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朝の寒さが、逆に心地よく感じる。
ピーンと、緊張感というか、身が引きしまるというか。仕事へ向うとき、なるべく歩くようにはしている。電車を降りて、早朝の街をあるく時間は、なんだかこころと身体をリフレッシュされる感覚を覚えます。

最近ね、帰宅すると、槇原敬之くんのCDをよく聴いている気がします。とくにこの古い2枚。ほら、冬をテーマにした、大好きな曲も入っているし。「冬がはじまるよ」「今年の冬」・・・なんだかホッとします。(ミスチルのニューアルバムは、逆に休日によく聴くかな)
でもそのうちに、今度は「遠く遠く」「桜坂」といった、桜の季節の曲が、しんみりくる季節になるんだろうな・・・マッキーの曲で、季節を感じているな。
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成人の日を迎えた20歳のみなさん、おめでとうございます。
いま、ちょっぴり厳しい時代ではあるけれど、前向きに、社会へ羽ばたいていってくださいね
私も成人式に参加したときのこと、よく覚えています。新調したスーツを着て、ひとり会場へ電車のって行ったのですが、学生と社会人とのちょうど狭間の時で、どうもスーツ姿というのが、なじまなかったのを覚えています。きょうからお酒が飲める!タバコも吸える!なんてものも、まったく想わなかったし。社会的な責任が課せられるという意識だけは妙に想っていた。(ただ、成人式に知り合いがまったくいなかったのが淋しかったの覚えている。もともと成人になる数年前まで、違う町に住んでいたので。友人や幼馴染は、もちろんそっちの町の成人式に参加していた。いまは、引越ししても、町に住んでいたことある人なら、参加できるそうです。致命的だったのは、このころは、市と町とは開催する年度が1年ずれていた)
新社会人のみなさんにひとこと。
まぁ、とりあえず元気で。
それと、礼儀とか、マナーとか、最低限の社会的ルールだけは、きちんと守れる人になってくださいね。(まぁ、悪い手本の大人がたくさんいる社会というのが問題ではあるけれど)選挙くらいは、必ず行きましょうよ。
さてさて・・・
私、成人式というもの自体に、すごく疑問を持っているんです。成人式廃止論者というか・・・あんな式、税金使ってやることなんだろうか?そもそも意味がよくわからない。お酒のんで暴れているとか、警察がやってくるとか、壇上の市長らの話はそっちのけで、携帯したり、おしゃべりしたり。成人式って、ただ、着物が着れるとか、幼馴染に会えるとか、酒飲みにいけるとか。そういう意識しかない人も多いだろうし。
やっぱり、合併で市域が広くなったせいもあって、まったく縁のない人たちが一つの会場に1万人近く集まってやること自体無理があるから。町や村といった、小さい単位の成人式がなくなっちゃったのが、もっともよくないんだろうね。だから、たとえば市は、区民センターとか、公民館とか、母校の体育館とかを無償で貸してあげるだけでいいから、あとは、新成人もきちんと参加費払って、地元の人たちで、手作りに近い、地域ごとの小さい成人式をすればいい。恩師の先生とかも呼んでね。そのほうが、すごく有意義な成人式になるし、少人数でやるのだから、酒飲んで暴れるような人もいなくなると思うけれど。
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地元でも、とんどが行われていた。
偶然、自分の母校の小学校前を通りかかると、とんどをやっていて。時間もちょっとあったので立ち寄ってみた。
いまでも、とんどが行われていること自体にびっくりしたのだけれど。話によると、とんどの作り方がわかる人がいなくなったので、ことしはじめて、とんどの作り方ビデオを借りて、事前に勉強会を行ったそう。きっとわかいお父さん方が、このビデオを見て、朝早くからなんとか作り上げたのでしょうね。
書いた習字が、とんどの火で燃やされ、天高く飛ぶと字がうまくなるとか、ここで焼いた鏡餅の餅をいただくと、病気にならないとか。いろいろとご利益のある行事ではあります。
ただ、僕が小学生のころとは違って、竹の棒に餅を挟んだり、網を取り付けてもちを載せて、とんどの火で焼く姿があまりなかった。竹を用意するのも、大変なのかもしれないですね。その代わり、うどんのバザーがされていた。

夕方、帰り道。
とにかく、とにかく、寒い1日でした。
雲の流れるスピードもどことなく早く。でも、冬もあっというまに春へとバトンタッチしていくんだろうな。時間や季節に追い越されないように、1日1日大切に生きていかなくちゃ。
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きのうの昼に放送された「週刊ニュース新書」に、五木寛之氏がゲストで出演していた。
いまの世界が、500年に1度の危機だと感じている五木さんは、
これからの「鬱」の時代を生きていくには、
「覚悟」が必要だと。そのためには、
「諦めること」が大切だと。
諦めること・・・それはよくないことのように思われるけれど、そうではなく、今流に読むと
「明らかに究(きわ)める」
いろんな期待や甘い予測を抜きにして
はっきりと現実を見据えて、ありのままに現実をしっかりみること
諦めること、そこから覚悟が生まれる。
最近、僕が日記で書いていた中のキーワードが、五木さんの言葉にも出てるのがちと不思議だったけれど(僕は、世界や日本の危機を想って書いてるわけではないけれど。ただ、これからの意識とか生き方として大切かな?っておもうことは、諦めること、そして覚悟が必要というのは、わかるんですよね)
五木さんがいうように、いまが500年に1度の危機なのかどうかはわからないし、ルネサンス期以来のヒューマニズムがガラガラ崩れるときというのも、どうなんだろう?っていう想いはあるけれど。ただ、このままじゃ、世の中はもっと間違った方向へ向っているような気はします。
実体のない予測やポジティブさよりも、いちど立ち返って、後ろ向きになって、見つめなおしながら、いろんなことを諦めることで、本当に大切なことに気が付く。そんな時代に差し掛かっているのかもしれない。
愛国から憂国へ。孤独に生きる。鬱の時代を生きる。善意は裏切られる。航海から漂流へ。
この5つが、五木さんがおっしゃる、いまを生きる5つの覚悟だそうです。なるほど・・・