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2010年01月19日(火)
「聞き上手は好かれる」をどう捉えるか

仕事の昼休み、食堂で遅い昼食を食べていて、
ふっと、流れていたテレビに目をやると、
ちょうど、漫画家の紫門ふみさんが出演してた。

街頭の女性からの恋愛相談の中で、
「どうしたら、男性から好かれるのか?」との問いに、柴門さんは・・・


「聞き上手になること」

もうひとつは、

「わー!、すごい!、すてき!」

みたいなこと言っていれば、

誰だって男性にもてます!!

と、明快に答えていた。



まぁ、後者は実際どうなのか、なんともいえないけど、
(きちんと相槌を打つということ、褒め上手になることという意味ではそうかもしれないけれどね)

前者は、たしかにいえること。
聞き上手であることは、ほんとうに大切なことだもの。


僕が思うにね
ただ「聞き上手」じゃだめで。
やはり、お互いがここちよい時間となるために
相手のことを知りたい、興味を持つ・・・
そういう姿勢が、ちょっとでもあるべきですし。
自然とそういう要素に向うためには、
自分自身が、こころに奥行きがあって、引き出しがあって
好奇心旺盛な、いい生き方をしていることが、必要かなって想います。


「聞き上手に見える相手が、本当に自分に興味があるのか、社交辞令で言っているのか、どうなのか」って、意外とわかるものですし。


恋愛となると、とくにお互いがそういう姿勢で対峙することって、大切だと想うのです。少なくとも、人を好きになると、相手のことをひとつひとつ知りたいって想うのが自然の流れですものね。ゆっくり、お互いが相手のお話をしっかり聞いて、2人で共感して、相手に近づきたいって思ったり。
そうやって、こころが通じ合える関係になればこそ、逆に沈黙の時間も、お互いにとって、ここちよい、満たされる時間に変わるものですが。


お仕事をしていて、たとえば、お客さんや取引先さんと会話するとき
まずは、自分が聞き役になることを心がけている。
とにかく、相手のふところに入ること。相手がなにを望んでいるのか、相手の言葉の裏にある想いとかを、自分がきちんと受け取ることができなくちゃいけない気がします。ワンサイドミラーにならないようにね。それを踏まえてうえで、自分の想い、考えを、簡潔・的確に伝えていく



人と対峙すること、言葉を交わすことってね、
緩・急っていうのが必要だとも想います。

聞き役に徹するだけじゃいけなくて、
ときには、自分はこういう人ということを、言葉にして伝えなくちゃ。考えを伝えなくちゃ。要は、緩・急のバランス。

ピッチャーだって、剛速球だけじゃだめでしょ?ときには、緩い球で相手のタイミングをずらしたり、変化球を投げたり。

会話だって同じこといえるはず。

基本は、聞き役であるべきですが、
自分のこと、たとえば、自分の失敗談のような、緩いことを語ったり、相手がドキッとするような、相手の心にぐさっと刺さるような、変化球のようなことを言ってみたり。


緩・急は、必要ですよね。きっと。

相手の立場に立って、相手のことを思いやる余裕をもてるか。
自分から、しなやかな言葉を簡潔に伝えられるか・・・




話はちょっとそれるけれど、
柴門ふみさんのこれまでの作品も、テレビで振り返っていたけれど、
やっぱり、一番印象的なのは、「東京ラブストーリー」でね。

このドラマ見てた人ってね、
「リカ」「さとみ」どちらがタイプ?なんて会話、してた人多いのでは?


2010年01月18日(月)
その街のこども 震災から15周年

阪神淡路大震災15年特集ドラマ その街のこども


きのう、震災から15年。
その夜、NHKで放送されたドラマ。

非常に実験的なドラマ。
フィクションとノンフィクションの境界線上にある、リアリティの空気がピーンと張り詰めて、それ以外のものは、排除された作品になっていた。

1月16日の夜、勇治(森山未來)は、広島への出張の途中、かつて住んでいた新神戸へ下車する。そこで、美夏(佐藤江梨子)と知り合う。ともに被災者であり、震災が原因でずっと心の傷を負っている。2人は、いままで避けていた、震災の辛い記憶を語り合いながら、夜の神戸の街を歩く。目的地は、美夏が行こうとしていた、早朝の神戸・三宮の東遊園地で行われる「1・17のつどい」の会場。一晩中、神戸の街を歩きながら、こころの傷を吐露し、想いがあふれ出し涙する。過去の想い出の地を歩きめぐることは、一夜のロードムービーといえるかもしれない。2人が、震災というテーマで対峙した末のラストシーン、東遊園地の前で、2人は抱き合い、そして別れる。


実際、森山くんも、サトエリも、震災を経験している。
だから、たとえば、居酒屋での長い会話のシーンは、本当に2人の震災の思い出を語り合っているのではという感覚に陥る。演じている2人にも、それぞれの震災の想いを込めて、素で演じている部分があるのだろう。会話があまりにリアル。

「焼き芋を2000円で売ってたねん。ありえんやろ。だから、石ぶつけてやったんや」

(震災直後、お金を何倍もふっかけて商売していた店があった)

美夏を演じるサトエリの、そんなセリフが、一番リアリティがあった。

それを「ふっかけるのも、あたりまえ」と、クールに返す勇治。勇治の父も、当時屋根職人として、おなじようにふっかけて商売して、なんとか生きようとしていたが、勇治はこれが原因でいじめに逢い、その後東京へ)

そんな2人のリアリティある言葉のやりとりが、こころに痛く、そして、だんだん涙を誘ってしまう



非常にリアリティがある。
でも、まったく演出的に装飾されていない。
まさに、ドキュメンタリー的なドラマ。

ラストの1・17のつどいのシーンは、実際のきのう朝、撮影されて、すぐにドラマに使われたそうです。そのことも、リアリティがある理由かもしれない。

斬新な手法で、震災のドラマを制作したNHK、この作品は秀作だと想います。


僕の周りで、震災のあった日を覚えている人が少ないことに驚いたりした。僕は、時間まで覚えている。

15年前の、この日のことは、日記でその都度書いているので、ここでは書きませんが、これから先も忘れることはないでしょう。


神戸市の人口にしめる、震災以降に生まれの人が1割を越えた。
これから、この震災を語り継ぐ、継承が大切になってくるでしょうね。きのうは、震災の番組をたびたび見ながら、涙ぐんだり、考えさせられたり。


人を救うのは人しかいない。最後には。
人との絆って、どんなに大切かということ。
日ごろ、私も、そのことは意識して、生きていかないといけません。


2010年01月17日(日)
とんど祭り


















みなさんは、とんど祭りへ参加されました?
先週末と今週末、県内でも各地で行われている、小正月の行事

僕はね、いまのいままで、この「とんど」という行事は、こちらの地方特有の行事だと思ってた。神楽とか、お盆の灯篭のようにね。

でも、いまウィキペディアで調べてみると、全国でとんどって行われてるんですね。知らなかった・・・全国がとんどって呼ばれるのではないみたい。各地で、呼び方がことなるけれど、とんどって呼ぶ地域が一番多い。

とんどで焼いたお餅(鏡割りしたお餅)を焼くと、病気にならないとか、お習字を焼いて、それが空高く舞えば字が上手になるとか。いろいろな諸説あるわけですが。物心ついたときから、あたりまえのような行事になってて。でも、僕の町内では、きっときょうのこのとんど祭りだけなのだろうな。


やはり、とんどを作る、父兄が多いこと、とんどの作り方を知っている人がいること、材料を集めることができること、燃やしても大丈夫な場所があること・・・いろんな条件が必要になるものね。


大きなとんどが2つ作られていた。お正月の飾り物や注連飾りなどがたくさん集められて。お餅やお神酒が振舞われていた。僕は、豚汁を、ハフハフしながらいただきましたよ。

きょうは、寒いかと思ったけれど、ことし初めて、陽射しがあったかいって感じました。春の訪れ、ちょっぴりみーつけた。


2010年01月16日(土)
おひとりスポットは川をふらり








疲れたとき、考えが行き詰まったとき、気分転換スポットとして、
地元の瀬野川をふらり歩いたりするのが好き。

もちろん、ウォーキングコースとしても整備されている、河岸緑地も、ひろびろしてていいのですが、この瀬野川にたくさんかかっている橋も、ひとつひとつよーく見てみると面白い。人が一人通れるほどで、ほんわかした色合いの欄干がある、かわいい橋もあったり。かたちも、アーチ型だったり、直線型だったり。意識してみるとおもしろい


橋から、河岸緑地帯を見下ろすと、自分の影が映し出されて、もうひとつの自分をみて、ふっと客観的に捉えることができたりして。


この瀬野川ね、意外と、誰かと訪れたってことがないんです。
もちろん、僕が通っていた高校は、瀬野川の河口近くにあったので、誰かとたくさん訪れてるけれど、河口近くは工場地帯の雰囲気なので、今回のエリアとはかなり異なる。


芝生に座って、語り合うとか、バトミントンのような、なにかスポーツするとか、四季折々に行われるお祭りとかフリマに誰かと参加するとか、お花見するとか、そういうのがないんですよね。犬なども飼っていないので、愛犬と散歩という経験もないし。すごく意外です。


自分だけの、陣地というか、自分ひとりがふっときたくなる場所とでもいうか。理由はよくわからないけれど、ホッとするんですよね。


東京・東広島方面から、国道を走ったり、電車に乗っていて、瀬野川の河川敷を目にすると、いよいよ地元に帰ってきたなと、安堵してしまうものです。



風邪が、まだ全快とはいかず。
ずいぶん長引くなぁ。
今週は、PCをゆっくり開く時間もなくて。週末は、なにも考えない時間にしたかったのです。


2010年01月15日(金)
自分へのバーゲン戦利品










自分へのごほうび・・・
いや、単なる冬バーゲンの戦利品の一部です。
いいものを、長く大切につかいたい。
そう想う部分も持ちつつ。
年が明けてから、賢くバーゲンでお買物したような気がします。

でも、身の回りのものは、妥協はあまりしませんよ。
自分はこれっ!っていうものを大切にしたい。


左はウォーキングシューズ。右はマフラー(ベネトン)
どちらも、こういうのが欲しかった!っていうのがあって。
マフラーは、ここ数年、単色系ばかりだったので、今回はストライプに。でも、どの洋服にも合わせやすいし、アカルイ印象になるものです。


2010年01月14日(木)
駅から旅へ向う衝動










本当に寒い1日でした。
仕事自体は、室内なので、外気を日中感じ取ることは、時々しかないのですが、でも、たとえ室内でも寒いものは寒い。

一番、寒さを感じるのが、帰宅途中。
広島駅で、ちと買物のため、南口から、新幹線口へ向う。
地下の自由通路を歩くだけでも、かなり寒くて足速になってしまうもの。


南口とは違って、新幹線口(北口)へ行くと
新幹線や高速バスがメインというのもあって、「遠くへ行きたい」モード全開になってしまうものです。駅の壁面の巨大看板も、新幹線を使う旅のものだったりしますし、コンコースも、出張や旅行だとすぐわかる、おおきなカバンを持った人が多い。買物エリアも、みやげものとか、広島名物の食べ物の店がメインとなる。(タブレットのような鉄道マニアの店もあるけれど)


新幹線口を出ると、若草町の再開発事業が大詰めで、高層の建物がいくつも出現している。写真のホテルが開業すると、ますます、北口はビジネスマンや旅行者の比率が高くなりそうです。


うーん、旅に出たい。
パンフレットを2、3部手にとって、電車で読むことが多い。きょうもそういう日になりました。



冬に行きたい旅といえば・・・みなさんはどこかな?
僕は、本音はどこか静かな温泉地であったかほっかほかしたいですが
映画とかサスペンスドラマなどは、よく冬の北陸や東北が描かれていたりします。一度、寒風吹きまくる日本海側の断崖絶壁で、コートの襟を立てて、かもめを見つめながら、ひとり歩いてみたい。そんなシーンを体験してみたいものです。

そんなこと考える前に、まずは風邪治さないと・・・


2010年01月13日(水)
ルビコンの決断「前代未聞の商店街再生 20年間の軌跡」

ルビコンの決断「〜前代未聞の商店街再生 20年間の軌跡〜」を興味深く見ました。

以前より、なにかの番組で(ワールドビジネスサテライトだったかな?)高松市にある高松丸亀町商店街が、全国でも画期的な方法で、商店街を再生したというニュースを見たのですが。その再生の過程については、詳しく知らなかったので、今回、ドラマ形式で詳しく知ることができた。

バブル崩壊に加え、大型店の進出・・・
このままじゃ、商店街がシャッター街になってしまう。その危機感を覚えた、靴屋の店主さんが、東京から乗り込んだ都市計画の専門家の女性とともに、商店街を新しく作りなおすという計画を立てた。しかし、商店街の店主のほとんどが、反対し、激しく対立する・・・しかし、その後の不況やたくさんの大型店進出で、シャッターを閉じる店は増えるし、商店街の構成も、どんどん衣服テナントや銀行ばかりになってきた。だんだん、他の店主たちにも、危機感が


いろんな苦労の過程があって、商店街会社が、すべての土地を一括に借り上げて、店を再配置する。そんなリスクを背負ってでも、再開発を進め、商店街の建物をすべて新しいビルに建て直し、商店街をひとつの大きなショッピングモールと考えて、美しいモールのような商店街が、20年かけて作られた。広場やベンチなども設けられ、イベントも開催され。また、街区ごとに、それぞれの業態を集めて、整理し、買物しやくすした。この商店街だけしかあじわえないうどん店や、スゥイーツの店など、商店街全体のいいバランスを作るため、業態変換するお店も。(発案した靴屋さんも、自分がまず率先してやらなくては!ということで、うどんやさんに業態変換した)再開発ビルの上階はマンションになり、商店街に住む住人の数も飛躍的に増え、買物客がまた増えていく。




都市計画を、街全体、商店街全体で考えて、作り変えることで、衰退を食い止めるということ。なかなかできることじゃないけれど、成功した例もあるんですよね。


大型店ができたから、不況だからダメと、あきらめることは簡単だけれど、みなの意識を180℃変え、商店街を無くさないという情熱さえあれば、充分対抗し、魅力ある商店街を作り直すことができるものなのですよね。




商店街・・・
広島の街って、商店街って意外と多いのですが、すごく盛り上がっている商店街って少ないな。本通や金座街を見ていても、老舗は少なくなって、衣料品やドラッグストアがたくさん。商店街としての業態のバランスがあまりよくない気はしますね。



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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