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2009年06月25日(木)
東国原知事に思う・・・

もともと、東国原さんっていう人、きっと、自分は正しいと思ったら、誰がどう思おうと、周りの人がどうなろうと、自分が正しいことを曲げず、突き進む人なんだろうな・・・って。

今回の、自民党の人との会談、そして衆院選出馬をうかがわせる言動を見てて、あぁ、やっぱりこの人は・・・って、印象が強かった。

率直に思うと、
この人や、大阪の知事さんなんかに、簡単に出馬要請する、自民党の節操の無さには、あきれると通り越して辟易するけれど、

1期も務めないで、その職を放り投げて、国政に出ようとするのはどうなのでしょう・・・

どんな理由をつけても・・・宮崎のため、地方分権を進めるためという理由をあれこれつけようとも、けっして理解はされないでしょう。 どう考えても、知事職を国政への踏み台にしたってみなが思うはずだもの。

ちゃんと任期をまっとうしましょうよ!

まだまだ、宮崎に残って、やることはたくさんあるはずだもの。
宮崎のセールスマンだけじゃなくて。もっと県民の末端のことでいろいろとあるはずです。
まだ2年そこらでしょ。就任して。これでやり遂げたってことは無いはず。
それらを放棄して、ひょこひょこ国政に出たって・・・

そういえば、広島でも、自民党に入らない、私は県民党!とかいって、当選して、たかだか1週間かそこらで、自民党に入党した人もいましたが。それがのちのち致命傷になって、県民にそっぽ向かれてその後の選挙は、落選しちゃった。その人も、当選してすぐ「一人じゃ何も出来ない。県民のためにお役にたつため、自民党に入ります・・・」と、あっという間に手のひら返したのですが

選挙にたいして、有権者にたいしての背信行為ですもの。
東国原さんも、それと似てるような気がして。


2009年06月24日(水)
退廃を欲するということ〜太宰治の世界・椎名林檎の世界

今年は、太宰治の生誕100年。
5日前の6月19日が太宰治の誕生日、そして自身の遺体が発見された日。東京の三鷹では、恒例の桜桃忌が行われる。いま、そんな太宰治がちょっとしたブームになっている。


映画化も相次ぐ。
「斜陽」は、佐藤江梨子主演で。「ヴィヨンの妻」は松たか子主演で。「パンドラの匣」は川上未映子主演。そして・・・「人間失格」は、主演を生田斗真が演じる。太宰のナイーブさを、うまく演じるだろうか?川上未映子さんが主演という「パンドラの匣」は、気になるなぁ。

角川文庫が、太宰生誕100年を記念して、
文庫本のカバーを、なんと、

「梅佳代」撮影
「祖父江慎」デザイン

この、ちょっと「飛んじゃっている」感性・だれも真似できない人間性を持ち合わせた2人がコラボレーションで出版する。
僕をはじめ、特に出版関係者にとっては、この上ないコラボレーションだと感じる人多いだろうね。全10冊のデザインを見たけれど、どう作品と共通性があるのか・・・ぱっと理解はできないくらい、斬新な企画です。



どうして、ここまで若い人が太宰の文学に目覚めたのか?
ひとつの要素として、文体から思想、ストーリー、生き方に至るまで、現在の閉塞感漂う時代にマッチした上で、その文体が、現代の若い人にも読みやすい点があるのだろうと思う。


高校生あたりの多感な時期に、太宰作品に取り付かれ、人生立ち止まったときの愛読書としていた人も、きっと僕だけじゃなくて多いのではないでしょうか?


僕が高校生のころ、生きること、将来のこと、恋愛・・・そんないろんなことがごちゃごちゃになって抱えきれなくなる。それが多感な時期と相まって、すべてに閉塞感を持っていたころ。どこか、太宰治というひとりの人間に、近いものを感じたのは事実。太宰の文学から影響を強くうけ、その退廃的な世界、ときに女性的な、ときに人間の弱さを痛いくらい突き詰めた文章に、共感というより、逃げ場としての居心地のよさを感じたものです。自ら死を選ぶことまではなかったものの。その時期をそう過ごしたことにより、人生は大きく変わったと、いまでも思っている。


太宰は、39歳の若さで、愛人と入水自殺し亡くなるのだが。
どうなのでしょう。退廃的で絶望感の世界をともにする女性たち・・・その末に、女性との自殺を重ねてしまった。恋と生死が密接に関わっている太宰の生き方は、愛に傾倒して溺れる・・・ある意味、究極な恋愛をして、生きて最期を終えたといえるのかもしれません。

ここまでたくさんの人が太宰の生き方、太宰文学に共鳴するってことは、いまこの時代でも、人々には、明と暗、2つの人間を持ち合わせていて、自分にとっての暗の部分は、こうした文学によって、共感を得ることを欲しているのかなって、思うところがある。人は弱いものである、愛を欲している・・・それを潔く認めることができる文学という意味でも。


今夜の「SONGS」は、椎名林檎の1夜目。彼女が、博多で通っていた中学校を訪れ、多感だった学生の時期、そしてデビューからその後の苦悩などを語っていた。とても意外に思えるエピソードもおおく。


テレビであまり披露することなかったであろう「罪と罰」も歌っていた。
何かと新鮮に感じる30分でした。

そもそも、椎名林檎の曲・詩の世界は、太宰文学と同じく、退廃的で、究極までストイックに人間というものを突き詰めたもののように思う。無論、彼女のかもし出す凛とした強さも重ねて。昭和的な言葉を歌詞に並べるところも、文学的で。だれしも印象に残るメロディーは、太宰文学の若い人でも入りやすい文体のように、すーっと入っていくものなのですよね。


林檎さんは、歌によって、まったく顔も、雰囲気も変えている。まったく違う。彼女のライブでもいえることだが、自分、そして曲の世界観をストレートに演出することに長けているともいえるが、ここまでころころ顔が変わることができるのも、彼女でしか持ち得ない、魅力のひとつなのかもしれませんね。


2009年06月23日(火)
爽の朝と陰の夜








けさ、仕事へ行く途中、歩いていて、ふっと歩道橋に登ってみた。
空は雲ひとつなく、陽射しは、じりじりと街を焦がすように差し込んでくる
車はとめどなく流れていく。
街は、動き続けている

僕が世界の中心だとすれば
僕がしっかり強く、優しく、美しく生きていれば
この世界は、必ず美しいものであり、ずっとずっとしなやかに続いていく

一歩踏み出して
時間が過ぎていくのと比例して、
なにかを変えていくもの。




最近の疲れと心労がたたったのだろうか

夕刻から、猛烈な頭痛に襲われた。
梅雨時期はいつもそう。
ただ、きょうは、半端ではなく。いつも持ち歩いている頭痛薬を飲んでも、なかなか治まらない。

だから、かなり仕事もしんどかった・・・
そういう日に限って、夜遅くまで束縛されてたし。

朝と夜、まったく間逆の1日でした。



ふっと、こころが弱くなるとき、不安になるとき
だれか傍にいてくれたほうがいいのだろうな・・・と、一瞬考えたりした。
ただ、それも許されないことなのかもしれない。



きょうも1日おつかれさまでした。
あしたも、よい1日になりますように


2009年06月22日(月)
髪を切りにいって思うことあれこれコラム

きのう、時間を作って、髪を切りに行きました。
ただ、日曜日だったのあって、ものすごい人で。(すでにすべての席が埋まり、順番待ちの椅子も4つ埋まっていた)

デパートの中にあるので、やはり日曜日は多いのですよね。
結局、お店の携帯電話を持たされて、順番がきたらベル鳴らしてもらうこととなった。


こうしてぽっかり時間が空くと、おちついてデパートをぐるぐる回る機会になる。あぁ、もう夏物もバーゲン近いんだな・・・スーツとか、シャツとか、最新のスタイルを見比べて。その後、デパ地下にもぐって、こんなテナントが入ったんだなぁとか発見したり。それでも、時間が余ってしまって。あとは書店で時間を過ごした。

(もうちょっと、このデパートは、いいカフェが増えればいいんだけれど。以前、スタバがあったのだけれど、数年前になくなっちゃったしね)


1時間10分後、やっと携帯電話が鳴りました。


日曜日は、おそらく他のお店からの応援の方も来られているだろう。店員の方もたくさん。だから、自動的に初めて切ってもらう人にあたる。

一から、「こういう風にきってください」って説明しなくてはならないし、いつもの通りになるのか、けっこうドキドキするものです。


女性の方って、美容室で髪を切ってもらうのが、苦痛に思う人もいるみたいです。僕の知り合いの女性でも、そういう人が数人いらっしゃる。他人に髪を触られるのが嫌とか、ずっと話しかけられるのが苦痛だとか。


僕は、このお店はもう、10年以上行き続けているけれど
ここ数年、ここは、店員の入れ変わりが激しいので、気軽に話しながらってことがまったくなくなった気がする。

以前は、何年もおなじ人にきってもらってて、名前まで覚えてもらってて。その理容師のお兄さんに、毎回、その人のお子さんが生まれてから、すくすく育つまでの過程を、いつも話しで聞かせてもらってて。そういうやりとりがとても楽しかったのだが。


会話がほとんどないのも、ちと考え物・・・って気がします。
(そういう点で、私は人好きってことがいえるかもしれない)


2009年06月21日(日)
ひまわりの笑顔が咲きだした/ドラマ・刑事一代










ちょうど1週間前、ひまわり畑のことを書きました。そのときは、まだ花は見当たらなかったけれど、きょう立ち寄ってみたら、たくさん「ひまわりの笑顔」に出会うことができました。梅雨といいながら、真夏のような毎日だったもの。ひまわりも開花してしまうのも当然です。

夏本番に入ったのですね・・・きょうは夏至ですし。









夕方、ひまわりを見て、地元でお買い物していました。
家電量販店は、僕にとって、魔物の棲む場所(笑)一度入ってしまうと、出られない。新商品あれこれ見入ってしまうし。土田さんとか、細川茂樹さんとか、家電芸人・家電俳優さんたちの気持ちがなんとなくわかるなぁ。ショッピングセンターで、ふと名物(であろう)ソフトクリームが食べたくなった・・・ただ、すでにお店が営業終えられてて、食べられなかった。たまにこうして地元で買い物していると、かつての同級生に出会うことがけっこうあるのだけれど、きょうはなかったなぁ・・・



夜、「刑事一代〜平塚八兵衛の昭和事件史〜」を、ぐーっと見入ってしまった。これこそ、作りに作りこんだ作品でしょうね。各事件の表現は弱めで、あくまで、捜査の過程と、関わる人々の人間ドラマ、人間の裏側にいたるまでを、丹念に深く描いていた。

これほど、大物俳優が、たくさん出演している豪華なドラマとなると、どうしても、「この大物が、こんな端役を・・・」という違和感を感じることも多いのだけれど、このドラマに至っては、すべての人物設定がしっかりして、俳優さんが、適材適所に配されていたので、違和感がなかった。ただ、これだけみんなが熱演してた中で、端役で鳥越俊太郎さんが出演してたのだけが、どうしても違和感があった。ドラマの最初と最後に、主要の出演者が、八兵衛はどういう人だったかをインタビュー形式で語るという、変わった構成でもありました。

主演を演じた渡辺謙さんや、相棒の高橋克実さんの演技ももちろんだけれど、殺人を、嘘のアリバイでごまかし否認し続け、最後の最後に油断して発した一言でアリバイが崩れ、落ちた容疑者を演じていた萩原聖人さんの、取調室での迫真の演技はちと驚いたくらい。この人、こんなに演技力のある俳優さんだったっけ?ってふと思った。

三億円事件に入ってから、八兵衛が退職し亡くなるまでが、いくぶん間延びした感じだったのがちょっとだけ残念だったけれど。こういう重厚かつ、映画並みのスケール感の広いドラマ、テレビ朝日って本当に上手ですよね!きっと、ずっと、記憶にも、記録にも残る作品になるでしょう。




2009年06月20日(土)
ホームセンターはしご/これぞブックカフェ?

















廿日市に大切な所用で朝から出かけていた。
最近、廿日市の中心部に相次いで、大型ホームセンターが開業した。木材港にはナフコ。そしてコーナンも数日前にオープン。せっかくなので、身体が開いてから、訪れてみることにして。ホームセンターはしご。プランターや、ネットとか、バイクカバーなど、いろいろ買い物。廿日市って、いつの間にか、広島の主要なホームセンターがすべて揃っている街になっていた。
ナフコ21スタイルへたまに訪れると、手ごろな家具がたくさんあって。ついあれこれみたくなる。私は、ニトリよりも、ナフコ派かもしれないな。



アルパーク北棟も、大きな書店(フタバ図書アルティ)がオープンした。
この中に、タリーズコーヒーが入っている。まさにブックカフェ。そう、本を買わなくても、売り場の本を1冊持ち込んで、このタリーズでコーヒーを飲みながら読むことができる。さらにうれしいことに、読み終えた本は、タリーズ内のワゴンに返却すれば、店員の方が売り場の書棚に戻してくださる。ゆったり、新刊本を読みながら過ごす時間もいいのでは?なお、このタリーズ、めずらしく中央に、向かい合うカウンターが1本延びている。お互い仕切りがされていて、その仕切りに、写真集などの本がディスプレーされ、すぐ手にとって読むことが出来るようになっています。


夕方には雲が広がって、蒸し暑さを感じた。
きっと、あすは雨になるだろう。いよいよ本格的な梅雨に入るのかな?

きょうもありがとうございました。
あしたも、いい日曜日を過ごしてくださいね。
私は・・・どうしようかな?だれか、会話でも付き合ってください(笑)


2009年06月19日(金)
お互いがしっかり向き合う恋を

恋の相談を受けることがたまにある。
僕は、うんうんって、静かに聴いてあげることしかできませんし、実際それで、少しでも気持ちが楽になってくれればいいなって思います。

どんな世界でも、ルールというものは存在する。もちろん恋でも。
でも、恋の世界にはまってしまっている人に、このルールはあってないようなものになる。だれかが「不倫は文化」なって言ってたけれど、恋のパワーによって、どこか力ずくでも正当化されてしまう、ある意味、人間特有のあいまいさによって生み出される恋は、あいまいな定義であってもおかしくない。裏切ったり心変わりしたりしても、それを正当化する人だっている。

人それぞれ、性格も価値観も全く違う。
だから、恋の定義も本当に幅広く、まったく違うものです。
この2人には、許されることだとしても、違う2人には、あてはまらない。
この2人にとっては当たり前のようなことでも、違う2人にとっては、常識とはかけ離れているとか。

でも、それぞれには、曲げることの無い「恋」の定義があると思います。
こういう人が好きだとか、こういうところは、許せないとか。

とにかく、恋にはまって、溺れてしまう人、恋をしてどんどん自らを成長させてプラスにもっていってる人もいる。

ひとつ思ったのは、

自分をきちんとさらけだして、正面からきちんとお互いが向き合っているか?が、恋を大きく左右するのでは?と思います。

相手に好かれようとして無理するのもあるけれど、いずれは自分をすべてさらけ出して、伝えていかないと、のちのちしんどくなるわけで。

相手のことを思いすぎたり、相手を理解しようとすることだけでもいけなくて。お互いが、しっかり向き合って、いまこのときを共有しながら、語り合えないといけないのかもしれない。逃げていたらだめになっちゃうような気がします。

しっかり向き合って、いまその想いを語り合ったり、将来について想いを馳せることができるかって、大切だとおもいます。

たとえ、残念な別れに至ったとしても、向き合って出た結論ならば、後尾をいくこともないかもしれない・・・


と、いうことで、相手ときちんと向き合ったほうがいいんじゃない?とはよく言うこと。それと、いろんな人と付き合ってみないと、頭でっかちの融通利かない恋しかできなくなるよ・・・とも、よく言うかな?もちろん、一途な純愛に越したことはない。本当に好きで好きで。すなおな自分の気持ちをすべて傾ける恋ができることは、しあわせなことだと思う。



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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