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みなさん、こんばんわ。
元気していますか?きょうも1日、おつかれさまでした。
雨が夜遅くまで降り続いていました。いつものように遅い帰宅でしたが、オレンジ色の街灯に照らされる、雨に濡れた路面が、とてもまぶしいくらいです。ガラスの雨粒は、どことなく、人の流した涙のようだったり。いろんな感傷的な表情を、雨の日は見せてくれるものですよね。
どうも、ひとりでいると、ぼーんやりしてることが多くって
なにか考えごとしているわけでもなくてね。
無論、考えるときは考えるけれど、それも時期に忘れてるし。
あしたが、どう楽しく過ごせるか、
シンプルに、しなやかに、こころひろく、受け入れながら生きれるか、
周りの人たちと、ここちよい関係性を持てるか。
そして、私にとっての、「かけがえのないもの」をしっかり大切にして、変わらず愛していけるか。
すべてはそこに繋がっていきます。
春だからこそ、こころに余裕を持って。
空でも、咲き誇る花でも、芽吹き始めている緑でも、
春らしい光景、変化を、この胸に感じ取る時間を、僕たちは、ささやかでもいいから、大切にしたいものです。そうしないともったいないもの。
いまから、お花見どこ行こう!って考えている私も、程度問題としてどうか?と想うけれど、なるようにしかならないのだから、いまゆっくりしっかり生きてゆかないとね。
この週末、時間が空いたら・・・
またどこか散歩するぞ。
カフェでまったりするのさ。
本を買い漁るのさ。
仕事、あれこれ大変だけれど。頑張らなくっちゃね。
きょうも、ありがとうございました。
みなさん、あしたという1日が、すてきなものになりますように・・・
笑顔がひとつでもあふれるように。
(この日記のスペースは水曜日分ですが、本文は月曜日分です)
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喜びも、悲しみも、不安も
いろんな人たちのいろんな人生が、電車で運ばれていく。
1日の終わりに近づいたとき、夕暮れの美しい空、赤みのかかった街、ゆるやかに流れる時間に包まれて、こころが溶かされていく。
ある2月の夕暮れ
僕が、この河川敷に立ったのは、とても久しぶりだった。
夕暮れ近くに、横川駅から電車の乗ろうと想ったのだけれど、つい引き寄せられるように、ここまで足を運んでしまいました。
喜びも、悲しみも、寂しさも、せつなさも、あしたへの希望も、
このとき、この場所に立ち、目をつぶって、ふーっと息を吸い込むと
すべてが一瞬、自分から放たれて、こころが空っぽになる
目を開いた瞬間、すべてが整理されて、こころに戻ってくる。
世界の中心に立っているといったら、大げさだけど
自分の存在とか、小ささとかを、再認識するためには、
普段の暮らしの中の定規とは、別の定規で自分を測ることのできる場所に、身を置くことも、きっと必要なんだと想います。
さ、僕も、喜びも、悲しみも、いろんな人生が詰められた、電車にのってかえろ♪
この日記、UPするのを忘れていたので、ちょっと遅れたけれど、きょうUPしますね。
河川敷の河原って、独特の雰囲気ってあります
無論、誰かと来て、ゆっくり語り合ったりするのもステキだし、なにかスポーツしたり、自転車で走ったりする楽しみもあるし。この上流には、カフェも何軒かあったり。
僕は、残念ながらひとりで来ることばかりだけど
それでも、すごく意味のある時間の過ごし方ができるものなんですよね。
目を閉じて、耳を澄まして、鉄橋を渡る電車の「カタンコトン」の音だけに集中すると、不思議と落ち着く・・・いや、懐かしい気持ちになるし。川を吹き抜ける風は、ここちよかったりするし。
うん、ちょっとだけ遠回りしてよかった!
ここのところ、せわしくて、
更新できてなかった日の日記を遡って、3/3から3/16まで、UPしました
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「いま、この時を、一番大切にしたい」
と、思えるようになっている。
いつからだろうか??そう想うようになったのは
いま、その瞬間を、大切に生きていくことの積み重ねが、きっと未来に繋がるのでは?って。
人の気持ちも、どんどん変わっていくし、周りの物事もどんどん変わってく。
その変わっていくという流れの中でも、僕たちは、必ず人と対峙しながら生きている。人と対峙することで、変わっていく人々に対し、そして自分が孤独なときに、寂しかったり、悲しかったり、辛いこともあるけれど、所詮人も、自分もどんどん変わっていくものですから、それも受け入れることも必要ですね。・・・逆に、人と出会ったことで、癒されたり、希望を与えられたりもするのですし。愛されるわけですし。人と関わるってことはそういうことなんじゃ。
いまこのとき、この瞬間の想いや、空気感を、大切にしたいと想うのも、
いま、感じた自分のこころの動きや、交わした言葉のひとつひとつを、大切にして、きちんと自分のなかで確認しつつ、人と対峙して、その時に、取り込んだり、伝えてゆかなくては。その時って二度と戻らない。その時じゃないとだめなことも、多いものです。
ひとりでいるのはどうして?
そう、よく人から質問されることがあります。
ひとりでいるのは、決して望んでいるわけではなく、結果的にです。
誰かを好きになったり愛したりすることへのなにかしらの怖さとかトラウマがどこかにあるからかもしれないし、そこは、一番の明確な理由が、どれなのかわからない。どうしてこうなったのでしょうね。
ただ、乗り越えられない壁というものがあるのは確かで。条件反射で、感情を押し殺してしまうことがある。好きという気持ちとは裏腹に
自分を必要としてくれる人って、こういう人間といっしょにいたいと思う人がいてくれるのかどうか・・・ずっとずっと疑問に思ってしまうのも、ある意味、長年の強迫観念的なものがずっと染み付いてしまったのかもしれない。だから、こころのどこかで安心できないというか、不安というか。安心できるようになるまでが、ね。
だから、ある地点で、
これも自分の運命なんだろうな。
そういう自分も認めてあげて、自分と付き合っていかねばと。
僕は、いま目の前にいる人たちと、関わっている時間を、ここちよいものにしていかなくちゃってすごく想ってる。性別問わず、せっかく関わったのだから、できれば、長く仲良くしていきたい。ただ、そう想いすぎるから、ごくたまに、不器用な面が出てしまうみたい
自分がこころを開いているかといえば、おそらく肝心なところは、誰にも開いていないし、開くこともないかもしれないし。開かないからこそ、すごく毎日、人たちと、明るく生きていけてる気もする。
恋愛について、いまの自分が明確に想うのは、
こころで繋がる存在を、もっとも大切にしようとしてしまうようです。だから、どんな形であれ、そばにいてくれるだけでいいのです。言葉を交わしたり、抱きしめたりするだけで。この人のために、ささやかでも、なにかしたいとか。もし逢えなくても、遠くから、しあわせを願っていたり。この人にとっての、特別な存在になりえたら・・・そんな想いがあるのも、そういうつながりって、何モノにも換えられないものでもあるし。こころが満たされるというか、繋がるということというか、すべてはそこからのような気がするのです。無論誰でもいいのではなくて。この人と居たいと想うことって、なかなかあるわけではないから。
シンプルで、単純なこと。
あまり考えすぎるのではなく、いまその瞬間の、自分の気持ちに素直に・・・ただね、実際、自分でも、いろいろな自分があって、自分のことを言葉にするのって難しい。自分でもよくわかっていないのだから。
いまの自分は、不思議と将来のことを考えることは少ない。
考えれば、不安な気持ちにもなるからかも。
考えすぎて、押しつぶされるならば、
いまを真摯に生きること。そこから先へ繋がっていくはず
やはり、いまこのときにすごく目が向いているからかもしれないね。
そんなことを、あれこれ言葉で説明するのが、めんどうくさいから、
いつも「僕と釣り合う人がいないのさ」なんて冗談いって、突っ込みいれられて・・・というパターンでおわりなんだけれどね
自分にも、人にも、ここちよく。
静かに、おだやかに、そして懸命に生きてゆきたい。
自分が出来ることを・・・
そのために、自然と、ひとりになってしまうのかな。
誰かと居ることって、大切なはず
誰かを守るという幸せってあるはず。
人は、愛する誰かといるから、強くなれると想うけれどな。
これから先のことって、なるようにしかならない。
流れるままに、いろんなことを受け入れるまでです。静かに。
そこから、なにかが生まれればいいわけですから。
確かなもの、かけがえのないものに。
話は180度変わるのだけれど(笑)
携帯電話のアドレス・・・いまあれこれ考えているのですが。
迷惑メールが来ないようなアドレスのコツってあるのかな?
数字をたくさん入れたほうがいいとか。
なにかコツというのがあるようでしたら、みなさん教えてくださいな。
金曜日の夜、たまたま帰って、テレビ付けたら、
中谷美紀さんが、パリを旅してて、
パリの友人たちに、お茶室でお茶を点てていた。
異国でも、日本の着物文化とか、お茶の文化、いや、日本の凛としたこころと、おもてなしの気持ちを・・・なかなか新鮮な雰囲気がしてしまった。中谷さんの、意外な一面を見ましたね。
茶道のこころって、万国共通。一期一会は基本の基本。
ではでは、みなさん、今週もお付合いください。
春に向って、時間は進んでいってます。僕も、できるだけ、春を見つけて、みなさんにささやかでもお伝えできたら。ささやかな幸せを、共有しましょう。