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2010年03月02日(火)
手紙・メールの流儀

私は、手紙も、メールも、日々たくさん書く人なのです。
メールにいたっては、PC,携帯、どちらも、かなり長文で。
スタンスは、戴くから、その1.5倍、場合によっては2倍の文章でお返事するということ。


そのどちらも、自分なりの流儀というのがあります。


手紙については・・・

青いインクのペンで書く。
手紙の最後は、筆記体のサイン
便箋は、送る相手と、季節などに応じて、すごく考えて選ぶ
レターセットは、送るときや、その直前になるべく買う。
定番の便箋やレターセットを決めおき、お店も決めておく
プレゼントとして、僕が撮影した雲や花の写真のスクラッブッキングを添える。
文頭は、季節の言葉。
文末は、ありがとうという言葉、もしくは、これからすてきな時間を過ごしてくださいという願いの言葉。
自分のことはそこそこに。相手に話しかける感じで書く
疑問符が多い
切手も選ぶ

なにより、書いた時点で、3回くらい推敲して、やっと封筒に入れる



メールについては・・・
なるべく早く返信する。できなければ、まずなにより謝りの言葉
いただいたメールについて、お返事することがメイン
自分のことはそこそこにしておく
相手に聞きたいことを書くことが多い
主観的に決してならない
改行をなるべく多くして読みやすくする
文末は、「取り急ぎお返事まで」というフレーズをよく使う。最後に、名前とメールアドレス、場合によってはホームページアドレス

なにより、打ち込んだ時点から、数時間置いて、いま一度冷静に推敲してから、送信ボタンを押す



自分から手紙やメールを送るというより
戴いたメールや手紙に対して、真摯に向き合って、しっかりお返事する


なにかイベントのときは、祝福の気持ちを言葉に綴ること。素直な気持ちで。



手紙は、自室、カフェあたりで綴っている。
ポストカードの場合、買ってすぐ、どこかのカフェでササッと書いて、すぐ投函



そんなところでしょうか。

手紙・メールの作法というのもあるけれど
それも含めて、人それぞれの流儀ってあると想います。


それだけ、手紙にしても、メールにしても
送りあえる関係って、すてきだと思うのです。


2010年03月01日(月)
雨の夜のささやかな楽しみ/バンクーバー五輪を終えて










雨がよく降りますね。僕も含めて、みなさん通勤おつかれさまでした。
でも、雨降りの帰り道って大好きです。地面にネオンの光が映って、2倍明るいものです。そんな光の道を歩くのが楽しい。

雨の日だって、視点を変えるだけで、楽しめるものです。



バンクーバー冬季オリンピックが、きょう閉幕しました。
今回の五輪、日本は、銀3、銅2の計5個のメダルを獲得した。すべての選手のみなさん、本当におつかれさまでした。そして感動をありがとうございました。


ある人は、マスコミや国民が、「金メダル!金メダル!」とあおりすぎと、批判していた。たしかにそのプレッシャーたるもの、選手にとっては大変な重圧になるのだろう。

ただ、マスコミや国民が、「金、キン」って言うのって、当然のことのようにも想うのです。

アスリートは、誰だってみんな、頂点を目指している。
それに、日本国の代表なんだもの。国の威信を掛け、誇りを持って、五輪の舞台で戦ってる。


参加することに意義がある、メダルなんて関係ない、選手が楽しめたらとか。みんなが金メダル金メダルって言い過ぎるのはよくないとか・・・

そういうものじゃないと想うんです。


メダル目指して、周囲からのプレッシャーの中、懸命に戦って、それで出た結果に対して、僕たちは、感動と引き換えに、ねぎらいの言葉をかけ、メダル以上の価値があるよ!という想いを伝えるのだと想います。そして、悔しさを、次の五輪、メダルを取るという情熱に向っていくように想います。


もうちょっと、国が冬の五輪強化にお金をかけて、積極的に取り組まないと、韓国との差はどんどん広がっていくような気がします。誰かが、「スポーツ省」の設立を!と叫んでいたけれど、それもひとつ。もちろん花形競技だけじゃなくて、リュージュだとか、ボブスレーだとか、アルペンとか。そういうお金がなくて、練習するにも困っているような競技にも、必要なだけ国が助けてあげないと、かわいそうな気がします。こども手当てもいいけれど・・・


ちと、難しいお話になっちゃったね。
でも、ほんとオリンピックって、いいですよね。僕は大好きです。

真央ちゃんについては・・・ほんと、僅差の負けとか、疑惑の判定とか
そういう負け方するくらいなら、これくらい大差の付いた銀メダルのほうが、さっぱりしてよかった気がします。キムヨナさんが勝っていたのは、誰しもが納得ですもの

それと、NHKのハイライトの司会をしてたベッキーさん
アナウンサーより上手な司会ぶり、すばらしいと想いました。


2010年02月28日(日)
波輝カフェ・七浦海水浴場へ








波輝カフェへ。
前々から、訪れたかったカフェでした。天気も快晴だったし、ひとりゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。










まずは、カフェ周辺の海岸を歩いてみた。カフェの前には、大きな手作りのブランコ。少し靄のかかった瀬戸内海の先には、蒲刈島。だーれもいない海岸。ひとり、ぼんやりあるいてみた。建物や倉庫などには、呉出身のこだまこずえさんをはじめとした、たくさんおアーティストの作品が描かれていて、とても美しい








波輝カフェは、元々海の家だった建物をカフェにしている。建物の前には、大きなワンちゃんが2匹。まったりとおとなしく佇んでいた。店内は、海に向って大きな窓が印象的。落ち着いたソファー席と、テーブル席、カウンター。








私はランチメニューのひとつ、サンドプレートをいただきました。
生ハムとクリームチーズと野菜がサンドされていて、ボリューム感がすごい。生ハムが柔らかく、とても美味しい!!それに、サラダ、スープ、キッシュが付いています。プラス200円でブレンドコーヒー・もしくはソフトドリンク各種がセットになります。(ランチメニューのうち、ライスプレートを頼むと、ご飯が付いてきておかわりも自由だそうです)


お店の方、若いお2人と、いろいろお話させていただきました。ひとりは、大阪から研修で来られていた男の方、もう一人は、かわいい女性の方でした。カフェの話、この海岸のお話などなど。楽しく時間が過ぎていった気がします。お店の方は、みなさんとてもフランクでお話好きな方でした。でも、こちらが恐縮してしまうほど、徹底した接客をされます。








店の奥の書棚には、たくさんの本が倣えられていて、その中に、とても貴重なカメラがいくつかディスプレィされてて。つい見入ってしまいました。この店内、かつては海の家でしたが、それを、お店の方たちが、ほぼ手作りで、カフェに改装されたそうです。








大きな窓からは、七浦の海岸が眼下に。おだやかな瀬戸内海、対岸には、蒲刈島も。お店から自由にお散歩したり、ブランコやビーチバレーボールで楽しんだり。海岸を自由に過ごす雰囲気がとてもステキだと想います。きっとお友達同士でも、ひとりでも。こころ満たされる時間が過ごせると想いますよ。










お店の方に、ブランコ乗って見られては?と奨められたけれど、ひとりで乗る勇気はありません。会話の中で、お店の方と「海のハイジブランコ」と名づけてしまってた。とても長さのあるブランコ、まさにハイジのブランコのイメージです。


波輝カフェの名水は、すべて山水。野菜は約80パーセントが完全無農薬の自家製野菜。野菜の味がとても濃い。


自家製ベーコンと菜の花にんにくスパ=1200円
じいちゃんのじゃがいもで作ったコロッケ=1000円
クリームチーズの詰め物パスタクリームソース=1500円

クリームブリュレ=600円
バニラアイスクリーム=350円
ポンカンのトルテ=600円
レアヨーグルト無花果ケーキ=600円
デザート盛り合わせ3種=1000円

(フード・デザート共、毎日メニューが変わります。)


ブレンドコーヒー=500円(アイス・ホット共)
カフェオレ=600円
カプチーノ=600円
カフェモカ=600円
紅茶=500円
シェカラート=500円


ソフトドリンク各種(マンゴー・パイン・トニック・オレンジなど)=400円
オリオンビール=600円
焼酎(芋・麦・米)=500円
ノンアルコールビール=500円
ハイネケン=500円


バーベキューもできます。食材持ち込みのコースから(1人500円)、食材含めすべて用意してもらうプランまで。また、お子さん連れには、2階の部屋を解放するプラン、一人2500円からのパーティーコースのプランも。いろいろな楽しみ方ができる。

波輝カフェ
呉市安浦町大字安登1048-160 七浦海水浴場内
(車ならば川尻町の小用入口交差点を海側へ)
11:30〜22:00
定休日・不定休
駐車場80台
7・8月は、海水浴場の海の家としての営業となるので注意








七浦海水浴場を、ひとり歩いてみた。
遠い昔、訪れた記憶がある。
ただ、二度と来ることはない場所だと想っていた。








かつて訪れた、岬の岩場まで、なんとか辿りついて、
ここから海をぼんやりぼんやり眺めてみる。
空の大きさ、海の青さ、自分の小ささを改めて思い知らされる。


この美しき日常。
美しき世界。


でも、時間は容赦なく進んでいく。
前へ前へ、志高く進んでいく私と、
けっして目をそむけてはいけない過去と事実。
その境界線上で、しっかりと、残されている時間を生きていかなくちゃいけない。それが、自分にとっての課せられた報いであり、人生のような気がした。



夏は、たくさんの海水浴客でにぎわう。
実際、この波輝カフェも、7・8月は海の家として営業されるので、いまのようなのんびり雰囲気とは逆で、活気ある雰囲気に一変するそうです。僕はもう泳ぎに来ることはないので、またいつか訪れるときも、きっとオフシーズンだろうなって想う。



七浦海水浴場と波輝カフェをあとにして、
この街へ行くと必ず立ち寄る場所に立ち寄ってから、帰りました。



さ、みなさんは、この週末、どんな時間を過ごされましたか?
いま、牡蛎祭りが各地で行われています。みなさんの中にも、牡蛎祭りとかいろいろお出かけされた人多いのでは?

いよいよ、あしたから3月です。
新年度に近づき、いろいろ気忙しく、そしてワクワクしている。
そんな時間、みなさんにとって、すばらしいものになりますように。僕もささやかながら願っています。

2月もお付合いありがとうございました。
3月も、どうぞよろしくお願いします。



おまけの日記

安登駅前で偶然、こんな看板を見つけた
「日本一短い県道」

帰り途中に立ち寄ってみた。








ふーむ。この看板を読むと・・・
県道204号線は、安登駅前から、国道185号線までの、10.5メートル。
なぜ、たった10メートルの県道が誕生したのだろう
上の中央の写真、左が国道、右が駅前広場。中央の建物と横断歩道の部分が、県道204号線なのです。
写真左が看板。右が安登駅。ふーむ、普通の田舎の駅。おじいさんが、待合室で井戸端会議していた。

ちょっとした疑問を抱きつつ、妙に興味深く、この県道を完全走破しました。
と、いっても、たった5秒程度で(笑)


2010年02月27日(土)
ほぼ日手帳2010スプリングが届く。果たしてテンプレートの色は?








帰宅したら、ほぼ日手帳2010スプリングが届いていました。
さ、3月1日から、また心機一転で手帳を綴っていきます。
注目していた、「ほぼ日のテンプレート」は、写真の通り、「オレンジ」が同封されていました。青かオレンジが欲しかったので、まずは一安心。テンプレートってね、子供のころ、文具屋さんにならんでいたものは、みなオレンジだったよね。










しりあがり寿さんの「何度読んでも笑えるマンガ」しおり。手帳本体。そして、スプリング版発売と同時に、すてきな文房具の新アイテムとして登場した、「ほぼ日手帳2010×じゃらん・にゃらんの名水汲みに行くにょだー♪」日本の名水スポット情報30が、じゃばら状のになって載っている。これは、スプリング版だけの特典になっている。(1月はじまり版の時はなかった)ただ・・・残念ながら広島県内の名水は載っていなかった。中国地方は、鳥取の天の真名井、岡山の岩井、山口の別府弁天池湧水の3箇所が収録されていた。


それにしても・・・にゃらんはかわいいよね!!










人間、モノを買うときは、「特典」「おまけ」に弱い。
このテンプレートと、ジェットストリームに変わったおまけボールペン。この2つが、ほぼ日ストアの特典にならなければ、すんなりロフトで買ってたと想うんだけれど。どうしても、このおまけが欲しくて、今年はほぼ日ストアで購入となりました。

このテンプレート、想ったより小さい。かなり先端の尖った細いペンで書かないと、図形書けません。ほぼ日のおまけボールペンでさえも、練習してコツをつかまないと、たとえば、お天気のテンプレートは綺麗にかけない。数日、メモ帳で練習してみよう。きょうから、お天気はテンプレート使って書くことにします。(マルチ8で書こうと想ってたのだけれど、やっぱりマルチ8の色鉛筆芯の太さでは、テンプレートでかけない。晴れのマークだって、芯が入らないよ・・・残念。天気は色鉛筆の方が、やさしい感じがするんだけれど。

おまけペンも、なかなか色的にも高級感あります。ただ、僕のカバーの濃紺色には合わないかな。ジェットストリームのスムーズな書き味を体験してしまうと、なかなか他のペンを使おうという気持ちにならないものです。


ほぼ日手帳本体・・・おまけのページが再び充実しているのがお気に入り。スペックのページ(電池の種類や電球にワット数まで書く欄)や、自分自身のサイズ(首周りから股下まで)を書く欄など、絵コンテ、時刻表、原稿用紙、1ページでわかるJAPANなどなど。昨年はそっけなかったおまけページが不評だったのか、一転していままででももっとも充実したおまけページになっている気がします。



さ、3月1日から、新たなページに、なんでも書いて、貼って、描いていきます。(私が、日ごろ、ほぼ日手帳に描いているイラストも、機会があったら、この日記にて紹介しましょうね)


2010年02月26日(金)
感謝の気持ちを忘れずに

先日、ある若手経営者の方と、お話する機会がありました。
その人(なんと、私より年下)に、起業や経営論について、ちょっと聞いてみたのですが・・・なにが大切なのだということに対して、

「取引先、顧客、そして、自分についてくれる部下、その部下の家族・・・みんなに常に感謝する気持ちって、忘れてはいけないと想う」

と、語られていた。

私は、今後起業などする気はまったくないけれど
この言葉を聴いて、なるほどなぁって想わされてしまいました。


難しい経営論も、たしかにあるけれど、
まず、根本的なものがなくては。人として。企業人としてまずは。


ささやかなことでも、ありがとうといえる。
ほめることができる。

それって、どんな人間関係でも、基本中の基本のように、私は想います。

それは、どこか経営の面でも、つながるものがあるはずです。


この経営者の方は、日常的に、「ありがとう」がいえる人なのでしょう。ささやかなことでもね。だから、お話させていただいて、自然とこちらまでここちよい気持ちにさせられる。(無論、経営者としての手腕もあるのですが)


感謝の気持ちって、こと、身近な人に対して、つい忘れてしまうこともあります。あたりまえのようにしてもらっていたり、そばに居るのがあたりまえのように想っているとね。

自然と「ありがとう」と、伝えられる。
そして、それに付随する行動が伴うこと。
感謝の気持ちに対して、なにかお返しができるか。

ささやかなことでいいのだと想いますよね。

しなやかな「ありがとう」の感謝の気持ちが重なり合うことは、きっと自分のこころも豊かにすると想います。












ある女性から、手作りのクッキーを戴きました。
とても感謝しています。おいしかったです。ありがとうございました。入れ物に添えられていた、クローバーからも、やさしいココロを感じてしまいました。



2010年02月25日(木)
宿命のライバル

キムヨナと浅田真央。
この2人の、オリンピック女子フィギュアスケートショートプログラムを見ていて、やはり、

「宿命のライバル」

が、いることって、どんなスポーツでも必要なことで、それで盛り上がるものですよね。

スポ根漫画やドラマにしても、必ず主人公に対して宿命のライバルがいて、クライマックスで、この2人の戦いが描かれるもの。

まさに、それを、実際に展開しているのが、この2人なのでしょう。
日本・韓国、どちらの国民みんなが、本当に固唾を呑んで見守るわけですよね。


さ、金曜日のフリー。キムヨナが逃げ切るか、浅田真央が逆転するか
中継のとき、仕事どころじゃない人、きっと多いのでは??

僕は、たしかに金メダルも気になるけれど、ぜひ安藤美姫さんには、銅メダルとって欲しい。そこも気になるなぁ。鈴木明子さんにも、ぜひ入賞を!


2010年02月24日(水)
できそこないの恋

「できそこないの恋は、見栄えが悪くて、きっと誰にも見守られない」

そんな詩が、どうもこころから離れることがない。

僕は、この「できそこないの恋」って言葉に、グッとくるのです。


できそこないの恋しかできない私。
懸命に人を好きになっても、けっきょくは、できそこないなんでしょう。

でも、できそこないであっても、
人を想うということだけは、純粋で、とても確かなことで。
想うことは、どうにもならないこともありますし。

ただ、最近私が想うのはね、
将来とかそういうものをおいといて
いま、その瞬間に、人を好きになる気持ちとか、人を想うことを、いまその瞬間を大切にしていければいいのでは。いまこのときの自分の心や気持ちに、素直に正直にいることが、自然なことなのではって、想います。

人は、いずれこころは変わるし、離れていく
私は「別れ」というものに、非常に弱い人間なので。
それだけ、恋をすると人を深く想うのでしょうが。
逆に、それを抑えようとする条件反射的な面もあり。

ある意味、そうした別れが、やがてやってくるっていう事実を、覚悟して、
いつやってきてもいいように・・・人と対峙するようになってしまったという理由が大きいのかもしれない。
だから、いつでも、「もし自分でよければ」という言葉を、人にはそう念を押すことが多い。

恋は、別れる時が一番肝心。
なんて、ある種考えたりした。


私の恋は、できそこないあってもね。


恋をすることと、愛することは根本的に違う。
愛の形って、人それぞれだから、これがこう!!というものは
案外ないのではって想ったりします。
だから、自分でも、愛ってよくわからない。
ただ、ずっと変わらないものが、本当の愛って気はしますが。
短い時間とわかっていても、濃密な愛を遂げる人だっていますし。

きっと、僕は相手の言葉、しぐさ、それ以上に、こころが通っているとか満たされるとか。この人だからこころが動かされるとか。この人だからこその「こころの結びつき」を求めるところがあるのかもしれない。この人とこの時間をいっしょにいれたらいいというか・・・

でも、それだけじゃだめなわけで。人は、好きな人になにが与えられるかにかかっていると想う。時間であったり、モノであったり、思い出であったり。場合によっては、結婚かもしれないし。

僕は、できそこないなので、充分に与えられない人なのだろうな。ここ数年で、そう考えるようになりました。

ただ、自分が出来ることといえばささやかなことで。
相手と一緒に、こころから泣いたり、悲しんだり、とても喜んだり、共感したいり、静かに見守ったり、あたたかく包み込んだり、ときにそっと抱きしめたり。その瞬間、対峙する人と真摯に向き合って、元気になれるような、やさしい時間を作り出せたら。それが積み重ねられたら。それで、自分が必要とされているということを感じられることでもあるし。



もっともっと、人になにかを与えられる人にならなくちゃいけないのだろうね。きっと。
たとえ、自分は人に愛される人ではなくても、自分だけは、人の幸せを喜んであげられる人でありたいな。



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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