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2010年05月25日(火)
手紙のある暮らし 心豊かな。










「手紙のある暮らし 心豊かな。」

5人の女性の手紙ものがたり・・・送る楽しみ、届く喜びを、1冊にまとめた本。写真がメインで、あらゆる便箋やペン、文面のこだわりをまとめた、手紙好きにはたまらない1冊です。

この本の中にね、


「押し付けがましくないように、慎み深くあるように」

という一文がありました。


相手の負担にならないように、自分の気持ちを押し付けないように、ふっとお礼の言葉が伝わればと・・・


これ、大切ですし、難しいんですよね。
手紙って、つい自分の気持ちを言葉に託そうと、ひとりよがりになりやすい。あれもこれも、言葉をこめてしまいがち。でも、装飾をほどこした文面よりも、シンプルで、さらっと伝わる手紙のほうが、受け取るほうは、ここちよいですし、こころにすーっと入っていくはずですもの。


手紙は人間関係の一つ。だから、封書・葉書、それぞれの場合にふさわしい書き方がある


平松洋子さんの、この手紙に対しての向き合い方、すてきだなぁってつくづく思いました。

私も、便箋やペンに、もっとこだわって、繊細になりたいものです。手紙も贈り物ですから。


便箋も、この本では、ダンボールを使ったものとか、包装紙を使ったものとか。スタンプも自分で作って、うまく手紙に押してオリジナルの便箋を作ったりとか。手紙に合うペンなども紹介されていたり。


切手にしてもこだわり。
文章にしても、こだわり。

その人だとわかる、パーソナリティー性を大切に。


この本の巻末には、手紙の基礎知識がたくさん。
季語の使い方、間違った文章の書き方、横書き、縦書きのルール、宛て名の書き方まで。この本1冊で、手紙上手、手紙の楽しさが倍増するはずです。


この本で紹介されていた、5人の女性の手紙。
どれも、暮らしの一部分として、電話やメールと同等。まるで、手書きの文字で、相手との会話を楽しんでいるかのように。そうした手紙のやりとりが出来る存在がいるってことは、すばらしいことのように想うのです。僕も、そうした手紙のやりとりが出来る存在を、大切にしたいのです。きっと、こころも豊かになるはずですもの



最近、便箋や葉書、切手を常備する箱を買いました。
いつでも、すぐ手紙が書けるように。
また、その箱については、ご紹介しますね。


2010年05月24日(月)
断ることにも、やさしさを








雨が降ったり、晴れたり、曇ったり。
よくわからない天気でしたね。
みなさん、きょう1日、どんな時間を過ごしましたか?


どんより曇っていると、写真のように、都心のビル群のコンクリートやガラスの重厚さが際立っていて、なんだか重たい街の世界を、感じさせるものです。


みなさんは、きちんと人に対して「NO」といえているでしょうか?
私は、なるべく人を否定するようなことはいいたくない。
でもね、どうしても「NO」といわなくちゃならないときも、
やはり「言い方」ってあると想うのです。
ただ、自分よがりになると、相手を傷つけたりする言葉になってしまいますし。一度、口にした言葉というのは、あとから消すことってできませんから。


どんなことばにしても、ひとつひとつ、思いやりのこころがこもっていたほうがいいですし。

逆に、言葉の裏にある想いややさしさを、きちんと理解できる人でなくてはいけない。その時の言葉ひとつだけで、すべてが伝わるわけではないですから。



言葉というのは、こころを鋭く傷つける刃物になりうる。
「NO」という言葉で、断ることも、必要ですが、それにも、人間性が問われているはずです。ビジネスの世界でも同様。


ごめんなさいね。ありがとう。
その言葉を添えるだけで、まったく違いますから。



あんまり、崇高な考えを持つのは好きではなくて。こうなんだ、ああなんだと決め付けるというか。これが嫌いと言い放つというか。
ただ、なににもとらわれず、シンプルに考えて、生きていければいいのでは?って想うときがあります。熱く人生論を語る友人とかには、ふっとね。
どれが正しくどれが間違いって、測れないことがあるのが人間ですから。



きょうもありがとうございました。
みなさんにとって、あしたが、幸多い日となりますように・・・


2010年05月23日(日)
あじさいの前に








庭のあじさいが、だんだん花をつけてきました。
きょうは1日激しい雨だったので、あじさいは、いきいきしている感じがしてしまいます。すてきな花を、今年も見せてくれる・・・期待したいものです。


きょうのように、1日中、雨が降ってしまうと、僕のような偏頭痛持ちにとっては、ちょっぴり辛い。以前、お医者さんに「偏頭痛って治りませんか?」と聞いたことがある。そのとき「心因性です」と言われた。ストレスとか、そういうのを改善しない限り、偏頭痛は完治しないみたい。いつも、市販の頭痛薬を、必ず持っている(手帳のポケットに忍ばせている)こと、こうした雨の続く日には、必ず持っておかないと。


さきほど、おしゃれイズムを見ていた。
マツコデラックスがゲストで、ひどい頭痛持ちだと語っていた。一時期は、頭痛薬を1シート(8つくらい)を、一度に飲んでいた。

(大きな身体の人は、お酒も、薬も、たくさん身体に入れないと、まったく酔ったり効いたりしないというトークの流れで)

まぁ、くれぐれも普通の人は、マツコさんのようなことしちゃ危ないですが。いまは、マツコさんはそんなことしてないようだけれど。でも、気持ちはわからなくもない。

(月曜の夜、帰宅して、ひと息ついて、さぁ、眠ろうかと想って、ふっとテレビつけると、いつも偶然「マツコの部屋」なる番組をやっていて。低予算プログラムという副題がついているだけあって、ただ、ADが作った短いおもしろ映像に、マツコさんがダメだしするだけの番組ですが。この人、最近ほんとよくテレビでてるよね)


話はそれてしまったけれど
基本的に、雨の日は好きなので、きょうのような日も、雨音を眼をつむって聞いているとここちよい感じがして。


金曜の夜、新しくはじまったドラマ「ハガネの女」をたまたま見ました。
すごくテンポのよい内容だったし、たしかに面白かった。小学校4年生のあるクラスに、臨時採用で担任になった教師(吉瀬美智子)が、陰湿ないじめが、堂々とまかり通っているクラス(いままで担任2人を辞めさせたすごいクラス)の児童と対決するという物語。女の子が、男の子に怪我させるくらいの暴力振るってたり・・・それにしても、児童を演じているすべての子役さんの演技力がすごいなぁって。それぞれの児童に、それぞれの裏の顔とか事情とかあるだろうから、これからいろんなストーリーの展開が広がるだろうな。でも、深夜だから、同年代の子は、見ないだろうな。いや、みないほうがいいかもね。フィクションだけれど、現実にこういう学級崩壊ってあるわけだし、ノンフィクションっぽい部分も多分にあるのかもしれない。最近の子供って複雑なんだね。

よくテレビを見ていて、吉瀬さんの話題になると、タレントさんたちからも、みな本当の意味で「きれい」「美しい」と必ず口にする。僕の周りの人も、吉瀬さんって美人だよね・・・ということを言う人が多い。こんな女優さんって、他にいないなぁ。



みなさん、こんばんわ。
前フリが長くなりました。きょうはどんな1日でしたか?
いろいろ調べ物しなくちゃならなくて、レポート用紙にあれこれ書き進めてた。ふう。やっとひと息。

本の紹介は、明日からやっていきますね。

とりあえず、きょうはここまで
あしたは、天気は回復します。
月曜日、また新たな気持ちで。
みなさんにとって、幸多い1週間になりますように。おやすみなさい


2010年05月22日(土)
ゴーヤの途中経過/ソラトのマーク








ゴーヤの種を植えて、半月が経過しました。
現在のゴーヤは、しっかりとした芽が出てきていますよ。さぁ、ここからぐんぐん空へ空へ伸びていくことでしょう。もう少ししたら、支柱をセッティングして、ネットを張る作業が待っています。いまのところは順調じゅんちょう(写真は、今夜。雨の降る中、撮影しました)

もうちょっとしたら、あさがおの種も撒く予定です。あさがおも、いろんな花の模様があるから、選ぶのもちょっとした楽しみ。


帰り道(仕事場から、都心に向ういつもの道)のガソリンスタンドのシンボルマーク。けっこうこのマーク、好きなんですよね。空とよくなじんでいるけど、洗練されたマーク。ホッとさせられる顔のようなデザインですね。
(太陽石油のスタンドの名称が、ソラトに変わった)




みなさん、今週はどんな1週間でしたか?
暑さでぐったりの方もいらっしゃるのでは?僕はいたって元気です。いろいろ考えることもあるけれど、いずれ解決するさ・・・それくらいの意気込みで、仕事もまた頑張っていきたいな。


昨夜のアド街、「京成八広」を取り上げられていた。低温でネルドリップするコーヒーを出す、昔ながらの純喫茶も、いいなぁってみてて想ったけれど、なにより、この八広駅周辺でも、東京スカイツリーのフィーバーが・・・食堂の、エビフライで作られたスカイツリーのセットメニューも、スカイツリーがどんどん高くなるにつれ、そのフライも大きくなっていくなんって、なかなか粋ですね。


建設中のスカイツリーを見に行ってみたいな。いまだけだもの。映画「三丁目の夕日」でも、高度成長期の象徴として、建設中の東京タワーがたくさん登場していたけど、平成の時代を象徴する光景が作り上げられる途中を、間近で見守ってみたい。そう、思います。



あしたは、本の紹介もしますね。
あしたは、雨のようです。出かける方は気をつけて。
おやすみなさい。


2010年05月21日(金)
しあわせもそれぞれ








みなさん、こんばんわ。今週もおつかれさまでした。
きょうは、どんな1日でしたか?
お仕事忙しかったとか、いろいろ笑ったり泣いたりしたとか。


私は、きょうの暑さにぐったりぐったり。
真夏です。ほんとに。
仕事場から一歩出ると、もう7月?って錯覚しちゃうものね。


つい、帰り道、マックによっちゃったもの。
アイスコーヒーですよね。もうこうなったら(笑)


仕事のなかで、いろんな方と接しますが
やはり、納得いかないことをいわれることだってあります。
私の常識と、かけ離れてるなぁとかね。


しかし、しかし。
まぁ、人はそれぞれ、考え方もそれぞれ。
それをひとつひとつ否定していたら、だーれとも付き合えなくなりますよね。

僕だって、きっと間違っていることはあるはずですし。実際、友人や仕事場の方から指摘されることもあります。のんびりしているところなんかは、よく指摘されるね。


僕は、ルールというものは重んじたい。礼儀とか、マナーとか。常識的なことっていうのは、誰にも共通しているはず。

ただ、それはそれとして、人には人の考え方や価値観があるから、その一線まで、踏み込んで否定したりすることは、あまりよろしくないわけで。



自分は、あまり堅い考えは持たないでいたいとは思います。ただ、まっとうに毎日を生きて、ごく当たり前のシアワセを得られたら。でも、自分は自分というものも、陰ながら持っていて。

旅が好きだったり、写真が好きだったり。好きなことをいくつも持ち続けてることで、いろんな「好き」を自分の中に持っていると、人々も、だんだん好きになっていける気がします。人と接することがすきになるということね。おおらかで、シンプルな生き方をするには、まずは自分自身。どう自分の中で、楽しく生きていくか。きちんとまっとうに生きていくか。

まぁ、しあわせの形もひとぞれぞれ。
愛する人がいて、結婚して、家族がいて、たくさんの友人がいて。
健康でいること。

そういうのが、多くの人にとっての、しあわせの基本って気はしますよ。




さ、今週もおしまい。
ひとつでも、笑顔が多い時間になりましたか?
私も、まぁ、ぼちぼちです。でも、来週はまたよりよい明日になることだけは願ってたいものですね。


きょうもありがとうございました。
思いがけない暑さで、ぐったりの人も多いと思いますが
くれぐれも、体調だけは気をつけて。

では、またお逢いしましょう
あしたは・・・またあれこれ書いていきます!

おやすみなさい。


2010年05月20日(木)
靄の街を










みなさん、こんばんわ。
きょうの広島は、すぐ先にビルがかすんで輪郭がぼんやりとしか見えないくらい、靄のかかったような1日でしが。黄砂のせいだろうか。

広島という街は、三角州で出来ていて、山がぐるりと3方囲んでいる。その山が見えないので、なんだか広島が広いと感じてしまったりする。


職場から、所用で出かけていたとき、夕暮れなのに、太陽はぼんやりとしかみえなかった。なんだろう、春でもなく、夏でもなく。どの季節でもない世界だった。


みなさんは、どんな1日でしたか?
本当におつかれさまでした。


あしたも、笑顔で、やさしく過ごしていきましょうね。
きょうもありがとうございました。


ではでは・・・


2010年05月19日(水)
よりよい関係性








雨の1日。みなさん、いかがお過ごしでしたか?
私は、仕事帰り、都心へ向っていた。知り合いと逢う為なのですが、雨の日の街角を歩くと、どうしてもいつもと目線が違う。水溜まりに映る、もうひとつの世界、もうひとつのネオンの光が気になったり、ぜひビルの上から、傘の花を見てみたいとか。雨の日がすきなんですね。



最近、ちょっぴり想ったこと。

人間関係で、きっと大切なのでは?と想うのは

「タイミング」「距離感」「去り際」

そんな気がするんです。



タイミング・・・自分から一歩、前で出てみる勇気も大切ですし、人を想う気持ちが強く、どれだけ想えるか。ただ、それを踏まえたうえで、きっとタイミングってあると想う。出会いのタイミング。誰しも与えられるタイミングを逃さないこと、いまその時だということを感じ取り、信じれること。


距離感・・・それぞれに、それぞれの距離感ってあるはずです。人間関係がうまく行かないのは、その距離感を誤っているから。近づきすぎて、相手が拒否反応を示したら、引いてみる。逆に遠すぎて、なかなか親しくなれない感じならば、近づいてみる。

ほんと、距離は人それぞれだもの。人をしっかり捉えて、自分なりの適度な距離を持てるかが、大きいのでは?


去り際・・・たとえば、それじゃまたね!と、お互いお別れするとするでしょ?そのとき、別れた後、その人は、振り返ってくれるか。そのままスタスタ帰ってしまうか。そこかちょっぴり気になる。

たとえば、何らかの理由で関係が絶たれるとして、その去り際、まず相手のことを想ってあげられるか。あとで後悔しない去り際ってあると想うんです。去り際ひとつで、いままでの長い時間積み上げてきたもののすべてが決まってしまうような気がして。逆にいえば、どんなに時間かけて築いた関係や時間、想い出も、去り際で遺恨を残したりしてしまうと、すべてが台無しになってしまう。

去り際の言葉って、大きいと想うんです。
次に繋がるか、過去をよりよいものとして締めくくることができるか。





ちょっとだけ話は変わるけれど

わたし、人と逢ったりするときに、こころでは「これで最後になるかもしれない」という想いだけは持ち続けている。不安感というのよりも、これから先のことってわからないから。そのときそのとき、後悔しないように、いつも「最後になるかもしれないのだから」くらいの気持ちで、きちんとその時その時で、対峙したいって想うんです。その積み重ねで、ずっと続く関係になればいいし、残念ながら、疎遠になってしまっても、後悔はないですし。だから、ことさら別れ際って大切に想う。言葉のひとつひとつ、そして手紙やメール、写真というものを送ったり残したりするのも、そこに通じるのだろう。


ただ、そういったことを、人に言うと、すごく否定的されることもある。きっとネガティブな意味に捉えてしまうのでしょう。


僕は、そうした人の意見も意見だけれど、それをネガティブな意味にしか捉えられないのって、そこもどうなのだろう?と疑問を持ってしまうんですよね。そういう人は、あまり人に固執しないというか、イエス・ノーがはっきりしすぎることって、あまりに味気ない気がして。



きょうもありがとうございました。
あしたも、よき1日になりますように。

おやすみなさい



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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