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土曜日の日記の続き
都心にて。パセーラの6階では、写真のような大きな七夕のオブジェがおかれている。基町高校の生徒さんが制作したそうです。ここにカラフルな短冊がたくさん。みんな自由に願い事を書いて、結ぶことができる。私ももちろん願い事を書いて結んでみました。願い事・・・ここ数年、同じこと書いてる気がします。
デパートのショーウインドーも、涼やかです。ゆかた商戦も、いよいよ佳境に入っている感じでしょうか。夏物バーゲンがにぎやかに行われていました。どのデパートも。みなさんも、行かれたかた多いのでは?
都心のアーケード街で唯一、えびす通りだけが、写真のような華やかな七夕飾りをずらーっと取り付けられていた。キラキラした大きい飾りが風に揺れていく様は、夏の光景として、印象に残ります。
夏ももうすぐ本番です。
暑い夏・・・ちょっとだけ気が重いけれど、元気ださなくちゃ。

デオデオコンプマートへ立ち寄ったとき、店先で、「オリンパスPEN」の新発売デモンストレーションが行われていた。実際、僕も実機を触らせてもらった。思ったよりもひと回り大きい。でも、普通にカバンに入れて、毎日出かけられるな。そしてなにより、そのボディーの質感に惹かれた。スチールむき出しのボディ、まさに光学機器のようなレンズ、ボタンやスイッチのひとつひとつが、「これぞ機械!」って感じが伝わった。昭和のカメラっぽい、ひとつひとつの部品までこだわった「機械」でした。液晶も思いのほか大きくて。これは、一眼レフカメラのサブカメラとして、1台ぜひ持ちたいって思う。いまはまだけっこう値段はする。それに、きっと、ファインダーやら、ケースやら、あれこれオプション付けたくなるだろうな。
これを首からぶら下げて、歩くと、ほんといいファッションアイテムになる。きっと、広告にも登場する宮崎あおいさんは、プライベートでも手放さずに持ち歩いてるだろうな。
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中村屋
中区の堺町にある、老舗の喫茶店。ジャズ・クラシック好きが集まる。
昭和32年製・ラッキー社の大きな焙煎機が、いまも現役で、こだわりの豆を焙煎している。ここは、どこか格調ある雰囲気。高い天井にシャンデリア、ぐるりと2階のテラスが囲む暗い店内。どこか西洋の教会・いや、城の中のようなモダンな空間。こここそ、隠れ家的で、上品に落ち着ける場所のように思います。
朝に来たかった。モーニングをいただきに。
そこにも、こだわりが。最初に銀のプレートに載せられた、熱々のおしぼりが出てきた。モーニング・・・トーストのパンはとても甘みがあり非常に美味しい。おそらくどこかの名店で焼かれたパンだろうということがすぐわかる。コーヒーは深い苦味。香りもいい。カップには、もちろん英字で中村屋の文字。カップやソーサーの一つに至るまで妥協はない。なみなみと注がれたそのコーヒーの味は、ふっと飲みたくなる。ゆで卵は、非常にあつあつで、とてもおいしい。果物はバナナカットといちご。
半地下にあたる1階は、30席余り。すべてがふんわりとした椅子。2基のシャンデリアの大きさには圧倒される。店内を流れる音楽はジャズ。1階とは壁で仕切られているが、洋風の木枠の窓が取り付けられている。1階のテーブルに座った人は、窓から半地下の席を見下ろす感じになる。
高い天井を囲むような2階のテラス。ここには椅子が置いてある。すなわち、ここでコンサートが開かれるときは、観客席になるのです。半地下のもっとも奥には、グランドピアノが置かれている。そう、ここはクラシックやジャズのライブやコンサートがよく催される場所でもある。
蝶ネクタイ姿の店主さんは、常連だろうお客さんに、いま開かれている写真展などの案内を詳しくしていた。こうした音楽や写真、演劇などの催しのチラシやポスターが入り口付近の壁にたくさん掲示されている。
私は、朝刊をぼんやり読みながら、ゆっくりいただいた。
不思議なことに、常連であろう人は、半地下の広い空間ではなく、1階の細長い空間のテーブル席に腰をかけ、思い思いに新聞や本を読んだりしている。だから、いつもこちらのほうが埋まっている。半地下の広い空間、僕以外には、だれもおらず。あとから、若い女性が2人訪れて、半地下の置くのテーブルに座って談笑していた。
この暗い店内、各テーブルには、上品なランプが灯されている。つまり自分の座る席のテーブルがもっとも明るい。
お昼前が近づいた。
若い店員さんが、各席に、ひとつひとつ、しょう油差しとソース差しを置いて回った。ランチ用だろう。毎日、常に新しいしょう油差し・ソース差しをすべてのテーブルに置くところが、このお店の行き届いた精神の一つのように感じるのです。
たまにふっと行きたくなる、飲みたくなるお店。
自分をささやかでも外の世界から遮断して、静かな別世界に身を置くための貴重な場所。
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みなさん、こんばんわ!!
1日おつかれさまでした。いい時間過ごしました?
きょうは意外とどんよりした空で、とても涼しかったですよね。本当にありがたい。暑いのが非常に苦手な私にとっては・・・
すでに夏バテ症状なんです。でもそんな自分に負けてはいられない。はい。きょうも無理やり元気に仕事しておりました。笑顔忘れたら、自分の負けだと思うしね。
通勤途中、役所の前のひまわりも、ちとうなだれてしまってた。お日様が恋しいんだろうな。きっと。
プライベートで、仕事帰りとか休日に書店に行くと、
あれこれいろんな本を買ったり手にしたりしますが。
最近、こと料理本コーナーに
「彼氏ごはん」
という言葉のついたレシピ本が目に付きます。自分が食べたいレシピじゃなくて、彼氏が喜ぶレシピ・・・料理本の世界で、ことしは「彼氏ごはん」ブームなのかな?
この本を買った女の子は、彼氏が帰ってくるまでに、一生懸命なれない料理をして作る。「彼氏ごはん」の本をキッチンに開いて、ちらちら見なが必死に食材を料理・・・「彼の笑顔が見たいから〜」という気持ちで胸が一杯!
なーんてストーリーを勝手に想像しちゃんだけれど。そんな女性、本当に多いのかなぁ??
逆の考え方をして、「彼氏ごはん」ならば、料理好きな男の子にとって、一番ピッタリのレシピ本になるってことになるよね。でも、このタイトルの本、男の子は買うには勇気いるよなぁ・・・変に思われるだろうし(笑)
かくいう僕も、手にとって開く勇気はないので、どんな料理が収録されているのか、気になるもののわからずじまい。
男の子向けの、「自分ごはん」ってタイトルの本にしてみたらいいのに・・・なんてね。
僕も少しは料理本でも買って、特訓しなくてはいけないのだけれどな。料理くらいそこそこできる人でありたいものです。
きょうもありがとうございました。
あしたも、いい1日になりますように・・・
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普段、仕事上でも、さまざまな人と逢わなくてはいけなくて、
もちろん、一期一会という言葉を重んじるとするならば
ありのままの自分でぶつかって、しっかりと会話がキャッチボールできる形がもっともいいのですし、人との出会いやつながりをひとつひとつ本当に大切にしていきたいと思うのですが
どうしても、ストレスが溜まる相手とか、理解できない人というのもいないわけでもない。こればかりは、考えすぎるとどんどん深みにはまってしまうから、あるラインで、割り切ることが大切だけれど、だからって、向き合わないわけにもいかないから。嫌なもの、納得いかないものは、いかないといえるものならいいたいし、自分の常識とは全く違う人とは、無理なものは無理ですけれど。そうした中で、どう自分の中で折り合いをつけて、一番お互いがここちよく対峙できるかを、調整していく必要が生まれます。
無論、私の方の言葉が足りなかったり、本意が伝えられなかったり、ときに相手からみて失礼だと思わせているかもしれません。そこは謙虚になって、自分をたびたび振り返って、どうだったのか自問自答することで、反省しなくてはいけません。
ただ、自己中心的で、自分がすべて正しい・・・そのくせ、悪いことは人のせいにして責任を擦り付ける・・・だれもが見てて見苦しい人も実際いるんですよね。立場とかの差があるから、許されるのでしょうが。僕も含め、心の中では「かわいそうな人だ」と思う反面、こんな人に振りまわされて、割りを食うのだから溜まったものではないと・・・そういうのもストレスになる。
なかなか人は思うようにはいかない。ルールやマナーってあるはずなのだけれど、それを無視しても許される人がいるのがこの社会には往々にしてあるから。
まっとうに生きるためには、どこかで、人や環境を選び、ときには手放していくことも大切なのかもしれません。もちろんガマンしたり耐えたりすることが何事にも重要ですが、その先になにが得るものがあるという確信を抱くことができるか出来ないか。そこをきちんと判断することって、とても大切なことのように思うのです。
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よく、みんな(子供を教える教育者も含めて)「話せばわかる」と教えられたり、教えたりするけれど、話してもわからない人もとても多い気がします。人として常識的なこと、当たり前のことがわからない人が、人の上に立ってたりするし。そういう人は、なかなか下の人が話しても、進言しても、聴く耳持つ人はいないでしょうし。人が変わるということは簡単なことじゃない。
ちょっと話がそれるけれど、前々から、「いじめ」の問題って、「話せばわかる」ということに過信する教育に問題のひとつがあるって思ってるところがあって。教育者がそれに固執するから、どんどんいじめる子も「わかったふり」して、いじめも陰湿になって、いじめを苦に自ら命を絶つ子供が後を絶えない気がして。互いが話し合って解決しようじゃなくて、いじめる子には、それなりにペナルティーを与えることも必要だし、それでも、話し合っただけで、いじめる子はなかなか変わらないならば、まずは、いじめにあってる子の命を絶たせないこと、守ってあげることが一番なのに。いじめる子がいい子に変わると思っている。いじめる子が「話せばわかる」ような子なら、最初からいじめたりしないから。
いじめられる子が、苦しんで、ときに学校辞めなくちゃならなくて、ときに命を失って。一方で、いじめた子は、何事も無かったように卒業して、先生もなにごともなかったように・・・それじゃいけない。
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最近、人にも、親にもよく言われる言葉
「実るほど頭(こうべ)をたれる稲穂かな」
この言葉、最近本当にこころに響くのです。自分だけはそうありたいものです。