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小学五年生・六年生が、休刊することが発表された。
長い歴史を誇る、学習雑誌の定番。
この雑誌にまで、休刊に追い込まれるとは。
休刊・廃刊っていうのは、身近なことなので、
その都度、すごく考えさせられる。
一般的に、今回の休刊においては、
・少子化
・趣味嗜好の多様化
・活字離れ・情報収集の多様化
ということだろう。
子供の数は少なくなる。子供の趣味やブーム、興味のあることなどが、多種多様で、一冊の雑誌ですべての子供に対応することが不可能で、まったくこの雑誌の形態が、時代にあわなくなったということ。それと、子供が活字・本やマンがを読まなくなった。情報を得るのは、ネットや携帯電話もあるし。
でもね、僕らが小学生のときって、本しかなかったわけでしょ?
本の楽しさがわかっていた子供時代を過ごしたと想う。
学校の図書室の独特な本の匂いは、忘れられない。
そして図書室の書棚にたくさん並べられた本を目の前にして、無限大に広がるあらゆる世界を目の前にしたような、ワクワク感が高ぶったものです。本屋さんに、おこづかいもって、本や雑誌の発売日ちょうどに訪れて、誰よりも早く手に入れようとしたものです。
小学一〜六年生にしてもそう。
毎月、間におまけや付録が挟まれて、サンドイッチのように分厚くなって、ロープで十字に縛られた小学一〜六年生は、楽しみだったもの。(とはいえ、僕も小学校3年生くらいには、この雑誌は卒業してたけれどね)
僕は、付録を欠かさず作ってたし、巻頭に掲載されていた「懸賞プレゼント」も、必ず応募してた(懸賞プレゼントとなっていた、たくさんのおもちゃとか、どれにしようか、選ぶ時間は至福の時間だった)
無論、ドラえもんの連載が、毎号楽しみで。
本を読むことで、想像力がどんどん培われていく。
子供のころの想像力や好奇心って、お金では買えない、まさに貴重でかけがえのないものだと思う。いまの自分にとって。そのころの想像力は、果てしない広がりがあったもの。本ってね、どんな世界、どんな主人公にもなれる、いろんな空想ができる、そんな身近な道具のようなものでしたから。僕は、地図とか、百科事典とか、学研の科学あたりを読み出すと、何時間でも、読んでいられる子供でした。
この時代、小学五年生・六年生が休刊する世の中って、
なんだか、ちょっぴりさみしい時代とも思えたりしますね。
来年、新形態の雑誌を創刊するそうだけれど
小学館も、いまの子供たちにあわせたものを世に出すのは容易ではないでしょうし、模索は続くでしょうね。
ここ数年、当たり前のように長年発刊されていた雑誌が
相次いで休刊・廃刊に追い込まれている。
その都度、僕はショック受けるんですよねぇ〜
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なんだか、冷えましたね。きょうは。
わたし、ちと咳気味なのです。
ここ数日、気温の変化に身体がついてこれなかったのかもしれないなぁ。
体力回復するために、今夜はゆっくり寝ます・・・
おやすみなさい。
楽天の次期監督が、ブラウンになるようですね。
ほんとに、楽天は、ブラウンさんでいいの?って聞きたくなる(笑)
ただ、ブラウン監督にとってみれば、
カープより、楽天のほうが、思うようなことができるような気はします。少なくとも、ファンサービスとか、ファンを楽しませるムード・アイデア・行動力という面で、ずいぶん差がありますから。目立ちたがりで、ファンサービスも好きなブラウンさんのキャラクターを、楽天は買ったところもあるんじゃないかな?って想います。
さぁ、野村監督以上に、ブラウン流のキャラクターで、マスコミに取り上げられるようになるか・・・
ま、楽天が強くなるかどうかは、僕はちと懐疑的ですが。
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42歳の角田光代さんが、11歳年下のゴーイングアンダーグラウンドの河野くんと結婚された。
39歳の坂井真紀さんが、10歳年下の写真家の男性と結婚。
そういえば、常盤貴子さんも、3歳年下の長塚圭史さんと・・・
偶然とはいえ、きょう、この2つの小さなニュースを読んで、不思議な気持ちになった。
角田さんも坂井さんも、とても輝いている女性ではあるとおもう。
しっかり自分の考えをもって、片方は、文筆で、もう片方は演技で、しっかりそれに邁進している。角田さんの著書は、多々僕も読んでいるけれど、とくに、エッセイを読んでいて、笑い話のような出来事も、ちょっぴり男っぽい強さも多いけれど、やはり、しなやかに生きられている印象が強い。かわいらしさというものも持ち合わせていて
いい生き方をすること。もちろんいろんな経験もあって
仕事も、プライベートも。
内も外も美しいからこそ
恋愛の年の差って、関係しないんでしょうね。
姉さん女房(って言い方は古いかな)
っていうのが、ブームなのかな?
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麻生久美子さんって、すごく芯が強い大人の女性なのに、かわいいところもあって。
麻生久美子さんと大森南朋さんってね、
数年前に、ユニクロのヒートテックかなにかのCMで共演されていて。
当時、すごくいい感じの2人だなぁって、強烈な印象をうけたんです。(言葉少ないセリフだけれど、2人だけの独特のピーンとした空気感がある、いいCMだった)
麻生さんと大森さんって、すてきな、大人の恋人同士。
そのイメージをずーっと持っていたんですね。
その2人が、再び、CMで共演されている。
今度はサッポロの発泡酒。数日前から流れてる
http://www.sapporobeer.jp/fun/cm/offnozeitaku/index.html
月島の料亭っぽいお店にひとりで訪れたスーツ姿の大森さん。
そのお店で、着物姿のかわいい麻生さんが、ビールを注いでくれる。
「男の人は欲張りね」
そんなこと、言われたら、僕だってめろめろになるでしょう。きっと。
そんな癒し系のCMなのですが、この2人が再び起用されたってことは、かつてのユニクロのCMで、僕と同じように感じてた人がいたってことなのでしょう
吉岡くんと麻生さんのお2人の方が、イメージ強い人がほとんどかもしれないね。たしかにお料理の好きな、この2人の夫婦役も、すてきなんだけれど、僕はやはり、麻生さんと大森さんの、大人の関係の方が、どうもよりぴったりくるんですよねぇ。
オリオン座流星群、昨夜、3つ流れ星を見ることできました。
部屋の東側の窓から観察して。
オリオン座とずーっとにらめっこしてる状態でした。
みなさんは、見ることできた?
きょうも1日おつかれさまでした。
あしたも、よい1日になりますように。
ありがとうございました。おやすみなさい。
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この前の日曜日の夕方、たまたまサザエさんを見てて、こんなストーリーを放送してたんです。
〜夜中、カツオが、裏のおじいさんの家の雨戸が空いているのを見つけ、どろぼうでも入ったのでは?と不審におもって、波平やサザエ、マスオらと、家へ駆けつけたところ、おじいちゃんとおばあちゃんは、雨戸を開けて、仲良く家の中から流星群を見ていた〜
なかなか、裏のおじいちゃん夫妻は、ロマンチックで、気持ちが若い・・・それはさておき。
どうして流星群・・・ってうっすら思っていたら、
翌日、仕事場の同僚に「オリオン座流星群」のことを聞いて、納得した次第です。今週、見れるそうですね。みなさん、もう見ました?
今夜も、たくさん東の空に、オリオン座流星群が流れているはず。1時間に2、30個は流れるそう。
僕も、ベランダに出て、観測してみるつもりです
願い事、たくさん叶いますように・・・
きょうも、ありがとうございました。
あしたも、すてきな1日になりますように。
みなさんにとっても。
おやすみなさい。またあした。
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「やさしさ」と「強さ」は表裏一体であると思う。
本当の意味で、やさしさをもっている人は、強さをもっているし
本当の意味で、強い人は、やさしさを持っている人。
本当に、人を愛することは、この人をずっと守っていくという強さに裏打ちされた結果だし、愛されれば、人は強くなる。
本当に、人の上に立つ人、強い人というのは、目下の人に対しても謙虚であり、きちんと耳を傾けつつ、やさしさを持っている人。
でも、どんなやさしさをもってしても、どうにもならないことがあるのが、人間の性であり、あいまいさでもある。人を裏切ったり、こころがわりすることだってあります。
だからこそ、自分に対する強さを持っておかないと、ずっと傷を背負ったままだったり、人を恨み続けたり、なにかから逃れられないまま、死ぬまでいきていかなくてはならなかったり。
私は、人がこれほどまで変わってしまうのか、信じてた人がこんなに裏切ったりするのかっていうのを、まざまざと見せ付けられることが多々あって。
だから、人の気持ち、愛情っていうのは、けっして持続しない。
人は、変わったことを肯定して、変わらないことを否定するありさまになるものです。
何を言っても、変わった人には無意味で、どうにもならない。
人を傷つけても、自分さえよければ、自分が楽ならば・・・結局、それに行き着くわけですから。
ときどき、やさしさの定義、強さの定義がわからなくなる。
信じていた人から、裏切りをうけたり、やさしくありたいから、必要以上に強くいたり。きっと、言いたいことも抑えて、強くありたいと思っていてるが、やはり疲れてしまう。その一方で、相手は抑えることもなく、あれこれわたしに言うだけいって、離れてしまうこともある。
ただ、ひとつ思うのは、
人を傷つけたり、裏切ったりした人も、
きっと、傷つけた人のことは、簡単に忘れてしまうもの。
でも、傷つけられた人は、ずっと傷を負って、そのことを忘れることってないこともある。
私は、人を傷つけていないか、こころがわりしたり、裏切ったり、
約束を破ったりしていないか。簡単に批評したりしていないか。ワンサイドミラーになっていないか。
自分がされて、いまでも苦しんでいること。
だから、自分はそれを人にしてはいけない。すごくすごく逆の意味でプレッシャーに苛まれつつ、日々生きているような気がします
「やさしさ」「つよさ」そこに、「厳しさ」を加えて。
すべては表裏一体。
私は、どんどん、追い込んでいるのはわかっていますが
人には、理解されない部分。そこは、自分に対して、厳しくなって
けっして、人を頼ったり、理解されようとしないようにとだけは思うし。
昔とちがって、人に対して、ここ2、3年は、まったく本音だけは言わなくなった気がします。人の本音はたくさん聴くけれどね。
いままで、本当の意味で、自分の気持ちをいえる人にめぐりあえなかったということなんでしょう。
人は孤独というかもしれません。
でも、一生懸命生きてきて、人とも対峙してきた結果がこれですから。
これも、運命なのだと思って受け入ることなんだと思うんです。
もう、人のあいまいさに翻弄されるのは、正直しんどい。