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2009年05月13日(水)
ゆるやかさ、潔さ。










こんばんわ。きょうも1日おつかれさまでした。
こちら広島は、連日30℃近い毎日が続いています。出勤途中、目にする「タチアオイ」も、日に日にピンクの花を咲かせています。広島という街は、タチアオイがけっこう咲いている。初夏が訪れますというメッセージを、精一杯放っているかのように。

きょうは、2日分、日記をUPしました
フォトブログも、毎日更新してます。写真のストックがけっこうたくさんになったので。

ちょっとしたストレスを抱えている場合、なにか、日常であふれているものに目や耳を傾けて、自らの意志でやわらげようっていうゆるやかな姿勢は、あったほうがよさそうです。こころ許せる人と会話する、カフェへ行く、書店で本探し、大きな家電量販店を歩く、好きな番組や本に接するなど、普段降りない駅を降りて、散歩してみるとか。ストレスを知らないうちに大きく抱えているのに、ストレスと思わない状態、または、わかっていても、やわらげようという方向に全く向わないのが、案外危険。自分の心身をきちんとメンテナンスする意識と、何事も80パーセント主義という意識を、日ごろ持っていたほうがよいと、私は思います

「やらなくちゃいけないこと」で占められるのではなく、「やりたいこと」の割合を、少しずつ増やしていくことから、はじまる。



去り際の美学というか。

人は、去り際って本当に大切だと、僕は日ごろ強く思っています。

ある党のトップが辞任したけれど、これはちょっと、遅きに失している気がして。

これじゃ、党首討論嫌がったと思われてもしょうがないね。選挙から逆算して、このタイミングを選んだのかなとも思いますし。なにより、辞める理由がまったくわからないのも・・・

志を持っている人は、潔さも同じように持っているものです


あしたも、よい1日になりますように
きょうも、ありがとうございました


2009年05月12日(火)
遊園地・テーマパーク A GO!GO!






















紙屋町へプライベートで出かけるとき、そごうの屋上へたまに登ってみたくなる。先月のある休日、紙屋町で時間が出来たので、ロフトへ立ち寄ったついでに、そごう本館の屋上までエスカレーターで登った。10階のレストラン街のほの暗いゴージャスな雰囲気から、エスカレーターは天に向ってのびる。その先には、それは静かな、忘れられている空間、そう、屋上遊園地が広がっている。

乗り物に乗るわけでもなく、ゲームをするわけでもなく。けっして見晴らしがよいわけでもなく。ただ、その都会の場末というべき、現在の時間から取り残されているような空間が、妙にホッとするという感覚だろうか。休日なのに、家族連れで遊んでいる姿は少ない。

そごうの屋上遊園地は豪華だ。ジェットコースターも、ミニ鉄道も、スカイカーも、メリーゴーランドも揃っている。いつでも動かせるようスタンバイしているのです。

子供のころ、家族に連れられて、ここで遊んだという、はっきりとした記憶はない。むしろ、階下のファミリーレストランで、いつもそごうセット(ハンバーグの上に、そごうのマークに切り取られたパイナップルが乗っけられているような、セットメニュー)を食べさせてもらった、そして広島城方面を一望するレストランの眺めのよさだけが記憶が鮮明に残っている。このそごうの屋上をしっかり意識するようになったのは、学生になってから。そごうでアルバイトしてて、屋上の社員食堂からぼんやり屋上遊園地を眺めてたな・・・夏はサークルのコンパで、ビアガーデンに行ったなとか。

商業的に、以前は「噴水効果」と言われた
デパートのお客さんを、館内全フロアーに来てもらう導線を作るために、遊園地やレストラン街、催し物会場を最上階に作って、噴水のように下から上、また下へ昇り降りしてもらう・・・その有効な手段だった。しかし、昨今は、催し物会場以外に、その効果はないようです。子供も、屋上遊園地で遊ぶことを求める嗜好は、あまりないでしょう。テーマパーク、そして家庭用ゲーム全盛のご時世、仕方ないのかもしれない。

そごうの屋上へ時々登ると、都心のど真ん中とはかけ離れた、ゆるやかで、ちょっぴり寂しい空気が流れている。もうなにも演じられることもないだろう、円形のステージ、その前には、かつてのビアガーデンのなごりであろう、ステンレスのテーブルと椅子。ここに腰掛けて、静かにくつろぐ人が、必ずいたりする。まだあったんだ・・・というような、スマートボールのようなゲームとか、ライオン・パンダのぬいぐるみタイプの乗り物とか。昭和の遊園地アイテムが現存する。ぜひ、息を浮きこんで、もっと動いている姿が見たくなるものです。


福屋八丁堀本店の屋上遊園も春に撤去されて、広島市内で屋上に遊園地が残っているデパートもここだけになった。これから先、残り続けるかはわからない。ただ、遊園地っていう場所、どんなささやかでもいいので、一つくらい、都心に残してほしい気はします。どんなささやかなものでも、小さい子供にとって、親と遊んだ思い出というのは、必ず、やさしい記憶となって、ずっとこころに残るもの。それは、遊園地じゃないとだめだと思う


きょうから、東京ディズニーリゾートでは、毎週水曜日に45歳以上のゲストを対象に「おとなの水曜日パスポート」を販売を始めた。2010年3月31日まで実施する。通常のパスポートより700円安い5100円で、たくさんの特典もついてくる。
(ショッピングチケットプレゼントや、ガイドブックプレゼントなどなど)

大人こそ、ディズニーの魔法にかかるべき。子供のこころに戻ることが大切・・・そういうことなのでしょうね。(シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京をオープンしたのも、その部分はあるでしょうね)

僕も、東京ディズニーリゾート、きっとまた行ったら子供に戻ってしまうでしょうね(王様のブランチのディズニーリゾートのコーナー見るたび、こころがウキウキするのは、不思議ですが)


ディズニーのようなテーマパーク、ささやかな遊園地・・・こころから、楽しめる人で、ずっとありたいなって思う。

ナタリーや呉ポートピアランドのことも書こうと思ったけれど、長い文章となったので、これは、またいつかの機会に。


2009年05月11日(月)
心に花を










心に花を持っている人が、
人を癒すことができるとおもう。

いるだけで、周りを明るくしたり、やさしい気持ちにさせられたり、いつのまにか幸せにしてる。あくまで自然に。自ら、笑顔という花が、いつも咲いていられる。

文字通り、毎日の生活の中で、花を綺麗と思えたり、木々などから季節を感じたり、花や緑を身近に置いていたりするだけのこころの余裕があるってことが、ひとつのバロメーターになっているのかもしれない。

ときに、水を与え、日を当て、時に肥料与え、ときに寒さに当てること、毎日手をかけることで、美しい花を咲かせる・・・人にも同じことがいえると思います

そんなことを、思わされた1日。

きょうもありがとうございました。
あしたも、よい1日になりますように


2009年05月10日(日)
Lovely sunday

Lovely sunday















けさ、観賞植物(パキラ2鉢と幸福の木)を、新しい土に植え替えしてあげた。ホームセンターで購入していたまあたらしい土に、赤土とマグアンプKを混ぜて。古い根もとってあげて。ふんわりした土に水をたくさん与えて、さも植物も気持ちよさそう。さぁ、これからぐんぐん育っておくれ・・・なんてことをちらりと思いながら。

日曜日、部屋にいるときに、ラジオを聴くとすると、8割くらいは、FMちゅーピーをチューニングしてる。土日は、東京のJ−WAVEの番組をほぼ1日放送してるから。もちろん、HFMや、FMはつかいち、NHKといったFM局もあるのけれどね。

はなさんの「タイムフォーブランチ」やら、「LOHAS SUNDAY」「クラッシーカフェ」は、自然と流しっぱなしにしてる。午後、もしいたとすれば、14時には、HFMに変えて、ヤマタツさんのサンデーソングブックに変えてしまう。長年の習性ってやつですね。きっと。CDは、レミオロメンやいきものがかりなんかも、聴くこと多いかな。ここ最近

ローボードの書棚にある本は、わたしの頭の中そのもの。最近は、写真と旅の書籍が増えてきてる。クッションをフローリングと身体の間に挟んで、うつぶせ状態で本をペラペラ・・・がいつもの読書スタイルだけれど、きょうはそんな時間はなく。お休みの日だけつかう、大きめのマグカップで、たっぷりおいしい珈琲をいただきながら。















午後、用事も済ませたかったので、市内へ出かけた。その帰り道、福屋広島駅前店で買い物。きのうきょうとコンコースを一般開放していたマツダスタジアムへも行ってみた。僕と同じく、スタジアム1周ぐるりと散歩してみたい人がたくさん訪れてましたよ。緑の美しい芝生に、たくさんのポイントで散水してる光景がとても綺麗でした。散水の水から虹も出てたし。意外とコンコースを1周するの、あっという間だった。いろんなショップやいろんな席があるねぇ。やはり、バーベキュー席と寝そベリアが印象的だった。いいなぁ、一度はこういった席で観戦したいものだわ。でも寝そベリアで、ひとり観戦は寂しいね。ここだけは、カップル専用席みたいなものだろうな。きっと。ユニコーンの看板はたしかにでっかかったよ。こんど、計画通り、必ずみんなで応援しに行きましょうね。きょうは、その下見です(笑)

















イオンモール広島府中ソレイユ。きょうは母の日ってことで、モールには、フラワーショップ。たくさんの花たちで、彩られていた。みなさんも、お母さんに感謝の気持ちを込めて、カーネーションを贈りましたか?
ソレイユでも、買いたいものがあったので、スポーツオーソリティーとかへ立ち寄った。ふと外に出ると、日暮れ近くだというのに、まだまだ陽射しが強くて、照り付けてた。夏の光景だと勘違いしそう・・・ちなみに、きょう、安芸太田町では33℃。すでに真夏です。

ハトも、ハトの形の照明塔でひとやすみ。
僕も、カフェでひとやすみ


2009年05月09日(土)
グッドモーニング










おはよう。きょうのわたし。
カップにドリップオンのコーヒーをセットして、お湯を最初に少し注ぎ蒸らす。そして、3回くらいに分けて、ふっくらと泡がドーム型になるように注いでいく。トーストもこんがり焼きあがって、マーガリンを塗って、はい出来上がり・My breakfast

本当は、サラダを添えたいところ(昼食は必ず食べるように心がけている)本音を言えば、ご飯にお味噌汁、焼き魚にのり・・・といった朝食がベストなのだけどな。私の1日は、窓を開けて深呼吸することと、コーヒーを飲むことからはじまる。


昨夜、谷根千(谷中・根津・千駄木)を紹介していた「出没アド街ック天国」を見ていて。3年前、惜しまれつつも閉店していた「カヤバ珈琲」(昭和13年創業のレトロ喫茶店)が、近々、地元の人たちにより、営業再開されることを知りました。喫茶店遺産の一つとってもいい、この建物、きちんと保存されていたこともステキですし、また再び営業するなんて・・・なんだかうれしい気持ちになりました。また東京へ行った際、立ち寄るべき場所が一つ増えた気持ち。ルシアンやミルクセーキをぜひ、いただきたいな!(ルシアンって言って、わかる人いるかな?カヤバ珈琲の名物です)

やさしい時間、やさしいこころで、きょうも1日おつかれさま。
ちょっぴりお仕事忙しく、きょうは帰宅が遅かった。



=おまけの日記=
・今夜放送の「写真家たちの日本紀行」は、鉄道写真家の広田泉さんの、大井川鉄道の旅。もちろんSLを撮影していた。泉さんも、本当にすがすがしい姿勢で、カメラと対峙していたのが印象的でした。鉄道写真の巨匠であるお父さんも、昨年、この番組に出演していた。子供に戻ったように、夢中で撮影していた姿も記憶に残っている。親子それぞれ、おなじみ道を歩んで。その撮影スタイルは異なっても、鉄道を愛する気持ちはいっしょなんでしょうね。

・掲示板でも盛り上がっている、サンマリの出演者予想。第一弾アーティスト発表では、藤井フミヤとか、スキマスイッチとか、メティスとか。なんだかいままでサンマリに出たことある人ばかり。でね、僕は、市民球場ということで、ユニコーンはぜひ出演してほしいなって思ってる。あと、毎年一人、この年ブレイクした女性アーティストが必ず出演していると思うんです。だから、今年といえばJUJUあたりが出演すればいいのになって。


2009年05月08日(金)
カメラ+カフェ+旅=わたし








カメラ(camera)
僕にとって、カメラとは?

・表現する手段
=アートとしての写真。その瞬間の、美しい光景を切り取る。感性にまかせせて、「あっ」と想う瞬間をとらえる。そしてストレートな言葉を添える。空、花、建物、人、街・・・時に親しい友人に、写真をプレゼントに添えたりする。ブログは、私の作品発表の場所。ささやかなギャラリーですよね。時に、写真をコンクールに出すこともある。自分の暮らしの中で、唯一の芸術的要素。ただし、学んだわけではないので、技術はありません。ただ、表現する写真を撮るときは、絞りやシャッター速度などをマニュアル設定して挑む

・記録する手段
=旅で出会ったモノ・人・街、日々の暮らしのあらゆる出来事を記録するための写真。普段見慣れた街の変化、季節の変化、そのときに出会うリアルタイムな出来事を、記録しておく。なるべく小さいカメラは手元においていくようにして。日常を切り取る。私の生きた証。とにかく撮ることを念頭に。よって、オートで撮影することが多い

・想い出の手段
=家族、友人との想い出としての写真。そのときその想い出は、二度と戻ってこない。だから、1枚でも写真として残すことは、何物にも変えられない1枚に変わっていくと思ってる。想い出の形に残すことは、すばらしいことですもの。顔認識機能で、確実に撮影する。









カフェ(cafe)
僕にとって、カフェとは?

・やさしい時間を求める旅
=星の数ほど、街に点在する、生まれては消える・・・そんなカフェは、ひとつひとつ、それぞれの個性がある。ドアを開けると、街とは別世界が広がる。つまり、やさしい時間を求めるための、小さい旅のような感覚。その意識で、ふらっとカフェへ立ち寄ってしまう。こころから気分転換になる。店主さんの雰囲気、空間の雰囲気、流れる空気や音楽・音、窓からの景色、引き立てコーヒーの香り・・・五感で感じる時間。ホームページで記録しているのも、みんなに、カフェでそうした時間を過ごしてほしいなって想いから。

・コーヒー好きの楽しみ
=小学生のころから、見よう見まねで、本格的なコーヒーを自分で淹れていた。コーヒーが好き。だから、いろいろな味を純粋に楽しむ。もちろん、サイドメニューも、コーヒーカップのデザインも、コーヒー好きの楽しみの要素。

・親しい人との語らう場所
=本当に、友人と語らう場所といえば、カフェになってしまう。飲み屋さんじゃなく(笑)ソファーに座って、そのカフェの空間に身を置いて、ふっと眼を見つめながら語らう。そのお話の時間は、大切な時間。そして、そのカフェは、ひとつひとつ、その人との大切な想い出の場所へと変わっていく。それで、そこでともにした人が、元気になったり、すこしでも楽しい時間になってくれたら、うれしいし。僕も、人を客観的にとらえることのできる空間のような気がしています









旅(travel)
僕にとって、旅とは?

・自分の存在を再確認するための手段
=誰も知らない街に、ひとり身を置く。「もし、ここで生まれてたら、どんな自分になってただろう・・・」そんなことを考えながら。自分って、なんてちっぽけなの?自分は、確かに存在しているんだよね!そんな自分を確認することを、時々してあげるため、自分のハートのメンテナンスのような手段。世界は広い。果てしない。地図だけじゃわからない距離感を、旅で実際感じ取るということは大きいことですよね。

・人のこころのあたたかさ、人のやさしさに気づく手段
=いっしょに旅する仲間やパートナー。そのやさしさに近づく、あたたかさに気がつく。いっしょに歩き、いっしょに目的の場所へ訪れて、同じように感動したりする。自分の再確認だけじゃなくて、人の大切さを再確認するための手段。ただし、本当にピッタリくる人とじゃないとね。それと、旅先でであった地元の人から得るやさしさもあるし、普段は会えない離れた仲間会いに行く・・・一期一会がギュッと詰まっているのが旅

・たどり着く達成感
=ここに行きたい。このお店に行きたい。これを食べてみたい。カフェへ行きたい。写真を撮りたい。この乗り物に乗ってみたい、この遊園地へ行きたい、この山の頂上へ登ってみたい・・・ひとつひとつ、そんな欲求というパズルのピースのような要素を、埋めていくのが旅。好奇心という、普段あまり意識しない要素を、最大限活かせる場。人間って、少しでも遠くへ、一歩でも遠くへってみたいという欲求が、必ずあるはずだもの。もちろん、普段からアンテナを伸ばして、いろんな情報を得て、プラン立てないと、達成したくてもできないし、見逃すこともある。旅の書籍や雑誌、テレビ(特によく見てるのが、「トラベリックス�掘廖屮▲紐好奪�天国」のような番組)なんかに触れて、旅への思いが強まる。どこかで疑似体験してるんでしょうね。









わたし(myself)
最後に、わたしとは?

・スイッチの切換
=仲間の前や、仕事場では、テンションの高いスイッチが入る。冗談いいながら、よく笑って。これもわたし。そして、ひとりでいるとき、親しい人と過ごすときは、テンションの低いスイッチが入る。力を抜いて、ひとつひとつの言葉を大切にしながら。じっくりお話を聴く。ときに沈黙もここちよい。ときに深いお話もするし、ときに、とりとめないお天気や、周りの様子を言葉にしても、ここちよい会話がなりたつのも、またすてきなことです。

・書いたり、想像したりするのがすき
=こうして文筆をするのが好き。日ごろ、いろんなことを自分の中に吸収できるようにと想っている。テレビやラジオをよく見たり聴いたりするのも、いろんなジャンルの本も、いろんな新聞にも眼を通すのも、街を歩くのも、友人と会うのも、自分の内面に柔軟性を持たせるのに役立ってるもの。そこでいろんなことを考えたり、想ったりして、また話したり、書いたりすることに繋がる。また、書くことで、自分を「浄化」させることに繋がる。感じたこと、悲しいことも、楽しいことも・・・よりよいあしたの自分に出会うための。そんな日々の大切なプロセスの一つ。

・考え込む
=いろんなことがあると、考え込むし体質で、争いごとをあまり好まないので、おだやかでいたい要素が強い。だからこそ、どうすればいいのか・・・って考え込むことが多い。周りには、悪いことだって、厳しいことだって、悲しいことだってあるし。いろいろな人たちがいるからこそ、いろんなことを考えなくちゃいけません。元気の無い人には、どう接していこうかとか。ときには、絶対に揺らぐことの無い、冷静でありしっかりとした眼を持たないといけないと想っている。

・みんなに生かされている
=その言葉だけは、決して忘れないように。
ずっとずっと、付き合っていける、そんな友人は大切にしたい。僕を必要としている人、かけがえのない人を、当たり前のように大切にできるようにと。



きょうも、1日おつかれさまでした。
暑い!きょうはホンマに暑いよ。初夏です。完全に。
帰り道、アイスクリーム食べたくなったもの(笑)子供じゃないので、思っただけですが。仕事もあるし、いろいろと大変ですが、時には、仕事のことも含め、すべてを忘れる時間を作りたい。

週末、時間を作ってまたどこかでコーヒーのんびり飲みたいわ。
あと、残ってることをすべてこなさなくちゃな。


みなさん、GWの疲れが出ていませんか?この週末、少し休んでくださいね。
またあした・・・


2009年05月07日(木)
結婚観








こんばんわ。きょうも1日おつかれさま。
ニコニコの1日となりましたか?僕は、まぁまぁ。仕事が忙しかったのもあるのだけれど。人のゴールデンウイークのみやげ話は、ちとしゃくにさわわるわ・・・なんてウソウソ(笑)お土産をいくつかいただきました。午後、雨が降ったり止んだり。外に出てたときに重なったので、もちろんぬれました。なんだか、夏の夕立に似てるよね。


たとえば、「旅」をするにしても、ひとり旅と、二人旅とでは、まったく違います。二人旅ならば、歩くテンポも、望んだ行き先もいっしょとなれば、もっともここちよい時間に変わっていく。荷物も2人で分けあって。旅で出会うものに共感したり、同じように感動したりできたら、その旅は2倍にも3倍もすてきなものになる。列車に乗っている道中という時間がかかることですら、贅沢な時間。そういうのといっしょかもしれない。結婚って。


結婚は強い絆・・・そう、信じていた。慈しむ愛<慈愛>があることは、もっともすてきなこと。そんな結婚を、一言でいうには、人それぞれまったく異なる解釈をするものです。僕も、おしゃべりしてて、友人にそうした質問を投げかけることがよくあるのだけれど、おもしろいもので、答えはさまざま。ただ、結婚とは「タイミング」という人は多い。本当にその通りです。僕が思うに、決断するためには、自らの直感や素直なこころを信じること。そして、自分は相手を幸せにする、自分も幸せになるという「覚悟」。その「覚悟」の本当の意味に、きちんと向き合えた2人だけが、そのタイミングから、いい結婚にずっとずっと繋がっていくのかな・・・多くの場合。

おだやかに、ゆっくりと生きてゆきたいと願っている。誰かを傷つけたりしないで、誰かと争うのでもなくて。ガチガチの信念や思想なんかまったくいらない。ただシンプルに、ゆっくり、おだやかなこころで、そして強くしっかりと。そういう生き方するために、ひとりで生きることになったとしたら、潔く受け入れようと思っている。同じ価値観、同じテンポ・・・そこがピタッと合う人が併走してくれるなら、そこに幸せを見出せるかもしれません。

私の周りには、本当に仲のよい結婚生活を送って、かわいいお子さんもいる・・・理想的な家族を築いている人が多いですし、ある意味、それは一つのあたりまえの「幸せ」だと想うのです。僕もそういう家庭を持てるかはわかりません。でも、結婚って、そういうものなのじゃないかな。いたってシンプルで単純でなのではないかな?と。

「女が苗字を変えて、男の家庭に入るという制度に違和感を感じる。本来は、男女別姓であるべきだし、相手の家に入るというのは、どうしても。子供も少し苦手で・・・」と、語っていた知人の女性がいました。以前、なにかの会話の中で、それを聞いて、たしかにいろんな考え方があるのは当然だから、なるほどねぇ・・・僕はその女性に何もいいませんでした。ただ、妙にそのとき、僕の心の中に

「なんとなく寂しいね」

って想いがふと、よぎったのです。どうしてなのか、いまだに明確な理由はわからない。(頭からガチガチでそう想うしかないというのは・・・ということだったのだろうか?いや、本当にいまだにわからない)後々、その人は、考え方に変化が生まれたかもしれないし、そのまま日本の結婚制度を否定したままか、わかりませんが。結婚や家庭って、さまざまな捉え方や価値観があるということでしょうね。もちろん、それぞれの環境や状況によっても、当然考え方は変わってくるし。でも、その女性のように、決め付けてしまうのは、なんだかさみしいな・・・。2人のパーソナリティーを重視し尊重する夫婦というのも、無論大切です。でも、愛する子供がいることも、なにものにも変えられない、2人にとって、かけがえの無い存在になる。それは確かなこと。大変ではあるけれど、その分、学ぶこともあるし。けっして否定することは出来ないはずです。そして、お互いの両親や多くの友人・・・そんなたくさんの人の中で成り立っている2人だと想うと、2人だけという枠を大切にし過ぎる、孤立する考え方は、のちのちしんどくならないかなぁって

なんだか、話がそれちゃいました。

お互いを認め合って、お互いを尊敬しあえて、50/50の関係で。個々の世界も大切にしあえる、つかずはなれずの距離感をうまく保ちながら。けっして変わることなく、なにより、おだやかでゆっくりとした時間を2人で共有できること。いっしょに笑ったり、共感したり、泣いたり、感動したりできること。そして、周りの人も大切にできる、幸せにできるように・・・

ふっと、結婚というものについて思いついたことを羅列してみると、こういう言葉が出てくる。その反面、人のこころは移ろいやすい、裏切ったり、簡単に変わってしまうものでもあるし、人は完全じゃない・・・僕はその部分で怖さもある。人を愛するということに。だから、失うことに対して、潔くあること。それも、とても大切で必要なのかもしれない。

結婚という概念だけを想うと、上で想った考えを持ってしまうし、それらがないのであれば、結婚はしないほうがいいのかな・・・などと想うこともあるのです。

自分を必要としてくれる人がいることは幸せなこと。守りたいと思う人がいることは、自分を強くする。それだけは、確かなこと。

うーむ、うまく文章がまとまらないや。ちょっぴりきれいごとすぎる言葉が並んだね・・・
また、まとまったら、この続きはいつか(笑)



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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