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2008年01月13日(日)
やさしさと、その先にある未来

やさしさと、その先にある未来

いままでの人生の中で、しんどいとき、生死の境目に立たされたとき、別れのとき、いろいろな分岐点がありました。

そんなとき、そばに、誰かがいてくれたおかげで、乗り越えることができた。その先にある未来へ、強い言葉とやさしさで、そっと導いてくれた。そのときの、その出逢いや言葉によって、僕の人生は大きく舵を切ったことが、なんどかある。その積み重ねが、いまの自分となっています。

過去のことをあれこれ考えても、答えの見つからないことならばどうにもならない。それもそうです。でもね、過去を忘れることは決していけないと想っている。過去の辛いこと、悲しいこと、失った人たちの想いがあるからこそ、しっかり未来を生きていかなくちゃって想う。人を大切に想わないといけないこと、やさしくないといけないことに気がつくと想うのです。

やさしさと、その先にある未来。
きっと、つながっていると思います



きょうは、またいろいろ語り合う時間。本当にいろいろなことを語り合った。本当に長い時間。そこで、僕も救われたし、自分という人間を、第3者からの視点から、見つめなおすことが、少し出来たような気がした。的確に、私という人間を言い当てる・・・そういう稀少な人がいるということも、改めて認識した気がする

午後(と、いっても14時過ぎ)、昼食で訪れた都心のとあるカフェ。のんびり食事をしていると、向こう側の席に、結婚式帰りの人たちが席に座った。よーく見ると・・・某民放局のアナウンサーさんと、とてもおなじみの在広のタレント・レポーターの方々!こうしていつもテレビで見慣れてる人たちが、ずらっとそろっていると、とても華があっていいなと思いました

きょうも、ありがとうございました
あしたは、私にとって、ある心に残る言葉について
すてきな本の紹介は、火曜日にしますね。
あすは、所用が終わって、時間出来たら、一人またカフェでまったり、そして本探しかな?天気よければ、カメラもって散歩するのもいいかも。

みなさんにとって、よいお休みになりますように
成人の日、20歳のよき思い出がのこる1日になりますように




2008年01月12日(土)
君は、僕の何をみてきたのか?

先日購入した、スローライフ雑誌「自休自足」
最新号は、「旅の途中のカフェ」本当にすばらしい、旅の途中の、田舎のカフェがたくさん、素敵な文章と写真とともに紹介されている。その中で・・・私の感性にぴったりはまったのが、おとなり岡山県井原市にある「三村珈琲店」昭和5年に建てられた、西洋風建築の古い郵便局だった建物に、若い夫婦が2人移り住んで始めた珈琲店。その佇まい、空気、ご夫婦のひたむきさ、純粋さ、レトロな世界は、読んでいて魅了されました。奥さまは、パディシエをされてたそうで、手作りのケーキがご自慢だそうだ。お二人の、カフェに対する想い、ゆったりとした生き方に、非常に興味を覚えました。ぜひぜひ、書店でお手にとって見てもらいたい!

「自休自足」公式サイト内の、三村珈琲店紹介ページ
http://www.yumeinaka.net/jikyu/20preview04.htm

三村珈琲店のホームページ
http://mimuracoffee.com/

ことし、機会作って、行って見たい。
ひとりのんびり過ごしてみたいと想わされた。本当に・・・

スローライフというものを、もっと意識した生き方が出来れば、幸せなのだが。夫婦も、家族も、自然体で。着飾らず、シンプルに。本質を見極め、おだやかな時間を好み、人を愛し、街を愛し、自然を愛し・・・生きることを見つめなおすと、いきつくものがある。スローライフという概念って、まさにそこに近いのかもしれない。この三村珈琲店のお二人も、そこに行き着いたのかもしれないですね。


<話すということ>
きょう、夕方前、三越前のタリーズで、親しい方と待ち合わせる。限られた時間だったが、お互いいろんな胸の中にあるものを、お話した。僕も、このときだけは、胸の中の一部を話し、少し楽になった。ささやかでも甘えさせてもらいました。もちろん、相手の愚痴も聞かせてもらって。人から元気つけられたことって、最近なかったなぁと感じた。反対の立場ばかりで。人を元気つけることばかり、人を想うばかりだったもの・・・いままで、本当に自分の心を割って、話すということが、まったくなかったんだなということに、改めて気がついた。いったいこの数年、私は本当になにをしていたのだろう・・・私が私でなかったのか?私を許してくれる人がいなかったのか?


<ソレイユへ>
もう7時過ぎになったが、どうしても手に入れたい本と食べ物があったので、ソレイユへ立ち寄った。アバンセ前の広場に、マツダ車がたくさん展示されていた。たくさんの人が乗ったり触ったり。マツダの車って、ほんと若々しくなりましたよね。カラフルで。こと、新型デミオのカラーバリエーションって、なかなかいいとおもう。マツダ車は、赤が似合う。RX−8から、デミオまで。それは、かつてのファミリアからの伝統のような気がした。土曜日の、まったりした夜のソレイユ、意外と好きな時間帯です。人々の幸せそうな姿をみているのもいいし。適度に人がたくさんいて、寂しくないし。ソレイユは、私の一番身近な珈琲をいただくスポット。だから、また珈琲を!と想ったが、きょうはやめておいた。


きょうも、ありがとうございました。
メトロポリタンカメラも更新しました
あしたも、みなさんにとって、笑顔の多い、すてきな日曜日となりますように、願っています。
あすも、3つの文章で日記を書いていきます。1つは、すてきな本の紹介でもしましょね。

さ、この後は、おまけの日記です。よかったらどうぞ↓

<私という私>

私は、自分という人間をよくわかっている。思い詰めるくらい、いつも考えて、本当に傷つきやすくて、一途すぎて、相手を想う余り、いいたいことを、胸に収めがちで、人をしっかりと本質を見すぎる・・・私は、本当に悪いところばかり。きっと、人はそんな私を見つけたときに、見切ってしまうのだろう。そして、私はひとり取り残される。私という人間は、常に慎重にブロックを積み重ねていく。しかし、思いもよらぬカタチで、その積み重ねたブロックのひとつを引き抜かれると、もろくもすべて崩れてしまう・・・だから、絶対引き抜くようなことをしない人と、深く付き合おうとする。でも、やはり引き抜かれ、もろくも崩れ去る。そしてまた長い時間をかけて、ひとつひとつ積み重ねていく・・・その作業が繰り返される。

きっと、人はそういう私を知らない。
私は、おおらかで、人を傷つけるようなことを決していわない、まじめで、笑顔で、いい人だと想っているのだろう。でも、実際は、違うのです。最初出逢ってから、人は勝手に創り上げた先入観があるのかもしれない。そこで判断されることは、本当に辛いのだ。そんなに私は完璧じゃないといけない?なぜ、私の本質、私のこころのおくに秘めている強いものを見ようとしない?なぜ、私を信じない?なぜ、裏側にあるものに気がつかない?なぜ、私の弱さを出すことを許してくれない?そう、叫びたいときがときどきある。私は、人のことをしっかり聞いて、きちんと待って、相手がどういうときでも、ずっと変わらないで、どんなこと言われても、信じている・・・と想うのは、自分勝手な言い分だ。自分だって、人のことをすべてわかるわけではないから。それを求めるのは、酷かもしれない。人と人が、本当に分かり合えるのは、難しい。(だから、信じ、待ち、許すことが必要なのだろう)

君は、私の何を見てきたのか?たくさんの人に、そう言いたい。
それは、やはり贅沢なのか?


私の悲しい
ただただ、せつない毎日は、
まだまだ続くみたいだ



とはいえ、あしたはやってくる。またもうひとつの、自分で。笑顔の元気な自分で・・・だって、人を悲しませたりしたくないもの。以上、愚痴ってみました。


2008年01月11日(金)
「切に生ききる」ということ

雨の1日。でも、笑顔は忘れずに・・・
みなさん、こんばんわ。コバルトです。きょうはどんな1日でしたか?いろんなことを想いながら、過ごしている私ですが、きょうのようなシトシトとやわらかい雨が降る日、都心の街は、とても好きなのです。喧騒を、上品な雨音が静かに消し去るから・・・私のせつない気持ちにはちょうどいいのです

きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。みなさん、どうぞお付き合いください♪


<切に生きる>

「吾れ、常に、ここにおいて切なり」
先日の日記で、私の座右の銘のお話しましたが、この言葉は、作家・瀬戸内寂聴さんの座右の銘。切っても切れないもの=しているものになりきること・・・食べることも切、眠ることも切、愛することも切、学ぶことも切、今日生きることも切、すべて一瞬一瞬、切に生きなさい。そうすれば、やがてくる、死や、やがて来る別れに取り越し苦労する間がない。切に生き切れば、死に襲われても悔いがないのではないかということだそうです。ふーむ。私は博学ではないので、こうして本を読むことで、深く考える機会を与えられるのだが・・・切に生きることか、何ごとも。人生は長いようで短い。ならば、切に生きるべきなのかもしれない。悔いのないように。きのうの日記ではないが、大切なのは、「愛する」「生きる」ではなく、「愛しきる」「生ききる」ことなのかもしれませんね。みなさんは、どう考えますか?

私は、いつ死がくるかわからないのが人生だと思っています。だから、人に対しても、好きな人に対しても、真剣に想い、きちんと想いを言葉にして伝えなくちゃいけないと想ってる。ひたむきに愛さないととおもう。たとえ、別れてしまっても、自分がこの世からいなくなっても、その言葉、想いのひとつひとつが、やさしい想い出のひとつひとつが、ずっと人のこころの中に生きてくれれば、自分は悔いはないような気がするのです。愛してるなら、懸命に愛したいと想う。ひたむきに何かに傾けるのならば、ひたむきに

生きることって、案外大変で、難しいことでもある。悲しいことも、不条理なこともある。それでも生きなくちゃいけないから。いろんな現実を直視しなくちゃいけないし、そのためには、強さが必要だと思います。強くあるためには、「なにかを守るため」というものがあるかないかが、重要な気がします。生きる以上は、切に生きたいものです。私はまだまだ未熟者ですが、そうあるように、切に生きてきたつもりなのだが・・・難しいお話になったので、この辺で。



<その街の片隅で我何想う>
買い物をするので、帰りに基町クレドに立ち寄った。ひとつひとつ、品を選ぶ。バーゲンも、もう終わりに近いので、そういうものをあえて狙わず、いいものを買いました。ファッションに、妥協はしません(笑)パセーラの様子を写真に。新年の雰囲気がよーく伝わりますよね。買い物は、一人で行くことがほとんど。独身者だから、当たり前か(笑)ただ、ときどき、気分一新したいと想って、ガラっと姿をイメージチェンジすることがある。まさにいまがそうみたいだ。おかげで、財布が軽くなりました。

私のこれからの自分の方向性はきまっている。
あとは無心にやるのみです。


きょうもありがとうございました。
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れるように。こころから願っています。
あすも、もう少し早い時間に日記をUPできたら。3つの文章で書きます
では、この後はおまけの日記。よかったらお読みください↓

<斉藤さん>

水曜22時。日本テレビ系。たまたま見たら、これがとても痛快で面白かった。幼稚園の母親たちから嫌われている、同じ幼稚園の保護者である一人の母親が主人公。観月ありさが演じている。なぜ嫌われているかというと・・・曲がったことが大嫌いな母親だから。カフェで子供が駆け回っていると、子供と母親を厳しくしかりつける。街で、男の歩きタバコが、ミムラ演じる母親の息子の顔にぶつかったときには、その男を叱り飛ばし、喧嘩になって、男にケガさせられる、自転車マナーの悪い高校生も厳しくしかりつける・・・などなど。でも、正義感が強く、融通は利かない女性かもしれないけれど、社会的に間違っていないし、最後には、それは正しくて。奥に秘めたやさしさもちょっとだけ垣間見せて・・・というように彼女の魅力として描かれていく。ミムラさんは、唯一彼女を理解しだすけれど、他のお母さんたち(高島礼子や浜田マリら)からは、いつも嫌われ、煙たがられている。まぁ、そういうわかりやすいストーリー。ほら、昔は街に、ひとりくらい、他人の子供の悪さを、厳しく叱るおじさんっていたでしょ?藤子アニメに出てくる「神成さん」みたいな。あれを、いまの若い母親に当てはめた感じでしょう。こういう人って、案外ひとりくらいいたほうがいいかもしれない。(私も、曲がったことが大嫌いなので、似てるかも)


2008年01月10日(木)
2人で分かち合う、やさしい恋をしよう

みなさん、こんばんわ。きょうも1日、おつかれさまでした。昨日スタートしたドラマ「斉藤さん」が妙にハマったコバルトです。みなさん、見ました?おすすめです!

昨年12月後半の日記・13日分、遅くなりましたがUPしました。お暇であれば、気楽にお読みくださいな。テレビネタ満載ですよん。さ、きょうも日記にお付き合いください。4つの文章でまとめました。


<やさしい恋をしましょう>

私は、いままでの恋で、自分から相手を振ったことは一度もない。ずっと好きなまま。本当に。だからすべての恋は、相手から去ったか、周りの状況から仕方なく別れに至るか。つくづく、私は一途な人間なんだと改めて思います。「さよなら」のない恋をしようと想うけれど、いつしか「さよならまでの恋」と考えるようになってる気がします(笑)。人のこころも、恋も、どうしても変わってしまう、はかないものだから。泣いても嘆いても、人のこころは、どうにもならない。だから、渇愛に陥るのです。まぁ、それはともかく、どうしてそういうかというと・・・

昨年の12月、私はある知人の相談に乗ることと相成りました。それは「離婚」という問題。かなり深刻です。私は、愛とはなにかという問題に、精神的に、相当参っていた当人といっしょに、すごく考えさせられました。とはいえ、いっしょにゆっくり話を聞いてあげて、いっしょに泣いてあげることしか、出来なかったわけですが。こうしなさいというアドバイスは出来ません。(結婚相手の方も、私が知っている人なので余計に)本当に愛し合っていたのにどうして別れることになったのか?僕も非常にショックで悩みました。ただ、どうにもならないこともありますよね。人のこころも、愛も。どうにもならないことってあるわけですよね・・・昨年12月は、仕事の忙しさとともに、いろいろなことで、私も悩んでいたわけです


先日読んだ、聖路加国際病院の日野原重明先生の著書の中で、先生は、こうしたことを言われている

「喜びや楽しみは、人と分かち合った分だけ大きくなると信じている。愛することを心の習慣にしなさい」

愛することの意味が、この言葉に凝縮されているのかもしれないですね。大きな意味のある言葉のように思えた。


話はちょっと変わるけれど、年末に結婚会見したオダギリジョーさんと香椎由宇さん。記者の「お互いのどこに惹かれたのですか?」との問いに、オダギリくんは「彼女のひたむきな生き方を尊敬したから」香椎さんは「話を静かにしっかり聞いてくれる」。僕は、この会見、この言葉を聴いて、直感でこの2人はいい結婚生活を送るのでは?って思いました。お互いを尊敬できる。しっかり話を聴く。なかなか出来ないこと。とくに「尊敬」って言葉は、夫婦の間でなかなか言えないことだもの。私もいつか結婚するとき、相手と尊敬しあい、話を聞きあえる関係でなくちゃって想ったもの。(2人の誕生日がいっしょとの指摘で、2人とも「キムジョンイル」とも同じですと言って、会場を笑わせていましたよね)私の知人の2人も、もっと2人にとって、基本的でシンプルなことに気がついて、それをきちんと見つめていれば・・・と、ちょっぴり想った。1度歯車が合わなくなると・・・


やさしい恋をしましょう。お互いを尊重しあって、思いやって。時に謙虚に、時に強く。2人がいっしょにいることで、お互いが向上しあえる。やっぱり、2人でいる時間が、おだやかで、やさしい時間であることが一番ですから。やさしい恋は、シンプルなものです(現実的なこともあるにはあるが)


<人生の歯車>

人には、人生の歯車というものがあると思います。その一番の素になる歯車を動かさない限り、すべての歯車が動かないものです。逆にいえば、それを回すことが一番大切。一度歯車が狂うと、すべてが動かなくなる。あなたの一番の素になっている歯車ってなんでしょう??仕事かな?恋人かな?家族かな?それさえまわせば、そのほかの歯車も順調に回りだすのです。恋も、趣味も、健康も、夢も、生活も。人生は、案外シンプルな機構で動いているって、僕は思います。そう想ったほうが、幸せに生きれるはずだから。ただし、まわすには、ときに潤滑油が必要です。それは、周りの人のやさしさであり、笑うことであり。自分にとっての楽しみであり。それも忘れないように。かくいう私も、素の歯車がぎしぎし音を立てていたのです。(おそらく仕事かな?)だからいったん止めて、メンテナンスして、再びフル回転しなくちゃって想うのです。

きょうも、ありがとうございました
あすは、雨が降るみたいです。傘を忘れずにね。
あすの日記も3テーマで。1つは、こころについて、生きることについて。あとの2つは、またなにかを書きます。22時前後にUPできたら
この後は、おまけの日記。よろしかったら、お読みください↓


<友人と親友>

私は、親友と呼べる人は、数少ない。どうも、ながく関係を保つことが上手くない人間のようだ。小さい頃から、転勤の連続で、1〜2年で小学校も変わっていた。1から、人間関係を築いていく必要になんども迫られた。だからか、幼馴染というものがまったく存在しない。

そうしたひずみが、高校生ころに大きく出てしまった。私の高校生時代は、親友といえるものははほとんどいなかった。ひとりでいることがここちよかったから。本ばかり読んでいた。(部活や生徒会は懸命だったけれど、いつも一匹狼でした)


でも、友人は、大切にするべきです。
出逢いは大切にすべきだけれど
親友は、たくさんいなくてもいい。
ただ、困ったときには、助け、
離れていても、静かに見守る
なんでも言い合えて
許しあえて、思う存分泣かせてくれる

ただ、いい関係を持続するのには、自らの人間性が問われる。私は、やはりどこか不適合なところがあるのかもしれない。それでも、常に志を高く、人にたいしても、いくつかの心がけというか、こうありたいという部分がある。そこには、つねに、「去るものは追わず」という部分と同居しているわけです。 自分は、どうも対人関係が苦手なタイプのようだ。けっこう懸命に向き合っているんだけれど、どこかに問題があるのでしょうね。

友人関係、恋愛関係、人間関係、どれも、ちょっとしたことで、もろくも崩れていくものです。いままで積み重ねた信頼や時間なんてほとんど無意味で、いっぺんにもろくも崩れてしまう。崩れたら、元には戻らない。たとえば、言葉ひとつでも簡単に崩れるもの。いまの私は本当に肝に銘じないといけませんね。反対に、人に対して、寛容で、許せるくらいのこころの大きさって、必要かもしれないし、それが出来て、初めて、本当の関係になれるような気がします


ホームページで、数多くオフ会をやりますが、そこには、「自分が、いい友人と出会って、楽しくやりたい」という考えではなく、「人と人をつなごう」「みなの出逢いのきっかけになれば」との想いのほうが断然つよいのです。

そういう役割が出来ることが、私にとって、一番の幸せなのです


2008年01月09日(水)
いつも笑顔でニコニコで

こんばんわ。きょうも本当にポカポカの陽気でした。昼食を買いに、出かけたとき、都心中心部は春?って勘違いしてしまったもの。ビル群は黄砂のようにかすんでいたけれど。この暖かさ、あしたまでですよ。ハンドボールの五輪アジア予選のやり直し拒否する中東の国々に、喝!を入れたいコバルトです。きょうも3つの文章で書いていきます。メトロポリタンカメラも更新しました。どうぞお付き合いくださいませ・・・♪



<いつも笑顔でニコニコで>

自分がニコニコの笑顔じゃないと、幸せは来ません!これ、私の持論。
だから、できるだけ自分は笑顔で過ごすことを意識しています。もちろん!出会う人を笑顔に出来るようにって、必ず思うのだけれどね。ささやかなことでも。たとえば、定食屋のおやじさんには、「おいしかったです」レジの人にも「ありがとう」、バスの運転手さんにも「ありがとう」と、スマイル!こういう小さいことも、しっかり心がけていたいと、思うんですよ。もちん、家族、同僚、友人は当たり前で・・・いつも笑顔で、おだやかに。ありがとうという言葉を添えて。そうしたら、「自分はみんなによって生かされている」ってことを、その都度感じることが出来るから。


「ありがとうを多くいうと、ストレスが少なくなる」
これは、斉藤茂太先生の著書の中の言葉。本当にそうですよね。まずは感謝の気持ちを表すことは、自分を守ることになるってことです。みなさんも、そう思いません??


笑顔でいれば、自然といい顔になっていく。美人になったり、やさしい顔になったりするものだもの。うん。一番の美顔術は「ニコニコ」でいることです。でも、悲しいときは、思い切り泣けばいいんです。愚痴も言えばいいんです。要は「自分に無理しないように」いつも人に言う言葉だけど、いまは自分に言い聞かせているんですね。うん。まずは、こころが健康でなくては、なにもはじまりません。

みなさんも、笑顔、忘れてませんか?
笑顔ってね、意外ととすぐ消えてしまう。だから笑顔は絶やさないほうがいい。愛しい人の笑顔は、ずっと消えず、自らのこころを、どんなときでも温めてくれるはずですもの。



<七草がゆをおなかいっぱい>

ここ、調子が悪いのもあって、数日間、七草粥ばかり食べている。胃に本当にやさしいもの。お正月だからといって、特段豪華なものをたくさん食べたわけでもないので、胃もたれもないのだが(笑)ドクターコパさんの本を読んでいると、日本の恒例行事を、きちんと行うことが、運気を大幅に上げる。生活の、当たり前のことをきちんとすることなんですよね。やはり。その意見、同感。私も行事好きな人なので特に。そういえば、モノを捨てることも、風水ではよく言われるけれど、これも当たり前のこと。昨年末、自室のいらないものは捨てに捨て、無駄なものがなくなった。その代わり、干支の置物をきちんと東側においてたりしてる。七草粥も、そういう、運気をUPさせる意識でも食べています(風水ってそこまで信じているわけではないけれど、やらないよりはいいだろうくらいの意識)


明日も3つの文書を書いていきます(なるべく夜9時に間に合わせます。来週は食事とかいくつか予定があったりしますので、遅くなるかも)あすの内容は、やさしさと恋について、友人について、そしてもう1テーマ。おだやかに明るく書いていきますぜ♪この日記への感想がありましたら、お気軽にどうぞ。

きょうも、ありがとうございました
あしたも、みなさんにとって、やさしい時間が流れていきますように・・・
こころから、願っています。
さて、この後は、おまけの日記です。
よかったらどうぞ↓


<家族へ>

私は、父や母を、どちらかとえいば好きではない。
ひとりの人間として捕らえたとき、もし親でなかったら、きっと付き合わない人間のような気がする(笑)と書くと、とんでもない人のように想うが、そうではなくて・・・

小さいときはなついていた。ただ、いろんな面を見て、子供心に影響を受けた面もあるし。とにかく、父も母も、人の話はあまり聞かないし、こと子供のことを理解しようという姿勢は、そこまでない人だった だから、家族旅行などほとんどなく、一家で食事することもまったくなく。でも、どこか慎ましく、派手なことが嫌いで。 社会のルールに反することに対しては、本当に厳しかった。ただ、どういう人であっても、親であることは変わりない
言葉はきちんと交わさないけれど、本当は、感謝の念をとても感じている。


幼い頃から、引越しすること10回以上。短いときは1週間、長くて2年。
そのたび、荷造りし、友達と別れ、知らない土地へ行く。そのストレスは、多感な子供のころだからこそ、計り知れなかった。(父は治安を守る職種の公務員だったので、転勤は日常茶飯事だった)いまの自分を形成するのに、悪い部分で、多分に影響したことは間違いない。幼なじみというものも存在しないし。寂しがりやなのも、そこから来ているのかもしれない。その引越しのことを、母は、いまでも私に詫びることがある。本当にすまなかったと。 そのとき、感じるのは、その苦労は、父も母も、相当しているに違いない。だから責められないのです

生きた言葉を日ごろ、交わすことがない家族であっても、その裏では、各々いろんなものが存在する。感謝の気持ち、わびる気持ち、後悔の気持ち。きっといつか、それらを、たくさん言葉として出るときが、いずれやってくるでしょう。


私は、両親のような親にはなりたくない。とくに、父は、父親としての尊敬は残念ながらしていない。ただ、仕事に対しての、ひたむきさに関しては、誰よりも尊敬しているのです。これも言葉にすること、この先あるかもしれないけれど

家族を顧みず、仕事に打ち込む。こと、自分勝手で、短気で。人間としては、どうなのかと疑うところはある。僕が小さいときから、「この人」のようになってはいけないと、堅く誓ったものです。だからって、父には、感謝の念も強いのです。

両親も、もう年老いて、人間が丸くなってしまった。あんなにも厳しかった父も、私には、何も言わなくなった。私が仕事疲れで、帰宅してすぐソファーで寝ていても、父はなにも言わない。(「これから先、おまえに面倒を見てもらおうと思わん、だからお前はひとりしっかりやれ」」が、最近の唯一の口癖)何もいわないのが、せめてもの、家族への償いなのかもしれない。

そして、親に苦労かけさせ、心配させた、親不孝モノの僕は、これから先、何かの形で、この父と母に、お返ししなくてはならない。



時間は、あっという間に過ぎていく
人生も、あっという間なのです。

ならば、本当に愛し合った伴侶と子供に囲まれて、ささやかでも家族を築いて、穏やかに、当たり前のことを生きたいと、心から思う。要は、そういう相手が、いそうでいないということだけどね(笑) ただ、いますぐでも、ホントそうしたいものです

でも、正直なところ、私は、結婚しないかもしれません。それならそれが、宿命だと想うのです。人生は、自然な流れというのもあるから。
でも、両親の感謝の気持ちは、忘れずにいたい。こうした感謝の気持ちをもてないと、たとえ、仮に自分が親になったとして、同じように子供や妻に感謝されない父親に、そして家族になりそうな気がするから。それはやはり、悲しい。

一度、離れてしまったこころや絆は、元に戻すことは難しいのだから

以上、おまけの日記でした(おまけの方が長い!)


2008年01月08日(火)
穏やかに生きる、強く生きる、自分を生きる

みなさん、こんばんわ。3月のようなすがすがしい暖かい1日でしたね。笑顔で1日を過ごしましたか?おつかれさまでした!

きょうは、3つのテーマで、大切なことを書きます。
なお、この日記は、今年から、その日の夜(9時〜11時前後)に更新しています。1つの日記に、多いときは3つの文章を書いていくつもり。だから、1日分がすごい文章量になるかもしれません。お願いですので、最後まで読んでくださいね。元気になれる、笑える、あったかいものを伝えれたらって想うので。


<穏やかに生きる>

人間は、絶対に「おだやか」でなくてはいけない。
人に決して怒ったり、冷たかったり、悪口や酷い言葉を言ったりしてはいけないと常日頃思っている。もちろん、裏切ったり、嘘をついたしてはいけない。こと、自分にとって大切な人、身近な人に対してはなおさら。笑顔で、やさしく、おだやかに生きること。それを、けっして否定されたくない。一度、言葉に出してしまったことは、もう消すことは出来ないことを、肝に銘じて。一度、人を裏切ったら、その何倍の裏切りを、きっといつか自分は受けるようになるから。後で後悔しても遅い。日ごろから、何事にも穏やかに生きる努力しないと。そして穏やかに生きると、周りの人のやさしさ、暖かさなど、本質がしっかり見えてくるはずだから。おだやかに生きること、それは、「誰かといっしょに」が出来る人でもある。夫婦でも、仲間でも、仕事でも、「いっしょに」が基本の人が理想だと僕は思います。喜びも、悲しみも、いっしょに。
いっしょにというのは、やはり「おだやか」じゃないと、そうはいかないもの。

そうできるとね・・・ささかやか日常のありがたさを、毎日ひしと感じながら生きていけるはずですから。

穏やかに生きる。それは、自分に素直なこころで、ゆっくり生きるということ。



<強く生きる>

強く生きるということは、大切な、誰かを守るということ。誰かのために生きるという使命を持つと、何倍も強く生きられると想う。決して、いまだけをみてしまわないようように、楽な方、安易な方へ逃げないように、一歩前へ進んで、殻から飛び出して。これからを見て。いま、見えていないかもしれない、本当に大切なことに、いつか気がつくということ。愛する人をしっかり信じて、その人の為に生きるようにと。決して、人を見捨てたりしないことも、ひとつの強さでもあるとおもう。難しいけれどね。強く生きるというのは、決して、人を押しのけたり、勝ったりする強さじゃない。私は、人と競ったりするのは本当に苦手です。人を悲しませたり、裏切ったりしてまで幸せになろうとは想わない。そして、人を許すことができること。それだって、強く生きることになるのではないかと、想うのです。
辛いとき、悲しいとき、負けないように。まだまだしんどいところはあるけれど、強く!

強く生きる。それは、自分を信じて、志を高く生きるということ
誰かのために生きるということ



<自分を生きる>

自分を生きるということは、自分のぶれない信念を持って生きること。本当の自分を、見つけられたとき、自分を生きることの大切さに気がつく。

私は、仕事に区切りをつけようと思います
自分を生きるため。

素直なこころを、はじめて大切に、生きてみようと想う。すこし、自分を見つめなおす時間をつくって、こころゆっくりとさせて。本当の自分を生きたい。本当に、本当に・・・


この11月末から、私は情緒不安定でした。眠れないし。しんどくて。それは、仕事が多忙で、もうストレスも限界でした。私はこのままでいいのか?悩みに悩んだ。また、友人のことなど、そのほかのいろんな大きな出来事が、次々私にやってきて、自分が、正常な判断や行動が出来てなった気がします。ただね、自分のこころの支えにしてきた「大切なもの」があったからこそ、なんとかやってこれた。そういう状態の中で、多くの人に迷惑をかけてしまった。本当に、申し訳ありませんでした。こころから、謝りたい。本当にごめんなさい

前に進まないといけないから。私は、大切なものを守らなくてはいけない。守れるような人間にならなくてはいけない!

人を愛して、信じて。ずっとずっと、人を幸せにしたいという変わらない想い、何があっても自分だけは絶対に変わらない一途な想いは、けっして恥じることはないと想うのです。間違っていない。私は、たとえ、自分の想いや行動が、人から見えないこと、理解されないことであっても、それを信じて、懸命でありたい。そして、いつか、私がやってきた、伝えてきた本当の意味に、人々が気がついてくれるときが必ずくればいいなと。それだけを望む(私という人間は、なかなかそのときに、理解してもらえる人ではないことは、よくわかっているから。時を経て、人に「あのとき、あなたにいわれたことの意味が、いま本当にわかった」といわれることがけっこう多いのです。ぶれない想いがあるから、先のことをしっかり考えて伝えよう、あわてず行動しよう、大切なこと、本質を見定めようと、いつもしている自負があるから)とはいえ、それがすべてではないですけれどね。無論、自分が間違ってることなんて、たくさんあるし。引くときは引くことも大切です)


自分の想い、それを、こころからわかってくれる人は、どこかになからずいると信じたいのです。

自分を生きる。それは、後悔しないこと。


私は、これから自分をしっかり生きていく。
そう誓いたい。
自分を律して。反省して。
本当の笑顔に戻れるように



石田ゆり子さんは、著書のなかで、
「澱まないように」「止まらないように」

と書かれています。その言葉は、ずっと僕は忘れないようにしてきたつもりです。彼女のいうとおりだと想うから


きょう、会社をちょっと早めに退社して、所用を済ませ、時間があったので、またいつものタリーズへ。1時間くらいか、いつもの席でのんびり本を読んだ。その後、書店で本を漁る。

ふっと、文庫新刊台のひな壇手前にあった、ある文庫に手が伸びた。それは、「禅」の言葉を集めたもの。でね、ふっと開いたページが、なんと偶然にも、私が専門学校の学生のころ、座右の銘にしていた言葉だったので、びっくりしたのです。(書道サークルで、この言葉を書いて、発表会に出品した)


それは、

「行雲流水」

空に漂う雲、果てしない空、流れる水のように、自然に身をゆだねるようにおだやかに生きる。人のこころ、自らのこころが、小さなことでわだかまったりしないように。物事に執着せず、淡々と生きていくということ

もっと、こころおだやかに、人にもおだやかに、生きてゆきたい。
たとえ、これから、困難なことや、悲しいことがあっても、裏切られたりしても、自分だけは、しっかり強く、おだやかに、自分を生きたいとこころから想う。この本で偶然みつけた、懐かしい言葉。なんだか初心に帰れといわんばかりの出来事だった。


あしたは、3つのうち、1つは、「家族」について書くつもりです。あと2つは、あしたまた。


きょうも、ありがとうございました
あしたも、みなさんにとって、すてきな1日になることを祈っています。


2008年01月07日(月)
ただただ、待ってみるということ

ゆっくりと、待ってみることにしよう。
こころはそのままで。見守りつつ
そう、想うようになった。

その人、その物事、その未来・・・

どう、これから、どう変わるか変わらない
この世の中だって。

ただ、自らの素直な気持ちだけは、大切にしておきたいと想う
時間が経て、なにかが変わり、なにかが見えてくるかもしれない

きょう、いくつか、小さな幸せな出来事があった。
昨年末、心配していた知人から、丁寧にお手紙をいただいた。少しずつ、よい方向に向いつつあるようだ。思わず、涙ぐんでしまった。謙虚に書かれたその文面は、かなり印象的だ

探していた本が見つかった。即買ってしまった
注文しないと手に入らないかと想ったから。年末、自室の書棚の本を大量処分したので、かなり空きスペースが出来た。今年は、久々に読書をする1年にするつもりだ。自室の書棚も、新しい本が、再び並ぶだろう

昨日、泣きつかれて、眼が腫れている
いろんな出来事を振り返り、そのひとつひとつを想う
ただ、そこまでしてでも、自分を追い込まないと、何かを整理し、答えを出せないから。私には、こうしたストイックな面がある。泣いた後は、不思議と穏やかなのだ。

これからのことはわからない
だから、待ってみる

「美の巨人たち」
この番組が本当に大好き。土曜日に1時間スペシャルも放送されていた。スペシャルでは、西洋絵画の歴史をわかりやすく伝えていた。印象派について特に。
毎回、1つのアート作品に焦点を当てて、30分、その絵やオブジェなどに秘められたドラマ、作者の葛藤や人生を、わかりやすく、ドラマ風に、伝えている。(日本の作品と西洋の作品を、1回づつ交互に)美術を紹介する番組でいえば同じ、NHK新日曜美術館は、いささか堅苦しいが、美の巨人たちは、その点見やすい
なにより、ナレーターの俳優・小林薫さんの、やさしい語り口が、秀逸である。番組中流れるキリンのCMも、普段見れないロングバージョンのCMだったりして。番組の独特の雰囲気を壊さない。紹介される作品の奥に潜むもの、そして作者の苦悩やストイックさを、いつも感じてしまう。

次回は、ピカソのゲルニカ。大変楽しみ

「篤姫」
初回を見ました。とてもフレッシュな感じがしたのは、やはり主役の宮崎あおいさんの、聡明で明るい主人公・於一(篤姫)なせばこそ。見続けるかどうかは、わからないけれど。

「情熱大陸」
昨年の大河ドラマで、信玄を演じていた 市川亀治郎さんだった。こと、無口で、いつも、スタッフの質問に対して「わからない」を繰り返す人だった。毎回、歌舞伎に対して、無心で演じていることが、よくわかる。この人、私より年下だったんだね。驚きでした


日曜日に見た、番組のことについて


きょうも、ありがとうございました
あしたも、みなさんが、笑顔のいっぱいの、すてきな1日となりますように・・・

私は、時間作って、コーヒーのみにいきたい気持ちでいっぱいです
さ、きょうも元気だして♪



コバルト

広島在住
文筆とカメラとここちよい暮らしが好き
ホームページ⇒http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/

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