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東京発着のブルートレインが廃止になったニュースが、ここ連日伝えられている。ブルートレイン「富士/はやぶさ」最終列車に乗る人、最後の勇姿をカメラにおさめようとする人で、たくさんの人が足を運んだ。なんだか寂しいニュースです。
僕は、鉄道マニアでもなんでもないけれど、やはり1度くらいは、ブルートレインで旅をしたい。寝台特急で泊まりつつ、目的地まで行ってみたいと、思っています。早くしないと、それも叶わなくなりそう。
話はちとそれるけれど
僕が幼稚園から小学校1年生くらいのころ。
本当に、「ブルートレインシール」「L特急シール」を集めるのに夢中になっていた。
当時、駄菓子やさんとか、文房具店で、シール1枚が紙の袋に入っていて、たくさん吊り下げられている。その袋を選んで取るわけです。袋の中には、当時全国でたくさん走っていたさまざまなブルートレインや特急の写真やヘッドマークのシール。シールの裏には、解説。運良く「当たり」が出たら、それらのシールを貼るための本がもらえる。(シールの台紙になっていて、詳しい解説が書かれている、かなり豪華な本。シール全部集めて貼ったら、ちょっとしたブルートレイン・L特急の事典みたいになる)
そのシールや本も、時期によってモデルチェンジするので、一度当たったからといっても、ある時期を過ぎると、また新しいブルートレインシールに変わってしまう。
「さくら」「出雲」「富士」「はやぶさ」「安芸」
「にちりん」「やくも」「雷鳥」・・・
そのブルートレインや特急の、カラフルなヘッドマークのデザインが、感覚的に子供にとってこころ揺さぶられるものがあったのでしょう。全部集めたいと・・・
これを異常なまでに集めていた。おこづかいもらうと、一目散に駄菓子屋へいって。ドキドキしながら、カードを引く。
おそらく、同年代の男の子ならば、同じような経験した人も多いのでは。
そのころ、たまに広島駅で電車に乗るとき、ブルートレインがホームに止まって、こころ躍らせながら見入ったり。シールでは飽き足らず、本・下敷き、筆箱(8面式くらいのやたら蓋のついている変形ふでばこ)、写真カードなどなど。なんでもブルートレインにしてしまっていた。
あのころ、子供のころのピュアな感性、夢中になった心躍る感覚、いま思えば、すごいことのように思えてならない。
きっと、そのころの自分が、ブルートレインに乗って旅をしたら、一生の思い出になっただろうな。寝台から、夜の車窓を見る・食堂車で食事する。そのころのいちばんの夢だった。だから、このブルートレイン廃止のニュースを映像で見たとき、ふと子供のころの自分に戻ったんです。
早いだけが旅じゃない。のんびりゆっくり進んでいく旅もまたひとつの楽しみ。スローライフが叫ばれてる昨今、スロートラベルというのも、いいのではないだろうかって。そう感じました。
余談だけれど、そのころ、僕はブルートレイン以外にも、地図を集めたり、海外や古銭などコインを集めたり、新聞の自動車広告の切り抜きを集めたり。かなり渋いもの、大人っぽいものを集めるのが好きな少年だった。地図に至っては、あらゆる都市地図から、専門家や学生が買うような、難しい地図の学術書まで毎日読みふけってたくらいだから。特に「東京23区分地図」は、このころ肌身離さず持っていた。
極めつけは、電話帳。他県の電話帳がほしくて、電話局までなんども足を運んだ。今想うと、きっと、地図好きに通じるものがあったのでしょう。(電話帳に記されている「地名」とか、市区町村の「マーク」とか、広告や写真を見るのが好きだったのでしょう)もうちょっと子供らしいものを集める少年だったらよかったのに(笑)
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再び、菜種梅雨の1日。よく降りましたね。
よく、涙雨とかいいますが、きょうはなんとなくこころが悲しいというか、しんみりした1日でした。気分転換したいところだけれど、なかなか時間に追われている毎日なので、自分に戻る時間っていうのは、限られている。
街は傘の花が咲いています。
広島の雨降りの街も、僕は大好きです。
みなさんは、どうですか?
人の縁というのは、大切にしたい。
縁というのは、お金で変えるものではなく。
自分のこころがけ以上に、運やタイミングが大きい。
大切にしようというこころがけがないと、ずっとずっと続く親友も、伴侶も得ることができないもの。
でも、人との縁やつながりを過信してしまうのは、よくないというのが私の持論。
一期一会。私の大好きなことば。
その出会いは、偶然かつ、かけがえのないものではあります。
出逢いから、自分の人生は大きくかわる。可能性は広がっていく。
でもね、人との関係や縁って、すごく深いとか、ずっと続くとか・・・
そう想いすぎるのは、よくないと思うのです。
さらっとした関係。
なんていうんだろう、この人のためにというのが強すぎると、どうしてもギブ&テイクを求めてしまって、うまくいなかくなる。相手が重荷になってしまうこともしばしば。友人でも、恋人でも、永遠に続くとか、堅い絆で繋がるものだという前提だと、結局、行き着くところは、自分自身を追い詰める結果になりうる。
本当に人との縁を大切するということは
いろんな人と接することができる柔軟性と、たとえ、期待が外れたり、別れたり、人が去っていったりしても、あまり傷つかない強さであり、適度な距離感で、ときに静かに見守ったり、ときに力になったり、ときに笑わせたり、ときにそばにいてあげたりできる、その強弱というか、メリハリがうまくできる人のようにおもいます。そういう中で、ずっと続いていく関係なんじゃないかな。
であった人には、みんなに好かれたい。僕はそういうところが強い人間。
でも、みんなに好かれるということは、心底愛される人がいないってことかもしれない。逆に言えば、嫌いと想われるような人もいない。
自分のことを心底愛してくれる人がいるということは、その逆で、自分のことを嫌いと想われる人がいると思う。
それでも、自分を信じて、嫌いという人を跳ね除けて、愛してくれる人を想っていけるか。そういう人のほうが、もしかしたら、いい人生なのかもしれないな・・・
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学生のころの仲間が、遠い海外へ引越しすることとなった
きょう、出国したのですが
家族といっしょといっても、やはりとても不安もあるでしょう。
ただ、僕は、ささやかだけれど
仲間として、彼女の、きょうからの、外国での暮らしが、
いい時間となっていくことを、祈っていたいなって、そう想います。
僕なんか、広島からほとんど出たことないのに
そんな小さな街の中に身を置いているだけでも、いろんな悲喜交々あるわけで。
自分を見つめなおす意味で、違う街に身を置くことってたまに必要かなって想うこともあります。
日本を離れた仲間が、なにか新たなものを見つけて、成長して、無事再び戻ってきてほしいものですし、その国での暮らし、近況が聞けるのを、楽しみにしていたい・・・
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ゆめタウン広島に、薄皮たいやきなるものがオープンしてたのは、ちょっと前から知っていたのだけれど、なかなか買いに行く機会がなくて。でね、仕事帰り、ゆめタウンに寄る事が出来たので、今日こそはと買って帰りました。「たい夢」というお店です。食品フロアーのすぐ近く。
本当に皮が薄い。
だから、白っぽい、たいやきです。
だから、あんこがいっぱい
でも、たいやきって、カリカリの皮がまたおいしいんだけれどな。とくに尾びれの。
なんどか、「たいやき」ってどっちから食べる?
なんて質問されることもあったけれど、
僕は無意識のうちに頭から「がぶっ」ですね。
広島って、あまりたいやき屋さんってないですよねぇ。お好み焼き文化だからっていうのが大きいのだろうけれど。それにあったとしても、たいやきではなく、二重焼き。二重焼きより、たいやきのほうが美味しく思えるのは、なぜでしょう?