールに対してだけでなく)動かし難い目の前の現実に対して無力であると教えてくれます。自分の考えた奇妙な「正しさ」なんて貫けなくて当たり前なのです。それでも現実に幻滅せず、むしろ現実から逃げ出さずに向き合って、なお、なるべく心穏やかに生きていく方法を身につけさせてくれます。

「北の大地」の主人公は、動かし難い現実を信念の強さを使って打破していく強いヒーローとして描かれています。コミックらしく、現実には滅多にいない存在を理想として描いています。でも、それは12ステップとはむしろ対極の生き方でしょう。(だって、12ステップは理想ではなく現実ですから)。

12ステップに魅力を感じ、自ら12ステップに引き寄せられてくる人の中には、現実の壁にぶち当たって挫折し、怒り、恨みや哀しみを抱えている人が少なくありません。12ステップの解釈を間違えると、12ステップを「動かし難い現実を変えるための道具」として使い出します。無力を認めたはずなのに、現実を自分の信念に合せて変えるための力を求めるようになってしまいます。一生懸命12ステップに取り組んでいるはずなのに、傍から見ていてなんだか辛そうな人ができあがるのは、そんなカラクリなのではないしょうか。

映画「誘拐の掟」の中の一つのシーンを紹介します。マットが誘拐犯と交渉している中で、人質を無事帰してくれれば見逃してやる、だから犯人は「ロサンゼルスに行って同じ事を続ければ良い」と言い放ちます。マットは元警官ですから、犯人を逃がして良いとは決して思っていないはずです。むしろ犯人を許せないという強い正義感があるはずです。けれど、いま目の前の問題である人質を救出するために、迷いなく「見逃してやる」と言える。(・・もちろん、その通りに話は進まないのですが)。

「清濁併せ呑む」という言葉があります。広辞苑を引けば、「善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。度量の大きいことにいう」とあります。現実の壁にぶち当たって希望を失う人は、清い水だけ飲みたがっているように見受けられます。汚い水を避けることが善性だと言わんばかりに。

先日マインドフルネスの講座のためにインドから偉いお坊さんがやってきました。僕は忙しくて行けませんでしたが、行った人からカードをもらいました。そのカードには

no mud no lotus

と書かれていました。意味は「美しい蓮の花は泥土から咲く」とありました。汚い泥土がなければ、蓮の花は咲きません。泥を拒んで蓮の花だけ手に入れることは無理なのです。時には自分が悪役を引き受けねばならないときもある。評判を落としたり、誤解に耐えなければならない時もある。自己犠牲の域を超えて、理想から外れなくてはならないときもある。その時に、それを選び取れるようでありたい。

僕はよく回復を登山に例えます。登山道は登山口から山頂へまっすぐ向かってはいません。直登は大変ですから、たいていは、斜面を斜めに進んでいきます。すると山の起伏に沿って、上りへ向かうはずの登山道が、一時下るときもあります。それは、自分の理想とは反対方向に進まざるを得ない局面があるということです。動かし難い現実を、そのまま受け止めるしか方法はないのですから。

そう考えると、マット・スカダーは12ステップの価値観を体現したヒーローと呼べそうです。絶版にならないうちに、マット・スカダーシリーズは買いそろえておかなくちゃ。

12の掟


2015年06月13日(土) AAの回復率、まとめ

4ヶ月近く雑記を放置してしまいました(日々雑記どころか、もはや月々雑記ですらないという・・・)。

前回は「翻訳企画:AAの回復率」と名付けて、3人のAAメンバーによる論文?を翻訳して掲載しました。それが10回連載という長文でしたので、全部に目を通した方は少ないだろうと思います。そこで、今回はポイントになるところだけピックアップして、まとめてみようと思います。

まず始めに、「AAの回復率は5%であり、その数字はAA自身が発表したものだ」という主張について、その誤解の元と、正しい解釈についてです。

その元は、1990年にアメリカのAA内部で発行されたメンバー調査の報告書の中にある図です。



この図は、「AAにやってきて1年以内の人たち」が、現在何ヶ月目であるかという分布図になっています。つまり「AAメンバー1年目」の人を100人集めたとすると、その中に「1ヶ月目の人」が19人、「12ヶ月目の人」が5人いる、ということを示しています。

AAミーティングへの参加を続けることができず、途中で来なくなってしまう人はたくさんいます。この図は、100人をAAに送り込むと、1年後にAAを続けているのは5人だけ・・と言っているのではなく、19人中の5人が残っているということです。ですから、1年後の残存率は(元のデータから計算して)26%というわけです。

さらに、「3ヶ月AAを続けられた人」を分母にすると、そのうち56%が1年後もAAを続けている、という数字も出ています。AAに限らず、3ヶ月何かの行動を続けられた人は、その後もそれを継続できることが多い、それは経験的に知られています。

「90日間AAミーティングに出続けよう」というスローガンは、このデータが裏付けと言えるかも知れませんね。

さて僕は、昨冬にインフルエンザに罹患してしまい「イミビル」という治療薬を処方されました。この薬はインフルエンザ・ウィルスの増殖を抑える薬で、たった1回服用すれば十分なのだそうです。しかし、このような1回だけ服用すれば十分という薬は少なく、多くの薬は効果が出るまで継続して服用する必要があります。全治しない病気の場合には、ずっと薬の服用が必要だったりします。

AAのミーティングも1回参加しただけで来なくなってしまう人はたくさんいます。その人たちは、効果が出るまでAAの「服用」を続けられなかった、と考えることもできます。僕は薬の治験には詳しくありませんが、薬の効果を計るとき、期間の途中で服用を止めてしまった人も分母に入れるものでしょうか・・・。

さて、話を変えて、初期のアメリカのAAでは、「50%の人はAAですぐに酒をやめられ、25%の人は再飲酒があってもやがては酒をやめた」という主張をするAAメンバーがいます(僕も以前この数字を使ったことがあります)。これは実はビッグブックのp.xxv(25)の記述が元になっています。その文章はAAの創始者の一人であるビル・Wが書いたものです。

ビル自身が、AAの回復率は50%+25%=75%だと主張しているわけですが、残念なことにその根拠となるデータは示されていません。先の論文?では、AAの記録をあたって、初期のAAで実際に高い回復率を実現できていたことを調べ上げています。アクロン、ニューヨークに次いで3番目にAAグループが誕生した場所、クリーブランドでは実に93%が酒をやめて再飲酒しなかった・・と『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』の中でクラレンス・Sが述べています。

けれど、この高い回復率をそのまま鵜呑みにするわけにはいきません。AAメンバー候補者の酔っ払いは、まず入院して酒を切らねばなりませんでしたが、健康保険制度のない当時のアメリカで入院費を払える飲んだくれは多くありませんでした。そこで、AAのメンバーが保証人となり、本人に代わって入院費を負担しました。(文字通り経済的なスポンサーだったわけです)。そしてその金は、本人の回復後に返してもらうという算段でした。

もしあなたが、保証人を引き受ける立場になったら、どうするでしょう? なるべく、ちゃんと酒をやめて、金を返してくれそうな人を選んで助けようとしたのではないでしょうか。酒をやめる気がなさそうなヤツは放っておいたほうが良い。なぜなら退院後すぐに再飲酒してしまい、結局金を返してもらえない、ということが起こりうるからです。

そんなわけで、事前選択(プリスクリーニング)が行われたことは確かでしょう。選び抜いた人を分母におけば、回復率の数字は高く維持できます。今日のAAでは、そのようなプリスクリーニングは行われていません。参加を希望するアルコホーリックは誰でもAAに参加できます。分母が違えば、回復率の数字も変わるのは当然と言えます。

初期の75%という数字と、現在の(誤解に基づくとは言え)5%という数字を比べると、その違いがあまりにも激しい。その大きな違いのせいで、AAがすっかり「役立たず」になってしまったような残念な気持ちになります。しかし、75%という初期の数字は、強力なプリスクリーニングの結果であることがわかりました。また、現在の5%という数字も誤解に寄るものであることが分りました。

つまり回復率というのは、分母に何を置き、分子に何を置くかで、大きく変わってきます。それを無視して回復率の数字を比較してみても意味はありません。

さて最後に、現在のAAはどれほど有用なのでしょうか。

AAによるメンバー調査は、メンバーシップのプロフィールを明らかにするためのもので、回復率を計るためのものではありません。しかし、参考になるデータはあります。先に示したように、

・4ヶ月目にもAAミーティングへの出席を続けている人たちは、その56%が1年経過した後にも出席を続けている。

3ヶ月間AAに出続けた人は、その半数以上が1年後もAAに残っている、というわけです。1年後にAAに残った人が酒をやめているか、飲み続けているかはデータから読み取ることはできません。けれど、「AAミーティングに出続ける人たちは、やがて酒をやめていく(いつまでも飲み続けながらAAに通う人は滅多にいない)」ということを、私たちには経験的に知っています。

そうしたことを踏まえると、「AAに3ヶ月間出席を続けた人の、およそ半数は、1年後にAAで酒をやめている」という予想を立てたとしても、それほど現実から離れていないでしょう。そう考えると、AAは強力な回復ツールに思えてきませんか?

まあ、ダイエットであれ、トレーニングであれ、勉強であれ、何であれ3ヶ月間続けるのが難しいのは確かですけれど・・・。

前回取り上げた、AAメンバー3人による論文?は、こちらに掲載してあります。

アルコホーリクス・アノニマス(AA)の回復率
〜現代における神話と誤解〜
http://wiki.ieji.org/doc:aa_recovery_outcome_rates


2015年02月04日(水) 翻訳企画:AAの回復率(その10)

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g) AAメンバーの構成と成長の動向

1937年10月、オハイオ州アクロンで、AAの共同創始者であるビル・Wとドクター・ボブが会った。『AA成年に達する』によれば、この時二人はその時点でのメンバー数についてのお互いの「メモを見比べた」。40人以上のアルコホーリクが酒をやめていた(そのうち20人は1年以上経過していた)。その全員が以前は絶望的だと診断された人たちだった」。この会合での話題はさまざまだったが、やがてアクロンからもニューヨーク周辺からも離れたところにいる人たちのために、経験を述べた本を作る提案へと導かれた。この経験を書いた本がAAの『ビッグブック』である 31。そして後にビル・Wが書いた『12のステップと12の伝統』の中で彼はこう述べている。32

31. 『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』p.219-223 (C) AAWS, inc
32. 『12のステップと12の伝統』ステップ1 p.31

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私たちの仲間がまだ少なかったときに発刊された『アルコホーリクス・アノニマス』の初版本が、どん底のケースばかりを取り扱っていたわけはここにある。それほどひどくないと思っていたアルコホーリクもAAに来たが、自分がどうしようもない状態だと認めることができなかったために、うまくいかなかった。

ところが驚くべきことに、それから数年で、事情がすっかり変わった。まだ元気で、家族もいて、仕事も失わず、そのうえガレージには車が二台もある、といったアルコホーリクたちも、自分のアルコホリズムを認めはじめた。この傾向が広がって、まだほとんど潜在的アルコホーリクと言ってもよいような若い人たちも加わった。この人たちは、私たちが通った、文字通り地獄の十年ないし十五年を経験しないですむように・・・。
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次に掲げる表は「AAメンバーシップの発展の傾向」と「AAグループとメンバーの推定数」である。1954年以降の数字はゼネラル・サービス評議会の最終報告書から得た。1954年以前のデータは、Grapevine誌1953年5月号に掲載された「How Many AAs?(AAメンバーは何人いるのか?)」という記事から取った。その記事にはこう述べられている。

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最初の100万人が最も困難であるとするなら、アルコホーリクス・アノニマスはすでにその仕事の8分の1を成し遂げている・・・世界のメンバー数はすでに100万人の8分の1を超えた。正確に言うと、1953年の世界グループ一覧によると、メンバー数は128,361人となっている。

ではあるものの、AAメンバー数の正確な統計は決して得られないものだ(強調追加)。一人ひとりのメンバーの無名性を守るためには、メンバー全員の名簿などは作れない。最新のメンバー数の数字は、世界の58ヶ国の5,243グループと127人の「ローンナー」からの報告に基づいている。観察眼の鋭いメンバーならば誰でも知っているが、グループの活発なメンバーの数は常に変動しているし、「いつメンバーになるのか(“when is a member?” [sic])」の解釈によっても数が違ってくる。さらに加えて、多くのグループがメンバー数の毎年の報告を送り損ねている。

他にも予測できないパターンを持った変動要因がある。それはさまざまなグループで使われている「人数の数え方」である。あるグループは、定期的にミーティングに参加し、自らそのグループのメンバーだと表明する人を数えるべきだと提案する。およそ3ヶ月の間、ほぼ定期的にしらふで姿を見せている人全員を数える、とするグループもある。集まった献金の平均額を適当な額で割って人数を求めているグループもある。悪天候の日に参加する人だけ数え、12ステップコールへの参加を拒む人を外し、いつでも掃除や皿洗いを引き受ける意欲のある人だけ数えるという提案もある。また、権威のある提案ではないが、ミーティングの後で残されたタバコの吸い殻を数える方法もある。

ゼネラル・サービス本部は「政府」の役をするような指示やルールや規則などを発行することはない。だから、AAの年次調査は、それぞれのグループが安定した中心的メンバーの数としてセクレタリから報告される数を、それが多かろうと少なかろうと、忠実にそれらをすべて集計したものである。ニューヨークでは4人のスタッフが新しいグループ一覧表を作成するために、3ヶ月にわたって、数千枚の情報カードと、必要な情報を提供しようと望むグループから送られてきた数え切れないほどの手紙を処理している。
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現在に至っても、AAの持つ自治性と無名性という性質が、精密な調査結果を導き出すことを極めて難しくしていることに変わりはなく、本質的に不正確なものである。

以下の表4と表5内のデータは比喩的なものであり、文字通りに解釈すべきものではない。数字は実態より低く見積もられている。グループのメンバー数は、AAWS/GSOのリストに掲載されるように要求したグループのものだけを数えている(非常に多くのグループがリストへの掲載を望まない)。メンバー数の推計を送らないグループもあり、時間が経っても以前に送った推計を更新しないグループもある。メンバーが複数のグループでカウントされることもありえるし、数の表現も「報告」であったり「推計」であったり何度も変更された。これらのデータは注意深く、懐疑的に、かつ正しい文脈で解釈されなければならない。

AAは約150ヶ国にある(海外には50のGSOがある)。AAWS/GSOは彼らのリストへの掲載を要求してくる他のGSOやグループからデータを得る。現在のデータが得られない場合には、以前の数字が用いられる。報告を送ってこないグループのメンバー数の推定には、報告を送ってきたグループの平均値が使われる。そもそも、こうした数字はせいぜい良く言って「曖昧」であり、間違った結論を避けるためにも解釈には用心が必要である。このデータからは特定の年の増加あるいは減少を正確に測ることはできない。ではあるものの(不正確ながら)、AAグループがより多くの場所に広がり、より多くのAAメンバーが回復していることを10年単位の傾向で示すことはできる。

表4:

33. AA最初のグループ「アクロン#1」は1935年7月4日に始まった。これは3番目のAAメンバーであるビル・Dがアクロンシティ病院を退院した日である。
34. %の数字があまりに大きく、前後関係からして並はずれているので n/a を表示した。

1979年には海外の数値が見直され、1978年の倍になった。1993年と1994年には、アメリカ/カナダGSOの計数方法と記録システムに大きな変更が加えられた。「ミーティング」と表現され「グループ」と見なされないグループの数は、それ以後は含まれなくなった。こうした「ミーティング」(典型的なのは「アルコールと処方薬」や「家族向け」など特別な目的のためのもの)は、前年までのデータには含まれており、数値を膨らませていた。1993年と1994年の改訂は、AAメンバー数の前年よりの急激な減少としてしばしば誤って引用されるが、実際にはGSOの計数方法と分類の管理上の変更を反映しているに過ぎない。

長年のあいだ、GSOでは彼らが正確な総数と信じる「推定数」を発表してきた。この「推定数」は報告を集計したデータより大幅に多い(時には3倍)。また、各年の基準月に一貫性がないことも指摘しておくべきだろう。1960年から1982年までのデータは、その年の4月1日までに送られてきた報告を集計していた。1983年以降現在までのデータはその年の1月1日から12月31日の間に送られてきた報告を集計している。現在の評議会報告書に掲載されているデータは、前年のものである(例:2006年の評議会報告書には暦年2005年を集計したデータが掲載されている)。

AA全体のメンバー数の推定数は、それを大まかな指標として捉えれば、AAが過去相当に長い期間にわたって正しいことを成し遂げてきたことを示してくれる。70年以上の間にAAメンバーシップは、1935年にはアメリカに二人のメンバーと二つのグループしかなかったものが、現在ではおよそ200万人のメンバーと10万のグループによる国際的な共同体に成長したと推定される。

これは何かが良くないことを示すデータではない。

Table

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(この項おしまい)


2015年02月03日(火) 翻訳企画:AAの回復率(その9)

セクションf)は、なぜ初期のAAが良好な成績を残せたのか・・という疑問に答えます。

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f) 初期AAにおける予備選択(プレスクリーニング)

初回で50%、最終的に75%にもおよぶ成功率(初期のAA におけるものとしてしばしば引用されるもの)を達成するためには、対象者をあらかじめ選択しておくか、もしくは比較的少ない回数しかミーティングに来ない本当の内面的モチベーション(動機)を欠いた人々を除外する、あるいはその両方を行う必要がある。

(AAは)その始まりから、断酒してしらふになりたいと望んでいる人たちと一緒にやることを望んでいた。ビッグブックの英語版182ページ(和訳は『アルコホーリクス・アノニマス 回復の物語』Vol.1 p.17)には、やがて「アルコホーリクス・アノニマス第三の男」となる男が、AAの共同創始者ビル・Wとドクター・ボブが入院中の彼の元を最初に訪れた時のことを書いている。

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そして私に向かってこう言った。「あなたは酒をやめたいですか? あなたの飲酒のことをとやかく言いに来たのではありませんし、あなたの飲む権利とかそういうものを取り上げに来たわけでもありません。私たちにはプログラムがあるんです。このプログラムを実行することによってしらふでいることができます。このプログラムを必要とし、求め、望んでいる人に伝えるのも、このプログラムの実行です。ですから、もしあなたがそんなプログラムは必要ないということでしたら、あなたの時間をつぶすのはやめて、よそへ行って別の人を探すことにします」
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初期のAAにてこのような事前選択が普通に行われていたのは、ひとつは候補者が(典型的な慢性の、あるいは「どん底の」)アルコホーリクであることを確かめるためであり、また候補者をグループに連れて行く前に(あるいは彼らのスポンサーになる前に)、彼らに「降伏」の経験をさせるためである。

初期のアクロンにおいては、AAの共同創始者ドクター・ボブは候補者と一緒に取り組み始める前に、彼らに対して精力的な事前選択を行っていた。こうした事前選択の手法により、良い選択眼を持てば、成功率を上昇させることができた。

ドクター・ボブの死後、シスター・イグナチアがセント・トーマス病院で高い成功率を維持できたのは、AAメンバーに対して事前選択をするよう彼女が仕向けたからである。彼女はアクロンのAAの社会的地位の高いメンバーに、新人たちの「スポンサー(保証人)」となることを要求した。それは入院中にAAメンバーが面会に来るというだけでなく、新人が勝手に退院してしまったり、入院費用を支払わない場合に代わって支払うことに同意することを意味した。これによって事前選択が厳格なものになったことは疑いない。シスター・イグナチアはこの病院で治療を受けるチャンスを通常一回しか与えなかった。まれに彼女は二回目の入院を許したが、その患者を他の入院中のアルコホーリクたちとは完全に隔離させたのは、士気の低下を防ぐためだった。さらに、三回目のチャンスは誰にも与えられなかった。これも「成功」率を上昇させるのに役立った。ニューヨークやクリーブランドでも同様の試みが行われていたと思われる。

アルコホリズムの治療センターが連続して何回でも治療に戻って来ることを許すと、見かけの成功率は明らかに低下する。このことについての言及は、Mary Darrahによる伝記『シスター・イグナチア』にも見られる。ビル・Wも後に取り上げる論文 “On the Military Firing Line in the Alcoholism Treatment Program”(陸軍におけるアルコホリズム治療プログラムの発火点)という論文の中で記述している。ビルはセント・トーマス病院にシスター・イグナチアを訪ね、彼女のやり方を見た様子を詳しく述べている。

クリーブランドのメンバーたち(およびオハイオ州アクロンのメンバーたち)がオックスフォード・グループから独立したとき、彼らは候補者に対するたいへん厳格な事前選択を採用していた。現在では、これは、その精神においても、また字句的にもAAの伝統3の正反対であったと見なすAAメンバーがおそらくいるだろう。また、ビギナー向けの厳格なミーティングのシリーズを、通常のミーティングとは別に行えば良いと解釈する人たちもいるだろう。アクロンやクリーブランドのメンバーたちは、候補者とたいへん熱心に取り組んだ。初期のAAメンバーの多数は、絶望的でどんな手助けも役に立たないと見なされたアルコホーリクたちだったことは考慮されるべきである。

『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』にクリーブランドでの成功例が記述されている。

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ウォーレンは、つぎのように続けている。25 「わが家で、クラレンスがまず私に話をしたあと、他の人たちがやってきて私に語りかけました。いまのように、一人の人と話しただけでは、ミーティングには参加させてくれなかったのですよ。ミーティングで、どのようなことを聞くことになるのか。またプログラムの目的はなにか。それを、ある程度までわかっていなければならない、と彼らは考えていたのです。つぎに、クラレンスから三ヶ月間にわたり毎晩、比較的新しいメンバーたちの家に通うようにと言われたので、26 私は九〜十人のメンバーたちの話を聞きました。ミーティングに初めて参加する前には、さらに、ビッグブックを読まねばなりませんでした。その結果、彼らが何をやろうとしていたのか、私はかなり理解できるようになっていたと思います」

25. 『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』 p.247
26. 今日では、これは「90イン90」あるいは「90日間で90回のミーティング」と呼ばれるものだ。

下記は『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』から、オハイオ州のクリーブランド・グループが93%の成功率を達成した条件について抜粋してある。27 クリーブランドで93%の成功率が達成できたのは、これまでに論証してきたように、事前選択済みの候補者についてであろう。

27. 『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』 p.383-384, p.385-386

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クリーブランドでのミーティングは、アクロンとは、いくらか違ったかたちで発展していった。「ミーティングは声に出してのお祈りから始まりました」とクラレンス・Sが語っている。「スピーカーは、四週問まえに選ばれ、スピーチの時間は四十五分、最後は『主の祈り』でしめくくりました」
「そのあと、ミーティングが再開され、説明や質問など、ざっくばらんな話し合いがおこなわれていたのです。ミーティング全体は、一時間半から二時間でしたね。前半は禁煙で、後半の懇談のときには喫煙がゆるされていました」
「たばこは良くないですよね」とクラレンスがつぶやいた。「皆さん、気楽に考えすぎですよ。私は、すこしはマナーというものが必要だと思っているのです。当時のAAは、いまより、もっと効果的でした。クリーブランドの記録では、AAにつながった人の九十三パーセントの人が、再飲酒はしなかったのですよ。ですから、AAにいる人がスリップしたことを知ったときは、それはもう本当にショックでした。それにしても、いまのAAは、厳しさが欠けているように思います。だれかが紛れ込んでいても平気なのですからね」
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『ドクター・ボブと素敵な仲間たち』には、クリーブランドでの候補者に対する厳しい事前選択についてさらに記述がある。こうした慣行は消極的あるいは残酷な理由で行われていたのではなく、実際的な理由があったことがわかる。それは極めて困難で挑戦的と言えるほど慢性アルコホーリクの数は多く、それに対してAAのプログラムの効果を示す生きた見本として奉仕できるような信頼できるメンバーは初期においてはあまりに少なかったことが、こうした事前選択の背景にあったことだろう。

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クリーブランドの初期のミーティングでは、まだ飲んでいるアルコホーリク、あるいはやめたばかりのアルコホーリクは、出席を厳しく制限されていた。それについて、ビルにあてた一九四〇年九月のクラレンスの手紙には、「いくつかのグループでは、入院するか、AAメンバー十人の話を聞き終えたあと、初めてミーティングヘの出席がゆるされる」と書かれていた。当時のメンバーは、三ヵ所の病院と二ヵ所の療養所と「取り決め」を交わしており、それらの施設には、いつも十人から十五人のアルコホーリクが入院している、とも記されていた。
参加資格にかんする以上の条件は、1941年の一月には、やや緩和された。クラレンスによれば、新しい人がミーティングに出席するには、入院をすること、さもなければ五人のメンバーの話を聞くか、あるいは委員会による承認を得るかの、どれかひとつが必要であると「ほとんどのグループ」で定めていたという。
ヤングスタウンでは、新しいメンバー候補が初回のミーティングに出席をゆるされる前に、二組の夫婦による訪問を受けることが通例になっていた。まず、男のAAメンバーが、新しいメンバー候補にAAについての説明をしてから、こんどは、その妻のほうがメンバー候補の妻に話す。「このようにして、新しい人は、おおよその知識を持ってからAAに参加するようになっていたのです」とノーマン・Yが話している。
また、クラレンスは、「いろいろなグループがあり、それぞれが特徴を持っていました。しかし、一般的には、ある人がミーティングに来る前に、その人のやる気を確かめ、心の準備をさせてから、AAの目的と原理についての正しい知識を伝えておく。こうすることで、酒に浮かれている男たちにミーティングを妨害されることが少なくなったのです」と記している。
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候補者がミーティングへの参加が許されるためには、3ヶ月間断酒できたことを示す必要があった。このような事前選択によって、酒をやめ続けることができない人たちは、クリーブランドが報告した93%の成功率の計算には含められなかった。同様の参照が『米国アディクション列伝』にも見られる。28

28. 『米国アディクション列伝』page 132-133 c ウィリアム・L・ホワイト.

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AAがオックスフォード・グループから発展的に独立し、ビッグブック発行に向けて動き始めていた頃、それほど目立ったものではないが、もうひとつ画期的な出来事が生まれていた。将来のメンバーたち(当時は、「候補生」、「ベビー」、「ピジョン」、「フィッシュ」、「注意人物」などと、さまざまな呼び名があった)のミーティング参加資格を決定する規則作りがあちこちのグループで行われていたのだ(後にこのような規則は緩和される)。例えばクリーブランドのいくつかのグループの場合だが、病院で解毒が済んでいるか、10人のメンバーとの面接を済ませていなければ、ミーティング参加資格を与えなかった。デンバーのあるグループは、ステップを終了していなければミーティング参加を許さなかった 41。

Endnote (41): P., Wally (1995) "But, For the Grace of God...How Intergroups & Central Offices Carried the Message of Alcoholics Anonymous in the 1940s" Wheeling, WV: The Bishop of Books.
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クリーブランド地域のグループのやり方は、本質的にはすでに回復を成し遂げ、断酒を継続する能力を証明した候補者を「選り好み」している。彼らはクリーブランドのミーティングに参加を許される前の、見習いあるいは入門期間をおおよそ無事に過ごした。

このような状況を踏まえると、クリーブランドで「93%」の成功率が実現されていたという描写は、初めてミーティングに出席する前にすでに3ヶ月の断酒という十分な結果を得た候補者を事前に選び、それに対して93%の成功率をおさめたと主張しているに過ぎない。

有名になった「93%」の成功率は、実は「失敗に終った」ためにクリーブランドのミーティングに出席を許されず除外されたアルコホーリクの数を示さず、実績を示した好都合な部分集合を候補者にするよう偏らせることで作り出された、どうにも心許ない主張に過ぎなかったのである。

ビル・Wは、働きかけるアルコホーリクを選別することは、特に新しいグループを立ち上げるときには、十分な理由があると考えていた。それは「数字を良くする」ためではない。彼は選別がアルコホーリクス・アノニマスの成功に欠かせないことだと考えていた。1939年に、シカゴでAAグループを始めようとしていたEarl Tに宛てた手紙の中で、ビルはこう書いている。29

29. “Pass it On” page 225.

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このやり方だと、浮浪者や精神に障害を持った人たちをたくさん簡単に引き寄せます。確かに、神の目には彼らも他の私たちと同じように大切なのに違いありません。彼らは私たちより壊れ方が激しいだけであって、後に分かるように、グループが十分な大きさと力を蓄えたときに、ある程度の数の彼らを引き受けられるようになり、彼らも見捨てられることはなくなるでしょう。けれど、最初から彼らをあまりたくさん引き受けてしまうと、あなたの家はまるで飲酒同好会か、病院か、託児所のようになってしまうでしょう。
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(上でも引用した)“Survey Midmonthly”誌の1947年6月号の「問題飲酒者」と題された記事では、刑務所や保護観察の初期における事前選択の採用について述べている。

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刑務所および矯正施設内ですでに30以上のAA支部が設立されている。刑務当局と支部メンバーの監督の下で行われる週一回のミーティングには、30人から40人ほどの受刑者たちが参加し、訪問したAAメンバーたちの話を聞いた上で、質問や提案や、自ら話に加わるように促される。新しい参加者は酒をやめたいと心から思っているかどうか注意深く確かめられ事前に選択される(強調追加)。アルコホーリク候補者に対するAAの取り組みにおいては、受刑者はその監督を引き受けるAA「スポンサー」の観察下に置かれる(強調追加)。スポンサーは彼を地元のAAクラブハウスに紹介し、日頃のミーティングに一緒に参加する。これは、新しいメンバーに対して、グループに「属し」、「家族の一員となった」ように感じてもらうためである。
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ビル・S(Bill S.)軍曹は、『On the Military Firing Line in the Alcoholism Treatment Program(アルコホリズム治療プログラムの軍隊における最前線)』と題した彼の本の中で、彼が1950年代初頭にサン・アントニオのラックランド空軍基地で立ち上げた、極めてAAに類似したアルコホリズム治療プログラムにおいて、どのように同様の成功率を達成したかについて述べている。50%は初回から断酒し、その後も断酒を維持し続けた。その他の人たちも、いったんはこのプログラムから離れたものの、最終的にはチャンスを逃したことに気づいて、自らAAミーティングに戻り、酒をやめた。

ビル・S軍曹(彼は1948年にロングアイランドで酒をやめた人物)は、自分が関わる前に対象者の事前選択を行った。強い動機を持っている根拠があるかどうか(これはドクター・ボブが重視した基準である)、さらにビル軍曹は、重大な精神的問題を抱えた人を除外した。後者の基準とは、深刻な精神的問題を抱えた空軍職員は除隊になってしまうため、彼のプログラムに加えることを拒んだのだった。

ナンシー・O(Nancy O)の本、『With a Lot of Help from Our Friends(友人たちの支えがあればこそ)』には、1960年代の海軍でJoe Zuska医師が立ち上げた治療プログラムの成功について述べた章がある。このプログラムはチームによる取り組みであり、その中にはあるAAメンバー(退役した海軍中佐ディック・J)が常にアドバイスを提供していた。チームの中でJoe医師は(アルコホーリクではなかったが)ディック・Jの話を真剣に聞いた。

引退した海軍中佐サブマリン・ビルは、元はZuska医師が立案した海軍での治療プログラム全体に関わった。彼らは候補者をたいへん注意深く事前選択し、プログラムに取り組むことを拒否する者は、治療プログラムだけでなく、海軍からも追い出した。こうしたことで、彼らもたいへん印象的な成功率を示したのである。

初期のAAメンバーたちは「リハビリ」センターや「デトックス(解毒)」センターのようなところでの治療プログラムの開発の多くに直接関与したのであるが、現在ではそれらは「協力すれども従属せず」の精神で運営されている。それらの施設はAAから完全に分離された。施設の重要性は、今日のAAメンバーのおよそ1/3が、彼らが最初にAAにつながった重要な要因の二つのうちのひとつが「治療施設」であると述べていることからも分かる。30

30. 「2004年AAメンバー調査(2004 AA Membership Survey)」c AAWS, Inc. によると、31%のメンバーが治療施設を挙げ、別の8%は相談機関を挙げている。

では現在のAAも同様の成功率を上げられるだろうか?

サブマリン・ビルともう一人のAAメンバーは、インディアナ州オセオラ(Osceola)において、優れたAAミーティングでの研究を行った。そこでは、古い時代のAAのやり方と手続きに従っていた。過去12年以上にわたって、毎週木曜日の晩のミーティングにまる1年間(ほぼ)欠かさず出席していた新人の90%は、その年に飲酒をしなかった。さらに、その年に飲酒しなかった者の90%は、その後に他の地に移って他のAAミーティングに行くようになった人も含めて、現在も断酒を続けている。このやり方で、約80%の成功率が達成できたことになる。

調査を行った二人の人物は、ミーティングに比較的少ない回数しか出席せず、その後に脱落してしまった人たちをまず初めに除外したが、それは彼らが真の動機を持っていなかったからだと説明している。彼らを除けば、最初の1年の内にミーティングに行かなくなった人は少数である、としている。

ひとつの課題は、多くのアルコホーリクの候補者が当然に示す「否認」や抵抗を、AAの回復のメッセージがどう乗り越えていくか、を示すことだ。候補者たちが十分長く留まれば、彼らは最終的には「納得する」のである。上に引用した成功例は、候補者達がAAの回復のプログラムに「真剣に取り組めば」何を成し遂げられるかを明らかにしている。

ビル軍曹は彼の本の中で、初期の頃、アクロンの周囲地域には、良好なAAグループも、下手(poor)なAAグループも存在していたことを説明している。彼は1940年代にアクロン市近くにあったあるグループが、新しい人を手助けすることにひどく失敗していたことや、助けられたはずの人たちのほとんどに失敗していた理由を明らかにした。

事前選択を行って、AAミーティングからある種の人々を排除することは道徳上のジレンマを引き起こす。

・基準をあまりに高くしすぎると、ときにメンバーたちは、プログラムに取り組める候補者の一部についても、一緒に取り組むことを拒むようになってしまう。それは、その人たちに悲惨な運命を、時には死刑を宣告するのに等しい。

・基準をあまりに低くしすぎると、(シスター・イグナチアが強調したように)モラール(士気)が低下してしまう可能性がある。そのことは、プログラムに取り組めるアルコホーリクたちを、結局は失敗に導き、同様に(死刑)宣告をするのに等しくなってしまう。

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(続きます)


2015年02月02日(月) 翻訳企画:AAの回復率(その8)

セクションe)の後半です。

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AAの失敗についての主張を検証する:

世界的な規模で、アルコール乱用と依存による結果は厳しい状況にある。2003年にはアメリカ国内で1,700万人の候補者がアルコール問題の手助けを必要としていた。状況を説明すると、「助けを必要とする人たち」はAAミーティング会場のドアをくぐるか、AAメンバーの訪問を受ければ良いわけであるが、断酒と回復を達成するためにはその人が「助けを求める」必要があることを意識しなければならない。
AAはその始まりの頃から、AAミーティングにやってきた人の60~80%は真剣にAAに取り組んでみようとはしなかった。彼らは調査の対象とはなったが、(AAに)加わることをしなかった。彼らは興味を持たなかったか、AAで手助けが得られることに気がつかなかったのだ。また、AAの中に解決を求めない人たちの中には、人生が手に負えなくなったという彼ら自身の状態を認めることができないか、あるいはそれを認めることを嫌い、それについて何とかしようという意欲を持てない、という特有の特性を備えた人たちもいる。

こうした特性や潜在的な(対象)人数を考慮すれば、AAミーティングにやってきた人やAAメンバーが接触した人の一部しかAAで成功しないのは意外ではない。問題を抱えた対象者の中でも、助けを拒む、あるいは助けに抵抗するという特性を持ったセグメントを手助けしようという、うんざりするような挑戦をAAは行っているのである。

この対象人数の多さによって、(過去においても現在においても)AAの有効性を否定できるものでもないし、(現在の)AAの失敗を証明するものでもない。この数字は、アルコール問題の苛烈な結果に直面してもなお解決を求める意欲を持たずかつ非協力的な候補者たちを手助けする、というAAの使命の困難さを示しているのである。

時に「否認」とか「挑戦的姿勢」と呼ばれる不健全な特性によって、アルコホリズムはよりいっそう破壊的なものになっている。これにより、候補者自身がアルコホールの問題を抱えていることを認め、十分実績のある解決を受け入れることが、AAの最初のステップの中核的な原理であるとされている(「私たちは自分がアルコホーリクであることを心の底から認めなくてはならないことを知った」)。23

23. ビッグブック第3章「さらにアルコホリズムについて」45ページ

ある人々は他の人たち(例えば家族、友人、医師、看護師、聖職者、法律家)あるいは制度(例えば職場、治療施設、法制度)からの圧力を受けてAAにやって来る。とはいえ、AAへの出席を強いられた人たちもともかく酒をやめる。

断酒とはまったく関係のないことを解決したがる人たちもいる。そうした人たちの多くは、AAミーティングに何回か顔を見せた後には、もうミーティングに出るのをやめてしまい、AAを試してみようとはしない。さらに加えて、飲酒の経験を持たないドラッグ・アディクトの増加、裁判所の命令や職場の命令によって非自発的にやって来るたくさんの人たちがAAミーティングに出席し、こうした数字をもたらすのである。

・AAにやってきた人の20~40%は酒をやめたいと願っている。彼らは、それ以前に何百万人が試してうまくいったやり方を試してみるだろう。彼らはAAのビッグブックが「回復に必要な核心」だとし、さらに、「これらなしに、回復はありえない」と強調しているもの、すなわち意欲、正直さ、開かれた心を、最初から備えてきたか、あるいは後になって培う。24

24. ビッグブック 付録供嵶酖体験」p.268(ポケット版)

・ビル・Wその他が主張している50%+25%の回復率は、この「真剣に努力して取り組んだ」20~40%の人たちだけに当てはめられうるものだった。ビル・Wはこの限定条件を強調するよう務めていたが、それはしばしば曖昧にされ、また無視された。

・努力して取り組むことのなかった60~80%はAAの失敗ではない。AAに費やした努力がゼロならば、AAから得られる結果もゼロであるのは単純な常識である。これはAAの有効性の問題ではなく、候補者がAAを信頼して、AAの回復プログラムに対して努力できるかどうかの問題である。

主張の根拠と引用について検証する:

AAでの回復率が5%あるいはそれ以下という失敗の神話を広めようとしている人たちは、AAの悲惨な(そして歪められた)回復率を主張し、それは特定のタイプのビギナーズ・ミーティングやステップのコレオグラフィー(振り付け)、あるいは口述や筆記による棚卸しのやり方、特定の祈りや黙想の方法や、また聖書を使うこと・・・などなどで、元の水準に戻せると断言している。

このような主張をする復古運動は希望的な想像と推測の産物であり、歴史についての信頼できる調査、情報、実証とは対照をなすものである。データの収拾手法や原因と結果の推定に欠陥があり、それらがどのように引用され、どんな主張を組み立てているかについても無頓着である。

歴史についての分析は、ある程度学術的な体裁を保っているが、綿密な調査が行われる一方で、(資料を)検証する努力は少なく、観察されたデータの精度には疑問が残る。

誰かが悪意を持って人を欺こうとしたとほのめかしたいわけではない。この問題の複雑さを分かりやすく描くとするならば、まず、今日のほどほどの規模のAAグループを対象にして、過去6ヶ月あるいは1年の成功・失敗率を導き出そうとしてみて欲しい。AAの備える構造、(グループの持つ)自律性、またアノニミティ(無名性)が強調されるおかげで、成果の精密なデータを求めることは事実上不可能である。

AAの回復率が惨憺たるものであるという主張に関連して、不正確な言明や「研究が示すところによれば・・・」という引用を行うことで研究による裏付けがあると表現する主張が、ますます頻繁に行われ、広がりつつある。その多くのケースで、おざなりなレベルの議論や、実質を伴わない論文が引用されているに過ぎない。それらの学術論文その他の文献が、題や著者や日付から特定できることはない。

多くの場合、特定の研究への参照を示すこともなく、ただそれが存在するとのみ主張し、実際には存在していない、そんな疑わしい引用を、再引用(孫引き)しているだけである。その結果、AAの失敗率についての間違った主張が、あたかも妥当性を帯びているかのように示され、立証されることなく繰り返されてきた。

また、失敗の主張あるいは推論を実証するわけではない特定の文書が引用されていることもあった。

本論における成功の主張の検証する:

AAの成功あるいは失敗の評価は、それが肯定的な主張であれ、否定的な主張であれ、それに対して決定的に正しさを立証する、あるいは間違いとして論破するために必要なAA内で一貫した記録が保持されていない事情により、困難なものとなっている。AAの(グループの)自律性と無名性を持った構造が、AAグループやメンバー数の履歴の推定すら得ることを難しくしている以上、過去70年を越えるAAの歴史の中での成功あるいは失敗の計測はいずれも精度の低いものとなっている。

ではあるものの、本論でも取り上げた1968年以来のAAメンバー調査は、取得できた信頼性の高い統計情報を元に得られた特徴によって(AAの)平均像を提供してくれるもので、そのサンプル抽出は無作為に行われ、正しい文脈で解釈され、そして最も重要なことは倫理的にかつ正確に解説されていることである。

本論のa), b), c)の各章では、過去3年おきに行われたAAのメンバー調査について、グラフや表やその解析を掲載した。これらによって、調査のデータをどのように解釈すべきが明白に説明できていることを望むばかりである。

要約すると、これらのデータは以下のことを示している:

・AAミーティングに出席して1ヶ月目の人たちは、その26%が1年経過した後にも出席を続けている。

・4ヶ月目にもAAミーティングへの出席を続けている人たち(つまり90日間を越えて留まっている人たち)は、その56%が1年経過した後にも出席を続けている。

・その他の調査においては、最初の年についてやや良い保持率の結果が得られたものもある。

・2004年の調査では、2001年の調査よりも断酒期間が伸びている(この傾向は1983年以降一貫している)。

・2004年の調査では、それまでの調査における「5年以上」の範囲が分割され、「5~10年(14%)」、「10年以上(36%)」、つまり5年以上が50%と、AAにおける長期断酒者の存在が目立つものとなっている。

・AAにおける断酒期間の伸びをみると、1983年の調査では5年以上の断酒期間を持つ者の比率は25%であったが、2004年の調査では5年以上が50%となっている。

・AAにおける断酒期間の平均を見ると、1983年の調査では平均で4年であったが、2004年の調査では平均8年以上となっている。

これらは失敗を示す数字とは言えない。

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(続きます)


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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