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先日の夜、仕事帰り、久々に立ち寄りたいお店があった。
「アカデミィ書店」
そう、金座街の老舗古書店。
広島という街は、古書店文化が薄いというか、都心に古書店が少ない。
その中で、アカデミィ書店は、神田神保町っぽい古書店であり、都心でもひときわ認知度の高いお店ではある。
わたし、中学・高校生の頃、たまにバスにのって、都心へ買物とかに訪れると、八丁堀のバス停から降りて、まず必ず最初に立ち寄ったのがこの古書店。
その頃の思い出がいまも色濃く残っている。
欲しい本があるだろうか、希少な本や地図と出逢えるだろうか・・・
ドキドキしながら、間口が狭く奥に長いこのお店へ入っていく
特に、2階には、古い地図や時刻表、映画パンフレットなどがずらっと並んでいて、地図マニア、電車好きにとっては、まさにお宝ばかりの場所だったりする。
とはいえ、けっこう値が張るので、中学校や高校生のころの自分のこづかいでは買えるものでもなく・・・1階で、太宰治あたりの古い小説の格安本を買うのが精一杯でした
2、3年ぶりくらいに、2階に上がってみましたが、当時と何ら変わることのない店内。
だからよけい、自分が当時の学生のころの自分に戻ったような感覚に陥る。
相変わらず、古地図や、広島の古い写真、古い時刻表などは充実している。ただ、いい値も付いている。
逆にね、自分が持っている広島の古地図や、時刻表、鉄道の本などは、けっこう高値で売れそうですよね。
店内にね、「小学館コロタン文庫・鉄道切符大百科」なる本(小学生向けのポケットサイズの分厚い辞書のような本のシリーズ)が、5000円!!の値が付いていた。この本も含めて、コロタン文庫の鉄道モノ、けっこうたくさん持っていた。いま、倉庫を探せば見つかるかもしれない。そんなに貴重な本だとはしらなかった。(まぁ、30年前の切符や電車、駅が余すところなく載っているのだから、マニア垂涎の一品なのかも)
それとね、もう一つ気になったのが、新聞の号外
昭和天皇崩御の速報新聞が、これまた3000円くらい付いていた。
これも、探せば出てくるでしょう。(大きなニュースの新聞は取っておくところがあって。そのほかの大ニュースの新聞は、たくさんどこかにしまってあるはず)
こういうの、価値って意外とあるものなのですね。
昔は、古い映画パンフレットとかたくさん並べてあった気がしたけれど、いまはそれほどでもない。それだけ需要ながないのかもしれないけれど。
さすがに、壁に陳列された、広島の古地図の数々
うーん、ほしい(笑)
これをもって、街を歩いてみるのは楽しそうだけれどな。
昨今はブックオフのような古書店が幅を利かせているけれど
お宝探しのような本探しって、こうした昔ながらの古書店の醍醐味のような気がする
先日見に行った映画「森崎書店の日々」でも、貴子が「古本はブックオフで買う」といったとき、サトルは「ブックオフでは、うちの店のような希少な本は手に入らないからね」みたいなやりとりがあった。お客さんの注文に、古本市など廻って、なんとか手に入れて、渡していく・・・そんな森崎書店のような古書店って、なんだかホッとします。
アカデミィ書店でも、店の方と、とてもマニアックな注文をされる、紳士のお客さんとのやりとりって、妙に店内にいて、聞き入ってしまうものです。
そんな古書店散策の夜でした。
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きょうのお昼休みは、すき家のネギたま牛丼でした。はじめてだったのですが、これって黄身と白身をわけて、黄身だけ牛丼に載せて食べるものなのか?
たしかに白身と黄身を分ける器具が器の上にセッティングしてましたし
よくわからないまま、白身も入れていただきました
ここまでくると、牛丼の味はしません。焼肉丼食べてるような…
やはりチーズのせ牛丼がより美味しいかな
忙しいなかの、ささやかな楽しみ。とはいえ、牛丼はたまにしか食べないけど
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辛いとき、しんどいときは、泣いてもいいし、きちんと言葉にして、胸のうちを、人に吐き出すことも、必要なこと。
いけないのは、完全に自分ひとりになってしまうこと
重たい荷物も、誰かと分け合えば軽くなり、ゴールまでスムーズに運び終える
そして、こんどは相手が荷物を持っているとき、自分と分け合って運んでいく。
こころの荷物もそう
何事も、おたがいさま。
だから、頼り頼られる関係でいいじゃない
ひとりで抱えこんだら、しんどいし、なかなか解決しないもの
ただただ、静かに聞いてくれる、静かに考えてくれる、肝心なときに、的確な助言をサラッといってくれる、そういう友人は、いたほうがいいです
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日ごろ、できるだけ笑顔でいるべきだと思っているわたし。
人は笑っていないと幸せはこない。
よく、ご高齢の方がインタビューで
「長生きの秘訣は?」との問いに
「ほがらかに生きること、笑っていること」
と答えられる方がけっこう多い
私が、いまちょっとした課題というか、心がけていること。
それは、どう人を和ませて、笑わせることができるか。
これが、簡単なようで難しい・・・
ちょっと前、たまたまテレビで、
高田純次さんをカメラが密着するドキュメントというのを見たのですが
プライベートの高田さんは、ジーンズにTシャツ、おしゃれな若い装いで、近所を小さいバイクで走り、行きつけの店へ行ったりしてて。テレビでの顔とは違い、かっこよさがとても印象的。中華料理店で相席になった親子連れにも、冗談混じりに話しかけ、「あっ、ここはいいから」と、その親子連れの御代も、スマートに払っていたり。何事もスマートなんですよね。
それはさておき、この番組の最後で、
スタッフが、高田さんに「高田さんにとって、お笑いとは」と問いかけた。そのとき、高田さんはまじめに「笑いって本当に難しいよ。だって、人を泣かせることは、泣きのツボは意外と同じだから簡単だけれど、人を笑わせるって、人それぞれ、笑いのツボというようなものが違うから。難しいよ」と語っていた。
人によって、笑うことの嗜好ってまちまちですものね。
不快に思う人、おおいに笑ってくれる人
それぞれ。
日ごろ、人と対峙していて、自分が笑顔でいることも大切だけれど、人も笑わせる・・・まで行かないまでも、微笑ませることくらいは、したいものだと思ったりする。冗談を言ったり、突っ込みを入れたり、自分をネタにしたり。そうすると、会話に小気味よいテンポが生まれる。相手との距離も縮まっていく。
まぁ、そういうのが自然と出てしまうのですが。
それでも、人によっては、ごく一部ですが、思った反応をしない方もいらっしゃいますしね。
人を笑わせるのこと、いや、なごませることって、その人その人ケースバイケースなので、自分の中で判断しながら、言葉を選んで伝えないといけません。
まぁ、僕はお笑い芸人でもなんでもないのですが、
ユーモアのセンスくらいは、磨いておきたいなって思うのです
(そのセンスも、一歩間違えたら、ただのうざったいものになるものです。センスを磨いて、押し付けにならないように謙虚にさらっとスマートに。なにより、相手を見て、その場の空気やタイミングも見て。)
特に、ラジオを聴いていると、勉強になることも多いものです。
僕がラジオを聴くようにしているのは、ただ楽しいからでもなく、いろいろ、話すということについて、いい部分を自分に吸収したいなぁっていうのもあって。
会話のなかで、さりげないユーモアでいいんですよね。
それだけでも、人との距離は短くなるし、会議でも、仕事でも、ちょっぴり和むだけで、関係性はスムーズにいくことが多い。しんどいときも、ちょととしたユーモアや笑いで救われることってありますから。職場でもチーム内でいい空気を作っていくことには、もちろん、真剣に緊張感もって、仕事しなくてはいけませんが、一方で、みんながどこかで笑えるっていうことって大切。
人には、ちょっとした遊びの部分が必要だと思うから。
高田さんでいうところの「テキトー」な部分ですね。
この年になって、自分の中で、笑顔でいることの大切さ、人を笑顔にできるということの偉大さって、強く感じるようになりましたよ。