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夕ご飯に、ナシゴレンを作ってみました。
ほのかな辛さがおいしい。
ただし、味付けは、無印良品のアイテムを使ったのだけれどね。
無印があれば、なかなか作れない、カフェ飯や中華など、あらゆる料理が簡単に作れるような気がします。
「トップランナー」に、瑛太さんが出演していて
彼は、トークの中で、こんなことをいっていた
「俳優になる前には、自分はとてもダメな時期があった。
たとえ、ダメな時期があったとして、そのときは何もしなくていい。
ただ、それでも、自分に期待すること、いまの生活に期待することは大切だと想う。人間って、落ちてしまうのはとても簡単だから。だから、なにかに期待することができたら、きっとその先、希望につながる。」
瑛太さんは、常に間を取って、考えながら少しずつ言葉にしていく。
とてもクールで冷めているといえばそれまでだけれど、その分、しっかり人や物事を見て、考える・・・思慮深い人なのだろうなと想った。
番組の最後に、「これからどんな俳優さんになりたいか」という質問に、こんなことを語っていた。
「撮影いく途中で、困っているおばあさんがいるとしたら、立ち止まって、助けてあげられる。たとえ、それで撮影に遅刻しても、堂々としていられる役者でありたい」
ふーむ。こういう答えをするとは・・・
とても彼の言葉は、印象的に聞こえました。
役者である前に、人間であることを大切にしている人なのだなぁって。
大河ドラマ篤姫の「小松帯刀」のイメージと、佇まいはけっこう異なるけれど、芯にあるものは、似通っているのかなと。
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こんばんわ。きょうも1日おつかれさまでした。
ちょっぴり夏がぶり返してきました。うーん、身体にはちときついな。電車に乗って、流れていく街の夜景を見ていると、気が遠くなりそうで・・・
私、24時間テレビについて、ほんの少しだけ違和感持っていて。
「こころざし」がいまいち僕には見えない、「やらないよりはいいだろう」って感じがふとしてしまって。(個人的な、浅はかな感想として受け取ってくれれば・・・実際携わっている人の多くは、そんなことないと想って取り組まれていると想うので)
芸能人を走らせて、なにが残るのか、なにの意味があるのか?その裏には、なにもないのだろうか?障害をもたれている人を泳がせて、その先になにが残るのか・・・本当のドキュメントとは少し違うのかな?想うのです。少なくとも、過剰に演出された、ある部分において、感動を呼ぶようにと作られたものであることは確かで。
昔、ある放送作家さんの本にこんなことが書かれていた。
「24時間テレビをするのであれば、最低限、出演者全員、ギャラ0にして、CMも一切流しちゃだめなのです」たしかに、ぞうじゃないと、障害者の方たちを、見せ物にしてお金もうけているだけのテレビイベントにしかならない・・・という意味なのでしょう。
この言葉が的を得ているかどうかは、僕には、よくわからないけれど、僕個人として、このショーアップされた「テレビイベント」のこころざしって、ちょっぴりあいまいだなって・・・募金が集めることが大切なのだろうか?もし、そうでないというのであれば、もっと普段から、変な演出のない、ありのままを伝える、本当のドキュメンタリー番組をたくさん放送することのほうが大切なのじゃないでしょうか?伝えなくちゃいけないこと、眼を向けなくちゃいけないことって、たくさんたくさんあるはずです。
次の総理大臣、アソーさんかな?いや、ユリコさんかな?少なくとも、しっかりした「こころざし」を持って、国民にわかりやすい政治をしてほしいな。国民に謝るときには素直に謝って(笑)政局ばかり気にしないでさ。まずは、はやく解散総選挙して。フクダさん、おつかれさまでした・・・
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慈しむ毎日
1日1日を、大切に、慈しむように暮らしていくこと。
そして、自分を慈しむこと。
生きているとね、もちろん、
悲しいこと、嫌なこと、泣きたいこともあります。
上手くいかないこと、落ち込んだりすること
でも、そのひとつひとつも、人生のうちで、
意味があることだと思えば、
その1日を、慈しんで、
自分を慈しんであげることができれば
なんとか、受け入れてあげることができるかもしれません
時間なんて、あっという間。
その1日1日を、慈しんであげれば、
生き方も、人生も、きっとよい方向に変わっていく。
暮らしの中の小さなことも、人々に対しても
幸せを感じたり、よろこんだり、大切にしたりしながら
慈しむことをしていけたら。
身の丈にあわないこと
嫌といえなかったり、無理をしたり
人の言葉やどう想われているかが気になるとか
それが続くと、こころが赤信号を灯します
ここまでで、もう限界とか
無理なら無理というとか、
人のこころを気にし過ぎないとか
自分で自分をセーブしていくことも、
自分を慈しむことのように想います。
好きなことを見つけていること
笑えていること。
それが、自然にできるためにも
と、いうことで、私も今月はいろいろ背負い込みすぎたので
9月は、できる限り一人でいる時間を作りたい
ちょっぴり赤信号が灯っているかな(笑)
きょうも1日お疲れさまでした。
9月も、ゆるやかに、いい時間が流れていきますように。
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友人と待ち合わせをして、ほんの1時間くらいだけれど、段原のパスタ店で食事をした。普段なかなか会えない人でもあったので。
その後、せっかくだからと、ちと街を散歩した。
先日、新聞で、「もうすぐ消えゆく街」という記事を目にしたから。
段原東部再開発事業で、もうすぐ取り壊しになる街。



その段原山崎町を歩いてみた。
もうすでに、となりまちでは、大きなメインストリートが出来ていて、そこにすでにいくつかの病院や家が移転していた。
段原山崎町。最後まで、古い下町の町並みや路地が色濃く残っている町。引越しのトラックも3台くらい見つけた。すでに空き家が目立っていたが。本当に昭和30年くらいにタイムスリップしたような路地と街並みでした。(住民の方たちの強い市への要請で、再開発後も、段原山崎町という町名が残るそうです。どれだけ愛着があるかがわかる)
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けさ、出かける前にいただいたかぼちゃのパン。きちんとかぼちゃの種がまわりにちりばめられていて、それはそれでおいしかった!種って食べられるんですね。
クローゼットを整理したとき、もう着ないであろう、ふかふかダウンコートを処分しようと。温暖化で、こうしたコートを着る機会もなくなったしね。ただ、せっかくクリーニング出したままだったので・・・ということで、地元の古着屋さんへ持っていった。
私は古着屋さんに洋服を持っていくのは初めてで。だからまったく期待せず、「どうせ値がつかないだろう」と想ってたのだけれど。店の方は丁寧に査定(?)されて、その結果は・・・750円。ふーむ。予想外の値段に。意外だ。
いまだに、古着屋さんや古本屋さんに持っていくのにどこか抵抗がある。
古本屋さんには、いい思い出もなく。山のような蔵書を持っていったのに、ほとんど値が付かなかったこと数回。だから最近、読んだ本は、図書館に持っていって蔵書にしてもらうことがほとんど。これも、ささやかなエコ・リサイクルだということで
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だいぶ、夜がやってくるのがはやくなった気がします
仕事を終えて、帰宅するのが、だいたい夜7時台。そこから歩いて駅まで帰るのだが、もう最近は夜の街を歩いています。肌寒さを感じるほどではないものの、上着をきこんでもいいかな?と想うような風がすーっとふいたりして。
横断歩道橋を渡って、すこしこうして車の流れを眺めていると、ちょっとだけ疲れも癒されます・・・
さ、今週もおしまい。みんさん、おつかれさまでした。
おだやかに、恙無く過ごせれば、それで十分な1日。
「みゅーじん」という、番組をたまたまみていた。
今週は、Nokkoさんを密着取材していました。
彼女は、レベッカのころより、今のほうがよほど若い!いや、自然体で、いい生き方してるのが、姿や顔からにじみ出ていた。
現在44歳。2歳の女のお子さんがいらっしゃる。緑に囲まれた広い白い家で、ナチュラルに、ごくナチュラルに、家族3人で暮らしていた。並行して、旦那さまのプロデュースで音楽活動も。
美術館に小さい子供とおかあさんを招いて、絵本コンサートで歌ったり。
歌声はなにもかわらない。
ただ、いまは、本当に自然体で、母親として、歌いたい歌を、自然に歌っている。そんな姿を、ひさびさに見て、なんだか新鮮に感じました
(とはいえ、僕はレベッカの世代ではなくて。だから代表的な曲しかしらない程度ではあるけれど)
ほんとうの自分のあるべき姿にたどり着いたとき、だれからみても、自然体な自分に行き着くものなのでしょうね。私も、いつかはそうした域にたどり着きたい