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広島都心は、黄砂のせいで、けっこうかすんでいた。
空は、黄砂独特のグレーの色。雲が広がっているときのグレーではなくて、青い空自体が、グレーになっている不思議な空。
「1Q84」BOOK3が、はやくも100万部を突破した。
都心の主要書店では、もちろん売り切れで、次回入荷も予約待ちという感じだったりする。
しかし!もし買い求めたい方がいらっしゃるのであれば、ぜひ中規模な書店、たとえば、郊外のスーパー・ショッピングセンターに入っている書店を探してみてください。意外とまだ店頭に残っているみたいですから。
こういうベストセラー本、昔ながらの小さな書店には、残念ながらなかなか配本することができなかったりする。それが、いまの書籍の流通業界での、ちょっとした問題ではあると思います。これでは、小さい書店が激減していくのは目に見える。値引き販売は出来ないとか、独特の商習慣・制度のある、手厚く守られている部分のある書籍の流通。しかし、近々、��-padが国内販売されて、おそらくネット書籍が、飛躍的に伸ばしていくことになることは、誰しも予想していることでしょう。根本的なものを、どこか変えていかないと、いまのままでは、紙媒体としての書籍の先は、ちょっぴり大変になるかもしれない。特に、雑誌はね。休刊が相次いでいるこの現状は、かなり寂しい。
「1Q84」BOOK3の100万冊、手放しでは喜べないないところもあるのです。

モッコウバラが、そろそろ見ごろになってきました
これでも、ずいぶん剪定したのですが、その成長のスピードは、本当に毎年驚かされる。(そのままにしていたら、屋根の上まで伸びてゆきそうなくらい)
家のモッコウバラは、「白」なので、香りがします。初夏の入り口、ふっとその香りで、季節を感じることができるのです。
モッコウバラの花言葉、いろいろあるんですよね
「純潔」と記されている本が多いみたいですが。
「幼いころの幸せな時間」というのも見つけた。後者の方が、モッコウバラらしい気がする。
きょうも、ありがとうございました。
みなさん、おつかれさまでした
あすは、すてきな休日をお過ごしくださいね。
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きのう、仕事で安佐南区の緑井・八木へ行っていました。
昼のお休みの時間、せせらぎ公園を歩いてみた。もう新緑の光景にすっかりかわっていて、木々の葉っぱが鮮やかでした。
比較的あたたかで、ここちよい。ただ、だんだん曇ってきたけれど

きょうの朝は、雲ひとつない、さわなかや空でした。おもわず深呼吸したくなるような。
いつも通勤で見慣れている都心の光景だけれど、空の表情一つで、ずいぶん見え方も変わるものです。
正直なところ、ここ最近、いろんな昔の物事が、自然と戻ってきていることに、ちょっぴり戸惑いながら、不思議な気持ちでいるのです。
日曜日、久々に旧友と再会したのも、そのひとつ。
彼は、倉敷に住んでいるのだから、逢おうと思えば逢えるのに、ずいぶんご無沙汰していた。でも、その空いた時間をほとんど感じることなく。何年経っていようが、いつも、すーっと入っていける、そういう関係が、親友なのかもしれない。
いま、ひとつひとつ、過去のことについて、見つめなおしなさいということなのだろう。そうすることで、こころから消えない記憶や、わだかまっていることをきちんと整理してから、次の新しいものを受け入れていく。そうして、自分の中の過去、現在、未来を、しっかり一つに結び付けなくてはいけないということなのだろう。
離れていくもの、戻ってくるもの
人と人の関係は、努力や想いだけじゃ計れない、運命的なものもあるわけですが。悲しい想いをした分、きっと時間が経ったのちに、いろんな経験や、悩んだりしたのちに、それらはゆっくりといい形で、やさしく戻ってくるものかもしれない。
昨夜、「こころの遺伝子」という番組を見てて、
つい、もらい泣きしてしまった。
西原理恵子さんの、
「どん底でこそ笑え」
という、なくなったご主人からのメッセージ。どんなに辛い人生の中でも、笑っていよう・・・こころうたれるものがありました。
この番組、スタートしてから、よくみています。
無駄なものを一切排して、運命の人からの運命の言葉を中心に、淡々とトークが進んでいく。嫌味なところがなくて。いい番組だと思います。
西田敏行さんが、ちょっと前まで司会してた、日テレの「泣ける歌」は、泣かせようと狙ってる演出や構成があまりに押し付けがましいというか、あまりに軽すぎて、僕は好きじゃなかった。
「こころの遺伝子」の方が、同じ司会をしている西田さんの涙に共感できる。
私にも、人生を大きく変える出会い、そして言葉ってあります
(以前、この日記に書いたことあったと思いますが)
ひとつの出会い、たったひと言の言葉で、その人の人生をいい方向に大きく変えるような、強い力を持ちえることがある。(逆に、大きく傷つけることもあるけれど)
だから、僕は言葉をひとつひとつ、大切にして生きていきたい。
あしたも、そして、これからも、おだやかで
しあわせでありますように・・・
みなさん、きょうもありがとうございました。
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いただいた、ステキなお便りに、やさしく添えられていた、シロツメクサの種、そして、私が買ったゴーヤの種。
それを、先日、種まきしました。
ゴーヤに関しては、まず、種の尖った部分をはさみでチョコンと切って、新芽が出やすくする。それを、軽く浸した水において、約2日。殻が柔らかくなったら、プランターに種を置いて、2センチ程度盛り土して完了。(本当は、ポットに植えて、暖かい場所で芽が出るまで育てるのが基本なのでしょうが)もうちょっと暖かくなってくれないと、ゴーヤの芽も出てくれなさそう。ただ、昨年の反省から、今年は桜が終わって、種を撒こうと想っていたので。
シロツメクサは、大きなプランターに。春撒きと、秋撒きがある。春撒きなのですが、たくさんの四つ葉のクローバーが育って欲しいなという想いを込めて。しあわせのおすそ分け、「ありがとう」の感謝の気持ちも込めて。四つ葉のクローバー、押し花にして、なにか文房具作ってみるのもいいかもね。
アサガオも、もう少ししたら植えたいな。
それと、紫陽花。剪定の時期を間違えないようにと想ってて。今年は美しい花を咲かせるのだろうか・・・
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けさも、仕事の打ち合わせなどがあって、ちょっぴり久しぶりに西区の事務所へ向った。商工センターってね、空が広く感じる感じられるし、緑も意外と豊かなので、きょうのような快晴の日は、すがすがしい気持ちになるもの。日曜日だから、道路も車通りは少なく、いつもより静かではあるけれど。
専門学生のころの旧友からメールが届いて。
呉に来るので逢わないかと。
仕事が終わって、一旦自宅に戻って、急遽、呉に向った
昴珈琲店にいるそうなので、そこへ。


10年近くぶりの再会だった。彼は本当に変わりがない。
相変わらずである。
彼は、かわいい奥さんといっしょだった。まぁ、10年経とうが、元気でいることだけでも喜び合って。その後は、まったく昔と変わらない会話だしね。10年っていう時間を感じさせないのが、すごく不思議だった。
彼は、バイク仲間との集まりで訪れていた。
僕は、バイクにはちと疎いのですが、いろんなバイクを見せていただいて、お話も聞かせてもらった。もちろん、海軍さんの珈琲をおいしく戴きながら。
それにしても、呉のれんが通りで、こうして再会するのも、妙に不思議な気持ちだわ。
みんな、家族を持って、そしていろいろなこともあって。
でも、とりあえず、元気で、笑顔で逢えることは、しあわせなこと。
そうして、あたりまえなことを、素直に喜べることを、僕はこれからも、ひとつひとつ丁寧に重ねてゆきたいものだと、想うのです。
ま、私だけが、ひとりもののままになってしまったけれど(笑)
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大きなカメラ店へ行くと、最近は、上のような、冊子がいろいろ置かれている。
女性向けのカメラ雑誌・・・「女子カメラ」とか「カメラ日和」のような世界で構成されている。ほんわか写真というか。
ニコンは、定期的に「カメラつれてこ」という冊子を発行していて、カメラ雑誌顔負けの内容となっている。機種の説明は極力控えて、やさしい、かわいい写真をたくさん紹介して、女性に写真の楽しさを伝えている。
この冊子、まさにニコンと、「女子カメラ」+「カメラ日和」のコラボレーションなので、その雑誌のままであるのは、当然ではあるけれどね。
レンズメーカー・タムロンまでもが、最近、おしゃれな冊子を発行している。
山本まりこさんや、川合麻紀さんといった、女性フォトグラファーによる、レンズを使ったやさしい写真レッスン。花や料理、猫を可愛く綺麗に撮影するためのレッスンだったり、旅先(芦ノ湖や、大涌谷など)での写真の撮影ポイントとか。写真集顔負けの構成で、なかなかすてきな冊子となっている。
一眼デジカメを、暮らしの中の相棒として、ファッションの一部として、
女性にもって、楽しんでもらおうという想いなのでしょう。たしかに、これを読むと、欲しくなるだろうなぁ。かわいいカメラストラップとかケースとかでカスタマイズして。
やっぱり、オリンパスPENの人気は、一眼デジカメの女性ユーザーの拡大に大きく貢献していることだけは確かでしょうね。カメラを首からかけて、カスタマイズして、さらに魅力的な姿に変身する。カメラ好きのあおいさんみたいにと・・・
ところで、最新号の女子カメラの巻頭にて、宮崎あおいさんが特集されていて、カメラについて、いろいろ語られていました。アートフィルターを駆使して、いろんな写真を楽しんでいるそうです。彼女にとっても、肌身離さず持ち歩く、相棒となっているのでしょう。
カメラとのかかわり方だけで、いつもの暮らしがもっと楽しく、おしゃれになる。そう僕は想うんですよね。
さ、今週も終わりです。
きょうも夕方までばっちりお仕事してまいりました。来週もゆるり、いい時間が流れていきますように。
みなさん、今週もありがとうございました。
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午後、おもいがけず雨が降った。
職場から、ちょっと外に出ると、さっきまでの雨が嘘のような快晴に。虹も出ていた。すべてが洗い流されたからこそ、新緑の深い色合いが、より一層目に焼き付けられる。水滴を載せた黄色い花も、こころなしかうれしそう。
きょうもおつかれさまでした。
私は普段、「嫌い」ということを、人前ではいうことがあまりない。
なにかを「嫌い」ということで、自分にとって、プラスになることって、あまりないような気がして。
たとえば、何かが「嫌い」といったとして、それを聞いただれかは、それを「好き」だったりすることって、ありえるわでじゃないですか。
「嫌い」という言葉で、簡単にかえしてしまうのは、たしかに自分に対して正直ではあるけれど、相手に対しての配慮とか、大人の対応として、どうなんでしょう?と考えることがよくあって。
言葉のひとつひとつの中に、「嫌い」という言葉が入ることで、人から誤解を受けたりすることだってあるし。それでこころが離れてしまうこともありますから。
物事、人との関係も、なかなか白黒付けられないことってあります。
ただ、僕は社会的なルールや常識を犯してる人には、厳しいかな(笑)
とはいえ、私にも嫌いなものはあります。
まわりの人に公言していて、誰しも笑い話にできるくらい、冗談っぽい感じで、みんな知っていることではあるけれど。
はい、私は、ずーっと「アンチ巨人」」です。
どんなに原監督がすてきな人であっても、生え抜きや若手を起用するようになっても、ジャイアンツだけは苦手です。
たまに放送される、大家族を取り上げた番組も、すごく苦手。どうしても、親のエゴにしか見えなくて。すべてが。
でも、嫌いというのとは、ちょっと違うんですよね。
全否定ではないから。
こと、想うのは、あまり、人の好き嫌いを、あからさまにしてしまうのは、きっと自ら損をするのでは?って思います。特に、自分に関りのある人に対してね。
きょうも、ありがとうございました。
あしたも、いい1日になりますように。