NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 恩師の死

 ずっと前は私の備忘録として機能していたんですよ。このブログ。今日は久しぶりに備忘録モードで。

 私の恩師が死んだ

※訃報:波多野里望さん76歳=元国連人権小委員会委
http://mainichi.jp/select/person/news/20080320k0000m060046000c.html?inb=rs

 私が国際法が面白いと思ったのも、文系なのに大学院に進学しようと思ったのも彼の講義や教えを受けたから、という訳では全くなく、他の先生たちの影響だったが、小学校以来学んできた恩師たちの中で初めての訃報だ。それなりに感慨深い。

 二年生から四年生まで都合三年間毎週顔をゼミであわせていた。(二年次は、外国書講読という講義だった。語学が嫌いだったために、その講義で代替したのだけどまさか彼のゼミにはいるとは全く持って思わなかった。ところで、彼にゼミにはいったおかげで、国際法模擬裁判大会なんていうものに、あろうことか弁論人として参加することになったし、おかげで今でも履歴書の一行が埋まるので助かっている)

 彼のゼミには本当に法学部の中でも変わり者が集まっていたと思う。というか、法学科の中で国際法をやろうとすることが変わり者の証といえばそうだ。合宿で夜通し「日本をどうするか」とか「国際社会にあるべき方向」とかを延々と先輩たちが議論していたときには圧巻でした。他方で、私は、国際法のコンテンツとして興味があっても、そのアウトプット(国際法を勉強して国際社会に貢献したいとか)に全く興味がなかった私にはさすがに引きました。それでもとてもエネルギッシュでいい人が沢山集まっていたものです。彼の人柄でしょう。


 どんな人かというと、彼ほどいわゆる「華麗なる人生」を歩んだ人を見たことがない。お茶大総長の父と児童教育の大家を母に持ち、小さい頃からベストセラー小説(波多野勤子『少年期』1951年。同年映画化)の主人公になっていた。一高・東京帝大を何よりも誇りにし、スキーの写真を見せられると「あーそれは終戦の次の年にスキーにいった写真だ」とか、焼け野原でフォードのオープンカーを乗り回していたこととか、数々の女優と浮き名を流したこととかを、年末のクリスマスパーティに招待されたときに毎年聞かされた。(彼の最期の著書『心謝―ボクの宝ものたちへ―』も、この手の話で一杯)

 全てが事実なのだから仕方ないし、あまりにも華麗なので嫌味にも聞こえなかった。それが彼の持ち味だったと思う。とても酒が好きな人で、合宿に行ってそば屋で昼食を取ることになっても、ビールが隣の席からオーダーされてきたのが面白かった。私が最期にあったのは、留学前に推薦状を書いてもらったときだが、サインをもらいに自宅に行ったときも、「奥さんがいなくてね・・・。悪いけどその台所に用意してある盆を持ってきてくれないか」といって、私が台所に行くと、ビールとコップが乗せてあった。思えばあれが最期だから、卒業後に会うチャンスがあった私は結構ラッキーかもしれない。ほろよい気分で、目白の自宅を後にしたのが昨日のようだ。(といっても数年前だが)思えばあれが最期だから、卒業後に会うチャンスがあった私は結構ラッキーかもしれない。


 とまあ、そんな彼の訃報を聞いてから、数時間考えてしまった。

人生を終えてどうでしたか?先生。楽しかったですか?

 晩年はガンに苦しんでいたという。(その頃から海外にでていた私だが、伝え聞いただけでも大変そうだった)ところが、前述の『心謝』には、声が出せず、流動食オンリーでも、なんてことない。全くつらくない。障害者手帳でタクシーが割引になりラッキーだ、という話が書かれてある。

本当だろうか?

『少年期』を読むに、学者肌の厳格な父のもと、四人兄弟の長男(そういえば五人兄弟で五人東大に入り、さらに入りたかった外務省にまで入った小和田家をライバル視していた。上には上がいるものだ)として背伸びして生きている様が描かれてあるが、彼の華麗なる人生を、いつも語っていた彼はずっと背伸びだったのか。それとも、ああいうキャラクターだったのか。今になっては分からない。(改めて『心謝』を読み返してみたけれど、本当に、まえがきからあとがきまで「背伸び」とも、「自慢」ともつかない話で一杯なのでわからない)

 彼には、人生を終えて、「ふぅ」とため息をつかないでほしいな、と思った。むしろ、「もう終わりかよ」と思ってほしい。ところが、そんな風にみんなに思われて生きてきた彼は、ふぅっとため息をついているかもしれない。



 どちらだろうか?考え続けて数時間がたった。76年間の人生を終えてどうですか?先生。
 冥福を祈りたい。


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[追記:他にも疑問はある]
 突出した業績(彼の愛して止まない母校である東大に入るとか、外務省に一種で入るとか、国連にはいるとか)を残さないと卒業後名前を覚えてもらえなかったけど、今なら覚えてもらえるだろうか?ちょっと不思議だ。
 4月20日のお別れ会。彼のお父さん(波多野完治氏)のお別れ会は私たちが手伝った。これも感慨深い。二代続けて葬式にでてみたいが、そうもいかないだろうな。残念です。誰かこれをみて私を知っている人連絡ください。
(写真は私の大学の写真。その頃デジカメなんてはやっていなかったので、PCにあったのはこれだけですよ)


2008年03月20日(木)



 あるべき指導

 偶にはリクエストじゃなくて、本当に私が考えていることを書いてみよう。

「kiyo、これだけかな?君がここ二週間で行った研究成果は?」
「はい・・・。すみません・・・。」

 温厚で面倒見がよくて知られるイギリス人の私のアドバイザーも怒るときがあるんだな、と思ったくらい怒られた。


「しっかりしなくちゃだめだよ。とりあえず書いてきたようなものを出す人はフィードにでて色々なことに取り組まなければならないようになるともう訳が分からなくなってしまうものなんだ。そういうことは態度にでも出る。しっかりするのは態度からだ。・・・ほら、つまらなそうな顔でいること自体も問題だ。笑顔で堂々といつもしていなさい

 心の中では、「だってアフリカにおける19世紀の植民地教育のレポートを書くために50時間以上連続で作業していたんだ。そりゃ疲れがでるよ」と思ったが、ま、そんなのいいわけにならないので、ひたすら、「はい。ごめんなさい」と言い続けるわけだ。

 ここの学校の先生たちは「穴」がない。彼なら、優しく指導してくれるだろうと思って前の先生から変えてみたたけれど、確かに優しいのはアドバイスだけで、要求してくる量や質は全然優しくない。一ヶ月に二回は海外出張にでて世界のどこかにいるにもかかわらず私が書いたものは全て目を通し、細かいところまで議論をしてくれる。圧倒されるくらいの仕事量なのに手抜きがない。とはいえ、疲れていても、いつでも時間を作ってくれるし、部屋に入るときと出るときは笑顔で固い握手をしてくれる。その上、私たちが将来この分野でフィールドに出たら、という哲学まで教えようと一生懸命だ

 指導するとはそういうことなんだと思う。


「娘には、友達を一杯作ってほしい」といっていた知り合いの人付き合いの苦手なお父さんや、「嘘をつかないような人に育ってほしい」という浮気の限りを尽くしている最近結婚した友人がいたが、噴飯ものだ。

 指導するとは、手本を見せることなんだと思うビール片手にテレビをみながら「勉強しなきゃだめだぞ」といったって、無言で会釈するようなやつが「挨拶は大切だ」と部下に怒鳴っても説得力はないわけだ。部下や子供が「遊びに行きましょう」と行ってきたときに「今忙しいからだめだ!」といって机に向かい続けることこそあるべき指導なんじゃないかと思った。


 きっと、卒業したらここで勉強したことの延長のような分野は無理なんだろうと思うと非常に心苦しい。でも、それまで少しでも期待に添うべくがんばろう。そうすれば、仕事に就いた後だって、いつか戻ってくる日のためにがんばれる。うん。


2008年03月16日(日)



 尻馬に乗る

「あなたのストレス解消法は?」と聞かれたことはあるかと思います。私もこんなページを何年もやってるものですから多々あります。そこで格好良く「ストレス?貯まらんよ、そんなもの」とか、「ストレスなんてあるのは負け組の証拠よ」なんていってみたいものですが、そういうありきたりで、嫌味な肩すかしもどうかと思うので返答に困ります。
 


 ただ、正直な話「ストレスがたまったな〜」という感覚は分かりません。かといって、絶対ないわけじゃないんでしょう。ストレスってなんでしょう。

「ストレスの原因はストレッサーと呼ばれ、その外的刺激の種類から物理的ストレッサー(寒冷、騒音、放射線など)、化学的ストレッサー(酸素、薬物など)、生物的ストレッサー(炎症、感染)、心理的ストレッサー(怒り、不安など)に分類される。ストレッサーが作用した際、生体は刺激の種類に応じた特異的反応と、刺激の種類とは無関係な一連の非特異的生体反応(ストレス反応)を引き起こす」

 とウィキペディア先生はおっしゃっている。つまり、寒いなぁとか、なんかこの部屋臭うわない?とか、のどが痛いとか、明日締め切りじゃん!やばい!とか、感じたり思ったりすればストレスが体に蓄積されているわけですね。


 ところで、ま、多くのストレスは確かにハンドルできると考えられる。暖かくして、換気をして、薬を飲めばいいのだから。心理的ストレスについてはどうだろう?会社やめちゃえ、あの子と別れちゃえ、というのも結構簡単な気がするが、そもそも、そんなブラック会社に何年も勤めてしまったことや、あんなビッチに何十万・何百万も貢いでしまった過去は取り戻せないから、一生心理的ストレッサーからは逃れられない。

 ま、心理的ストレスは自分との戦いということだろう。

 話は急展開しますが、馬はそんな心理的ストレッサーと向き合わざるえないことを教えてくれる。

「ふむ。今日もきたのかね。」
「ええ。このキャンパスからもずっと離れたこの場所にくれば、修論も課題の締め切りも、机の上に5センチになろうかという読まなければいけない資料も、実はなかったんじゃないかと思えるのですから。」
「・・・。」

「じゃ、私のマッサージからはじめてくれ。今日はしっかり頼むよ。私の飯の邪魔をして乗ろうというのだ、それくらいやってもバチはあたるまい」
「はい。がんばります。今日も体が温かいですね」
「うん。今日は沢山たべたからな、これだけ熱を発することが出来るのだよ」

「いいですね。」
「そうかね?ここは馬50頭と猫二匹と少しの人間だけの世界だ。食べるものだって、ほら。干し草ばかりだ」
「でも、ここは全てを忘れさせてくれる。あなたの背中にのっていると世界はあなたと自分だけになった気分ですよ。それは私が未熟故に、ほかに注意を払う余裕がないからに他なりませんが・・・」
「・・・。」

「また、きていいですか?楽しかったです」
「・・・。」

「実は論文が進みません。課題も明日までなのに一文字たりとも書いていません」
「・・・。」

「来週は徹夜が三日になりそうです」
「・・・。」

 なぜか、厩舎にたたずむあの方たちは、私の問題とは向き合ってもらえない。しずかに私を見つめながら、二人の間の関係についてはコミュニケーションを取ってくれるが、厩舎の外の世界について話しても沈黙するばかりだ。心理的ストレッサーの処理はごめん被る、といわれているようだ。全然ストレス解消にはならないが、私はここに足を運び続ける。



 最近日本語を教えていたら、インストラクターの女の子に「日本語教えてないでね。私だって日本語覚えなくちゃいけないでしょ」と言われた。


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2008年03月07日(金)



 英語力を語ってみようじゃないか

 マイナス10度前後の日々が続くイサカにおりますが、もう三月。日本では、桜の季節がやってきますね。来年は今どこで何をしてるんだろう、とまだ一字たりとも書いていない修論など色々背中を押されている気分です。

 NY在住の頃から何度かメールをいただいているのですが、英語や英語の勉強について書いてみたら?という提案を何度かいただきます。一応、毎日英語を使って過ごしている身として意見がないわけでもないのですが、なんせ英語が嫌いで上手じゃないものですし、なんか多くの場合「勉強してみたいとおもってさ、英語(最近は他の語学も散見される)はじめたんだよね。どうしたらしゃべれるようになるかな?」っていう話をよく聞くんですよ。そんなに英語が好きなら別に効率とか近道とか考えないで勉強していれば?って思うので、「すごいね。私は頼まれても勉強したくないけど、がんばってね」としか反応できないのですね。


そもそも誰とどんな話をしたいのか?

 私はいつもこの返事をするけど、「実は、毎年暮れに、デザイナーを何人か招待して、話を聞くがそこで私はいつも売っているアクセサリについて思っていることを聞いてみたいのよね」ってしっかりと目標と手段が明確な方もいらっしゃいましたが、ま、だいたい答えに詰まる。

「ほう。対して腹も減ってないくせにお前は急にトンカツが食べたくてレシピを知りたくなるたちなのか?」と本当のことをいうと心の中で思ってしまいます。嫌味ったらしいですね。(それは私の大嫌いな英語を好きになろうという人の反発だと思ってくだされば)

 ま、優しく解釈して、だいたい出てくる言葉は旅行とかでしょう。「This!」しかしゃべらずニューヨークで一週間、観艦式に参加してきたうえに、セントラルパークで友達を作ってきたり、食べたいものを食べてきた「強者」もいらっしゃいますから、まあ必要ないといえば必要ないですよね。むしろ、そんなディスコミュニケーションも旅行の醍醐味じゃないかと思います。


 もっといえば、英語を話すとなぜか性格が豹変する人がいるのはどういうことだろうか?
1. フレンドリーにふるまうこと。
2. アクティブに活動すること。
3. ポジティブな人生観を抱くこと。
4. キュートであろうとすること。
5. 図々しくあらゆることにクビを突っ込むこと。
6. 約束をしまくること。

 そうか。英語を話すことによって今とは違う自分へと変わるためのステップか?

 幻想だよ。そんなもの。日本を一歩外に出れば、みんなそんな浮ついた人生を楽しんでいるとでも?世界中どこに行っても、礼儀や思慮深さといった類の人間としての成熟さは求められるのですよ。


 というわけで、英語に過剰な期待を持つのはやめた方が良いのかと存じます。ただ、以上の話を踏まえて、英語力上達のティップスがあります。これは私のいままでのアメリカ生活を通じて観察されたことです。

「恋愛と事故は英語力を無理矢理急上昇させてくれる」

 はい。
 これに尽きるな、と思うのが、私の結論です。ね?人間関係を上手に運ぶ術も必要だし、熟慮も不可欠だ。そのうえ、確固とした目標と手段として英語がそこにはあるでしょう?あんまり前者には縁がありませんでしたが、後者は数多く経験しました。いざとなったらしゃべりまくる自分に驚いたりします。じゃ、TOEFLにしてもTOEICにしてもがんばってください。私は明日のテストにむけてがんばります。英語で書くまえに、何を書けばいいかわからないハードルに悩まされています。


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2008年02月27日(水)



 ダンスパーティでの妄想

 バレンタインデーでしたね。なんか、スーパーマーケットに行ってもラブラブな(←ところでこの言葉はまだ死語じゃないでしょうか?)雰囲気が醸し出されていて、こんな田舎町ですらそうなのだから、マンハッタンはさぞかし、すごいことになっているんだろうな、などと想像してしまいます。もう住んでいた頃の記憶も薄れてきているくらい山暮らしにそまってしまいました。

 アメリカにきて思ったのですが、カップル数は日本の方が多いんじゃないかと思う。あと、恋人(彼氏)の前だとはずかしそうにしてる女の子が多い。いつもは、あんなに勝ち気な若者なのに・・・。私の錯覚でしょうか?

 ま、それはともあれ、バレンタインということもあって、その週の土曜日は、ジャズバンドが呼ばれるイベントがありました。大々的に宣伝しているわけじゃないし、そんな小さなイベントは無数にあるので、めちゃくちゃ多くの人が来てる訳じゃありませんでしたが、とてもみんな幸せそうでした。(ドレスの女の子がそれはもう綺麗なことも喜ばしい)


 まるで映画のようですね

「お父さんはね、寒い雪の夜に、私のアパートのドアをたたくから何かと思えば、急に『ダンスに行きませんか?』なんてあの生真面目な顔でいうのよ。笑っちゃうわね。思えば、それからかしら。お父さんのことを意識したのは。でも、当日に、それもいきなりダンスだなんて・・・。せっかちなところはあなたそっくりね」

 とか。そんな台詞を、何十年後にあの女の子は自分の息子がいざ、高校のプロムに行く前に、息子の背中をたたきながらしながらしゃべってたりして・・・。妄想はふくらみます。


 90歳近いおじいさんも参加していました。奥さんらしきおばあさんとダンスを終えた後に、他の女の子が「是非私と」と、手を引いていったのが印象的です。

「なんですか。うちの孫よりも若い女の子にちょっと優しくされたからって、ニコニコしちゃって!・・・でも、良かったわ。私の夫がまだまだ人気者でいてくれて。じゃなかったら、50年前に私の両親の反対を押し切ってこんな山奥まで嫁いできたかいがありませんものね」

 ダンスは夜9時から12時まで。人気の全くない週末のキャンパスの一角で行われました。自分の彼女にコートを着せて上げながら、思い出は一つ増えます。こういうイベントがアメリカのカップルには多いんじゃないかとも観察されますね。


「ほ、本当はあなたなんか誘ってくれなくたって、一杯私にはボーイフレンドいるんだからね」

 って、目鼻立ちのはっきりした背の高いヨーロッパ風の女の子が、英語で言ってたらおもしろいなー、と思った。(英語でなんて言うんだろう?)私は変態だろうか・・・。

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2008年02月18日(月)



 雪山で会いましょう

 今日(2/12)は寒いなー、とやまない咳(そうです、風邪を引いてしまいました)を押さえ込みながら外に出てバス停に向かう。おかしいぞ。バスを待っていると足の裏が凍る。この寒さは・・・と思っているとマイナス16.7度でした。そりゃ寒いわけだ。もう、授業とか図書館とかミーティングが終わったらすぐ帰ろう。それが良い。

 こんなに寒くてもイサカはあんまり雪は降りません。代わりに車で25分前後いったところの隣町にはちゃんとスキー場があるんですね。夏の間にしっかりシーズンチケットを買ってしまった私は(その方が安い)できる限りスキー場に行くことにしています。私のマイミクの一人がどうやらスノボーに命をかけている人がおりまして、骨折をしてもゲレンデに足を運び続けていますが、あれはあれで中々求道的でよろしいかと思う。私もそれに習って通い詰めております。


 私は、こうみえてスキーが大好きです。恐らくうまいんじゃないかとも思いますよ。というわけで、いつでも行きたくてしょうがない。というか、金・土・日のいずれか半日は必ず行っている

 ここからが本題。この付近にスキー場はこの一カ所しかないし、結構寂れたところなので高速フード付きクワッドリフトなんてものはまったくない。すべて二人乗りの鈍行。食堂も、さびれてる。それでも、この近くの住民にとって数少ないエンターテインメントがスキー場なものだから、和気藹々としていてとても良い雰囲気を醸し出している。

 例えば、これ。どうやら、付近の消防署員たちの綱引き大会がゲレンデであるらしい。到着したとき装備をつけた消防署の人たちが騒いでるからびっくりしましたよ。なるほど、消防服は防寒着にもなるのか・・・。綱引き大会の後は、ほかのスキー客たちとバーベキューを楽しんでいた。良いですな〜。っていうかおいしかったよ。非常に。スペアリブとか忘れられない。


 その次これ。最近はボーダー用のチューブとか設置しているゲレンデも多く見られますが、これもおもしろいね。でっかいタイヤのチューブにのって、丘の上から滑り落ちるるのです。


 一度やってみたけど非常に楽しかった。タイヤチューブをそりにつかっているわけですね。丘の下には干し草が巻かれていてそれがブレーキになって止まる仕組みらしい。山の上にはフックの着いたリフト(?)でひっぱってもらう。あがるのも楽しいし、降りるのもまた楽しい。私がスキーができる理由は私の両親がこうしたままごとじみた雪遊びにつきあう気が全くなくてスキーを与えられたからだけど、これなら一日中楽しめるかもしれない。

 というわけで、田舎の小さな小さなスキー場は設備投資ができない分だけ色々な遊びを考えついて付近の住人を楽しませておりました。リフトにのっていても、隣に座った少年・少女に「どっからきたの?教えてよ」とか「ヘイ!競争しようじゃないか!」などと話しかけられるのもまた一興。待っていますよ、冬山で。一緒にすべりませんか?
 いずれにしても寒い冬、お体に気をつけてお過ごしください。ゴホゴホ。

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2008年02月12日(火)



 相談に乗ろうじゃないか?

 いつもはフィクションかノンフィクションか分かりませんと言っていますが、今日は本当の話

 人に何かを教えるのは好きじゃないけど、何かと教壇に立ってきた。(基本的には小学生は教えないことにしていたが、夏期講習だけ、ということで二週間小学生ともつきあったことがある。)進学塾・補修塾だけじゃなくて、専門学校でも教えたから年齢の幅は相当なものだ。アメリカにきてまで教えてみたが、大学だし、ま、適当に教えてればいいや、と思っていた。私は基本的に大学教育に関しては非常に保守的なので、わかりやすく、とかやる気を出させるように、とか、興味深く、とかいうつもりは毛頭ない。分かり易くかみ砕いて、興味を少しでも持ってもらうように教えてもらったところで、楽しいか?と思うからだ。基本的に高等教育はツンデレだと思っているので、必死で口説いてちらりと微笑んでもらうだけで大喜び、というものじゃないかな。


 さて、そんなわけで、「あ?出欠細工してほしい?いいよ。」「デイリーグレードが大変?あ、そう。じゃ、来週は9点を三つ上げるよ」という具合で成績や出欠は適当につけていた。(他方、教えるコンテンツはしっかり伝えていたように思います)そんないい加減な雰囲気で教えていたのですが、先日、生徒の一人から呼び出された。

 20歳の男の子。(英語だが、一応雰囲気も含めて日本語訳で・・・)

「あの、実は聞きたいことがあります」
「え?なになに。別に私はコースワークはそれほど多くないので時間は大丈夫よ」(ゲイついに告白きたか!?)
夢ってありますか?」「はっ?夢?」「そう、夢。人生のゴール」(いや引いた。いきなりそんなことのために呼び出されるとはね)
「まいったね。夢か・・・。とりあえず来月マンハッタンにいってNYで一緒に勉強した友達の見送りをすることが最近の目標かな。お金と時間を相談しないといけないけど」
「他には?」
「他に?・・・。いまダンスのクラスを取っているが、インストラクターの女の人が非常に魅力的なんだ。一度近くで、話をしてみたい。母親が事件に巻き込まれたが、無事に解決すると良いな。あと・・・。そうだな。今週末はスキーに行きたいので雪が降ってくれることが私の夢だろうか?」
「そんな小さな夢しかないのですか?もっとどんな仕事がしたい、とかそんなことは?」
「今、就職をしているが、コーネルの学位は日本じゃあまり役に立たなくてね。もうどうでもよくなった。今までの人生が楽しかったから、残りがつまらなくてもいいかと思ってる


「俺は嫌です。多くの人と同じ人生じゃ嫌なんです。でも、何がしたいか分からない。本当に困っています。どうしたらいいんですかね?これ私のエゴですか?」
(おい、ここは高校か?大学だよな)
「あーその質問前にもどこかで聞いたことあるんだけどさ、第一に、明日、鹿がみれたらいいな、って思うことと、メジャーリーガーになりたいって思うことに差があると思わないし、そもそも、『何をしたいか見つける』っていうのが私には意味不明だ
「え?なんで?目標がある人生は素晴らしい。それにむかってがんばりたい」
「考えてみようか。今目標を持ってがんばってる人、例えば野球選手は、何がしたいかなーってずっと考えて野球を始めたんじゃないと思うよ。なんとかく野球を始めて、なんとなく野球が好きだったんじゃないかな?
「そうかな?好きなことを見つけた人もいると思う」
「じゃ、他の例を。君はおなかが空いてから、ハンバーガーを食べたい自分を見つける?おなかが空いて、そういえば、ハンバーガー食べたい気分だ、ってことでしょう?」
「はははは。おもしろい例ですね」

「いや、結構真剣だ。『お。おなかが空いたぞ。ちょっとまて、俺は何を食べたい気分だ・・・。20分間考えてみよう、ハンバーガーかもしれない』なんてこと、あるかもしれないが、あんまりないよな?一方で、『ま、適当におなかが空いてハンバーガーを一昨日食べた、昨日は、寿司をたべた。今日は、パスタにした。あー俺の好物はハンバーガーなんじゃないか。毎日食いたい』っていうのは説得的だ」
「というわけで、小さなことでも色々やってみたりするのが良いんじゃないかと思う。あと、とりあえず人と違うことをやってみるとか。何を食べたいか悩んで、好物をきめた、っていう奴より、色々食べて好物はこれだった、ていう奴の方が信用できるだろ?」
「うーん・・・。信用できるとかできないとか関係あるんですか?」
「だってさ、いろんなことするには誰かの協力が必要じゃない?そのときに説得的じゃなくちゃ」
「なるほど」
「そんときに、大学休学してNGOに飛び込んでアフガニスタンで活動してきた上で、スーダンにいく飛行機代かしてくれ、って言われたら誰でも出してくれるんじゃないかと思うんだけど。ま、何が言いたいかっていうと、プロポーズする勇気のない男とは結婚したがる女の子はいないとか・・・。何が言いたいかっていうと、色々予想する前にリスクをとってみせるのも良い方法じゃないかと・・・。」「ところで、どうやってやりたいことを見つけるんだろうね?」
「試行錯誤?」
「ま、そうかもしれない。リスクを取って・・・。そうだよ、君。私みたいにたいして大志を持ってない人に相談することが、そもそも夢を探す方法として間違っているんじゃないか?リスキーなくせに、無意味だ」
「ははははは」

「でも、楽しかったよ。Kiyo。またな(ため口調)」
「おー。今度は晩ご飯でも食べながらにしよう。学食じゃ嫌だぞ」


 とまあ、こんな会話をしてしまった。アメリカ人も夢を探してる訳か。まさにアメリカンドリームを夢見ているわけだ。正確に言えば、夢見ることを夢見ている。
 そう、私は友達だとおもっていても、教壇の向こう側に座ってる人から見れば頼れる人なのかもしれない。裁判官だって風俗嬢にかみつく時代なのに。もう、こんなことは小銭を稼ぐためでも結構真剣にやめようとおもった。


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2008年01月30日(水)



 カニと不倫

 新年最初のエントリーが微妙だったので速攻で更新しておこう。
 
 突然ですがカニは好きですか?蟹です。高価だかどうかいまいち知りませんが、おいしいですよね。生で食べても良し、焼いても良し。私は毛ガニよりも松葉ガニのほうがすきです。日本だと海のカニのほうがポピュラーですが、韓国とか中国では川や湾にいるカニのほうがポピュラーなんじゃないかとも思います。上海カニとか。ケジャンとか。(辛い韓国料理のなかで私が唯一おいしいなと思うものです)ところで、北海道で食べるより、遙かに、鳥取・京都・金沢で食べるカニの方がおいしいと思うのは、私が北海道のおいしいカニを知らないからなのか、北海道に洗練されたカニの食い方がないのか、どっちだろう?


 ところがカニには罠がある。

 それは、カニを食べた後、激しく鬱になるということです。どんなにきれいに食べようとがんばっても、殻がのこる。本体部分を食べようものなら、絶対きれいに取れない、しゃぶらねばならない。食べている最中は一生懸命だから気付かないが、あの食後感はどうしたものだろうか。とても野蛮なことをしてしまった後悔。自分の食欲はこうまで食い散らかさないと満足できないのだろうか?理性的な食べ方は他になかったのだろうか?


 というわけで、毎度のことながらカニを食べる前にはそれなりの逡巡がある。「おい、いいのか。食べ終わった後は、またあのやっちまった感に苛まれることになるぞ」と。ところが、目の前に、カニの刺身なりが差し出され、焼きカニのための炭火が差し出されようものなら、ま、いいか。という気分になる。つまりは誘惑に負ける。誘惑に負け、罪悪感に苛まれる。まさに不倫だ。ああ、倫理的に良くないことをしてしまったな、と。


 いずれにしても、食わせておいて、いつも同じ思いに悩んでいるとカニに負けた気分になる。これはステーキや寿司だとそうはいかない、カニの特殊性だ。そういえば、これも不倫とおなじだ。カニの勝ちだ。残る結果は、全てがパーなのだから・・・。
追伸:今本人自身は、病気で寝込んでおります。カニどころの騒ぎじゃなく、大変。

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2008年01月19日(土)



 戸惑いの新年

 新年がすぎて随分たってしまいましたね。しばらくの間日本にいたのですが、なんか気候の変化がある分随分体調を崩して過ごしてしまいました。そこいくと、イサカは始終極寒ですから、体調管理もしやすいのかもしれません。あと、思ったのですが、意外と乾燥しているんですね。そんな中電車や繁華街をあるけばもうウィルスをゲットしに行っているようなものですよ。マスクや手洗いでなんとかなるもんじゃない。その状況に戸惑ったよ。


 新年といえば、久しぶりに大晦日を日本で過ごしたわけですが、日本でやってるテレビのつまらなさに戸惑った。びっくりするくらいつまらないのね。たとえば・・・

●2007年 大晦日 各局放送予定表
NHK
19:20-23:45 NHK紅白歌合戦(途中、中断あり)
23:45-24:15 ゆく年くる年

日本テレビ
18:00-21:00 オールスター芸能人社交ダンス選手権スペシャル
21:00-24:20 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しSP
24:20-26:30 ナイナイ招福生放送!おもしろ荘SP
26:30-29:00 さまぁ〜ずの女だらけの新年会

TBS
18:00-23:35 K-1 PREMIUM 2007 Dynamite
23:50-29:00 CDTV年越しプレミアライブ

フジテレビ
18:30-21:00 ジャンクSPORTS 大晦日スペシャル
21:00-23:45 爆笑問題の一億分の一の男
23:45-25:00 ジャニーズカウントダウンライブ

テレビ朝日
18:00-19:54 ドラえもん大晦日スペシャル
20:00-23:30 よゐこ無人島0円生活スペシャル
23:30-25:30 年またぎ クイズ雑学王スペシャル

テレビ東京
17:00-21:30 年忘れ!にっぽんの歌
21:30-23:30 ハッスル祭り2007
23:30-24:45 コンサート2007-2008
24:50-09 55 今田東野の初笑い9時間生放送!2008今年最も売れる吉本No.1芸人伝説

 これで何を見ろと?正月あけてやってるワイドショーのレベルの低さ(嘘ばっかりつくのね)にもびっくりしたけど、テレビ局にとって勝負所の正月までこの様とは一体誰に見てほしくて作っているんでしょう?そりゃテレビ局にとっては金は視聴者からじゃなく、スポンサーから電通を通じて転がり込んでくるものだろうけど、吉本とジャニーズとバーニングに制作まで丸投げして赤坂で覚醒剤パーティに興じている場合じゃないんじゃないかと思った。


 最後に年賀状。なんか最近年賀状に結婚式やら、子供の写真の年賀状が多くなってきて・・・。ポストから束を取り出して、トランプのように裏返すんだけどそのたびにドキドキするようになったよ。子供の写真がでてくるようならば、ドン引き、というわけですよ。ババ抜き状態。


 というわけで、今年も、エンタテインメントとしてのコンテンツを細々と、一部のマニア向けに作り続けています。書いてあることが本当かどうかも分かりません。みんなで考えましょう。当ホームページをよろしくおねがいします。


2008年01月17日(木)



 ダブリンの石畳【二日目】

 二日目。

 今日は一人で動くことに。アイルランドといえば古城。ダブリン城は市内にあり行くのが簡単だが、なんとなく電車に乗って郊外の風景も見てみたくなったので、マラハイド城に行くことに。駅でマラハイドまでの切符を購入し、ホームに向かう。鉄道発祥の国、UKだけに電車の駅すら風格を感じてしまうのは錯覚か?ディーゼルを使っているのか、ホームに排気の臭いを感じるあたりが外国の駅らしくて良いですね。


 郊外の風景を眺めながら電車に乗ること30分。マラハイドという小さな駅に着くと、雨が降っている。もっと城までの道のりがはっきり書いてあるかと思ったらふつうの駅でびっくりした。何もない。家々の間隔が大きくとられたとてもイギリスらしい住宅街が続く。困っているとおばあさんが「この森を抜けていくとマラハイド城が見えるよ」と、まるでRPGのようなアドバイスをもらう。


 UKなんだから妖精とかでてこないかな、って思いながら草原やら森を抜ける小さな道を歩き続ける。草原にはサッカーグランドに加えて、ラグビー場も数多くあって、また、その隣に小さなゴルフコース。素敵な環境ですね。生まれ変わったらこんな街で育ちたい、と思った。(台東区は台東区で楽しかったけどね)


 森を抜けると突然古い城がでてくる。エイジオブエンパイアの世界。草原の中に建つ古い城の中を見学する。各部屋のデザインがそれぞれ時代が違う。その時代差たるや100年のオーダー。城の主が変わり、時代が変わっても城は外の姿を変えず、中身だけが変化を続けてきたことが伺える。まさにアイルランドという国を体現している。


 城の見学を終えた後、一回の喫茶店で、紅茶とサンドイッチでお昼をとり、また先ほどの森の道を通り駅に戻る。ダブリンの街に戻り、今度はトリニティカレッジに行くことに。この大学もまたUKでも屈指の歴史を誇る。目的は「ケルズの書」という世界で一番美しいといわれる本をみることだったが、キャンパス自体も非常に美しい。図書館の一角が博物館のようになっておりケルズの書に関する説明やケルト文化についての説明がある。最後にケルズの書が現れるが、多くの歴史的動乱を乗り越え、守り抜かれた本に対面する。アルファベットで書いてあるが、何を書いてあるか全くわからない。美しいことは確かだった。


 なによりも最後に通された、図書室が圧巻だった。古城よりもケルズの書よりも、どこよりも長くいたと思う。あいにく写真撮影ができなかったがこのURLに画像を見つけた(http://otter.covblogs.com/archives/images/TRINITY-COLLEGE-LIBRARY-DUB.jpg)
 こうした知の集積と共有のプロセスこそ、文化を育み、次世代の発展をもたらす活力の源なのだ、ということをさんざん論文で書いてきたが、その集大成を目の当たりにした気がする。


 トリニティカレッジを後にし、さらに市内を歩き続ける。名所の一つ、クライストチャーチ大聖堂を見る。ほんの10分くらいで見終えることができるかと思ったが、大聖堂もすばらしいが、12世紀からほとんど変わらず元のまま残っているのは教会の地下聖堂も圧巻だった。クリスマスに向けてなんだろうか?聖歌の練習を見学する。みんな普段着で、しかも老若男女なところが素敵ですね。名所が名所たるゆえんは、地域と一緒に発展を続けていることかもしれない。

 最後にギネスビールの工場を見る。こここそがアイルランド最大の観光名所なんだろうと思った。休日ということもあったが、建物の中に入る前までにも人々が列をなしている。並んでいる人々がしゃべる言葉が多種多様なのが、絶好調な欧州経済を表している。週末には、飛行機で物価が安く、美しい街で過ごすわけですね。前の日に見たジェイムソンの工場の方がよりリアルに作られる課程がわかると思う。それくらい施設が巨大でシステマチックだった。(私がもっとも感動したのは、ビールを造る課程よりも、樽を作る課程だった。あれって意外と手間暇かかっているんですね。知らなかったよ
どんどん、フロアを上りながら見学をしていくが、最後の7階のフロアは、バーになっていて、ダブリンの夜景を楽しみながら、やはり入場券についているクーポンで一パイント飲むことができる。


 途上国は途上国で楽しいが、ヨーロッパも素敵だ。街角毎にシャッターチャンスが訪れる。


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2007年12月24日(月)
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