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人との距離感って、本当に難しい
つかず離れず、ヤマアラシジレンマがいいと思っていても
時にはもっと近づいてほしいと思われるときもあるし
時には離れて、時間をおいてほしいと思われるときもある
恋愛でも、初期で盛り上がっているときは、相手はもっともっと近づいて、ある意味束縛してもいいくらい、してほしいと思われる
でも、恋から醒めてしまうと、それは通用しない
ここまで以上、入ってほしくないって部分まで、入ってこられるのもよくない。
逆に、もっと入ってきてほしいということもあったりする。
その時、その場面では、もっと距離を縮めてもいい
でも、それは、その時だけってこともある。
人との距離感って、相手それぞれに違うし、その時その時でも違う
言えることは
たくさんの人と出会って、失敗もたくさんしながら、
適正な距離を、肌でつかんでいくことしかない。
失敗して、失うことも覚悟しながら。
少なくとも、僕はそこが苦手なので、恋愛もだめなんでしょうね
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「相手の意見を頭から否定しないで、よく聞いてみること。どんな場合でも、自分の意見より、まず相手の言うことをよく聞く。これが人間関係をよくする基本」
ある雑誌を読んでいて、そんなことがかかれてて
すごく納得させられました。
意見が合わない人であっても、まず相手の言うことを聞いて、「こういう考え方もあるんだな」と、受け止められる部分は受け止めるようでありたい。
たしかに、そのときは、感情的になって、対立するようなことになっても、ある程度はいいと思う。
でも、大切なのは、そのあと。時間をおいて、冷静になって、しっかり考えること
そこで、相手の言ったこと、考え方をひとつひとつ思い返すと
「こういうことなんだな」「こういう考え方もあるんだね」
と気づくこと。
自分が間違っていたら間違っていたと、そのあと謝ればいいし、あなたの考え方もわかる気がすると伝えられること。
そのあとが大切なんですよね。
何事もお互い様ですし。
自分の言ってることがすべて正しい、相手は間違っている
すべてそれがまかり通るのは、人としての驕りになるから
それで通してしまうと、かならず足を掬われる。
相手を傷つける、相手は離れてしまうと思いますから
でもね、よーく聞くことができる人って、案外少ないし、ちと難しいことでもある。どこまで聞いていいのかという問題もあるし。
いろんなタイプ、性格、考え方の人がいる。
それぞれに順応して、相対していくことができるかといえば、難しい。
自分がなくなってしまうしね。
対立はしたくないし、こころが離れてしまうのは悲しいけれど
そこは、ときには、一歩引いて時間と距離をおいてみること、ときには、負けるが勝ちにしてしまうのも必要なのかもしれませんね
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朝ドラ、ごくたまに見続けるんですよね。そんなときは、予約録画して、帰宅してから見てる。
ブームになった「ゲゲゲの女房」や、尾道が舞台だった「てっぱん」は、まったく見てなかったので、世間の話題から置いてかれてたかな
前作の「おひさま」は、後半は惰性でみてた。あまりに脚本が浅く、酷くて、うーん?なんで?てのがたくさんでしたが
今作の「カーネーション」、林檎さんの主題歌を聴きたいがために、初回見たのですが、かなりハマって見るようになった。人物設定、キャスティング、時代考証、岸和田の街や人の表現、脚本やカメラワーク、事細かいところまできちんと作られてる。登場人物それぞれがきちんと描かれてて、生き生きしてる。プログレッシブカメラの映像もあるけど、映画並のクオリティを感じてます。ストーリーのテンポが速いのもいい
まぁ、前作と比べたら、なんでもよく見えるけど
尾野さんって、もがりの森、外事警察、Mother…どれもシリアスで笑顔のない役を熱演されてた印象だったのですが、正反対の明るくまっすぐでひたむきに洋服作りに人生賭ける主人公の糸子を演じているにも関わらず、すーっと馴染んでしまったのは、演技力なんでしょうか
子役の時から3歳しか違わない役からスタートというのは、ちと無理あるかもしれないけど
学生の時や、卒業してから当分はは、朝ドラ、意外と見てたなぁ。学生の時は通学前に。
ひらりとか、私の青空、甘辛しゃんとか、オードリーとか。あと、すずらんは、とくにハマってて、けっこう涙流してみてたし。でもここ十年くらいは、まったく無縁でした
大阪局、東京局問わず、作品によってかなり出来、不出来の差があるのも朝ドラなんでしょうね
ところで、カーネーションからは、ウォークマンに、ブルーレイレコーダーから転送して、帰宅途中のバスや電車の中で見るようになりました。意外とこういうので重宝するものです
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きのう午前11時半過ぎ、地元の大きな頂戴が、福祉センターを出発。町屋が立ち並ぶ狭い路地を、ゆっくり激しく進んでいく。曲がり角が、見ものなのです
いま、山方面へ進んでいき、引き返して、街方面へ。そしてまた引き返し、神社前の商店街まで


きのうの夜、秋祭りは遅くまでにぎやかでした。
神社の境内の舞台では、神楽は、3時間以上も上演されていて、もちろんラストの演目はヤマタノオロチ。
とても華やかで激しく、飽きさせることのない内容。毎年見ることができるのはうれしい
商店街の細い路地に、たくさんの夜店がならんでいる
おそらくこのエリアでは、もっとも夜店の数が多いだろう。
ただね、数年前に比べたら、夜店の数がぐっと少なくなった
前は、人がすれ違うのも大変なくらい、ぎゅうぎゅうに夜店が並んでいたのだが。
(神社の境内の舞台での出し物も、10年くらい前は、土曜の昼からもあって、たくさんの出し物があった。いまは、土曜の夜の神楽と、日曜の午後からの出し物。当時は、たとえば、街に以前あった、日本舞踊の教室の生徒さんたちの舞なども延々と披露されていたり。だから土曜日からやらないと・・・)
なんだか、そういう面でみると、さみしい気持ちもしました。
日曜の夜、おまつりが終わると、街はいっきにひっそりして
いっそうさみしい気持ちになるものです
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いま、西条駅。これからいってきます。ひとりのんびりいただいてきます


酒ひろばにて。ただいまほろ酔い中。すごい人です。新潟と富山を集中していただく。関東あたりは人気ないのか、ガラガラですぐのめる
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人が何と言おうと、しゃべることによって、人間は成長する
多くしゃべることによって、試行錯誤を繰り返して失敗を重ねて、深みのある洗練されたしゃべり手として私たちは成長する
ふーむ、そういうものなのかもしれないね。
僕が女性と関わるとき、やはり自分をきちんと持っていて、
自分から、積極的にしゃべる人に、魅力をより感じるところはあります
まぁ、それも、バランスですけれど。その雰囲気や状況によって、静かに、沈黙にもなれる、きちんと感情や抒情をわかっている人であるべきですが。
私は、常に聞き手であることをこころがけていました。
それは、そこまで自分のことをしゃべるのが上手じゃないから。
だったら、人のお話をきちんとじっくり聞いて、どんどん質問を投げかける
そうやって、相手を知っていく、相手のこころを開かせたいということもある
でも、しゃべるに趣を置くことも、これから考えないといけない気がして
自分を、きちんと知ってもらう
なんでも話し合える、語り合える、ときには口げんかしても、仲直りできる
遠慮なく話せる関係を築くことの大切さを、すごく思うようになりました。
自分を作っても仕方ない
ただ、マナーやルールは守って、言葉は丁寧に発していきたいけれど
これからの課題の一つですね。
よいしゃべり手にもなれるということを
秋の香りってありません?
ちょっと外に出かけて、草原とか、田園地帯を歩くと、ふっと秋らしい香りに出会える。五感で季節を感じることがいいと思う私ですが、嗅覚から季節を感じるのが、もっとも難しいことのように思っていた
秋は、寒暖、色で感じることが多いけれどね
しっかり深呼吸して、秋を体いっぱいに取り込んでゆきたいものです
きょうは、安佐南区に行っていました。
お疲れです。本当に。
そもそも、僕は広島市内の中で、安佐南区、とりわけ、沼田とか、安のエリアだけは、あまり土地勘がなくて。
西風新都へは、お世話になっている会社がいくつかあるので
そこへたびたび行くことと、知り合いのカフェへたまにいくことくらいですが
西風新都を、アストラムライン沿いに降りて、旧道あたりへ行くと、まったく知らない街が広がっていたりする
安とか、高取とか、大原・・・このあたりだけは、ゆっくり歩くことも、いままであまりなかったしね。
写真のように、うろこ雲が広がっている、そんな1日でした。
(A-CITYから撮りました。休み時間に)
きょうもおつかれさまでした。そして、ありがとうございました。
あしたも、みなさん、よき1日、おだやかでやさしい時間をお過ごしくださいね。