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BSの番組で、岡村孝子、渡瀬マキ、ゴダイゴがゲストで出演していた
ことさら、岡村さんと渡瀬さんは、本当に久しぶりにテレビで姿を見た気がする。
渡瀬さんは、昔の刈り上げヘアのボーイッシュな雰囲気ではなく、すっかり大人の女性、いや、ママになった感じ。髪も長くて。でも、お若いなぁって。
「今すぐKISS ME」「Believe in Love」など歌ってた。
「今すぐKISS ME」は、世界で一番君が好き
「Believe in Love」は、夢で逢えたら
どちらも、学生のころよーく見てたからなあぁ。そのころがとても懐かしい!
岡村さんは、おっとりした雰囲気はそのままでしたね。いい歳のとり方はされているのかな?
私、中学生から、高校生のころ、すごくファンで、CDもかかさず買ってたし、日曜午後のFMの番組も毎週聞いてたし、月刊カドカワとかで特集されたら、それも買ってたくらい。
やはり「夢をあきらめないで」を歌っていた。
いま聞いても、いい曲です。学校で合唱祭で歌った思いでもあるし。
個人的には、「はぐれそうな天使」「青い風」あたりも歌ってほしかったけれど。
どちらも、学生のころの、どストライクのアーティスト
いまも、当時とあまり変わらず、歌われている。
なんだか、ちょっぴり当時に戻った感じがして、しみじみ。
ゴダイゴは・・・小さいころ、西遊記と999の歌を歌ってたグループの印象しかないけれどね。
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昔、ある女性が私に言ったことば
「わたしは、まわりの人たちに生かされている。」
だから、いまのわたしがあると。彼女の生きてきた人生、そして、この言葉の意味については、ずいぶん昔に、この日記で書いたことがあるので、もう書きませんが
僕は、この女性とであったことで人生が大きく変わった。
この言葉に、救われた
どんなつらいことがあっても、絶望の淵に立たされても、
私は生きているのではなく、生かされているのだ。
まわりの友人、家族、恋人、そんなみんなに生かされている
死ぬなんて、できないと。
この女性のようなすてきな人には、もう出会えないだろうな
(もちろん、とても美しい、そして天真爛漫で、だれとでも、わけ隔てなく仲良くできる人でしたが・・・)
正直なところ、僕は、この人のようになりたいと思って、
いままでずっと生きてきた
これからも、自分の目標となる人。
笑顔を忘れて、とがった考え方しかできず、悩んでばかりで、暗く、
人づきあいもままならなかった私が、
つらいときも、悲しいときも、笑顔だけは忘れないように
もっとやさしく、人を許して、
気を長くして、おおらかにと。
なにより、なにがあっても、ひたむきに人を愛して、ひたむきに、強く生きる。
ちなみに、その女性の言葉で、再び「学ぶ」ことを選んだ
本当に、人生を変えてしまった
いつも、なにか人生に迷いを生じたとき、自分が否定されて自信をなくしたとき、この女性のことを思い出す。
いま、僕の周りの人間関係は、ありがたいことに、かなり広くて
いろんな人が周りにいますが、どんな出会いにしても、なにかしら感謝の気持ちだけは失わないようにと思う。どんなときでも、ありがとう、ごめんなさいの言葉は忘れないように。それは、人としてのルールだと思うし。自分なんか不器用な人間ですもの。相手に嫌な思いをさせてしまうことだってある。そんなとき、僕は素直に謝れる人ではありたいと。ありがとうという気持ちは出し惜しみしないようにと。
偏った考え方になりそうなときは、
そうやって、ワンクッションおいて。
そういうことを思いつつ、自分を冷静にと。
最近、私のもとには、たくさんの知人、友人たちから、お便りをいろいろいただく。
先日も、暑中見舞いということで、茶道の恩師の先生から、達筆なお便りをいただいた。
なにげない季節の言葉と、気遣いの言葉。だけれど、それがとてもうれしい。
ただ、ひとつ問題なのは・・・
ほかのメンバーによろしく伝えてくださいということ
ほかの茶道のメンバー・・・ふーむ
もう逢うこともないでしょうし。ちと交流できないわけもあって(笑)
どうしようかなぁ。
昨年、先生のご自宅・お茶室へお邪魔したとき、「はやくいい人を見つけてつれてらっしゃい」と言われましたよね。そういえば。それは実行できずにいる。
ときに、旅の途中に、お便りを出してくださる方が、とても増えた。
風景印や、ご当地のはがきで、そのときの旅の様子がリアルタイムに伝わる感覚。それはうれしいものです。
普段ね、しゃべることで、意志を伝え合うことばかりになっていると、言葉ひとつひとつの大切さや、本来の日本語の美しさを忘れたりしてしまいがち
話すことは、ときに感情的になって、いろいろ厳しいことを相手に言ってしまったり。自分ばかりの会話になってしまったり
逆に、相手の目の前で、リアルタイムで、感情や表情をこめて伝え合う
それは、そのときだけ。そのときを大切にできるのは、直接話すことの大きな特権
手紙やお便りって、そこの点で違いが大きい気がする。
冷静になって、ほんとうの気持ちやこころを、美しい日本語で、季語など交えて、静かに言葉を綴って、便箋やはがきに託す。
そういうのも、きっと忘れてはいけないことなんじゃないかなと思います。
わたし、もっと本音をぶつけ合って、ときに喧嘩してもいいから
生きたことば、ほんとうの自分の言葉を、
思う存分ぶつけ合える
そんな関係を、作っていかないといけないと思っているんです。
それを気づかせてくれた人にも、感謝しないといけない
自分に無理をして生きるのも、疲れますから
本当の自分、素の自分で、人と向き合ったら、
人間関係も、大きく変わるのだろうな。
ただ、必ず守らなくてはいけないこと、自分のなかでそれだけはあります。
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仕事の中では、上司や担当者によって、頑張れの意味も違ったりする
ある人は、「もっと売り上げてもらわないと困る。もっと頑張ってくれないと」という、叱咤の意味
ある人は、「きょうはお客さん少ないし、あまり無理しないくらいで頑張って。リラックスして」という、楽にさせるための意味
僕は、日常的に「頑張れ」という言葉を言われ続ける。
頑張れという言葉。
この世の中、みんな生きるために頑張ってる。うん
それは当たり前ですもの
だから、もっと頑張れっていうことばを掛けるのは当然
仕事でも、スポーツでも、なんでも、いまの位置で満足していたら、成長はありません
みんな一生懸命頑張ってる。
それなにも、もっと頑張れといわれても・・・と感じる人もいる
特にこころの病をもっている人にとって、頑張れという言葉は、鋭い刃物で裂かれるような言葉だったりする。
わたしはね、みんな頑張っているし、頑張れ頑張れっていういのは、当たり前だからこそ、自分くらい、この社会の中で、組織の中で、頑張り過ぎないようにねと、言ってあげられる人であってもいいかなと思ってて
勝つことだけが強さではない。負けられることも、挑戦したという強さの証明
厳しさとやさしさの両方を、うまく兼ね備えることも大切。がちがちの厳しさだけではいけないし、なんでも許すようなやさしさでもいけない
頑張ることも、同じようなことがいえると思う
この世の中で、頑張ってもうまくいかないとか、頑張った人が、報われないことなんて、往々にしてある。
ならば、あなたは、頑張ったんだから、もうそのことについては、頑張らなくてもいいんだよと、言ってあげることも、必ず必要なのだと思うのです
頑張って、結果が出た人、頑張って、愛する人を大切にした人
そんな人たちには、よく頑張ったね。そう、素直にほめて、ありがとうということばを掛けてあげられたら、頑張ることの意味がカタチとなる。
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秋の夜長は、帰り道がとてもここちよい
ついつい、遠回りして帰ろうなんて、想ってしまったり
月夜をしっかり楽しめるのも、秋だけの特典ですよね
きょうの月は、まったく雲に隠れることもなく、ずっと僕らを照らしてくれていました
わたしね、こういう秋の夜に、一度、気の知れた相手と、外で杯交わして、夜通し呑みたいって想うんです。
まだ20代前半のころ、出島の防波堤の上で、月明かりの綺麗な夜、気の知れた相手とお酒を飲んで過ごしたことがある。とてもここちよく、月明かりに照らされた海の光景を肴に、本当に楽しい時間だった(いまは、埋め立てられたので、その防波堤もありませんが)
朝まで、ここちよく語らうっていうのも、ときにいいものです
相手が女性なら、なおさら(笑)
この前、深夜に海辺で花火をしましたが、夜0時を回って、
僕らだけじゃなくて、4組くらい、花火目的で同じ海岸に繰り出していたのは、びっくりした。
夜は、飲み屋さんで過ごすのでもなく、
こうして、夜景とか、海岸とかで過ごすのも、夜通しドライブするのも、すてきな時間ですし、あっという間に夜は過ぎていく
周り気にすることなく、静かな中だからこそ、普段話せないことも話せるとおもうし。
恋人同士ならば、愛の言葉を交わせるし、抱きしめあえるし
そうそう、出島での時間は、あっという間で、ちゃっかり日の出まで眺めて、帰ったんですけれどね。
そういうのも、いい思い出となりますよ
これも、秋ならではの楽しみです
誰か、やってみません(笑)