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きょうも、おつかれさまでした。
なんだか、ぐったりです。緊張することが多かったからかも?
なかなか、自分の考えを、人に伝えるのって、簡単なようで難しい。ディベートがそこまで上手じゃないからなぁ。簡潔に、要点をまとめて、スムーズに言葉にして伝えるってね。
僕の表現方法は、話すよりも、文字に起こして伝えるほうが得意なんですよね。
ただ、昔はほんと、アナウンサーとかラジオDJにあこがれてて。
多くの人たちに、楽しく元気になれるおしゃべりが出来たら、すてきだろうなぁって想ったものです。
僕の日記は、そういう点を意識している。
ラジオのような、文章ね。
ひとりが、多くの人に伝えること
ひとりが、ひとりに対して伝えること
それならばスムーズなのだけれど。
複数がいて、対等に話さなくちゃならないとき、
どうしても周りの人たちとのバランスを考えてしまうから、よけい気を遣う。プレゼンテーションなんかが、ちょっぴり苦手な場面なんですよねぇ。
きちんと、相手の話しを聞いて、理解して、共感できることって、大切です。人の話を聴かずに、自分の話だけになってしまう人って、寂しい人だなぁって、いつも思います。人からいろんなことを得るチャンスを逃してる。自分だけのワンサイドミラー人間になってしまうってことだもの。
聴き方、話し方、その言葉や内容を、意識するだけで
もっと潤滑で、いい形のコミュニケーションが築けるはずだと思います。
話は変わって・・・
きょうの日暮れ前の光景。きょうもおつかれさまでした。
ちょっぴり秋っぽい雲を見つけた
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日曜日、入道雲がモクモク。
まるで、綿菓子みたい
光が雲を明るく照らしている。
だから、よけいに際立ってて。
あぁ、夏の真っ只中に、僕はいるんだなぁってことを実感しました。
でも、夏は足早。あっという間だよ。
きっと楽しいことは時間が早く進むのといっしょで
この夏、いろんな人と再会している
春から、夏にかけて、
なぜだか、たくさんの人と再会して
過去と現在と未来を結び付けようとしている
きっと、きっと、僕はなにかが変わっていってるんだろう
どんどん変化していってるんだろう
意識してなくても、自然と・・・

大雨の痕跡だろうか。河川敷のウォーキングコースも、たくさんの砂や石が上がっていて、芝生もえぐれていて、石や岩がむき出しになっていた。また、川に土砂が堆積して、いつもは流れているはずの場所が、降りて歩けるようになっていた。梅雨の置き土産ということだね。
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きょうもおつかれさまでした。
あつい1日でしたね。ほんとうに。
みなさん、こんな暑い日に、どう過ごされたかな?
ひろしま夢みなと花火??
エグザイルのコンサート??
ショッピング??
とにかく、熱中症だけには気をつけてくださいね。
わたしは、今週、なりかけました(笑)
入道雲が、ビルの頭から、モクモクと
あぁ、夏を感じさせる一瞬でした。
昼過ぎ、球場の前を通ったら、ちょうど高校野球をやってて
こんな暑い中、高校球児、頑張れ〜って応援したくなるよ。
(旧市民球場で行われるの夏の高校野球はあしたが最終試合だそうです)
夕方、友人宅へ。退院したのだけれど
当分は、実家に戻って療養する(まぁ、松葉杖でひとり暮らしは大変だものね)ご両親が迎えに来るちょっと前まで、おじゃまさせてもらった。
はやく、なおればいいね。
快気祝い、そのときはしますから。
紙屋町や八丁堀を歩いたのだけれど・・・
こんな暑い中でもすごい人。
それと、浴衣姿の人も多かったなぁ
花火を見に、宇品へ向うのだろうね。
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ある友人は、かつて
おれは「来るもの拒まず、去るもの追わず」だよ
といっていたのが、ずっと僕は印象に残っていて。
あれから月日が経って、社会人という立場になった上で、
最近、その話をしたら
「来るものも拒むことだってある、去る者は追わず」だな。
人間関係は、確かに理想論で言えば
「来るもの拒まず、去る者追わず」
なんだと、思います。これがベースにあってこと、人間関係は築けるかも
僕もね、ある時期は、「来るもの拒む、去る者追う」だったこともあったし、逆に「来るもの拒まず、去る者追わず」だったこともある。
でも、どちらも、しんどい。
来るものを拒んでいたら、ひとりぼっちになって、孤独になって、ますます考え方が意固地になる。人間関係がうまく築けなくなってしまうことで、精神的にバテバテになる。
だからこそ、少ない理解者には、想いが強くなってしまう。これも、良くないこと。
逆だったときも
来るもの拒まなかったら、本当に疲れてしまった。みんなとの出逢い、付き合いを大切にして、いろんな自分が存在するようになって。去るものを追わないことで、大切な人がするりと手の中から逃げてしまったり。
やっぱりね、人と人は付かず離れずがいいとも想うし、どこかで人を見て、この人はここまで受け入れられるとか、ここまででいっぱいいっぱいだと想うとか。ここちよい距離感を、それぞれ見つけられるようになることが、大切だったりする。
それは、たとえば恋人だとしても言えることで。
相手が求めていることを、しっかり理解して、近づかないといけないときは、すぐそばにいて、こころも身体も結び付けられるように。逆に相手、いや、お互いの負担にならないくらいの距離感も、うまく取れるようにならないといけない。
でもね、その距離感って、本当に難しい。
相手がどういう距離感で、自分を見ているのかというのがわからないから。
たとえば、僕は手紙や葉書をよく人に贈ったり、プレゼントにカードを添えたりすることが多い。手紙をやり取りできる仲間は、距離が近い仲間って気がする。
電話だって、たまに突然かかってくるけれど「しょうがないなぁ」って電話で長電話したり、すぐあうことになったり。
あまり考えたり、気を遣わなくても、
そばにいて、ここちよい時間を共有できる
価値観や考えが、なにかでピッタリ逢うここちよさがあったり。
そういう人、必ずいるはずだし
なかなかいるものではないし。
来るものは無理のない程度で拒まないほうがいい。
去る者は、追わないほうがいいような気がしてしまう。
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きょうも、暑さ厳しい1日でしたね。
みなさん、夏ばてしていませんか?
本当におつかれさまでした。
例年、日焼けしないようにと想っているんだけれど、ことしは、公私ともに、外にでることが多くて、顔や腕はほどよく日焼けしてしまった。
(私、日焼けしてやけどしちゃうくらい、肌があまり強くないので)
まだまだ、夏はこれから
なんとか、乗り切らなくちゃね。
さ、元気だして!
みなさん、熱中症には気をつけてくださいね。
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悲しいことも、きちんと受け入れて
幸せなことも、きちんと感じ取って
涙も、ときには無理をしないで
やさしさも、ごく自然で、
きびしさも、ある部分、自分の中に持っていて
喜びは、出し惜しみせず
憎しみは、こころにとどめて
愛を信じて
人を受け入れて
信念は曲げないで
誰がなんと言おうと、自分は自分ってところも、忘れないで
たくさんの人との出逢いに感謝して
新しいものごとへのおおらかさと柔軟性は意識して
いろんなエッセンス
それをひとつひとつ、認識しながら、
生きていけたら
毎日は、もっと意味のあるものに変わっていくはず