メール|
Twitter
とても体調が悪い。おそらく風邪なのだろうが、ここのところの心労も重なって、きょうは午後からとてもしんどい。さきほど風邪薬を飲みました。はやく直ることを願うのだが・・・
みなさん、こんばんわ。きょうも1日おつかれさまでした。私のように風邪なんかひいていません?笑顔でニコニコの1日になりました?
<ずっとずっと>
私は、ずっと、自分のこころの奥になる「孤独」「人間不信」というものを
抱えています。とはいえ、それは覆い隠し、常に、人の話をしっかり聞いて、やさしく、包み込めるように・・・と想い生きてきました。もちろん、信じられる人もいますが、それも永遠ではないわけですし
その結果、人は、そうした自らのこころの満たされない部分を私に求める。(私と同じように、孤独で人を信じられなくなっている)私は、懸命に向き合います。そして、その人への想いは変わらないように。でも、時間が経ち、人はこころが満たされると、私から離れていく。次のステップに移ってしまう、他の人の元へと行ってしまう。いつもそうなんですね。私はそれを、ただただ、見送るしかない。
人のこころは、離れてしまえば、変わってしまえば、もうどうにもなりません。私は、簡単に、過去の人になってしまいます。いままでの言葉も、約束も、無意味です。人を愛することって何なのでしょう?よくわからなくなります。ただ、私は、変わらないで、ずっとずっと思い続け、のちのち、この人のために生きることだと信じてきました。
本当の自分を見せることよりも、まず相手のすべてを受け止め、やさしい時間、楽しい時間を与えてあげることを一番に優先することが、愛することのように想っていましたが、どうも、そうじゃないようです。
ある人は、私に「プライドが高すぎるんだよ」と言った。その言葉は、たしかにそうだなと。人を傷づけたくないから、無理をしたり、自分の言葉で伝えられなかったり。もっと怒ったり、わがまま言ったり、本音を言ったり、素直に好きになればいいんだよと。
見送るだけじゃなく、ずっとずっと、いっしょにいてくれる。
それを望むのは、酷なのでしょうか?
私の場合は。教えてほしいな。
<あるドラマでの言葉>
自分のことしか考えない
自分さえよければいい
自分の為だけには、がんばれる
そんな人生、無意味だ
本当に無意味だ
それを教えてくれたのが、雫。
これは、先日放送された、「薔薇のない花屋」での1場面でのセリフ。主人公の英治(香取慎吾)が、一人娘の雫ちゃんに語った言葉。
妙に、この言葉が、印象的でした
自分さえよければいい。
自分のことしか考えない。
そんなことしていたら、悲しいもの。
人を悲しませてまで、幸せになっても仕方ない
本当にそう思います。
ドラマについて・・・
野島作品って、久々ですよね。たいてい1〜3月に野島ドラマって放送されるのだが。(「この世の果て」「高校教師」は、私は当時とてもハマって見た。名作だと想ってる)最近、野島さんの作品って、精彩欠いてるドラマ(とくにTBSのドラマ)が多かったから、このドラマ、どうでしょう?もちろん、簡単にストーリーが進んでいくとは思えない(初回でかなりネタをばらしていたが。竹内結子は、本当は眼が見えるとか・・・大丈夫かな?)
きょうもありがとうございました
あしたも、みなさんにとって、よい1日になりますように。
私も、ゆっくり休んで、しんどい体調を戻すようにします。この冬は、ほんとよく風邪をひくなぁ(笑)
さて、あしたも、3つくらいの文章でゆっくり書いていきます。
メトロポリタンカメラも、更新しました。
それでは・・・おやすみ♪
この後は、おまけの日記↓

<ささやかな>
春らしい光景・・・和室の出窓に置かれた花。小さい菊とせんりょう。どれも、庭で摘んだもの。凛とした光景が、部屋にあるものです。これから、春がやってくると、花を飾りたくなる。ささやかなことでも、ささやかなものでも、こころが豊かになる。そういう生活を忘れてしまうと、きっと先で、しんどいことになりそうな気がします。
メール|
Twitter
hanaの東京ご近所写真散歩
(エイ文庫・680円)
私のフォトログ「メトロポリタンカメラ」を長年ご覧いただいてる方ならば、ご存知の方もいるのでは?人気フォトブロガーhanaさんのブログ「hanaの東京散歩」が、1冊の本になって、今月出版されました。私が長年見続けていたフォトログですので、もちろん買っちゃいました。この表紙を見ただけで、やわらかい世界が詰まってること、おわかりですよね。hanaさんが撮る場所は、阿佐ヶ谷の自宅から半径1キロ圏内。徒歩15分内。しかし、その限られたエリアを日々生活しながら、四季を感じながら、シャッターを切る。それが、行きなれている公園であったり、アパートの廊下であったり、お祭りであったり、古い電気店のショーウインドーだったり、自室の扇風機だったり。。。hanaさんの写真は、どこか「自由」だ。何気ない日常をみつめてみつめて。そこから喜びや生きていることを感じさせる。そして、街を好きになる。不思議な写真なのです。街は被写体にあふれてる。カメラを持てば、生活も、街も、違った角度で、もっともっと楽しめる・・・それを再認識させられる
1年を春夏秋冬に分けて、写真とhanaさんのやさしくも凛としたエッセイを交互に構成している。街を好きになること、カメラを好きになること。あたたかい気持ちにさせられる、そんな文章です。小さい娘さんとのことも、書かれていたり
散歩好きな人は、きっと散歩をもっと楽しむヒントになると想うし、カメラ好きな方は、ほんと、難しく考えないで、自分の生活にあふれている風景をそのままシャッターに収めることの大切さに気がつくと思います。みなさんも、のんびり散歩してみましょう。カメラを持って。ゆっくりと、歩くこと。それは、人生も同じような気がします
まずは、ブログを見てみましょう!ホームページから
hanaの東京散歩(ホームページ)
http://hana-photography.com/
本をすごく読んでいる。近年にないくらいのペースで。年末、大きな書棚を整理し、大量処分したため、新しい本を購入できるようになったから。時間が出来たら、本屋へ行く。買って読む本といえば、・・・こころにやさしい本や、堅い本や、小説など、いろいろ。その中から紹介しようかな?と想っていたのだが、今回は、やわらかい気持ちになれる本をご紹介しました。
私も、散歩が大好きで、昨日のように、ふっと思いつきで太田川へ行ってみたり。カメラを片手に、感性のおもむくまま、シャッターを切る。いろんな幸せ、いろんな好奇心に出会えるから。ほら、仲良く過ごしてる親子とか、川で休んでいる鳥たちとか・・・それだけでも、幸せのおすそわけのような感じするもの。この日記、そしてフォトログ「メトロポリタンカメラ」で、少しでも、私の広島生活の写真であったかい気持ちになっていただけたらうれしいし。写真は、私の生きた証ですから
きょうもありがとうございました
あしたも、みなさんにとって、あたたかい、やさしい時間が流れていきますように、願っています。とにかく、生きてください。笑顔を忘れないでください。それだけで、大丈夫だから。
あすの日記は、いま、私のこころの中で想う、私のことを、素直に書いてみます。そしてドラマの中での言葉について。それともう1つ文章を書いていきます。3つの文章で・・・
なるべく、22時くらいに更新します
ここ最近、とても落ち込むこともあるし、いろいろ波はあるけれど。なんとか生きています。焦らずに、待ってみたり、考えてみたり。いまは、そういう時間なのでしょう。人生の中で
メール|
Twitter
目に見えないもの 誰かの想いとか
光とか 風とか
亡くなった人の面影もそうだし
私たちは そういう風なものに
心の支えを見つけたときに
ちゃんと たったひとりでも立っていられる
そんな生き物だと思います
この言葉は、昨年、カンヌ映画祭で審査員特別大賞を受賞した、河瀬直美監督が、受賞式で語った言葉です。私は、当時その記者会見を見て、監督が語っていたこの言葉がずっと頭から離れなかった。(つい、メモしてしまった)強いしなやかな言葉だと感じた。誰しも、こころの支えを見つける。そのとき、初めて、強く生きられるような気がする。彼女のインタビューを、いくつかの番組や誌面で目にすることがあったが、彼女は、いのちというもの、命は連鎖していくということに対して、一貫した姿勢を貫いていた。いのちと死。そのテーマに対峙するために、映画を撮り続けるがごとく。
今夜、そのカンヌ国際映画祭・審査員特別大賞「グランプリ」を受賞した「殯の森」が放送された。私は初めてみたのだが、とてもとても、ひきこまれ、こころおだやかにさせられる映像だった。セリフが少なく、キャストも、一般の方が大半だったのもあって、ほぼ、ドキュメンタリー映画のようだった。だが、セリフが少ない分、監督が突き詰めた、奈良の森や、茶畑などの映像が、なによりも、言葉として語っていたように想う。認知症の男性と、息子を失い、こころを喪失していた若い女性介護士とのふれあい。森にさまよっていくうちに、悲しいものを抱えているお互いが心を開き、打ち溶け合っていく。認知症の男性は、33年前に失った妻を、ひたむきに想い続けている。その面影を探して、森へ・・・認知症というテーマ、死というテーマを、ただひたむきに突き詰めた映画。そして、見終わった後、考えさせられた。
奈良の森は、監督がストイックなまでに時間かけて探しつくして、選んだそうだ。その監督独自の映像の美しさ、緑、光、影・・・主人公の2人をやさしく包み込む・・・
この日記の最初の、監督の言葉が、きっとこの映画を物語っているのだろうな。きっと。(河瀬監督自身も、認知症のおばあちゃんといっしょに暮らし、介護している)



私の地元では、いつのまにかとんどという行事が行われなくなった。でも、やはりしめ縄など、きちんととんどで・・・ということで、きょう午後行われた、新球場建設地での大きなとんど祭りに出向いた。たくさんの人が来ていた。その中には、カープのブラウン監督や、松田オーナーも来られていた。とにかく、そのおおきな「とんど」には圧倒されました。さっそく、自宅から持ってきたしめ縄や御札を火の中に。そして、町内会の方が炊き出していたぜんざいをいただきました。ここで行われてきたとんど、今年が最後だそうです。そう、1年後には、ここに新球場が出来ているのだから。



カメラを持って、あたたかな日差しと雲ひとつない青空の中、太田川をゆっくり散歩してみた。ひさびさに、つり橋「こうへい橋」も渡った。春は目の前のような感覚に陥る。川の水面がキラキラしていて。河岸のランニングコースには、たくさんの人が思い思いにジョギング。若いお父さんと娘さんが、階段に腰掛けて、川をぼんやり眺めている・・・そんな休日の午後。ふと、ここに来たくなって、ひとり来ていたのです。
きょうも、ありがとうございました。
あしたも、きょうの天気のように、みなさんにとって、あたたかく、おだやかな、そんな1日になりますように祈っています
あすは、本のお話と、あと2つくらい文章を書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。
きょうは、おまけの日記はありません。
メール|
Twitter
やさしさと、その先にある未来
いままでの人生の中で、しんどいとき、生死の境目に立たされたとき、別れのとき、いろいろな分岐点がありました。
そんなとき、そばに、誰かがいてくれたおかげで、乗り越えることができた。その先にある未来へ、強い言葉とやさしさで、そっと導いてくれた。そのときの、その出逢いや言葉によって、僕の人生は大きく舵を切ったことが、なんどかある。その積み重ねが、いまの自分となっています。
過去のことをあれこれ考えても、答えの見つからないことならばどうにもならない。それもそうです。でもね、過去を忘れることは決していけないと想っている。過去の辛いこと、悲しいこと、失った人たちの想いがあるからこそ、しっかり未来を生きていかなくちゃって想う。人を大切に想わないといけないこと、やさしくないといけないことに気がつくと想うのです。
やさしさと、その先にある未来。
きっと、つながっていると思います
きょうは、またいろいろ語り合う時間。本当にいろいろなことを語り合った。本当に長い時間。そこで、僕も救われたし、自分という人間を、第3者からの視点から、見つめなおすことが、少し出来たような気がした。的確に、私という人間を言い当てる・・・そういう稀少な人がいるということも、改めて認識した気がする
午後(と、いっても14時過ぎ)、昼食で訪れた都心のとあるカフェ。のんびり食事をしていると、向こう側の席に、結婚式帰りの人たちが席に座った。よーく見ると・・・某民放局のアナウンサーさんと、とてもおなじみの在広のタレント・レポーターの方々!こうしていつもテレビで見慣れてる人たちが、ずらっとそろっていると、とても華があっていいなと思いました
きょうも、ありがとうございました
あしたは、私にとって、ある心に残る言葉について
すてきな本の紹介は、火曜日にしますね。
あすは、所用が終わって、時間出来たら、一人またカフェでまったり、そして本探しかな?天気よければ、カメラもって散歩するのもいいかも。
みなさんにとって、よいお休みになりますように
成人の日、20歳のよき思い出がのこる1日になりますように
メール|
Twitter
先日購入した、スローライフ雑誌「自休自足」
最新号は、「旅の途中のカフェ」本当にすばらしい、旅の途中の、田舎のカフェがたくさん、素敵な文章と写真とともに紹介されている。その中で・・・私の感性にぴったりはまったのが、おとなり岡山県井原市にある「三村珈琲店」昭和5年に建てられた、西洋風建築の古い郵便局だった建物に、若い夫婦が2人移り住んで始めた珈琲店。その佇まい、空気、ご夫婦のひたむきさ、純粋さ、レトロな世界は、読んでいて魅了されました。奥さまは、パディシエをされてたそうで、手作りのケーキがご自慢だそうだ。お二人の、カフェに対する想い、ゆったりとした生き方に、非常に興味を覚えました。ぜひぜひ、書店でお手にとって見てもらいたい!
「自休自足」公式サイト内の、三村珈琲店紹介ページ
http://www.yumeinaka.net/jikyu/20preview04.htm
三村珈琲店のホームページ
http://mimuracoffee.com/
ことし、機会作って、行って見たい。
ひとりのんびり過ごしてみたいと想わされた。本当に・・・
スローライフというものを、もっと意識した生き方が出来れば、幸せなのだが。夫婦も、家族も、自然体で。着飾らず、シンプルに。本質を見極め、おだやかな時間を好み、人を愛し、街を愛し、自然を愛し・・・生きることを見つめなおすと、いきつくものがある。スローライフという概念って、まさにそこに近いのかもしれない。この三村珈琲店のお二人も、そこに行き着いたのかもしれないですね。
<話すということ>
きょう、夕方前、三越前のタリーズで、親しい方と待ち合わせる。限られた時間だったが、お互いいろんな胸の中にあるものを、お話した。僕も、このときだけは、胸の中の一部を話し、少し楽になった。ささやかでも甘えさせてもらいました。もちろん、相手の愚痴も聞かせてもらって。人から元気つけられたことって、最近なかったなぁと感じた。反対の立場ばかりで。人を元気つけることばかり、人を想うばかりだったもの・・・いままで、本当に自分の心を割って、話すということが、まったくなかったんだなということに、改めて気がついた。いったいこの数年、私は本当になにをしていたのだろう・・・私が私でなかったのか?私を許してくれる人がいなかったのか?
<ソレイユへ>
もう7時過ぎになったが、どうしても手に入れたい本と食べ物があったので、ソレイユへ立ち寄った。アバンセ前の広場に、マツダ車がたくさん展示されていた。たくさんの人が乗ったり触ったり。マツダの車って、ほんと若々しくなりましたよね。カラフルで。こと、新型デミオのカラーバリエーションって、なかなかいいとおもう。マツダ車は、赤が似合う。RX−8から、デミオまで。それは、かつてのファミリアからの伝統のような気がした。土曜日の、まったりした夜のソレイユ、意外と好きな時間帯です。人々の幸せそうな姿をみているのもいいし。適度に人がたくさんいて、寂しくないし。ソレイユは、私の一番身近な珈琲をいただくスポット。だから、また珈琲を!と想ったが、きょうはやめておいた。
きょうも、ありがとうございました。
メトロポリタンカメラも更新しました
あしたも、みなさんにとって、笑顔の多い、すてきな日曜日となりますように、願っています。
あすも、3つの文章で日記を書いていきます。1つは、すてきな本の紹介でもしましょね。
さ、この後は、おまけの日記です。よかったらどうぞ↓
<私という私>
私は、自分という人間をよくわかっている。思い詰めるくらい、いつも考えて、本当に傷つきやすくて、一途すぎて、相手を想う余り、いいたいことを、胸に収めがちで、人をしっかりと本質を見すぎる・・・私は、本当に悪いところばかり。きっと、人はそんな私を見つけたときに、見切ってしまうのだろう。そして、私はひとり取り残される。私という人間は、常に慎重にブロックを積み重ねていく。しかし、思いもよらぬカタチで、その積み重ねたブロックのひとつを引き抜かれると、もろくもすべて崩れてしまう・・・だから、絶対引き抜くようなことをしない人と、深く付き合おうとする。でも、やはり引き抜かれ、もろくも崩れ去る。そしてまた長い時間をかけて、ひとつひとつ積み重ねていく・・・その作業が繰り返される。
きっと、人はそういう私を知らない。
私は、おおらかで、人を傷つけるようなことを決していわない、まじめで、笑顔で、いい人だと想っているのだろう。でも、実際は、違うのです。最初出逢ってから、人は勝手に創り上げた先入観があるのかもしれない。そこで判断されることは、本当に辛いのだ。そんなに私は完璧じゃないといけない?なぜ、私の本質、私のこころのおくに秘めている強いものを見ようとしない?なぜ、私を信じない?なぜ、裏側にあるものに気がつかない?なぜ、私の弱さを出すことを許してくれない?そう、叫びたいときがときどきある。私は、人のことをしっかり聞いて、きちんと待って、相手がどういうときでも、ずっと変わらないで、どんなこと言われても、信じている・・・と想うのは、自分勝手な言い分だ。自分だって、人のことをすべてわかるわけではないから。それを求めるのは、酷かもしれない。人と人が、本当に分かり合えるのは、難しい。(だから、信じ、待ち、許すことが必要なのだろう)
君は、私の何を見てきたのか?たくさんの人に、そう言いたい。
それは、やはり贅沢なのか?
私の悲しい
ただただ、せつない毎日は、
まだまだ続くみたいだ
とはいえ、あしたはやってくる。またもうひとつの、自分で。笑顔の元気な自分で・・・だって、人を悲しませたりしたくないもの。以上、愚痴ってみました。
メール|
Twitter
雨の1日。でも、笑顔は忘れずに・・・
みなさん、こんばんわ。コバルトです。きょうはどんな1日でしたか?いろんなことを想いながら、過ごしている私ですが、きょうのようなシトシトとやわらかい雨が降る日、都心の街は、とても好きなのです。喧騒を、上品な雨音が静かに消し去るから・・・私のせつない気持ちにはちょうどいいのです
きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。みなさん、どうぞお付き合いください♪
<切に生きる>
「吾れ、常に、ここにおいて切なり」
先日の日記で、私の座右の銘のお話しましたが、この言葉は、作家・瀬戸内寂聴さんの座右の銘。切っても切れないもの=しているものになりきること・・・食べることも切、眠ることも切、愛することも切、学ぶことも切、今日生きることも切、すべて一瞬一瞬、切に生きなさい。そうすれば、やがてくる、死や、やがて来る別れに取り越し苦労する間がない。切に生き切れば、死に襲われても悔いがないのではないかということだそうです。ふーむ。私は博学ではないので、こうして本を読むことで、深く考える機会を与えられるのだが・・・切に生きることか、何ごとも。人生は長いようで短い。ならば、切に生きるべきなのかもしれない。悔いのないように。きのうの日記ではないが、大切なのは、「愛する」「生きる」ではなく、「愛しきる」「生ききる」ことなのかもしれませんね。みなさんは、どう考えますか?
私は、いつ死がくるかわからないのが人生だと思っています。だから、人に対しても、好きな人に対しても、真剣に想い、きちんと想いを言葉にして伝えなくちゃいけないと想ってる。ひたむきに愛さないととおもう。たとえ、別れてしまっても、自分がこの世からいなくなっても、その言葉、想いのひとつひとつが、やさしい想い出のひとつひとつが、ずっと人のこころの中に生きてくれれば、自分は悔いはないような気がするのです。愛してるなら、懸命に愛したいと想う。ひたむきに何かに傾けるのならば、ひたむきに
生きることって、案外大変で、難しいことでもある。悲しいことも、不条理なこともある。それでも生きなくちゃいけないから。いろんな現実を直視しなくちゃいけないし、そのためには、強さが必要だと思います。強くあるためには、「なにかを守るため」というものがあるかないかが、重要な気がします。生きる以上は、切に生きたいものです。私はまだまだ未熟者ですが、そうあるように、切に生きてきたつもりなのだが・・・難しいお話になったので、この辺で。
<その街の片隅で我何想う>
買い物をするので、帰りに基町クレドに立ち寄った。ひとつひとつ、品を選ぶ。バーゲンも、もう終わりに近いので、そういうものをあえて狙わず、いいものを買いました。ファッションに、妥協はしません(笑)パセーラの様子を写真に。新年の雰囲気がよーく伝わりますよね。買い物は、一人で行くことがほとんど。独身者だから、当たり前か(笑)ただ、ときどき、気分一新したいと想って、ガラっと姿をイメージチェンジすることがある。まさにいまがそうみたいだ。おかげで、財布が軽くなりました。
私のこれからの自分の方向性はきまっている。
あとは無心にやるのみです。
きょうもありがとうございました。
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れるように。こころから願っています。
あすも、もう少し早い時間に日記をUPできたら。3つの文章で書きます
では、この後はおまけの日記。よかったらお読みください↓
<斉藤さん>
水曜22時。日本テレビ系。たまたま見たら、これがとても痛快で面白かった。幼稚園の母親たちから嫌われている、同じ幼稚園の保護者である一人の母親が主人公。観月ありさが演じている。なぜ嫌われているかというと・・・曲がったことが大嫌いな母親だから。カフェで子供が駆け回っていると、子供と母親を厳しくしかりつける。街で、男の歩きタバコが、ミムラ演じる母親の息子の顔にぶつかったときには、その男を叱り飛ばし、喧嘩になって、男にケガさせられる、自転車マナーの悪い高校生も厳しくしかりつける・・・などなど。でも、正義感が強く、融通は利かない女性かもしれないけれど、社会的に間違っていないし、最後には、それは正しくて。奥に秘めたやさしさもちょっとだけ垣間見せて・・・というように彼女の魅力として描かれていく。ミムラさんは、唯一彼女を理解しだすけれど、他のお母さんたち(高島礼子や浜田マリら)からは、いつも嫌われ、煙たがられている。まぁ、そういうわかりやすいストーリー。ほら、昔は街に、ひとりくらい、他人の子供の悪さを、厳しく叱るおじさんっていたでしょ?藤子アニメに出てくる「神成さん」みたいな。あれを、いまの若い母親に当てはめた感じでしょう。こういう人って、案外ひとりくらいいたほうがいいかもしれない。(私も、曲がったことが大嫌いなので、似てるかも)